応援コメント

選挙カー」への応援コメント

  • 走行中の選挙カーでは演説が禁止されている。
    いやあ、知りませんでした。
    だし、たとえ、演説したとしても、言いたいことのほとんどが伝えきれませんものね。


    以下、投票率とか、民意の反映とか、涼格さんの仰っている通りだと思います。
    あと、偶然でしょうが、自民党一党与党が野党になったタイミングで、大震災が二度も起こっている、というのも痛いエピソードになっていると思います。

    作者からの返信

     選挙カーにまつわる法律は、調べてみるといろいろ面白いです。車の上に付ける看板のサイズが決まっていて、結構最近までは事前に警察が車検をしていたとか、シートベルト着用義務が免除されているとか。

     名前を連呼するのと演説を流すのではうるささには大差ないので、別に走行中でも演説くらい流しても良さそうな気もしますが、日本の政治家は演説が下手なので、いずれにしてもろくな演説はできない気もします。

     大震災に関しては、まあ、どこの党が与党だろうと、政府の対処に大差はなかったと思いますね。民主党が手際よく対処すれば、もう少し長く政権を維持できたかもしれませんが、さすがにそこまでは期待していませんでした。
     それ以上にがっかりだったのは、自民党が民主党の批判ばかりして手助けする気すら見せなかったことです。あそこで自民党が、与野党が協力して国難に当たる体制を作る素振りをみせてくれたら見直したのですけど、下野した自民党は無責任な野党に成り下がってしまいました。

     当時民主党に票を投じた人の中には、自民党には一度野党になって反省してもらいたいと思っている人も多かったです。しかし現実には、あれで自民党は野党根性が染み付いて、与党に返り咲いた後も無責任のままなってしまいました。民主党の批判ばかりするように。

  •  私は自民党にも民主党にも投票したことはないけど、投票所には欠かさず行っています。「今の政治には納得してないよ」ということを鮮明にするためです。投票に行かずして不戦敗するのはごめんです。こんな自分にも政治を決める一票がもらえるのだからありがたいとも思ってます。スターリンやプーチンが大統領だったらありえませんものね。ナチスは一応全盛期に八割ほど取っていたらしいですが、ああいう国民総洗脳状態を見ていると、小泉郵政選挙を思い出します。あのときは本気で「日本も怖い国になったなあ」と思いました。

     昔は選挙カーがうるさいと怒鳴りつけているおっさんとか、選挙カー同士でエールの交換をしているわざとらしい光景も見ましたが、最近はどうも少なくなったような気がしますね。仰る通り、自民党は何もしなくても勝てるから、派手な選挙戦など展開しないでしょうが、野党はぶんぶん走らせないと名前覚えてもらえませんものね。「日本を左翼から守らないと中国に占領される」とかほざいてるユーチューバーや2chの活動家の方々はちゃんと選挙に言ったうえで語ってるんでしょうかね。選挙の後にどの党がどんな行動をとったかを見るのも大切だと思います。こんな私ですが、何となく統一地方選挙は楽しみです。自分の投票も含めて。。

    作者からの返信

     小泉は、歴代首相の中では飛び抜けて能力が高かったですし、演説やネットを駆使した人心掌握にも長けていました。森という最低な首相の後にあんなのが登場したら、人気が出ないわけがないですね。

     小泉の人気は、洗脳とはまた違うと思います。小泉は恐怖によって人心を扇動したわけではないですし、無能のくせに有能のように見せかけたわけでもありません。郵政民営化や聖域なき構造改革などは有言実行しましたし、北朝鮮と交渉して拉致被害者を帰国させる外交手腕も見せました。安倍は自分の手柄だと言わんばかりでしたが、彼は北朝鮮との約束を破って、一時帰国した拉致被害者を北朝鮮に帰国させなかっただけです。それが正しい判断だったかどうかはわかりませんが、少なくともあれでその後の北朝鮮との交渉の余地は全くなくなりました。

     問題は、その能力が、郵政民営化という小泉家の私的な野望のためだけに使われ、それが達成されたらとっとと辞めてしまったことですが。後に残ったのは、構造改革と称してぶっ壊すだけぶっ壊して放置された瓦礫の山だけ。
     そして、郵政民営化なんて、何のメリットがあるのかさっぱりわからんということ。

     私が当時書いていた雑記を読み返すと、「知事選挙に行かなかった50%の有権者は小泉政権に文句を言う資格はない」とか、今と同じようなことを書いていました。
     政治ネタをできるだけ避けたかったこともあり、構造改革や郵政民営化についてのコメントは残っていませんでしたが、代わりに、小泉が靖国神社に参拝すると宣言しておきながら、終戦記念日ではなく、日をずらして参拝した中途半端な姑息さを批判する記事はありました。行くならちゃんと行けばいいし、日をずらすくらいなら行くなよと。そんなこともあったね。

     当時は『新・ゴーマニズム宣言』の影響によって、自虐史観からの脱却が叫ばれていました。実際、当時の学校教育は自虐が過ぎていたので、それをやめることに文句はなかったのですけど、それが行き過ぎて愛国心の強要と嫌韓へと傾いていく過渡期だったわけです。懐かしくも忌まわしい思い出。


     ここ数年の選挙カーの数が少ないのはコロナ自粛の影響もあるので、自粛ムードがなくなったときに復活するのかどうかは、まだわからないところがありますね。