2◇不在
二日後には、フェルデネの態度が軟化していた。
展可はどうしたことかと思ったが、そこは雷絃が根気よく話したらしい。フェルデネは雷絃の人柄に感じ入ったようで、態度を改めたのだと思われる。
「見えてきました。あれがヤバル砦。現在、王がおわすところです」
そこはなだらかな丘の上にある砦だった。
アルバン砦に似た飾りけのない造りだが、外郭は外からではわかりづらい複雑な構造になっていた。迷路さながらに折れ曲がっている。
砦の上から見れば攻めてくる軍勢がどう進むのか一目瞭然なのに対し、攻める側としてはどこも同じ壁にしか見えず、どちらに行けばいいのかがわからない。考えて建てられた外郭だ。
砦からは狼煙が上がっている。あれはなんの合図なのだろう。
兵の大半をその外郭の部分に待機させ、騎馬兵と黎基の乗った輿だけが砦に近づいていく。展可も輿に続いた。
砦の表で王が自ら出迎えるということはなかった。まずフェルデネが砦の兵と話し、黎基の来訪を伝えている。
フェルデネが、えっ、と一度声を上げたのが展可にも聞こえた。フェルデネはすぐに馬を引きながら駆け戻ってくる。
「王は急ぎ、出陣されたとのことです。狼煙を上げて援軍の到達をお知らせしたのですが、まだ戻られていないとのこと」
「急いで向かわれたということは、戦局に不安があったということか?」
雷絃が問うと、フェルデネは軽く眉根を寄せた。
「近くの里が襲われたそうです。それで――」
「兵を連れて向かわれたと?」
「はい」
そこで、輿から降りた黎基が劉補佐の手を借りて歩いてくる。フェルデネは膝を折ったが、黎基はそちらに顔を向けない。見えない目で宙を見つめたまま、言う。
「雷絃、騎馬兵を連れて援護に向かってくれ。フェルデネ殿、もう少し案内を頼めるだろうか」
「はっ」
そこで黎基は一度、口元を引き締めた。
「私が行ってはかえって足手まといだろう。私はここで待たせてもらう」
しかし、郭将軍は黎基と別れることに不安を覚えている様子だった。それを黎基は感じ取ったのだ。小さくうなずいてみせる。
「雷絃、ここは安全だ。それよりも王の身に何かあってはいけない。急いでくれ」
甲冑をカチャリと鳴らし、郭将軍は頭を垂れた。
「御意のままに」
この時、展可は己がどうすべきなのかを考えた。黎基自身が言うように、ここは安全だ。
援軍を率いてやってきた黎基を害しても利はひとつもない。廃太子の身とあっては、奏琶国に対して人質にもならないのだから、捕える意味もないのだ。
たった一万の兵でも、武真国にとってはいないよりましなのだから、黎基に礼を欠くような真似はしないだろう。
それなら、展可は今、その安全な場で黎基のそばに控えているべきなのかと考えた。それよりも、郭将軍と共に里の救出に向かった方がいいのではないだろうか。
騎馬兵をと黎基が言ったのは、歩兵では遅いからだ。
展可は馬を操る。遅れは取らずについていけるのだ。王が出向くほどなのだから、一兵でも多い方がいい。
それに、王の心証をよくすることが引いては黎基のためになる。展可にはそう思えた。
「では、私も参ります」
そう告げた時、初めて黎基の口元が引きつるのを見た。
「展可?」
「今は一刻を争うのでしょう。戦力は多い方がよろしいかと。私も参ります。足手まといにはなりません」
口早にそれを言うと、黎基の面持ちが厳しくなった気がした。展可の判断は間違っているというのだろうか。
けれど、劉補佐は黎基の耳元でボソ、と何かをささやいた。それから、展可に向けて言う。
「わかった、行け。しかし、雷絃殿の
「はい!」
力いっぱい答えると、黎基が展可から顔を背けた。そんな様子を、郭将軍は心配そうに見ている。
「さあ、お急ぎください」
フェルデネに促され、騎馬兵は再び馬上に乗り、馬を走らせる。砂埃の舞う中、騎馬兵を見送る黎基の姿を、展可は一度だけ振り返って見た。見えるはずもない目で、いつまでも見送っている。
展可は気を引き締め直し、後れないように馬を走らせる。
「――お前のような子供が戦地に赴くとはな。少々武具が扱えようと、人を殺したこともないのだろう? いざという時に臆して取り乱さぬことだ」
馬上のフェルデネに嫌味を言われた。言いたくなる気持ちもわからなくはないけれど。
展可はフェルデネの方を向かず、前を見据えたままで答える。
「たいして役には立てないかもしれませんが、邪魔にはなりません」
使えない兵ばかりだと、ダムディン王に思われては黎基の立場がない。そんな思いはさせたくなかった。
フェルデネは、フン、とそっぽを向いてそれ以上何も言わずに風を切って走った。
展可も慣れない土地で不安はあるが、一人ではなく郭将軍の騎馬兵と共にいるのだから、と自分を落ち着けた。
ダムディン王が向かったとされる里までは、半刻ほどで辿り着くことができたのだが――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます