生け垣の緊急手術

 朝の4時に小腹が空いたので、コンビニでカロリーメイトでも買おうかと思って外に出ると、生け垣が伸びて邪魔になっていることに気付いた。

 まだあまり気温も高くなく、曇っていて日差しもなかったので、ちゃちゃっと切り揃えることにした。


 生け垣は父親が手入れしているが、特に熱意やこだわりがあってやっているわけではなく、ルーチンワークとして機械的にやっているだけなので、私が仕事を盗っても文句は言わないだろう。ルーチンを乱されて不満げな顔はするだろうが。


 というわけで、ちょこちょこと伸びているところを切り揃えていると、ふと、全然葉の生えていない枝が紛れていることに気付いた。

 こんなのは残していても意味がないし、害悪ですらあるので、切り落とすことにした。それで、その枝の根本がどこなのか探ろうとしたが、絡みついているツタの葉に隠れて状態がよくわからなかった。



 ツタを取り除いてみると、そこには恐ろしい光景が広がっていた。ツタが絡み合っているところに枯れ葉が溜まり、それが腐って腐葉土みたいになって、木の根本近くを覆っていたのである。

 そのせいで木はそこから腐り、カビも生えていた。触ってみるとかなり脆くなっている。ひどい部分になると、枝から小さな根が生えている部分まであった。つまり、そこは地中だと認識され、もともと枝だったものが根に変化していたのである。


 どう考えてもこの状態を放置しておくわけにはいかないが、とにかくツタのせいで何がなんだかよくわからない。

 そこでまず、生け垣に絡まってごちゃごちゃしているツタを、一旦全部取り払うことにした。

 すると、一見問題なさそうに見えた生け垣の実態が明らかになった。



 生け垣の低木は5本あったが、その全ての幹が、腐ったりカビたりしていた。

 うち2本はもう完全に死んでいた。枝には葉が何も付いていないし、幹は軽く押しただけで折れてしまった。

 1本は、もともとの幹はもう死んでいたが、その周囲から細い木が何本も生えて、草みたいになっていた。本来なら、このうちの1本が新しい幹になれば良かったわけだが、元々の幹がいい場所を専有しているせいでまっすぐ成長できなかったことと、何本もライバルがいるせいで、どれも大きく成長できなかったようである。

 1本は半身は死んでいたが、半身は無事という感じ。

 残る1本は比較的マシなほうで、幹の一部にカビが生えていたが、末期的という感じではなかった。ダメな枝葉がいい場所を専有していたせいで、全体にねじ曲がって生育していたが。


 にわか駆け出し素人庭師の私の見立てでは、この生け垣は救おうとするだけ無駄に思えた。いっそ全部引っこ抜いて、新しい木を植え直すか、あるいは生け垣自体をやめて、柵でも立てるかした方がいいように思えた。


 これは明らかに、2~3年でこうなったわけではなかった。だいぶ以前から問題を放置され続けていたようである。

 たぶん、両親も、植木屋も、生け垣が死にかけていることを知っていたが、手を付けるのは大変で面倒くさいし、外から見る分には問題なさそうに見えるから、このまま放置しとこうと思ったようである。



 じゃあ私はどうするか。

 無論、緊急手術を行う。執刀するのがにわか駆け出し素人闇ヤブ庭師というところに凄まじく不安材料がありまくるが、まあ、どうせ放っておいても死ぬんだし、私が止めを刺しても大差ないだろう。どうせ死ぬならさっさと介錯したほうが人道的ですらあるかもしれない。植物に人道とかあるのか知らないが。


 私はこういうとき、問題があるとわかっているのに放っておくことができない。手を入れることで事態が悪化し、かえって止めを刺すことになるかもしれないが、そのリスクを冒してでも、問題解決のために行動したい。



 まず、枯れている枝を全部取り除いた。半分腐っていた幹は、腐っている半身だけ切ることにした。本当は全部切り倒したほうがいいような気もしたが、切るのはいつでもできることだから、とりあえず様子を見ることに。

 枯れている枝がいい場所を専有しているせいで、健康な枝がねじれて生育してしまっているのが今の生け垣の問題で、とにかく枯れている枝にはどいてもらわねばならない。

 ただ、その枯れている枝があるおかげで、生け垣らしい体裁を整えられていたのも事実で、実際、枯れた枝を取り除くと、生け垣の中央がぽっかり抜けて、残ったのは歪曲した枝葉だけになってしまった。ものすごく変な形。

 本当はねじれた枝は切ってしまって樹形を整えたいが、今それをやると全部切ることになりかねないから、とりあえずそれは保留する。


 幹や枝に付いているカビは、できるだけ落とした。軍手でこすったり、皮を剥いだりした。

 カビというのは表面にだけ生えるものではなく、菌糸が奥まで入り込んでいるだろうから、表面だけきれいにしても意味がないとは思うが、やらないよりマシだろう。


 とりあえず表面的なカビがなくなり、見た目きれいになったところで、木全体に、家にあった木酢液を散布。木酢液は多少、木のカビ対策になる。


 余談だが、この木酢液は、もともとは猫に立場をわからせるために買ったものだった。野良猫がうちをトイレとして使うので、「ここは俺様の縄張りじゃ! お前のじゃねえ!」と、縄張りを主張するために使っていた。

