「廃墟の饗宴」を書いた人 ~「芋粥」に見る素人物書きの愚かさの考察とかなんとか~

 これは「小説家になろう」で『廃墟の饗宴』を掲載した際にオマケとして書いていて、ボツにした原稿。

 ボツにした理由は、二次創作が規約的にどうなのかわからなかったことと、「なろう」では短編として投稿したデータを長編に変更することができなかったためだったと思う。


 カクヨムで著作権の切れている作品のパロディがいいのか悪いのかはわからないが、「走れ太宰」が怒られなかったところからすると、たぶん問題ないのだろう……と思う。単に泡沫ユーザーのエッセイなんか、いちいちチェックしていないだけかもしれないが。


 というわけで、とりあえずお蔵出ししてみる。別に大して面白いものでもないが。


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 平成の末か、令和の始にあった話であろう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を勤めていない。その頃、素人の物書きの中に、涼格朱銀と名乗る者があった。

 この者がいかに軽蔑される為にのみ生れて来た人間かをここで詳しく書くのは止そう。素人の物書きと言うだけで、充分にその素養があることくらいは、賢明なる読者諸君なら理解し得よう。

 では、この者には何の希望も持っていないかというと、そうでもない。涼格は「何も起きない場面」を描くことに異常な執着を持っている。これには少し説明が必要であろう。


 およそ小説というものは、物語を展開させるために書かれる。たとえば『今昔物語集』巻二六第十七話では、利仁将軍が五位の侍の願いを叶える物語が描かれているが、その物語に必要のないことは書かれていない。


 こう言うと、読者諸君の中には、いや、狐のエピソードは無駄ではないかと疑問に思う者がいよう。確かに、五位に芋粥を食わせるという話の筋に、狐のエピソードは一見無駄に思えるかもしれない。しかし、この物語の本位は、利仁将軍の権威や人柄を描くことであり、狐の一件も、将軍の権威と人柄を描くための一件として盛り込まれている。利仁将軍は狐をも従わせ、狐をもきちんと労う男であったということが肝要なのである。

 言い換えると、この物語の中では、五位と狐は同類の扱いであるとも言える。芋粥を五位某に食わせるのも、狐に食わせるのも、将軍にとっては同質なのである。


 一方、芥川龍之介の「芋粥」では、五位の駄目っぷりが冒頭にくどくど書かれているが、もちろんこれも無意味なエピソードではなく、元の作品が将軍の権威や人柄を描くのに注力しているのと同じ理屈で、五位の権威のなさや人柄を描くために文量を割いている。


 小説に限らず、文章というものには制作意図があり、そのために必要なことによって構成されている。何の意味も無い文章を入れるべきではない。


 だが、この涼格という物書きは愚かしくも、小説を端から端まで全部、何の意味も無い文章だけで書くことを夢想していた。当然ながら、そんな小説は読む必要が無いし、そもそも面白くもない。だが涼格は、無意味かつ面白い小説を書きたいと願っていた。それこそが彼の唯一の欲望になっていた。

 人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂わらう者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない、と芥川龍之介は書いているが、そんな欲望には取り憑かれない方が身のためである。そんな無茶な願望を抱くから、涼格は塵芥の物書きのままなのである。


 しかし、涼格が夢想していた小説を書くことは、存外容易に事実となって現れた。書きゃいいのである。小説を書くのに必要なのは紙と筆記具だけ。現代ではパソコンと電気があればなんとかなる。書きたいと願うなら、書けばいいのである。

 というわけで、利仁将軍が援助するまでもなく、涼格は夢想を現実にするためにパソコンに向かった。


 書き始めてみるとなんのことはない、一気に一万字ほど書けた。こんなに簡単に書けるなら、さっさと書いておけば良かったと涼格は思った。案ずるより産むが易しとはよく言ったものである。


 一万字もあれば短編作品としては充分な分量であるから、この辺で締めようと彼は思った。が、どうにも筆が進まない。

 そこで初めて、涼格は事の重大さを悟った。無意味な話を書き出すことは容易だ。だが、無意味な話を収束させるには? もともと無意味な内容だから、序破急も起承転結もあるわけがない。


 このとき涼格の脳裏には、芋粥を飽きるほど食いたいと願った五位某の姿が思い浮かんだ。大量の芋粥を目の前にして、食べる気を失った男の姿である。


 五位某は芋粥に箸も付けられなかった。芥川の方では少しは口にしていたか。涼格にしても、ここで作品を没にすることはできる。しかし涼格は思った。ここでやめたら五位某止まりだと。

 そう。涼格も「芋粥」の五位と同じく、世間に軽蔑されるだけの者であったが、だからこそ、あんな奴には負けたくないという、同族嫌悪的な感情が芽生えたのである。世間からすれば五十歩百歩、目糞鼻糞だが、卑しい者には卑しい者なりの自尊心というものが存在するのは不思議である。


 ともかく、涼格は芋粥を食い尽くすことを決意した。鼻から芋粥汁が垂れても芋粥を喰う手を止めないと決意した。かの邪智暴虐の芋粥を除かねばならぬと決……いや、なんでもない。


 涼格は、鼻汁も出ないほど脳みそを絞り、書いては消し、書いては消しを繰り返して、日々、這うようにして筆を進めた。

 そして、書き始めてから五年。ようやく二万字の作品を完成させたのであった。近年、彼の遺品から手記が発見されたが、それによると、一万字書くのに十日、残りの一万字を書くのに四年と八ヶ月かけたようである。その間、長編小説が書けるほどの字数を没にしては書き、時には一度没にした文章をまた書き直したりしたことになる。


 五年という歳月を無駄にして愚かな願を叶えた涼格と、芋粥を食わなかった五位某と、どちらが幸せだったかは、読者の想像に任せるとしよう。

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