庭木の足元の手入れ

 私はここ1ヶ月ほど、庭木の手入れの仕方をネットで調べ、よその家の庭木や街路樹を観察し、実際に自分で手入れをしてきた。その経験から、私はひとつの確信を得た。

 私の家の庭木は、少なくとも10年、実際にはおそらく30年くらいはまともに手入れされていない。植木屋が来なくなったのは3年前からなので、つまり、植木屋が来ていたときも、ちゃんとした手入れはされていなかった、ということである。


 そう確信した理由は2つある。

 ひとつは、庭木の状態。プロが手入れしていたにしては、明らかに不要な枝が多すぎる。素人の私が見ても、この枝は切るべきだろうという枝があまりにも多すぎる。

 多少は切った形跡があるので、全く剪定されていなかったわけではないらしいが、その数はあまりに少ない。

 なにより、うちの庭木は美しくない。ただ生えているだけ。庭木というのは、家にわざわざ植えるんだから、美観に一役買うべきもののはずである。なのに、ちっともそれに貢献していない。ただ野放図に生えているだけで、何の意味もない。むしろ鬱陶しいだけである。これならない方がマシ。

 これはちゃんと手入れされた庭木とは言えない。放ったらかされた、ただの木である。


 もうひとつは、植木屋に払っていた、15000円という金額。

 私は実際に自分で剪定作業をやってみて、わかった。この金額は安すぎる。剪定作業には木1本あたり3時間はかかる。プロならもっと手早くやるのかもしれないが、それにしたって2時間はかかるだろう。時給3000円として、木1本あたり2時間かかると、7本で42000円になる。

 15000円という金額から考えると、おそらく我が家が植木屋に頼んでいたのは、伸びた枝葉を刈り整える作業だけだったのだろう。これなら妥当な金額である。



 高枝切り鋏を買った当初、私は、今までプロがやっていたことを引き継ぐだけでいいと思っていた。3年前まではプロがやっていたのだから、その延長で仕事をすればいいだけで、そんなに大したことはしなくていいと。

 しかし実際には、10年だか30年だか知らないが、だいぶ放っておかれて事態が悪化し、もはや末期的ですらある木の面倒を見なければならないのであった。


 もちろん、そうした問題を見なかったことにして、今まで植木屋がやっていたように、表面的な体裁だけ整える手もある。

 しかし、私にはそれができない。問題があるとわかったら、手を付けずにはいられないのである。それが、事態をより悪化させることになるとしても、である。



 これまで庭木を手入れしてきて、わかったことがある。木はどうやら、低いところから高いところへと手入れした方がいいらしい。

 それは、上の方の枝葉を確認したり、作業したりするとき、下の枝葉が邪魔になるから。下が整っていないと、上の作業がしづらい。


 もう冗談でなく暑くなってきたし、次の作業は秋まで待とうと思っていたが、なにしろ私は、問題を放置できない奴なのである。

 ある朝、4時に起きて、庭を見ていると我慢できなくなった。無意味で無価値で鬱陶しいだけの庭木と共に、暑苦しくて鬱陶しい夏を過ごすと思うだけで熱中症で倒れそうになる。

 そこで、長袖に着替えて作業に出ることにした。


 朝とはいえ、この暑いのに長袖とは、ついに狂ったかと思うかもしれない。私が狂っているのはいつものことだが、これには理由がある。庭作業を半袖でやると、むき出しの腕に何か刺さったり、何かでかぶれたりすることがあってよろしくない。暑くても長袖長ズボン、手袋をはめて作業をした方が身のためである。

 あと、タオルを額に巻くことにした。額から汗が目に落ちてきて作業の邪魔になる。


 こうして、見た目だけはいっちょまえの庭師になった私は、朝から庭木をぶった切ることにした。



 今朝の私は邪魔な枝を切りまくる意欲に満ち満ちているが、それをやるにはまず、やりたくはないが土いじりをしなければならない。つまり、雑草や雑木を引っこ抜き、庭木の足元をすっきりさせる作業である。下を完璧にして、はじめて枝に取りかかれる。物事には順序があるのである。私はそれを学んだ。

