3◇騎馬戦

 里が襲われていると言うが、襲っているのは侵略してきた青巒国せいらんこくの兵なのだろうか。しかし、よく考えてみると、そこまで青巒兵が到達しているというのなら、武真国の状況は思った以上に悪い。

 武真国の地理に詳しくない展可だが、かなり攻め入られていると思えた。


 それにしても、里を救いに王が出撃するという身の軽さに驚く。兵の士気を上げるためだとしても、なかなかできることではない。


 風に乗って、きな臭さが鼻につく。空を見上げると、煙が上がっていた。

 あれは狼煙ではない。里から火が出たのだろう。あの煙の下に戦闘が繰り広げられている里がある。

 展可は一度手綱を握り締め、意識して体の力を少し抜いた。



 里は、むらほどに外郭がしっかりと組まれているものばかりではない。この里も家畜を逃がさないための簡素な囲いしかなく、それ故に中の様子がよく見えた。


 王が率いているというのに、数がそれほどいるふうでもない。里人は家の中で縮こまっているのか、表には出ておらず、ただあちこちで兵と兵とがぶつかり合っている。


 展可が違和感を覚えたのは、その兵たちにだった。敵対する兵のどちらも武真国の兵に見えたのだ。革の甲冑は似ていた。歩兵と騎馬兵とがいるが、騎馬兵の方が数は少ない。

 とっさにフェルデネを見遣ると、顔つきがかなり強張っている。


「王はどちらだ?」


 郭将軍が問いかけるが、こう乱戦状態ではフェルデネにもわからないようだ。

 小さな里だ。馬で走り回って捜すほど広くはない。


「……まあいい。とにかく加勢する」

「ありがとうございます、将軍」


 フェルデネはスッと息を吸い込むと、細身の体から出たとは思えないようなよく通る声で叫んだ。


「痴れ者共、命が惜しくば投降せよ! 奏琶国の援軍が到着した! 万に一つもお前たちに勝ち目などない!!」


 騎馬兵たちはオオッと喊声かんせいを上げる。

 争っていた兵の、怯んだ方が敵方ということだ。甲冑に差は見受けられなかったが、よく見ると甲冑に使われている革の色合いが少し違う。敵の方が赤味がかって見えた。これで見分けられるだろうか。


