12◇一万の兵

 里の皆にも、展可の代わりに祥華が従軍することを知らせておかねばならなかった。

 まず、里長にそれを伝える。


「――展可の代わりに? 展可よりもお前は武術に優れるが、お前は女だ」


 里長は渋い顔をした。

 それは当然のことである。祥華は膝を突いたまま続けた。


「はい。此度は女人にも資格があります。それは問題にはならないかと」

「そうだが、お前たち兄妹はこの里から外へは出ぬ決まりだろう? もしお前が従軍していることが知れた場合、ややこしいことになるのではないのか?」

「ですから、展可の名を借りて、展可として従軍致します。一年もすれば戻るでしょう。それくらいの期間でしたら、一兵士の素性など調べ上げられることもないかと。愽家には常日頃世話になってきましたので、今この時に恩を返すつもりで行って参ります」


 兄は里に残るのだから、祥華だけが逃げることはないと判断したのだろう。もちろん、生きていればの話だが。


「……従軍は民としての栄誉ではあるが、展可として赴くのなら、お前自身にはなんの功績も残らん。本当にそれでも良いのだな?」

「はい。私を育んでくれたこの国の役に立てることを嬉しく思います」

「そうか。では、名簿はそのまま、お前は『愽展可』として従軍する。それでよいな?」

「ありがとうございます」


 頭数さえそろっていれば誰が行こうと里としては構わない。むしろ、展可のような腰抜けを派遣して姜の里が物笑いの種になる方が嫌なのではなかろうか。

 里長の了解を得て、祥華はほっとした。



 祥華は普段から動きやすい男装を好んでいた。だから、これといって変わったものを用意する必要はなかった。

 兄が用意してくれた薬と、展可の家から譲り受けた刀剣を背に担ぐ。普段はツンケンしていた展可の母親でさえ、展可の代わりに祥華が従軍すると聞いた時から何かと便宜を図ってくれた。


 あと、もうひとつ。

 祥華は服の下に小さな守り袋を下げる。その中には、あの日、黎基の首から千切れた項鏈こうれんの粒を込めてある。この青緑の珠は、兄によると天河石てんがせきというものらしい。


 これを祥華はずっと持っていた。この小さな一粒を黎基に返すのは無理だろうけれど、持っていきたい。ある意味、祥華にとってのお守りにさせてもらっていたのだ。

 黎基はこの石を見ても自分のものだとは思わないだろう。覚えてもいないはずだ。

 この小さな一粒だけが祥華と黎基を繋いでいるような気がして、これを心の支えにしていた。


 祥華は胸元に手を添えると、ふぅ、とひとつ息をつく。

 磨いてきた武術の腕がどこまで通用するのかはわからない。それでも、何かの役に立てたらいい。


 祥華は覚悟を決めて家を出た。

 心配そうな兄の顔がいつまでも脳裏から離れない。



 里から従軍するの者は、先に離宮建設のための労役に男手を連れていかれた後であるからか、平均して年齢が高い。十人中、六人が五十を超えていた。三人が四十路、祥華一人だけが十代だ。


 皆、里長から言い含められているらしく、祥華に何も言わない。ただ、気の毒そうに、痛々しいものを見る目をしていた。


 そうなるだろうとは思っていたけれど、祥華と展可の師父、尤全ゆうぜんもまた今度は従軍することになった。生涯で四度目のことだという。

 ただし、前の戦で負った怪我がある。腕の筋を痛めたのだ。齢五十九歳にしては筋骨逞しい全は、片腕を頼りに生還した。それからは里で平穏に暮らしながら子供たちに武術を教えてくれていた。


