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「廃墟の饗宴」を書いた人 ~「芋粥」に見る素人物書きの愚かさの考察とかなんとか~」への応援コメント

  •  芥川の小説は学生の頃に読んで知っていましたが、そもそも、芋粥ってどんなのだろうと思って、ネットで調べてみたところ、甘ずらというシロップを使って作った爽やかな甘さのお粥と書いてありました。私はサツマイモかジャガイモのぶつ切りが入った料理だと思っていたので意外でした。甘い料理であるなら、砂糖の足りなかった平安時代に中毒者が出るのも頷けますね。それなのに作品の最後で、大量に出された粥を食べられない主人公はかなりのヘタレだと思います。あそこはガッツガツと豪快に食べて欲しかった。

     涼格さんの小説のラストですが、私なら『著者が亡くなった後に原稿が発見されてベストセラーになる』というストーリーにしたいですが(カフカ的な)、それだと、『この小説は何も起きない』というルールに抵触してしまいダメなんですよね。著者はどこまでいっても成功せず、ただ静かに消え去るというかなり寂しい作品ですね。今後とも、面白い作品を期待してます。ではまたー

    作者からの返信

     芋粥がどんなものかは、『今昔物語』でも芥川の「芋粥」の方でも、一応書かれていますね。「芋粥」の方では冒頭で、「芋粥とは山の芋を中に切込んで、それを甘葛の汁で煮た、粥の事を云ふのである」と書かれていますし、『今昔物語』でも「芋粥」でも、大量の山芋を用意するシーンと、甘葛未煎を釜の中に入れる様子が描写されています。
     ただ、あの辺の文章は読み飛ばしがちなくだりなので、結構多くの人が読み飛ばし、結果、さつまいもの粥だと勘違いしていそうではあります。


    『今昔物語』の五位が芋粥を食べないのは、利仁の威光を示すためです。利仁が五位の想像を超える量の芋粥を用意したために、五位は食わずして満腹になった。さすがは将軍、ということ。

     あと、現代の人が芋粥と聞くと、なんだか安っぽい料理に聞こえてしまいますが、平安時代では超高級料理なんですよね。クロマグロの刺身とか、松阪牛のTボーンステーキとかを大量に出されて「さあ、遠慮なく飽きるまで召し上がれ」と言われたら、高級料理の物量に圧倒されて食欲がなくなるという気持ちは、わからんではないのではないかと思います。


     一方、芥川の「芋粥」では、芋粥はしょうもない料理という印象を与えようと、意図的に仕組まれています。「大饗に等しいと云つても昔の事だから、品数の多い割りに碌な物はない」というメニューの中に芋粥が混ざっている、ということになっています。また、「芋粥を飽きるほど食いたい」という五位の願望を聞いた周囲の人が彼を笑う、というシーンもある。
     五位の「芋粥を飽きるほど食いたい」という夢が、現代で言うところのカップラーメンを死ぬほど食いたいとか、そういうレベルの願望であるかのように書かれているんですよね。それで、五位を小者に仕立てているわけです。

     そういうこともあって、この作品を読んだ人の多くが、芋粥をじゃがいもやさつまいもの粥だと勘違いしているのだと思います。じゃがいも、さつまいも粥は、戦中の日本の食糧難を象徴する食べ物のひとつですからね。


     この作品は、「廃墟の饗宴」の解説的な位置付けで書いたものなので、「廃墟の饗宴」自体がちっとも読まれていない現状から考えると、さすがにベストセラーになるという展開は盛り込めませんね。

     しかしまあ、評価されるかどうか、売れるかどうかはこの際関係ないことです。いつまでもアイデアを頭の中で腐らせているよりは、とりあえず形にして整理したほうがマシということですね。書いてみて初めてわかることも多いですし。

    編集済