 猫はおそらく、木酢液のにおいそのものが苦手、ということはない。木酢液を撒いても、平気な顔でそこを通り抜けて行ったりする。

 ただ、あいつらはにおいで縄張りを主張するので、あいつらの流儀でこちらの主張を通すために使う。

 野良猫がうちの庭の権利を主張してきたら、あいつらのつけた臭いを徹底的に除去した上で原液の木酢液を撒きまくって、「お前、誰に向かってツバ吐いてんじゃ、ああん?」と脅す。原液木酢液の強烈なかほりが、私の怒りを代弁するわけである。

 においで脅すだけでなく、猫の気配を察知したら、庭に出て存在をアピールすることも大事。何もしなくていいから、とにかく顔を出して気配を見せる。もし猫を見つけたら、どこかへ行くまで近寄る。そうやって縄張りを主張する。ここはお前の庭じゃないということをわからせることが重要。


 こうした地道な猫に対する縄張り主張活動により、今では私の家に野良猫は全く来なくなった。以前は一匹追い払っても、新しく産まれた奴がまたトイレしに来たりしていたが、2~3年ほど根気よくやっていたら、ついに新顔も来なくなった。あそこはヤバい奴が仕切っているから行かないほうがいいということが猫コミュニティに広まったようである。

 最近、猫どもはショバ替えして、10軒ほど離れた家の庭に出没するようになった。そこで見慣れた奴らを度々見かける。

 たぶんその家は、猫のやることだからと初動で甘いことをしていたのだろう。プラスチックのトゲトゲとか、猫除けの音波装置とかを設置したりして、ずいぶん苦労しているようだが、最初に縄張りを主張しなかったことがそもそもの間違いである。

 話が脱線しすぎたか。


 これだけ重症な木には、本来なら木酢液なんかではなく、ちゃんとした治療用の薬剤を散布すべきなのだろうが、はっきり言って、いまさら薬剤を散布したからどうなるものでもない気がする。

 また、工務店で庭木の病気用の薬剤を見てみたが、どれも木酢液と大差なさそうなものしか見つからなかった。工務店には専門的な農作業用の薬剤を扱っているコーナーもあったが、それは専門的すぎて、どれを何に使うのかがわからなかったのでやめた。



 結局、10分ほどちょこちょこと伸びた枝を切りそろえるだけの作業のつもりが、がっつり4時間かけて、死にかけの生け垣に対して大手術をすることになってしまった。

 終わった頃には汗だく、疲労困憊。もはやカロリーメイトを買いに行く気力もなく、私はシャワーを浴びた後、クーラーの効いた部屋でぶっ倒れるのであった。


 私が手を入れたせいで、今まで体裁だけはまともだった生け垣は、スカスカでねじ曲がった、いかにも酷い見た目になった。しかしこれは必要な措置だったはずである。手遅れかもしれないが。

 あとは、定期的に木酢液を散布しつつ、しばらく様子を見る。



 ところで、前回、庭仕事の際に使った虫よけスプレーが効かず、めちゃくちゃ蚊に刺されたので、今回、新しく買ってきた虫除けスプレーを使ってみた。

 スプレーを吹きまくり、塗りまくったにもかかわらず、やっぱり作業中にはめちゃくちゃ蚊にたかられて、「結局新品でも効いてないじゃん!」と、そのときは思った。

 だが、後で確認すると、あんなに蚊にたかられたのに、一箇所も刺されていなかった。

 ということは、虫は除けないしめちゃくちゃ寄って来て鬱陶しいけど、刺されはしない程度には効果がある、ということなのかもしれない。



 庭木を自分で手入れするようになって、他の家の庭木を見るようになった、ということは前回書いた。

 最初はいいところばかり見えていたが、最近は問題点も見えるようになってきた。

 よく見てみると、たいがいの家の庭木はなんらかの問題を抱えている。手入れ不十分で枝がこんがらがっていたり、一部が枯れて禿げていたり、剪定が不十分なせいで変な生育の仕方をした結果、邪魔になった部分を不自然な形で切っていたり。


 私の家の庭は世間と比べるとよっぽど酷いんじゃないかと思っていたが、案外どこも似たり寄ったりのようである。表面的には問題なさそうだけど、実際はかなり深刻な問題が隠れている。


 結局のところ、たいがいの人は庭木に関心がないし、知識もないので、そううまく面倒を見られないようである。

 庭師を年1回か2回雇っているところは多いが、そのプロをどう使えばいいかがわかっていないから、うまく指示を出せない。たぶん、たいがいの家庭では「見た目を整えて」くらいのことしか頼んでいないのだと思う。将来的に問題になりそうな枝をがっつり剪定しまくってとか、そういうことは注文していないだろう。そして、指示されてもいないことを、プロはやらない。そりゃそうである。ただ働きになる。

 最初の頃はサービスでやるかもしれないが、せっかくやっても評価されなかったら、だんだんやる気をなくして仕事がぞんざいになる。言われたことだけやってりゃいいや、あの木、放っておいたら大変なことになるけど、知らんわ。別に頼まれてないし。となる。

 その結果、せっかくプロを雇っていながら、うまく手入れをしてもらえず、様々な問題を引き起こすことになるわけである。


 そもそも、知識も関心もない人が、庭に木を植えたらいかんのだろう。昔はなんか知らないが一軒家の敷地に木を植えたがったもんだが、最近は木のない家も多くなっている。あれは正しいと思う。

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