私の脚本歴
私は、脚本を書いたことがある。もちろんプロとしてではなく、高校の学園祭向けのショートドラマ1本、演劇2本と、3DCGの動画制作用の脚本2本。
内、3DCG動画の1本はオリジナル。私が原作者であり、監督であり、キャラクターデザイナーであり、アニメーターであり、脚本家であり、BGMも書き、とにかく全部自分でやった。
もし興味があるなら、こちらに置いてある。
https://www.eonet.ne.jp/~ryokaku/
("Snowfall")
残りは全て、原作・原案付きで、それを基に脚本を書いた。
私は中学2年のときに星新一の「繁栄の花」を教科書で読んで、小説を書こうと思い立ったわけだが、そのとき、小説の書き方を学ぶために読んだ本の一冊が『新版・シナリオの基礎技術』だった。
これはその名の通り、脚本を書くための本で、そのままでは小説を書くのには使えない。
ただ、これを読んでいたおかげで、高校生の私は、脚本を書くための基礎的な技術を知っていたのである。
というわけで、高校で演劇やショートドラマを撮影する際、私に脚本を書く役が回ってきた。
ひとつは、ドン・デリーロの『白い部屋』。
この作品はもともと演劇用の脚本で、本来なら私が何もしなくても、そのまま脚本として使って演劇ができる。
ただ、尺が長くて学園祭の持ち時間では全部やり切れず、また、高校でやるにはふさわしくない表現がいくつかあったので、それらをカットする必要があった。
私の主な仕事は、オリジナルの脚本を読み込んで、与えられた尺に縮めることと、難しい表現やアダルトな表現を、高校演劇の枠内に収まるように改めることだった。
私がやったことは雑用レベルのしょうもない仕事であるが、これができる人がいないと、高校で『白い部屋』を上演することは不可能だったのも事実である。
私がいじってカットしたバージョンだったとはいえ、こんなハイレベルな演劇を高校の学園祭で観られたのは奇跡と言っていいだろう。
ショートドラマともう1本の演劇については、同級生が書いた小説を基に私が脚本を書いた。
高校のクラスに、オリジナルの小説が書ける奴と、脚本が書ける奴が揃っているという、なかなか恐ろしい環境であった。そんなクラスはそうはない。
ショートドラマに関しては、まあまあしょうもない殺人推理ものだったが、もうひとつの演劇の原作は、今から考えても相当良くできた内容だったと思う。
高校生の主人公が、18歳になる前に自殺したろうと思い立ち、その主人公の友人が、ある者はそれに賛同して協力しようとし、ある者は反対して大人や警察を呼ぶ。それでドタバタする話。
そもそも、高校生が自殺しようとする話を高校の学園祭の演劇でやるのがイカしている。
そして、その原作を書いたのも、演じるのも、実際に17、18の高校生なのである。これが名作でなくて何なのか。
……しかしまあ、この内容の演劇を、よく高校側は許可したもんだとも思うが。たぶん、私達がやる演劇の内容をよく知らなかったのだろう。まさかオリジナルでこんなヤバい劇を書いて演じるクラスがあるとは思わなかっただろうし。
なんにしろ1回きりの上演なので、やってしまえばこちらの勝ちである。後からいくら抗議されても後の祭り。いずれにしても二度とやらないわけで。
実際には、特に抗議はなかったようである。ただ、我々の演劇は2位という評価で、当時の私達はそれはもう、大層不満であった。あんなすごい劇をやって2位ってなんだよと。
1位の劇がしょうもない子供じみた内容だったのがまたムカつくポイントだった。
今から考えると、やれただけで充分満足すべきだったと思うが。中止させられるよりはずっとマシ。
原作者本人は、あの作品をそれほどいいものとは評価していなかったらしく、どうやらその後、世には出さなかったようである。しかし、出すところに出せば何らかの賞が穫れたんじゃないかと私は思っている。
原作付きの脚本の仕事は、言ってしまえば、まあまあ簡単ではある。原作を演劇台本にコンバートするだけ。
ただ、いくつか調整すべき点はある。
小説のセリフは、音読すると不自然だったり、喋りにくかったり、意味がわかりにくい場合があるから、そういうのは調整しないといけない。
また、小説では書かれていない登場人物の動きも、全て制御して書いておく必要がある。
たとえば、主人公がAと喋っている時、その場にいるBやCはそれぞれどこで何をしているか、などを全部考えて、それらを考慮して書く必要がある。喋っていない人を全員棒立ちにするわけにはいかないので。
尺の問題もあるので、原作が全部使い切れるとは限らない。そういう場合はカットしなければならない。
逆に足りない場合はオリジナル要素を入れなければならない。
このカットや付け足しが必要になると、なかなか難しいことになる。ただ、脚本家としては、監督や原作者の要望を聞いて、その通りに書けばいいわけなので、そういう意味では創意は必要ない、というか、下手に創意を出すべきではないと言える。とにかくクライアントの要望を聞き、それに合ったものを書くことが大事。
で、ざっくり仕上がったら原作者(兼監督)に見せてチェックしてもらう。
いろいろ要望が入るので、それらを反映して書き直し、再提出する。以下、繰り返し。
監督兼原作者のチェックを通れば一応完成となるが、実際に脚本を基に読み合わせや練習をしていると、だいたい、もうちょっとここは脚本を足したほうがいいとか、セリフを変えたほうがいいとか、問題が出てくるので、それに合わせて修正を行ったりする。
私が原作付き脚本書いた時に気を付けたのは、自分のカラーを出さないこと。そりゃそうである。自分の作品じゃないんだから。私はただのコンバート係で、創作者じゃない。
私の仕事は言われたとおりに書くことであり、自我を出してはいけない。だから、ある意味楽な仕事と言えるわけである。そういう意味では考えなくていいから。
当時、原作者との話し合いのとき、原作者に「わがままを言ってごめん」みたいなことを言われたことがあった。
私にはその意味がよくわからなかった。この作品は原作者のもので、私のものではない。私は要望通りに脚本化することが仕事で、そのためにはむしろ、問題点は指摘してもらわねばならない。
「全部おまかせするねー!」とか丸投げされたら、それこそ困る。だったら最初からオリジナルを書いたほうがマシな気がする。
高校生の素人に過ぎなかった私でもそう思って仕事していたのに、そう思わないプロもいるらしい。
何とは言わないが、私は最近、原作者に口出しされるのを嫌がる脚本家が結構いるらしいということを知って驚いた。よくそれでプロとしてやっていけるもんである。
一方、オリジナルでは、当然ながら自分のやりたいようにやっている。特に私の場合は全部自分で作ったので、監督だのプロデューサーだのスポンサーだのの意見で脚本を書き換えなければならないことはなかった。
唯一にして絶対の縛りは、自分の実力や、手持ちの機材でできることを超えた要求はできない、という制限。これは如何ともし難い。
あと、動画のデータを10MB内に収める必要があったので、その都合でカットした部分とかもある。
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