丸源ラーメンの肉そばに酢を入れる

 夜遅くに突然ラーメンが食いたくなり、丸源ラーメンに行くことにした。


 かつて、ラーメン屋は当たり前のように深夜営業していたが、今では早々に店じまいする店が多い。

 いま、私の周囲で午前零時にラーメンを食べようとすると、一蘭か丸源くらいしかない。少し遠出すれば、ラーメン横綱や天下一品などもあるが。


 関西圏は、脂入れまくりの豚骨系や、天下一品系のスープがドロドロのやつが人気で、圧倒的にこってりラーメン優勢。ラーメンをおかずにご飯が食えるようなラーメン屋が多い。替え玉するよりご飯が欲しい。

 一方、私は塩ラーメンなどのあっさり系が好きなので、なかなか辛いものがある。こってりラーメンも嫌いではないが。

 店の方もその辺は考えていて、たいがいのこってりラーメン屋ではあっさり系ラーメンも用意している。しかし、こってりがウリの店でわざわざそれを頼むのもなあと思う。



 丸源ラーメンは、関西の基準ではまだあっさりしている方である。醤油ベースで、チャーシューではなく、ゆがいた豚の薄切りを使っている。私はこれにゆで野菜をトッピングすることが多い。


 丸源には久々に来るので、まずは基本に立ち返ろうと思い、今回はトッピングなしのノーマル肉そばを頼んだ。

 そして、品揃えが変わっていないかメニューを見ていると、ふと、肉そばのおいしい食べ方を指南した文章があるのに気づいた。


 この「おいしい食べ方」は、前から書かれていたような気もするが、はっきり覚えていない。ラーメン屋では、しばしばこういう「食べ方」を店が指南していることがあるが、私はそれに従ったことがない。ラーメンの食べ方なんか誰かに教わるもんでもないだろう。



 読むと、まずはなにも入れずにスープだけを味わい(これはラーメン通ぶりたい人のお決まりの初手。私もやるが)、その後は普通に食べ進み、半分くらい食べたら、どろだれラー油を入れて食べる。次ににんにくチップを入れて食べ、最後に酢を入れて食べる、とあった。



 ラー油とにんにくチップはわからんではない。ラー油は辛くなるだろうし、にんにくチップはスープにパンチが効く。

 しかし、酢はどうなの? 酢なんてラーメンに入れてうまいのか? ラーメンに変に酸味を加えたら味がめちゃくちゃになりそうだが。


 ただ、店が薦めるからには、そうめちゃくちゃな味になるとも思えない。自分の店のラーメンの味を台無しにしたいラーメン屋はないだろう。ということは、それなりに意味のある取り合わせなのかもしれない。


 興味が沸いた私は、今回は素直に店のお薦めする食べ方に従ってみることにした。都合のいいことに頼んだのはノーマル肉そばなので、調味料の追加による味の変化もわかりやすいだろう。



 というわけでまず、どろだれラー油を加える。思った通り結構辛くなる。

 丸源には辛肉そばというのがあって、肉そばより100円ほど高いが、実は肉そばを頼んでどろだれラー油を入れれば、追加料金なしで辛肉そばになるのではないか。たまたまそのとき、私の周囲の客はみんな辛肉そばを頼んでいたが、どろだれラー油を入れれば100円ほとお得になることを是非とも教えてあげたかった。余計なお世話だが。

 ただ、私は今回、あえてノーマル肉そばを頼んだわけで、辛いラーメンが食べたかったわけではない。食べたかった味と離れてしまった気もする。ちょっと後悔した。


 いくら後悔してももう後には引き返せないので、ここはひたすら前進する。にんにくチップを投入。

 味が濃厚になるが、辛いラーメンには合う。どろだれラー油を入れるなら、にんにくチップの応援は是非ほしいところ。この組み合わせは理に適っている。指南書によると、どろだれラー油のみを入れて少し食べ進んでからにんにくチップを入れて味変することを勧めているが、この二つは同時に入れても良さそうである。



 ラー油で辛くなること、ニンニクチップで濃厚になることは、予想がつくことであり、実際、予想通りに味は変化した。

 問題は酢である。ラーメンに酢なんか合うのか? 変に酸っぱくなって食えたもんじゃなくなるのは困るのだが。


 ここまででやめておくべきか、これ以上冒険することはないかと躊躇したが、店がわざわざ薦めるからには、そうめちゃくちゃ変な味にはならないはずである。たぶん。

 それに、いま酢を試さなかったら、私は一生ラーメンに酢を入れることはないだろう。

 今日は店のお薦めに素直に従うんじゃなかったのか! 余計なことを考えるな! 入れちまえ!


