5◆霊薬

 ダムディンは黎基を連れて砦の自室へと引っ込んだ。

 何故ここなのかと思ったが、密談にはこちらの方がいいと考えたらしい。すっかり人払いをされた。昭甫も追い出された。


 石壁の、この殺風景な部屋にはダムディンと黎基しかいない。

 今の状況が吉なのか、凶なのか、それはまだ判じられない。


 ダムディンは手酌で杯に酒を注ぎ、それを飲む。毒味はしないようだ。毒にある程度の耐性があるのだろう。

 酒を一気に飲み干して喉を潤すと、ダムディンはそれで? と問いかけてくる。


「十年近くもまだをやっているとは思わなかったぞ」


 ダムディンと最後に会ったのは、十歳の頃。

 天河離宮での事件があってから、しばらくしてだ。当時のダムディンはまだ王子でしかなく、友好国まで物見遊山にやってきていた。


 それまでも何度か会ったこともあるのだが、他の王子たちと比べてみても、ダムディンは図抜けて華があった。きっと王座は彼のものになると、幼い頃から思っていたが、その通りになった。

 彼は勘がよく、盲目のふりをした黎基にあっさりと言ったのだ。


「見えるんだろう? でも、見えてはいけないんだな?」


 まだこの嘘に慣れておらず、少しの物音などに反応してしまった黎基の様子から、ダムディンはそう感じたようだ。黎基はとぼけたが、ダムディンは笑っていた。


「嘘は理由があってつくものだろう。ただし、俺に対して嘘をつくのなら、それなりの覚悟をしろ」


 ――この時に感じたのだ。

 器が違う。それならば、ダムディンが王になれば、ますます奏琶国は脅かされるのではないのか。


 彼に認められ、共に歩める存在が皇帝でなければ、ダムディンは攻め入ってくるかもしれない。

 それは最早、傾国にたぶらかされた父ではなく、傀儡に過ぎない異母弟にも荷が勝ちすぎている。


 黎基は、目の周りに巻いた布を取り去った。

 そうして、まっすぐにダムディンの目を見る。互いが言葉もなく、しばらくそうしていた。


 最初に切り出したのは黎基の方だ。


「私の目は見えぬことになっております。それ故に廃太子となったのは、陛下もご存じのことかと」

「うん、まあな。そうせねばならない事情があったのは薄々感じた。ただ、十年だ。もういいだろう?」


 ダムディンなら、もっと早期解決できる方法を取っただろう。しかし、黎基にはこうしたやり方しかできなかった。


「ええ。もうそろそろこの嘘は終わりにするつもりでこちらに参りました」

「ほう」


 楽しげに目を輝かせる。ダムディンにとって、今は荒れた国内を落ち着けることが最優先で、奏琶国の事情までは知ったことではないとしても、興味はあるようだ。

 黎基はダムディンを見据え、微笑んだ。


「霊薬アムリタを私にお与えください」


 一拍の間を置いて、ダムディンが、は? と声を漏らした。突拍子もないことを言っていると、黎基にだってわかっている。


「武真国の祖先が侵略した地で手に入れ、持ち帰ったとされる、どんな怪我をも癒す霊薬ですよ」


 武真国は長い歴史の中で数多の戦に勝ち、貴重な財宝を奪った。その中に霊薬アムリタがあるとされている。

 ただし、その霊薬を使用した者は現時点の生存者の中にはいない。だから、誰もがその伝承は箔づけのために流されたもので、霊薬など存在そのものが怪しいこともわかっている。


かびが生えているかもな。そもそも、見えているのに要るか?」


 半眼になりつつ、ダムディンが頬杖を突いた。


「名目上、私に霊薬を分け与えたということにして頂けたらよいのです。私の目が見えるようになる理由になれば、それで」

「なるほどな。嘘は撤回しないままで行くわけか」


 実は見えていました、というのではいけない。これは大事な駆け引きなのだ。


「ええ。不自由な身でありながら援軍を率いてやってきた私に、陛下が霊薬を与えてくださったということにして頂きたいのです」

「それを俺が呑むのなら、どんな利がある? 言ってみろ」


 ダムディンを相手に簡単には行かないことくらい、最初からわかっている。

 黎基はうなずき、心を落ち着けて言った。


「まず、霊薬アムリタの信憑性が増します。皆、霊薬など伝承の類だと思っているところに私の目を治したとなれば、霊薬は本物だと周知されます。それを所持する陛下のご威光はさらに輝きを増すことかと」

「ふむ」

「そして、第二に。私は恩義を感じ、陛下のために国を鎮めるお手伝いをさせて頂きます。武真国にいる間、私は決して陛下を裏切らず、青巒国との戦に死力を尽くします。――いえ、あの首級は青巒国の将などではございませんでした。あれはダムディン陛下の兄君とお見受け致しましたが」


 黎基は、ダムディンだけでなく武真国の王子とはひと通り顔を合わせている。あれは確か、四番目の王子であったはずだ。ダムディンは、兄の首を賊兵として討った。あの首を見た時、黎基にも今の武真国の状況がぼんやりとわかったのだった。


 ダムディンは軽く笑ったが、目は笑っていなかった。射抜くほどに鋭く、黎基を見据えている。


「兄たちにしてみれば、俺が国を治めるのが我慢ならんらしい。それくらいなら青巒国の手を借りてでも王座を奪い取りたかったようだ。まあ、青巒国の手引きをしたのは次兄のバトゥだ。その他はバトゥに便乗したに過ぎん」

「どこも身内は厄介なものですね」


 王族だからこそわかる苦労もあり、黎基は思わずつぶやいた。

 それから、続ける。


「あと、第三にですね。私は武真国から目の見える状態で帰還した後、挙兵致します。父の寵妃である女と、力を持ちすぎたその一族を駆逐するつもりです。父には退位して頂きますので、その暁には武真国とさらなる友好関係を築けるでしょう」


 これを言ってもダムディンは驚かなかった。冷静に問うてくる。


「勝算はあるのか?」

「勝つつもりではおります。この十年、支度をして参りました」


 手にしていた杯をダムディンは手で弄んでいたかと思うと、それを机の上にカンッと音を立てて置いた。


「面白い」


 にやりと笑った。

 しかし、黎基がほっとするにはまだ早かったのだ。


「だが、あとひと押しだな。まあ、検討はしよう」


 急いてはいけない。もどかしいが、今はまだ慎重になる時らしい。

 それは、黎基にとってもダムディンにとっても同じであった。

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