 雑草はともかく雑木って何よ、ということだが、知らない間に庭に木が生えているのはよくある話だったりする。はじめの頃は草と区別が付かないが、放っておくと草なんか目じゃないくらい強固な根を張って丈夫な幹を持ち、めちゃくちゃ成長して手に負えなくなる。


 私の家の庭には何本か、そんな雑木が生えている。そのうちのほとんどはまだ小さいので簡単に抜けるが、2本は古株でそう簡単には抜けそうにない。木の名前は知らないが、細い幹が何本も生えているタイプの木で、毎年、私の背の高さくらいまで延びては根本から切られている。

 切られるということはいらない木なわけだが、どういうわけか根っこから引っこ抜こうとしない。だから、切られても切られても、毎年成長してはもさもさして邪魔になっている。


 私はもちろん、根から引き抜く。いらない木なのに放置して、毎年邪魔になっているのは馬鹿げている。余計な作業が増えるだけ。それよりは今、決着を着けた方がいいに決まっている。今抜けば、もう二度とこいつらに煩わされることがない。そしてその分の労力を他に回せる。



 実のところ、私は木の根を引っこ抜くのはこれがはじめてではない。

 以前、家の庭の蛇口の側に、木が生えてきたことがあった。どう見ても邪魔だったが、両親は何もしないし、何も言わない。なので、育ててるのかと思ったが、手入れがされている様子もなかった。

 植木屋が来たときについでに抜くように頼むのかと思ったが、それもしなかった。放置された木はどんどん成長していった。


 なので私は、引き抜くことにした。なにしろ邪魔だし、家の壁のすぐ側だったので、放置して成長したら大変なことになるのは目に見えていたので。

 かなり苦労したものの、私は木の除去に成功し、庭の蛇口周りはすっきりしたが、両親はそのことについて何も言わなかった。あの木どうしたの? と尋ねられることもなく、よくやったねでもなければ、よくもあれを無断で抜きやがったなでもなかった。

 普通、あんな目立って邪魔だったものがある日突然なくなったら、もう少し関心を持つものだと思うのだが。



 木の根を抜くのは、理屈としては簡単な作業である。木の根本を掘って根を露出させ、一本ずつのこぎりなどで切っていけばいい。何本か切れば、そのうち引っこ抜けるようになる。

 ただ、木の根はかなり強固に地面に根を張っており、そう簡単には抜けてくれない。地道に掘っては根を見つけ、切っていく作業を延々続けることになる。

『グラディウス』を一周クリアしたことがある人なら、ラスボスのアレを思い浮かべるといいだろう。あんなに簡単にはやられてくれないが。木の根はバキュラくらい丈夫なので。



 一本目の雑木は根性なしだったので比較的簡単に抜けたが、二本目は苦労した。かなりしっかり根を張っていて、切っても切っても抜ける気配がない。

 それと、ちょっと面白いことがわかった。その木の根の周りを掘っていくと、土嚢袋の残骸みたいなものが出てきたのである。どうやら、この木はもともと庭木として植えられたものだったらしい。邪魔になってきたので切られたが、根を残したままだったので、毎年ゾンビのように延びてきては切られていたようである。邪魔になっていたのなら、その時に根ごと取り除けばよかったのである。自分でできないなら、それこそ植木屋に頼めばよかった。そうすれば毎年の庭仕事の労力が幾ばくか軽減されていたはずである。

 20年前だか30年前だか知らないが、かつて両親がすべきだったことを私の手で行っているのは、感慨深いものがある。私の世代の人間は、親世代がバブルで浮かれていた頃のツケを一生払わされる運命にある。そして、そのことを誰にも感謝されないまま死ぬのである。



