24◇気遣い

 怪我をしている展可を看るため、袁蓮も一緒に天幕の中で寝ると言う。これは袁蓮が天幕の中にいたいだけだ。展可の怪我はそこまで悪くない。

 とはいえ、袁蓮が男たちに紛れて眠りたくないのも理解できるから、強くは言えない。


「それにしても、殿下直々に訪れてお言葉をかけられるなんて、あんたによっぽど感謝してるのよね」


 実際に、考えられないことだと思う。兵が大将を護るのは当然のことだ。そこであれほどの感謝を示されるとは、行き過ぎでさえあると思う。


 黎基は戦に出たこともなく、当たり前のことを当たり前とは思えないのかもしれない。だから、己の感じたままに振る舞うのだろうか。

 展可は未だに、天にも昇るような心地だった。


「殿下はとてもお優しくて、謙虚なお人柄のようだ」


 なるべく淡々とした口調で言ったつもりだが、声が高くなりそうで意識して抑えた。嬉しさのあまり浮ついてしまう。

 袁蓮はそれをどう受け取ったのだろうか。ニヤリと笑った。


「ふぅん。あんた、気に入られたみたいだし、このままだと昇進して軍属になるかもね。まあ、過去には女将軍なんかもいたらしいし、いいんじゃない?」


 昇進と。

 その言葉に展可が内心で慌てた意味を袁蓮は知らない。従軍が長引いてはいけないのだ。そもそも、展可は黎基の下でなければ戦いたくなどない。


「そんなつもりはない。私はこの戦が終わったら里に帰って静かに暮らすんだ」


 どうしても黎基を助けたくて来てしまったけれど、それも今回限りのこと。この戦が終わって里に帰ったら、二度と外へは出ない。蔡桂成の娘がここにいることを誰にも知られてはならないのだ。


 展可が答えると、袁蓮はそれでもニヤニヤしていた。


「武人になるつもりはないっていうのね。じゃあ、あれかしら? 殿下に見初められてお手がついたら、妾くらいにはなれると思うわ。そうしたら、生活は安泰よね?」


 それを言った途端、展可の目つきが険しくなったせいか、袁蓮は息を呑んで黙った。

 冗談の通じない娘だと思ったかもしれないが、展可は黎基のことに関してだけは冗談であろうとも厳しいのだ。

 展可は気持ちを落ち着けるために一度ため息をついた。力を抜いてから言う。


「袁蓮、私は本当に静かに暮らしたいだけなんだ」


 そうするしか道がないことを、展可自身が誰よりもわかっている。

 袁蓮は軽口が過ぎたと思っただろうか。幾分しょげて見えた。


「そう。待っている人がいるのね?」

「そうだよ」


 兄が待っている。だから、帰る。それも間違いではない。


「そっか」


 それだけ言って、袁蓮は眠りに就いた。展可は手燭の火を消して傷を庇いながら横になる。噛まれただけで済んだのだから幸運には違いない。骨も筋も無事で、治りは早いとは思う。


 しかし、傷が治るまでの数日に、もしまた同じようなことがあったとしたら、それこそ黎基を護れない。どうか何も起こりませんように、と祈りながら目を閉じた。


 戦に出るのに、何も起こらないというのは無理な話ではあると、人が聞いたら苦笑されただろうけれど。



     ◆



 傷が痛んでよく眠れたとは言えなかった。

 展可は荷物から、兄がくれた薬を取り出す。竹皮に包まれた、傷に効くという膏薬を塗ると、とても染みた。染みるのは知っている。小さい頃から塗り続けているのだ。


 父が兄に作り方を教え、これまでも兄はこの薬を作って生傷の絶えない展可に塗ってくれた。そのたびによく染みたから、この痛みも懐かしいような気がしないでもない。ただ、傷が深いのでいつも以上に痛い。


 声を上げるわけにもいかずに身悶えて、それから展可は包帯を巻き直した。早く治ってくれないと困る。利き手は無事だが、展可の膂力では片手で剣を扱えないし、弓も引けない。


「展可、起きたの?」


 寝ぼけ眼を擦りながら起きた袁蓮が可愛い。やはり、男の中に入れておくのはよくない。

 展可は妹ができたような気分だった。


「うん、袁蓮はよく眠れた?」

「たっぷり寝たわ。やっぱり仕切られてるっていいわねぇ」


 ふあぁ、とあくびをするしどけない姿でさえ艶やかだ。袁蓮は寝崩れた髪を手早く結い直すと、今度は展可の髪を束ねにかかった。


「片手じゃ無理でしょ。やってあげるわ」

「ありがとう」


 そうしていると、天幕の外から声がかかった。


「もう起きたか? 入るが、よいだろうか?」


 郭将軍の声だ。二人してぎょっとした。昨日来ただけでも驚いたのに、また朝になってまでやってきた。

 袁蓮は展可の髪紐をくくり終えると、サッと天幕の入り口に行って答えた。


「はい、どうぞ」


 しなやかな手で幕を捲る。外に立っていた郭将軍は偉丈夫だから、そこに立っていると朝陽が差し込まない。

 甲冑の擦れる音を立てながら郭将軍が天幕に入ると、天幕が手狭だ。袁蓮は外へ出た。


 郭将軍は武人だが荒くれとは違う。こういう人は怒らせると怖いかもしれないが、引き締まった面立ちのわりに、目は穏やかに見えた。


「傷の具合はどうだ?」

「はい、大事ございません」


 手を突いて頭を下げると、郭将軍が苦笑したような息遣いがした。


「しかしだな、殿下がそれではご納得してくださらぬのだ」

「え?」


 顔を上げると、郭将軍は頭を掻いていた。


「おぬしは怪我人だから、馬に乗せて運ぶようにと仰せだ」

「い、いえ、歩けます!」


 怪我をしたのは肩だ。脚は無事である。これで歩けないなどと言っていたら示しがつかない。

 郭将軍も困っているふうだった。


「兵が殿下をお護りするのは当然のことだ。しかしな、あの場でそれができたのはおぬしだけだ。それを殿下なりにお喜びなのだ。しばらく、殿下の気がお済みになるまでつき合ってくれ」


 そんなにも黎基に感謝されたと、それを聞けただけで展可は十分だ。馬に乗せてもらうなどとは過ぎたことである。


 しかし、ふと思う。騎馬兵と共にあるということは、黎基のそばに行くということではないのか。怪我をした身で満足には戦えないが、そばにいれば何かの役には立てるかもしれない。


 そばに行きたい。

 その思いを展可は抑えきることができないのだ。


「……わかりました。お気遣い、痛み入ります」


 結局のところ、そう答えてしまう。


「そうか。よかった」


 郭将軍は本気でほっとしているらしい。

 黎基は一体、どんな言い方をして将軍をここへ向かわせたのかと考えると、ほんのりと胸の奥が熱く騒ぐのだった。

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