42◇相乗り

 朝、黎基の様子がどことなくおかしいように感じられたのは、展可の気のせいであったのかもしれない。


 それでも、傷口のある肩に黎基の指が直に触れた。そこがいつまでも熱を持っているように疼く。


 黎基は目が見えないから、触れないと状態がわからない。だから、ああして触れるのであって、そこに深い意味はない。これが黎基を庇ってついた傷だからこそ、気にするのだろう。

 それがわかっていても意識してしまう。


 ――自意識過剰だ。展可は男のふりをしている。特別な意味で触れたりするはずがない。いや、男色だとか噂されていたけれど、それもないと思う。それも相手が劉補佐とか、絶対にない。ない、はず。


 

 すっかり支度を終えて郭将軍と劉補佐と顔を合わせた時、郭将軍がふと展可のことを見て首を傾げた。


「湯あたりがまだ治らぬか? 顔が赤いが……」

「え? そ、そんなことはっ」


 とっさに頬を両手で押さえた。しかし、そんな女々しい仕草をしてはいけないと、展可はすぐに手を下ろす。劉補佐はというと、郭将軍の脇腹を肘でつつき、こそこそと何か耳打ちをした。郭将軍は無言だったが、笑顔がどこか貼りつけたように感じられた。


 ククッと劉補佐が楽しげに笑っているのが不吉でならなかったが、何を言ったのかは怖くて訊けない。


「では、太守に挨拶をしてから出立だ」


 黎基がそれを言うと、二人は気を引き締め直した。


「はっ」


 太守は、兵糧の手配に向かったとのことで屋敷の中にはいなかった。馬車に乗り、門外へ行くと、そこにいた。麻袋を車に積み上げ、黎基を待っていたのだ。


「これが私共にでき得る精一杯でございます。どうかお納めください」


 このむらの人口は、この軍よりも少ないくらいだ。それも、今は労役、兵役と男手を差し出し、農作業も苦労が多い。それを思えば、決して出し渋ったとは言えない量であった。


 男が少なければ猟もできず、家畜を屠ることもしないだろう。そうなると、肉もたまにしか食べられない。あの振る舞われた肉料理も久々の味だったのではないだろうか。そして、黎基が素晴らしい舞を見せた。邑人むらびとからも反発の声は上がりにくかったに違いない。


 太守はもの言いたげな目を黎基に向けると、頭を垂れた。


「どうか、あなた様のご帰還を心よりお待ち申し上げております」


 黎基はそんな太守にそっと微笑んだ。

 戦に出る親王を前にしたら、誰もが同じことを同じようにして口にするだろうに、何故か黎基はその言葉に深い意味があるかのようにして噛み締めているのだった。



 そこから、出立の時に黎基は急に言い出した。


「国境近くまで展可の馬に乗せてほしい。あちらに行ってからではそんなこともできないだろうから」

「えっ、わ、私の馬にですか?」


 これには郭将軍も困っていた。


「殿下、この大事な時に落馬されてもいけませんから」


 しかし、黎基は何故か引かなかった。


「少しでいい。武真国へ入る前には輿に移るから」


 そうして、展可の方に顔を向けると笑いかける。


「展可は馬の扱いが上手だと聞いて、一度乗せてもらいたいと思っていたんだ。頼む」


 そんなふうに言われては、展可が断れるわけもない。ただ、落馬の危険がまったくないとは言えないので、郭将軍や劉補佐が少し強く言って止めてほしかった。

 けれど、二人ともそれ以上は何も言わない。今までいろんなことを我慢して過ごしていた黎基のささやかなわがままくらいは叶えてやりたいのだろうか。


「展可」


 名を呼び、手を差し出す。展可はその手をおずおずと取った。


「あの、本当に少しになさってくださいね。殿下に何かあってはいけませんから、私も生きた心地がしませんし……」


 馬にも緊張が伝わってしまう。だから、自信がない。

 しかし、黎基は嬉しそうだった。


「ありがとう」


 兵の手を借り、展可が跨った馬に黎基も乗る。展可が前、黎基は後ろだ。

 ただ――。


 この前、劉補佐と二人で相乗りした時、展可は鞍につかまっていた。黎基もそうした乗り方をするのかと思えば、黎基は目が見えないからか、もっと安定した体勢を取りたかったのかもしれない。


 展可の背に体を寄せ、腰に手を回した。この時の動揺を、誰に言えばわかってもらえるだろう。


 それも、わりと強めに抱きつくような形だった。展可はカッと頭に血が上って意識が飛びそうだった。しかし、気を強く持たなければと自分に言い聞かせる。それでも、頭がぼうっとした。そんな展可の耳元で、黎基はささやく。


「武真国へ行ったら、向こうでは戦に加わる。けれど、展可も無理はしないでくれ。武功も生きてこそ意味がある」


 その声がどこか切なく響いた。

 死ぬなと黎基が言ってくれる。必ず、黎基のために生き残りたい。


「はい、私は生きて帰ります。もちろん、殿下がご無事であらせられることが最重要ですから、殿下も御身をお大切に」

「ああ、そうだな」


 ギュッと、腰に回された腕に力がこもる。

 ――なんだろうか、この状況は。まるで抱き絞められているような気分だった。

 信じられない状況の中、展可は黎基がこうしたことをする理由をひとつだけ見つけた。


 もしかして、性別を疑われているのではないだろうか。これだけそばにいると、やはりごまかせないのかもしれない。

 どうしようかと、展可はさらに気が気ではなくなった。


 そうして、軍は国境の砦が見えるところにまで差しかかったのだった。

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