ある15日のATM(危険区域)
用事があったのでATMコーナーに立ち寄った。
ATMではしばしば、何件も連続でやる人や、何度も「もう一度やり直してください」と言われている人が占拠しているせいで、行列ができることがある。
しかし、そのATMコーナーにはATMが3台あるので、遅い人が2人いても大丈夫。待ちがいることは滅多にないし、いてもすぐ流れる。
というわけで気軽に行ってみたら、待っているおっちゃんが1人いた。珍しいこともあるもんだと思いつつ、待っている人の後ろに並んで様子を見たら、大変なことになっていた。
A.通帳を30枚くらい山積みしているおばちゃん
B.なんかわからんけど時間がかかっている婆さん
C.「もう一度やり直してください」を連呼されている婆さん
いくらATMがたくさんあっても、それと同じ数だけ占拠する人がいたら無意味である。
そして、よく考えてみると、今日は15日なのであった。
15日といえば、年金が振り込まれる日であり、一番ATMに行ったらいけない日。なにしろ、年寄りが大挙してATMにやってくる日なのである。なにが起きてもおかしくない。
この日にATMに行って、行列で長時間待たされたり、「遅えぞコラ!」とか喚いている人に遭遇したりするのは当然であり、ノートラブルで利用し終えることができればむしろラッキーなくらいである。
15日は一番ダメだが、それ以外にも、5の倍数とか、月末とか、連休前とかは利用者が多いからやめておいたほうがいい。
というわけで、これは明らかに、15日にATMを利用しに来た私が悪かった。数日ずらせば何の問題もなく利用できたはずなのに、何もわざわざ一番ヤバイ日に来ることはなかったのである。
とはいえ、来てしまったからには用事を済ませたいので、待つことにした。
私が来てから2分ほどすると、私の前のおっちゃんがBに話しかけた。
「なにしてはるんですか」
Bの婆ちゃんは苛ついた声で怒鳴った。
「通帳を新しくせなあかんの!」
「それは順調に行ってるん?」
「替えなあかん言うてるからしゃあないやろうが!」
それからしばらくすると、Bの通帳の更新は終わったようだが、そこからさらに何かやりだしたので、未だATMは空かない。
すると、おっちゃんは今度はCに言った。
「なにしてはるんです? 進んでます?」
と、ここで、Aが割り込んできた。
「みんなそれぞれの事情があるんですよ。そんなやいやい言わんでもええやろ!」
頷くBとC。
おっちゃんはそれ以上なにも言わなかった。
それから2分くらいして、BがようやくATMから離れた。
おっちゃんはBに尋ねた。
「もう、いいですか?」
Bは無視して出ていった。おっちゃんはBのいたATMを利用した。
結局、そのおっちゃんが利用し終え、私に番が回ってきて、私も利用し終えて帰るまでの間、AとCはそこを離れなかった。Aは何十枚目だかの通帳の手続きをし、Cはいつまでも「もう一度初めからやり直してください」と言われていた。
私が出る頃には2人ほど待ちが出ていた。
ATMを利用し終えた後、私はついでに近くのローソンに立ち寄った。
すると、さきほどのおっちゃんがいた。
そのとき初めておっちゃんの顔を見たのだが、やたらとニコニコしていて柔和そうな表情をしていた。
さきほど、ATMコーナーでおっちゃんがBやCに声を掛けた時、私は、おっちゃんが、BやCが遅いのに業を煮やして声を掛けたのだと思った。
だから私は「声を掛けたって早くならないし、代わってくれたりもしないし、そもそも話し掛けることで余計遅くなるぞ」と思いながら聞いていた。
しかし実は、おっちゃんは遅いのにイライラしていたわけではなく、本当にBやCを心配して声を掛けた可能性があることに気付いた。
思い返すと、おっちゃんは別に、BやCに文句を言ったわけではない。一言も遅いだの早くしろだのとは言わなかった。声もイラついていなかったし、ただ、ちゃんと手続きが進んでいるのかと尋ねただけだった。
AやBに怒鳴られた時も、何も言い返さなかった。
Bが離れた時は、本当に終わったのか確認したくらいだった。
