27◇狩り

 鶴翼はいつも自前の弓を背負っていた。展可も師から弓術は学んだのだ。並程度には的に当てることができる。


 しかし、鶴翼の弓は変わっていた。

 あれは普通の弓ではない。弓弦の中央に革の台座がある。弾弓と呼ばれるものだ。

 弾弓は矢ではなく石や弾を弾いて飛ばす。矢尻のついた矢に比べれば殺傷力は低いように思われるが、高速で弾かれた石は飛ぶ鳥をも落とす。


 鶴翼にそこまでの技量があるのかはわからないが、あってくれたら、矢も極力消費せずに鳥を仕留められる。つまり、食料が増える。

 そんな程度では焼け石に水だと言われるだろうか。展可が考え込んでいると、劉補佐も同じようにして考え込んでいた。


「このまま進むと、武真国へ辿り着くまでに通過するむらはひとつ。里がひとつ。どのようにして快く兵糧を出してもらうか……」


 と独り言つ。

 展可は正確な地理を把握していなかったが、それだけしかないらしい。


「親王殿下が同盟国の援軍へ向かうのです。出し惜しみなどしないのでは?」

「廃太子が他所の戦の手伝いに行くんだぞ? 思いっきり他人事だろうが。その後の利益まで計算できる者がどれほどいるか」

「廃太子だなんて言い方はいくら劉補佐でも無礼ではありませんか! ひどすぎます!」

「無礼なぁ。お前、いちいちうるさい」

「うるさ……」


 展可はおかしなことを言ったつもりはないのだが、鬱陶しそうにされた。おかしいのは向こうだと思う。

 ますます黎基が気の毒でならなかった。


「うぅん、まあ、おさの気質にもよるところだが。まあ殿下に任せるのがいいか」

「私の方でもそれとなく、皆で食べられる草を採ったり、鳥を射たりしてみます」

「それは足しになるのか? 兵糧の話はするなよ」

「しません。ですから、殿下のご心痛になるようなことは――」

「殿下はそこまでやわではないがな」


 今の黎基を、この男は展可よりもよく知っている。それならばきっと、劉補佐の言う通りなのだろう。

 そう言いきってしまえる劉補佐のことが、展可は羨ましかった。そこまで近くにいられることが羨ましい。



 一旦休息を挟むと、展可は劉補佐の馬から降りて策瑛たちのところへ合流した。兵糧のことを正直には言えないけれど、鶴翼を捕まえる。


「鶴翼、前から気になってたんだけど、弾弓って難しいのかな?」


 問われた鶴翼は、ほわんとした顔つきで笑った。


「えぇ? そんなことないよ。誰でもできるって」

「そうなのか。私にもできる?」

「できるんじゃない?」


 軽く答えられた。本当だろうか。

 鶴翼は自分の弓に手を触れ、弓弦をビィンと軽く弾く。


「試しに見せてくれないか? 鳥を落とせるかい? できれば食べられるやつを」

「食べるの?」


 きょとんとされた。兵糧だけでは腹が膨れず、つまみ食いに欲しているように受け取られたのなら恥ずかしいが、細かいことはこの際いい。


「うん、まあ……」


 そんな話をしていると、袁蓮が展可にもたれかかってきた。


「なぁに? なんの相談?」


 袁蓮が来ると、皆の視線がついてくる。目立ちたくないのに目立ってしまう。展可はやんわりと袁蓮を押し戻しながら言った。


「いや、鶴翼に弾弓を教えてほしいと頼んでいたんだ。矢を用いずに殺傷能力が高いから、戦地で役に立つんじゃないかって」


 とっさにもっともらしいことを言った。

 けれど、袁蓮は気ままに見えて鋭い。ふぅん、とだけつぶやいたのがかえって気になった。


 その時、鶴翼の弓弦がヒュゥンと音を立てた。展可は顔を鶴翼の方に向けておらず、何が起こったのかを見ていなかった。鶴翼が小柄な体躯に似合わない厳しい顔をして弓を支えている。


 鶴翼が放った一弾がどこへ消えたのか――展可が首を傾げたくなった頃に落ちてきた。それも隣の隊の民兵の上に黒っぽい塊が落ちてきたのだ。

 向こうで、ぎゃぁっと悲鳴が聞こえ、鶴翼はペロリと舌を出す。


「変なところに落ちちゃった」

「え? あ、ああ……」


 展可はその悲鳴のした方へ駆けた。すると、若い男が尻もちをついて頭を抱えていた。その足元には影のように黒味の強いヒヨドリが落ちていたのだ。


 いきなり落ちてきたので驚いたのだろう。これが鶴翼の仕業なら、彼は一発で仕留めたということだ。いい腕をしている。やはり、やり方を教えてもらおう。

 展可はヒヨドリの足をつかんでぶら下げた。まだあたたかい。


「すまない。狩りをしていたらこっちに落ちてしまって」


 一応謝った。

 すると、民兵の若い男とその仲間が目を怒らせた。


「な、なんで今、狩りなんてすんだよ! 従軍中だろうが!」


 そこでふと、展可は思いついた。兵糧が心もとないことを覚られずに増やす方法として、皆を使おうと。

 展可はにこりと笑ってみせた。


「噂を聞いたんだ」

「は? 噂?」

「そう。殿下は庶民の食事に興味を持たれているらしいんだ。それで、料理番は肉や野草を、求めているって。よい食材を用意できた者は当然、殿下の覚えもめでたいだろうと。それから、おこぼれにも預かれるし、いいこと尽くめだ」


