6◇最後のひと押し
展可が厩まで馬を預けに行った帰り、郭将軍が肩に人を担いでいるのを見た。びっくりして駆け寄ると、肩に担がれているのは鶴翼だった。だらりと両手足を投げ出している。
「か、鶴翼?」
郭将軍は展可が彼を知っていることに驚いていた。
「知り合いか?」
「はい。同じ小隊で」
「小隊? いや、子供だろう?」
鶴翼は童顔で小柄だ。とても十八には見えない。しかし、これでも徴兵されてきた兵なのだ。
「鶴翼がどうしたのですか?」
訊ねると、郭将軍は困ったように体を揺すった。
「そこでうずくまっていた。具合が悪いようだ」
「鶴翼はよく、うずくまって考え事をするんです」
「……うん?」
展可は郭将軍の背中に回り、ぶら下がった鶴翼の手を引っ張った。
「鶴翼、起きてる?」
「うん」
あっさりと鶴翼は認めた。目も開いたが、担いでいる郭将軍には見えない。
「熊みたいだから死んだふりをした」
またとぼけたことを言い出した。相変わらず変なやつだ。
「熊じゃない。失礼なこと言ってないで、下りなよ」
展可が叱ると、郭将軍も平気そうだと思ったのか鶴翼を下ろした。郭将軍と並ぶと、鶴翼は本当にこぢんまりとしていて子供にしか見えない。
「徴兵は十五歳からだぞ。こんなに小さいのに……」
この人、これでも十八歳です、と展可が言おうとして言えなかったのは、逞しい郭将軍の目に涙が浮いていたからだ。
これには鶴翼も驚いて口をぽわんと開けた。
「小さくないです。十八です」
「これでも弾弓の名手で、以前、たくさん狩りをして獲物を獲ってくれたんです」
一応口添えをしたが、郭将軍は聞いているのか、いないのか、鶴翼の前にしゃがみ込む。
「それで、年はいくつだ?」
「十八ですよ?」
鶴翼がへらっと笑う。将軍相手にもこの態度、もしかすると結構大物かもしれない。
郭将軍はそれで納得しなかった。叱っているのではなく、なんとも言えず優しい様子で問いかける。本当に子供に対する扱いだった。
「それで十八は無理があるぞ。せめて十五にしておけばよかったのだ」
すると、鶴翼はきょとんとした。そして、口元に拳を当ててつぶやいた。
「なんでバレたんだろう……」
「はぁ?」
思わず展可の方が声を上げてしまった。
「あんた、十八じゃないの?」
「表向き、十八歳」
平然とそんなことを言ってくる。
しかし、よくよく考えてみると、展可も年齢詐称している。人のことは言えないのだ。それどころか、名前も性別も違う。展可の方がもっとわけが悪い。
その事実に、展可は黙るしかなかった。
郭将軍はそれでも怒らない。
「ところによっては、家族の中で該当する者がいなければ、代わりに税を払わされる。税が払えない家では少々年齢をごまかしてでも従軍するしかない。よくあることだ」
「はい、すいません。実は十四歳です。よく見破りましたね」
「…………」
緊張感が欠片もない。それでも、郭将軍は穏やかに言う。
「弾弓の名手だという。少々のことには目を瞑ろう」
「助かります」
「あたら若い命を散らすことはない。無理はせぬようにな」
「はい」
鶴翼はぺこりと頭を下げ、小走りに去っていった。事実が判明してみると、確かに十八には見えない。なんで騙されたんだろう、と展可は呆然としていた。
この時、何故か郭将軍は遠い目をしていた。何か気になる様子だった。
「郭将軍?」
声をかけると、郭将軍は軽くうなずいた。
「いや、少し似ていたのだ」
「え?」
「私の――」
その時、少し離れた段の上から黎基の声がした。
「展可!」
いつもよりゆとりのない声がして振り返ると、劉補佐の肩に手を添えて段を下りてくる黎基の姿があった。
よくあんなところから展可に気づけたものだとふと思ったが、劉補佐が教えたのだろう。黎基が段を踏み外してはいけないと思い、展可の方が黎基に近寄った。
「しばらくおそばを離れ、申し訳ございませんでした」
展可が膝を突くと、黎基は劉補佐の肩から手を退け、展可に向けて手を差し出す。黎基の手が展可を探しているように見えたので手を取った。すると、黎基は展可の手を強めに握り締める。
「無事で何よりだ」
「は、はい」
何故か、黎基の口ぶりに今まで以上の熱を感じた。握り締めた手を自分の方に引き寄せる。
これにはなんの意味があるのだろう。
とても心配してくれていた。それは間違いなく伝わる。
けれどそれは、元帥が一兵士に向けるには過ぎたものではないのか。それは、立場を越えた、ごく個人的な感情なのだとしたら――。
カッと頬が熱くなるのが自分でもわかった。男と偽ったままのくせに自意識過剰だ。あまりにも愚かしくて、後で穴にでも入りたくなってしまう。
劉補佐はどこか冷ややか、郭将軍は困った様子で控えていた。そこに、この国の主がやってくる。
ダムディン王は悠然と階段を下り、歩み寄った。黎基は何も言われずとも、その足音と雰囲気で相手がダムディン王だと察したのではないだろうか。展可の手を放すと振り向いた。
すると、ダムディン王の視線は黎基を通り越し、一度展可に向いた。興味津々といった、悪戯好きな子供のような目だ。口の端がゆっくりと持ち上がる。
この時、劉補佐が一番場を読めていたのかもしれない。顔つきが険しかった。
ヒュゥ、と風が吹く。それを皮切りに、ダムディン王は笑顔で言った。
「黎基、先ほどの話だが」
「――はい」
ピリ、と張り詰めた空気を感じた。黎基が先ほどまでダムディン王と話していたのは知っている。それが大事な話であることもわかっている。
この場に展可がいてもよいものかと迷ったが、立ち去る前に話が始まってしまったのだ。仕方なくその場にいる。
ダムディン王の視線が再び展可に向いた。分を弁えろと言いたいのだと思えば、それは違った。
「お前の目を治すための霊薬を与える代償に、お前の並べた条件はほぼ的確だとして、あとひと押しと言っただろう? そのひと押しに、そこの兵を一人もらおうか」
え――と展可の口から声が漏れた。
今、ダムディン王はなんと言ったのだ。黎基の目を治せる薬があるのだと。確かにそう言った。
そして、それを与える代わりに展可に自軍に来いと言うのだ。
これは現実だろうか。夢ではないのか。
体がガクガクと震えた。頭が真っ白になる。
黎基の目が治る。治せる手段がある。
そのことに、展可は我を忘れていた。その代わりに黎基のそばを離れることになるとしても、それでも、黎基の目には代えられない。これで父の罪を償えるのなら、展可に否はないのだ。
「……この者は男ですが、どう扱うおつもりで?」
急に劉補佐がそんなことを言った。本当は違うけれど、そういうことになっている。
ダムディン王はにこりと笑った。
「どちらでもよい。なかなかいい働きをしていたから気に入った。さすがに将軍を寄越せとは言えぬからな、その者で手を打とう」
この時、黎基はふぅ、と短く息を吐いた。
そうして、はっきりとした声で答えた。
「お断り致します」
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