「師父がいてくださって心強く思います。けれど、どうかご無理はなさいませんように」


 祥華がそれを言うと、全は日焼けした顔を歪めて笑った。


がよく言う。儂の心配をする前に、己の心配をすることだ」

「……そう、ですね」


 全には祥華も心を許せる。いてくれてよかったと、自らが志願したくせに思った。



「儀王様の軍は京師みやこより北上される。合流地点は筝河そうがの中流だ」


 役人が姜の里から出る十名にそう告げた。兵のすべてを王都に集め、華々しく全軍で出立しないのは、兵糧の都合だろうか。少しでも節約するという意図がありそうだ。

 そもそもこの戦は国内でのことではない。国から出るまではまだ危機はないという判断だろう。


 筝河の中流は平野部が広がっている。歴史上、ここで多くの戦が繰り広げられてきた。国土を広げ、今は奏琶国の領地であるが、違う国であった過去もある。人間が勝手に所有を主張するだけで、大地にとっては誰が上に立とうとなんら変わりはないのだ。自然の前に人はちっぽけなのだから。


 祥華――今後はこの名に封をして、展可の名を己とする。


 一行を連れてゆく役人に、は本軍との合流はいつになる見込みかと訊ねたいのを耐えた。この段階で目立つことは避けたかったのだ。

 ただ黙って、黙々と合流地点に向けて歩いた。


 筝河という呼称は――その昔、人々はこの河に橋をかけようとしたが、流れが激しく、向こう岸が見渡せないほど広く、とても橋などかけられたものではなかった。橋をかけるためにいくつか投げ込んだ岩が筝の弦の下にあるのように見えたことからそう呼ばれたそうだ。

 ただし、すでにそんな岩はない。河の流れに削られ、流されたのだろう。それなのに、その名だけが残されたらしい。


 そんな河を遠目に、展可は河を見たのさえ久しぶりだと思った。

 その間、やはり老齢の者は膝や腰に痛みを覚えては立ち止まる。それを役人は冷ややかに見て嘆息した。


「老いぼれと子供。こんなろくでなししか出さないとは、愛国心の欠片もない里だ。連れてゆくのも恥ずかしい」


 人材がいないのは、離宮建設のために労役を課して連れていったからだろうに。離宮建設の手を止めれば済むのに、それをしない方がよっぽどどうかしていると言いたかった。

 しかし、ここでいざこざを起こしても何もならない。展可はグッと堪えた。



 一日。

 たった一日一緒に過ごしただけで、展可はこの役人が嫌いになった。ずっと厭味ったらしくねちねちと、日々の鬱憤を弱い者いじめで晴らしているような男だった。

 いつかの嫌な顔をした官人を思い出して、展可は不快感でいっぱいだった。


 だから、本軍と合流する地点まで到着し、この役人と離れる時には清々したのだ。

 そして、合流地点に到達した人々が本軍に加わっていく。里から一歩も外へ出なかった展可は、こんなにたくさんの人を見たことがなかった。あまりの人の多さに気後れしてしまうが、全はそんな展可の傍らで顎を摩りながらボソリと言った。


「少ないな」

「え?」

「あまりに少ない。これでは精々が一万といったところだ。本来なら、これの三倍はいてもおかしくない。しかも、頭数だけをそろえてこれだ。戦力になるのはこの半分程度だろうに」


 この数では話にならないのだろうか。いざ戦になったら、これでは足りないのだと言う。

 その程度の寄せ集めの軍でしかないのは、やはり離宮建設の影響か。

 それでも、人が集まり騒がしい。むせかえるような男たちの汗の臭いがする。


「我が国には兵力が不足しているということでしょうか?」


 展可は師に訊ねた。しかし、全はかぶりを振る。


「いや、京師みやこには多くの兵が残っておるのではないかな? 北への援軍に兵を割くつもりがないということだ」

「しかし、これは親王殿下の軍です。それでは面目が立ちません」

「そうだな。侮られているのは――」


 そこで全は言葉を切った。その先が発せられることはなかった。誰が聞いているとも限らない場所で言えることではなかったのかもしれない。


 展可は、まだ姿の見えない黎基を想い、胸が詰まった。このような扱いが相応しい人ではないのに。

 優しく、穏やかな幼い顔はどんどんおぼろげになっていくけれど、完全に忘れ去ることはない。


 今、この地にいる。

 手が届くほどの距離に来ることはないにしろ、一度くらいは展可の目が姿を捉えることができるかもしれない。それだけで展可は、ここへ来た苦労が報われるのだと思えた。

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