 展可なら、黎基がほしいと言えば、ただそれだけで死に物狂いで手に入れる。他の民兵がそうだとは言わないが、黎基に良い印象を持たれたら嬉しいはずだ。今後の人生が変わるかもしれないと期待もするだろう。


 欲のある者なら食いつく。それが一万兵のうちの一部であったとしても、足りない兵糧の足しにできる食材が少しでも増えるのなら、それに越したことはない。こう言っておけば、堂々と食材を集めていても不審がられないのもいい。

 無断だが、そういうことにさせてもらった。


「そ、そうなのか?」


 皆、目の色が変わった。

 そこに展可はうなずいてみせる。


「ただ、矢はこれからの戦に使うから減らしたくない。料理番が言うには、矢傷がない方が調理しやすいらしいし」

「矢を使わずに? そんなの無理じゃねぇか」


 民兵の一人がぼやいた。


「この鳥は矢で射たわけじゃない。ほら、刺さってないだろう?」


 と、展可はヒヨドリを見せる。矢で射られていないヒヨドリはまだ生きている。気を失っているだけだ。


「本当だ。誰がこんなこと……」

「第一小隊の鶴翼だ。君たちも興味があるなら弾弓を習ったらいい」

「弾弓かぁ」


 そこまで言うと、ヒヨドリが気がついたのがわかった。足をつかまれているので錯乱して羽をバッサバサと動かすが、展可も放さなかった。


「じゃあ、そういうことで!」


 慌ててヒヨドリを押さえながら走り去る。途中、鶴翼のところを通る時に声をかけた。


「鶴翼、すごいな! ちゃんと獲れてる! 後でやり方を教えてよ」

「あ、うん」


 鶴翼は獲物を横取りされたとは思わないのか、ほんわかと笑っていた。こののんびりとした童顔が弾弓の名手とは思えないが、人は見かけによらない。



「すみません、これ使ってください」


 展可は料理番に暴れるヒヨドリを押しつけた。料理番の中には屠殺に慣れた者も当然いる。可哀想ではあるが、ヒヨドリは誰かの胃に収まる運命だ。生きるということは罪深い。


 今は綺麗事を言っている場合ではないし、展可は里で十分慣れている。今さら年頃の娘らしくきゃあきゃあと言って怯えることもなかった。


「一羽か。いや、ありがたいけどな」

「これから、もっと獲れるように頑張ります」

「ああ、ありがとうよ」


 料理番たちと軽く話し、それから鶴翼のところに戻った。

 考えなくてはならないことが多く、気が昂っていて肩の傷が痛いとも思わなかった。兄が作ってくれた傷薬もよく効いているのだろう。


「鶴翼、私にも教えてくれ」


 息を切らしながら言うと、鶴翼ではなく、いつの間にか後ろに立っていた策瑛と袁蓮に止められた。


「肩に怪我をしているヤツが弓なんて引くな。悪化するぞ」

「あ、策瑛」


 振り向いた展可の髪が策瑛の腕に当たる。


「怪我は、皆が思うほどひどくない」

「それならいいんだけど、なんでまた急に狩りなんて――」


 と、策瑛も不思議そうにしていた。展可は先ほどの作り話を策瑛たちにもするのだった。


「へぇ、殿下がねぇ」


 袁蓮が一番ごまかしにくい。言動にハラハラするが、賢い娘だから、嘘だとしてもなんらかの理由があることを察し、いきなり嘘を暴いたりはしないでくれるだろう。


「別に、鳥が獲れなくったって野草を摘んでもいいんだろ? 袁蓮は野草摘みな」


 策瑛に言われ、袁蓮はうなずく。


「鳥なんてあたしに獲れるわけないでしょ。いいわよ、草摘んであげる」

「……あのさ、草には毒性を持つものもあるから、なんでも摘んでいいわけじゃない」


 下手をすると食あたり、最悪命を落とすようなこともある。飢饉の時などにはひもじさのあまり手あたり次第に食べ、毒に当たって死んだという例も多々あった。食べねば死ぬが、食べて死ぬということも起こり得る。


「展可は見分けられるの?」

「うん、ある程度は」


 袁蓮は育ちがよいらしいから、野草など食べずとも十分な食事が与えられていた。そんな区別がつかずとも当然だろう。

 袁蓮は大きくうなずく。


「じゃあ、展可はあたしが摘んだ野草を選別して。後は鶴翼がたくさん鳥を仕留めてくれるわ。策瑛も」


 麗しい笑顔で指図した。こうなると、誰も逆らえない。


「……俺も狩りか。できるかなぁ?」


 策瑛も狩りはしたことがないようだ。しかし、鶴翼はのんびりとした口調で笑いながら言う。


「策瑛は弓術向きじゃないかも。でも、きじなんかは走って逃げるから走って追いかければいいんだよ」

「そういうものなのか?」

「雉が獲れなかったら鹿でもいいと思う」

「そうか、そうだな」


 鶴翼はにこにこしており、どこまでが冗談だかよくわからなかった。そして、策瑛もどこまでが本気かわからない。――いや、策瑛は真に受けている気がした。素直な人だから。


「でも、あくまで行軍のついでだ。横道にそれるようじゃ罰せられるから」


 展可は念のために釘を刺しておいた。

 そうして、その日の晩は昨日と何ら変わりのない雑穀の粥が出たのだった。

 それでも、展可はその粥をしっかりと味わって食べた。

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