 悪戦苦闘の末、ついにかつて庭木だった雑木の根を掘り返し、ああ、またひとつ親の不始末を片付けたぞ、と感慨に耽っていると、突然、あまり感じたことのない妙な気分になった。いや、生きるのが嫌になったとか、親の呪いがふりかかったとか精神的な話ではなく、肉体的な話。立ち眩みとかとは違うが、それと似た感じだった。なんと言っていいかはわからないが、明らかによくはない症状。

 何かはわからないが、どうせ熱中症かなんかだろう。なので、一旦作業を中断して、水を飲んで扇風機の前でぶっ倒れた。


 時計を見ると6時だった。2時間も働かないうちにダウンするとはたるんでるが、気温30度以上の中、長袖長ズボンで作業をしていたらそんなもんだろう。

 それに、今回の作業は枝をちょんちょん切る作業とはわけがちがう。スコップで土を掘り返し、木の根を発掘してはのこぎりで切り落としていく作業で、これはそれなりに体力を要する。こういうのは無理をしない方がいい。


 しかし、その面倒くさい土いじり作業はこの2時間で終わったから、ここからは楽しい枝払いである。不要な枝、不健康な枝をばりばり落としていく。

 10分くらい倒れていると意外とあっさり回復したので、その、楽しい作業に戻る。



 いろんな庭木を見てわかったことがある。ある程度の高さのある木の場合、根本からある程度の高さまでに生えている枝は、すべて払った方が見た目がすっきりする。低いところからもさもさ枝葉が生えている木は見苦しい。


 私の家の庭木は、膝くらいの高さからもう枝葉がある。なので、まずは腰くらいまでの高さの枝は無条件で全部払うことにした。家にある7本の木のうち、6本すべてである。

 残り1本は松で、これはまた別に作業することにする。松をいじるには今年はもう時期が遅いので、今年だけは野放しで好きにほざほざしてもらう。来年は覚悟しておくがいい。ばっさり切りまくる。

 日本人は松になぜか畏れを抱いて、松は鋏ではなく手作業で芽を摘むべきとか、松の手入れができたら庭師として一人前とか持ち上げているが、私は手加減しない。他の木と同等に扱う。



 一定の高さまでの枝は全部切る、という作業は、わりと簡単にできた。何しろ、その枝を残すとか考えなくていいので。また、低いところなので高枝切り鋏を使う必要もなく、直接刈り込み鋏やのこぎりでガシガシ切り落としていけるので簡単。


 ただ、そうやって足切りをして、切ったところから木の内側を見上げてみると、恐ろしい現実を目の当たりにすることになった。

 木の内側に、積もった枯れ葉の山と、そのせいで日光が当たらずに枯れた枝がびっしり生えていたのである。

 前回やった生け垣と同じ。表面上はまともそうに見えて、内側は地獄絵図というアレ。湿り気はなかったおかげで腐ってはいないが、風化して化石化している感じ。

 特にカイヅカイブキがひどい。もさもさの内側は網目状に張り巡らされた枯れ枝と、それに積もった枯れ葉でいっぱい。

 これは一旦手を付けると大変なことになることは目に見えていた。


 この時点で、時刻は9時を過ぎていた。もうさすがに暑すぎて、外にいられなくなってきたし、引っこ抜いた草木や足切りをした時点ですでに膨大な量の草と枝葉がゴミとして出ていて(集めたら45リットル袋で8袋あった)、この片付けだけでも大変だったので、今日の作業はここまでにした。

 ここまで、と言いながら、ここからごみを集めるという作業が1時間くらい待っているわけだが。


 庭木の手入れをする場合、この、片付けの時間が馬鹿にならないので、体力や時間を限界ぎりぎりまで使って切る作業をしてはいけない。ごみ収集の余力を残しておかないと、収集がつかなくなってとんでもないことになる。



 いい加減暑いので、近々この先の作業を進められるかは未定。その場合は秋にやることになるだろう。

 が、私の性格からして、近い内にやりそうではある。

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