 しばしの葛藤の後、私はついに覚悟を決め、酢を投入することにした。



 ……予想外の味になった。


 懸念していた酸っぱさはほぼ感じられず、全体的にスープの味がマイルドになった。さっきまでちょっと辛すぎに思われた辛味が抑えられ、にんにくチップの濃厚さもとげが取れた。しかし、それでもなお、辛味やコクはしっかり残っている。

 むしろ、味に刺々しさがなくなったことで、唐辛子の辛味やにんにくの風味がより感じやすくなった気がする。雑味が消えて澄んだ味わいになったというか。想像以上に上品な味わいに変化した。


 ラーメンにこんなに酢が合うとは衝撃である。これはラーメン全般に言えることなのだろうか、それとも丸源の肉そば特有の現象なのか。



 気になった私は、後日、いくつかのラーメン屋に通っては酢を入れて食べてみた。


 まず驚いたのが、そもそも酢を置いているラーメン屋が少ないこと。

 私は、たいがいのラーメン屋には餃子があり、餃子のために酢と醤油を置いてある店が多いと踏んでいた。しかし、最近は餃子のタレを置いている店が多く、そういう店の大半は酢を置いていない。聞けば出てくるのかもしれないが、ラーメン屋は忙しそうにしている店が多く、あるかもわからない酢があるのか尋ねるのはなんとなく憚られた。

 ただ、暇そうにしていた店では聞くことができ、聞いた店では酢は出てきた。


 ラーメンに酢を入れに行ったのに、肝心の酢がなく、ラーメンを普通に食って帰るだけで、一体なにしに来たのかわからない状態になったこともしばしばだったが、ともかくいくつかの店でラーメンに酢を入れることに成功した。



 結果は、こってりにしろ、あっさりにしろ、酢を入れて特別まずくなるラーメンはなかった。大量に入れたらダメだろうが、ひとまわしするだけなら酸っぱくはならないし、味がすっきりする。

 ただ、丸源の肉そばほどはっきりと効果出るラーメンもなかった。辛いラーメンやこってりしたラーメンに酢を入れても、丸源の肉そばにどろだれラー油、にんにくチップを入れたものよりは味に変化がない。辛いラーメンは相変わらず辛いし、こってりラーメンはこってり。多少緩和されるが、肉そばのときのようなクリアーな辛み、旨みになるわけではなかった。

 ラー油やにんにくチップが置いてある店もあったので、そこのラーメンでは丸源と同じく、これらを入れてから酢を入れるのも試したが、やはり肉そばと同じ効果は得られなかった。酢を入れてもラー油の辛さは残ったままだった。



 つまり、丸源があの食べ方を特に薦めるのは、それなりに根拠があることのようである。肉そばだからこそあの味になるわけで、どんなラーメンにでも合うやり方ではない。


 一方、ラーメンに酢を入れること自体は、そうめちゃくちゃな組み合わせではないこともわかった。酢を入れると味がすっきりするので、ガツンとしたパンチが欲しい人には合わないが、相性は悪くない。あっさりラーメンをよりあっさりにするのはどうかと思ったが。

 ものにもよるが、あっさり塩ラーメンなら酢じゃなく梅干しとかのほうが合うと思う。ラーメンに酢を入れるのは酸味を加えたいからではないが、あっさりラーメンなら梅の酸味を加えることでより塩味が引き立つ、というのはある。実際、塩ラーメン屋の中には梅干しを入れている店もある。で、そういうラーメンにさらに酢を入れるのはさすがに合わないと思う。今回は梅入り塩ラーメンの店に行っていないので試していないが。



 なお、やはりラーメンに酢を入れるのは勇気がいるものと見えて、丸源を含め、私はいままでラーメンに酢を入れている客は一人も見かけたことがない。実は丸源では、丸源お薦めの食べ方をしている人はほとんどいないのである。少なくとも私が行った店舗では。


 もし丸源で肉そばを食べる機会があったら、一度は店お薦めの食べ方を試してみるといいと思う。いきなりやるのは憚られるなら、茶碗かなにかにスープをよそうか、食べ終わった後のスープで試すといい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る