イラついていたのはむしろABCのATM占拠組だった。ATMを占拠していることに後ろめたさがあるから攻撃的になっていたのだろう。
だから、おっちゃんの言葉を勝手に自分への非難と解釈して、怒鳴ったりなんだりしたのである。
通帳を30枚ほど重ねていたAが「それぞれに事情がある」と言ったのも、自己を正当化するための方便だった。なぜ正当化する必要があったかというと、ATMを占拠することに後ろめたさがあったからに他ならない。もし悪いと思っていないなら、そんなことを言う必要もなかっただろう。
しかしだね、「それぞれに事情がある」とか言うなら、待っている方にも事情があるんだから、何十件も連続でやらないで、適当に代わるべきなんじゃないのかね。
余談だが、私は、その時々で自分に都合のいい正義を唱える人は最も嫌いである。こういう人は、逆に自分が待たされる側になったら、「それぞれに事情がある」から「何十件も連続でやらないで代われ」と言い出すからである。
信念も自信もない小心者のくせに、その時々で自分に都合のいい姑息な正義を唱えることで自己を正当化し、それで仮初めの自信を得て攻撃的な態度に出るタイプ。
こういう人が攻撃的なのは、自分が攻撃されると脆いことを自覚しているからである。元々が空っぽだから、まともな議論や話し合いなんかできるわけがない。
私は、悪よりも、姑息な正義こそが、人類や文明や地球をダメにする根源だと思う。信念のある悪も迷惑だが、姑息な正義よりは遥かにマシ。
ただ、繰り返しになるが、私はそもそも、15日にATMを利用しに来た自分が悪いと思っている。だから、ATMが占拠され、5分ほど待たされたこと自体は何とも思っていないし、占拠組にどうこう言うつもりもない。わざわざ紛争地域に旅行に行って撃たれたようなもんである。自業自得。
実際、待ちのいるATMは人殺しが起きてもおかしくないくらい、みんなイライラしているし、攻撃的になりがちな場所である。危ないから極力近付くべきではない。
特に15日はダメ。これは何度でも言う。15日にATMに行って不愉快な思いをしたとしたら、そんな日にわざわざ行ったことに問題がある。
あと、自分の給料振込日とかにも極力行くべきではない。1日ずらすだけでトラブルに遭う確率はぐっと下がる。2日ずらすとさらに効果的。
しかし、今回はむしろ、なかなかに興味深いものを見られたように思う。
関西弁は当たりが強いので、特にこういう時は攻撃的なニュアンスに取られがちだが、相手の意図なんてそう簡単にわからないものだし、勝手に決めつけるべきじゃないよなと思わされた。
人は、自分が賢いと思っている。だから、他者の言葉の意味を理解したと勝手に思い込む。
しかし実際は、人間は自分で思っている以上に馬鹿だし、理解力に乏しいし、思い込みの激しい愚かな生き物だから、結構、他者の言葉の意図を取り違えて、勝手に悪く解釈し、勝手に怒ったりしているものなのである。
そのことを改めて認識させられた一幕だった。
あの時、おっちゃんは待たされていることについて、たぶん何とも思っていなかった。
私は自分の愚かさを呪い、諦め、こうなったら30分でも待ってやると肚を決め、エッセイのネタとかを考えていた(その時はこの件をネタにする気はなく、別のネタを考えていた)。
遅いことを非難されていると勝手に思い込み、攻撃的になり、怒鳴り、自己を正当化する姑息な正義を唱え、不愉快な思いをしたのは、ABCだけだったのである。
自分の都合で人を待たせた方だけが不愉快だった、というのは、なかなか面白いことである。
まあ、いずれにしても、ATMで手間取っている人に声を掛けるのは、やめておいたほうがいいと思う。
暗証番号とかなんとか、いろいろまずい問題があるから手助けしづらい。
私も、振込手続きとかで手間取っている人がいたら、「あー、あのやり方わかるんだけどな、教えたいな」と思うことはあるが、黙っている。親切も、時と場合をわきまえなければならない。
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