 展可は馬上で敵をよく確認していた。すると、奏琶国の騎馬兵たちが動き出し、郭将軍は展可に向けて口早に言った。


「おぬしは私についてこい。おぬしが単騎で無理をせずともこの場は収まる」


 郭将軍が言う通りなのだ。軍の中でも精鋭の騎馬兵を連れてきたのだから、この程度の戦いに負けるはずはない。


 展可は戦の風を受け、流れを知るだけでよかった。初陣の展可だから、戦に慣らすために劉補佐は行ってこいと送り出してくれたのかもしれない。


「はい!」


 展可は馬首を巡らせ、郭将軍の後に続いた。

 地面の土はめくれ、踏みにじられ、そこに何人か倒れた男がいた。生きているのか、死んでいるのか、動かない。


 手当をしなくてはと思ったものの、近づいてみてその必要がないことがわかる。地面の黒い土に染み込んでいる血は、男たちの身体中のありったけのものであっただろう。


 兵士ではない。粗末なたんをまとい、くわを手にした農民だ。抵抗したので殺したというところだろう。

 こんな終わりが自分の人生に訪れることなど、予測もしていなかったに違いない。


 突然死を賜った父のことを思い出す――。

 父もそうだ。あんなにも急に死が訪れるとは思いもしなかっただろう。心残りは数えきれずにあって、つらかったはずだ。


 たくさんの傷病人を助けた父なのに、善行が報われるとは限らない。むしろ、こうして他者を傷つけ、我欲を優先する者が生き延びている。理不尽な世の中だ。


「展可! 戦の最中にぼうっとするな!」


 郭将軍に鋭く叱責されて我に返った。

 自分で行くと言ってついてきたのだ。これでは不甲斐ない。

 展可はかぶりを振って前を見据えた。


 郭将軍は、馬上では剣ではなく槍を選んだ。長く重い槍も、郭将軍は片手で難なく旋回させる。いかにも歴戦の武人といった郭将軍の風格に、敵兵はおののいている。


「武真国の地を荒らす暴徒め。素っ首叩き落して二度と悪さができぬようにしてやろう」


 勝ち目がないとみると、敵兵は背を向けて逃げた。里を荒らしてしまうからか、郭将軍はとにかく里から敵を追い払うつもりのようだ。槍を合わせることなく威嚇している。


 展可はきょろきょろと辺りを見回したが、王らしき人物はいなかった。

 その時、敵の騎馬兵が馬上に三つくらいの男の子を抱え上げて逃げていた。子供は育てば兵士にも労働力になるから、金品同様に攫われてしまうのだ。いけない、と展可はとっさにその敵兵を追った。


 男の子が力の限り叫んでいる。言葉にはならない獣のような叫び声だ。恐怖のあまり我を忘れている。


 追いつけない距離ではない。展可の馬は速い。

 タンッ、と蹄の音を立てて、戦いに破れてひっくり返った男たちを飛び越えた。


 血の匂い、剣の音、殺意――。

 身体中の血が沸き立つ。そのくせ、怯える気持ちもある。


 展可は敵兵に追いつくと並走した。

 敵兵は展可に気づくなり、チッと舌打ちする。剣を振るおうにも子供を抱えているので思うように扱えないのだ。

 展可としても子供を傷つけたくないので、剣は向けられない。手を伸ばして敵の馬の手綱をつかんだ。


 この男を馬から叩き落すことならできる。けれど、それでは子供まで巻き添えにしてしまう。


「止まれ!」


 展可が叫んでも、敵兵は展可の手を振り払おうとするだけで馬を止めるつもりはないようだ。

 これからどうしたらいいのだろうか。急いで考えなければ――。


 しかし、切羽詰まると頭が働かない。焦るばかりだ。

 そんな時、一騎の兵が展可たちに近づいてきた。疾風のような駿馬で、瞬く間に追いつく。

 その兵は、抜身の剣を手にしており、なんの躊躇もなく敵兵に斬りつけた。


 血飛沫がパッと展可の眼前に舞った。けれど、呆けている場合ではない。

 展可はとっさに子供の帯に手をかけ、力いっぱい引いた。


 ――ただ、男ならまだしも、展可には腕一本で子供を抱える腕力はない。駄目だ、落ちる、と子供をどう庇うかを考えた瞬間、力強い手が展可と一緒に子供を支えた。


「よくやった。もう手を放してもいいぞ」

「は、はい」


 展可はその兵を信じて子供の帯から手を放した。子供は気を失っていて、暴れなかったのが不幸中の幸いだった。

 展可が馬の速度を落とすと、その兵も同じように馬を歩かせる。振り向いてみると、先ほどの敵兵は地面に叩きつけられて倒れており、馬だけが駆け去った。


 死んだのだろうかと、ゾッと震えが来る。

 しかし、ああでもしなければ展可だけでは子供を助けられなかった。甘いことを言って子供を攫われたのでは意味がない。


 落ち着いてみると、汗がどっと噴き出す。そんな展可に先ほどの兵が目を向けていて、展可も今になってその兵をよく見た。


 粗末な野良着の子供を抱えているが、なんとなく合わない。

 それというのも、この兵が立派だからだ。黒い短髪と日に焼けた精悍な顔立ち。革の甲冑は金色を帯びていて、年若いのにそれが不釣り合いということもない。目はどこか虎を思わせるほどに鋭かった。

 先ほどの戦いからもわかるように、勇敢で戦い慣れている。


「お前は奏琶国の兵か?」


 低く染み入る声で問われた。


「はい」


 うなずいて、それだけ答える。


「そうか。よく来てくれた。今は火急の時故にまた後ほどな」


 兵は偉そうに言ったかと思うと、子供を連れて行ってしまった。

 展可は郭将軍から離れすぎたと気づき、馬を急かして戻った。


 その頃には里の鎮圧も大詰めで、味方の兵が奏琶国の騎馬兵ばかりでなく他にも増えていたように思えた。周囲に散っていた兵が集まってきたらしい。

 それを率いて戻ったのが、ダムディン王である。

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