『北極点到達 史上初への挑戦』

『北極点到達 史上初への挑戦』は、ディスカバリーチャンネルにて4月頃のアースデイに放送していた番組。

 録画したまま放置していたが、ようやく観た。


 1960年代に素人がスノーモービルで北極点を目指したときの話で、最初はこれがなぜアースデイ特集として放送していたのかわからなかったが、その理由は番組の最後にわかる。地球温暖化の影響で氷が張らなくなり、今では北極点に陸路で到達することは不可能になったのだとか。


 そもそも、世界で初めて北極点に到達したとされるピアリーが犬ぞりで北極を探検した1909年の時点でも、北極点までの陸路が存在する期間は短く、それを過ぎると氷が割れてしまうのだとか。陸路による北極点探検は時間との勝負でもあるわけである。



 ミネソタに住む保険外交員のラルフ・プレイステッドは、当時出たばかりで知名度の低かったスノーモービルに惚れ込んで、スノーモービルの素晴らしさを触れ込みまわっていた。

 ある日ラルフは酒場で友人と飲んでいる際、スノーモービルと犬ぞり、どちらが優れているかで言い合いになった。その際に友人は(おそらく冗談で)「じゃあ、北極点に行ってみるか?」と言ったが、ラルフはそれを真剣に受け取り、本当にやることにした。


 ラルフは言い出しっぺの友人を含む、ツテを当たってメンバーを募ったが、彼らはみんな素人だった。北極圏はおろか探検すらしたことがなく、スノーモービルの初心者すらいた。


 ラルフはナショナル・ジオグラフィック協会を訪れ、支援を求めた。1909年に犬ぞりで北極点に到達したとされるピアリーはナショジオから支援を受けている。ラルフはピアリーと同じく、ナショジオから認められることで、いっぱしの探検家として認められたいと思ったようである。

 しかし、ナショジオはラルフを相手にしなかった。素人だけで北極点に行くなんて正気じゃないと。


 これでかえってやる気に火が付いたラルフは、1967年、本当に仲間とともに旅立った。



 ラルフたちは明らかに北極圏を舐めていた。彼らは2週間くらいで北極点に到達できるだろうと楽観視しており、祝杯用のウィスキーを大量に積んで旅立った。

 しかし、出だしでいきなり問題が発生した。山を避けて北に向かっていたつもりが、一周してスタート地点に戻ってきてしまったのである。


 北極圏は平らな氷の土地だと思われがちだが、実際は氷と氷がぶつかって10メートルから20メートルの壁ができたりするため、行きたい方向にすんなり行けることはまずない。迂回したり、時には氷を削ってスロープを作るなどして壁を乗り越えなければならない。

 旅程は当初予想していたよりも大幅に遅れていた。


 スノーモービルに全ての物資を積むことはできないため、彼らはベースキャンプを設置し、そこから飛行機で物資を届けてもらう方式で北極圏を目指していた。しかし、嵐が起きて物資補給はおろか、進むことも退くこともできなくなった。

 そうこうするうちに氷も割れ始め、これ以上進むのは危険と判断したラルフは、37日目に撤退を決断する。



 ラルフはこの失敗を踏まえ、来年に再挑戦するために準備を進めた。ベースキャンプの位置や荷物、ルート再検討し、支援を募った。

 そうして68年の3月9日に再挑戦。万全の準備を整えたにも関わらず、挑戦は出だしで躓く。スノーモービル用の燃料が誤配で届かず、彼らはベースキャンプに放置されていた第二次世界大戦時の古い燃料に雪を混ぜてスノーモービルに入れて使うことにしたらしい。

 混ぜもの燃料は一応スノーモービルを動かしたが、燃費は悪く、故障の原因になった。


 燃費の悪さから補給の頻度が増し、修理で時間を取られ、挙げ句に途中で飛行機の燃料が尽きかけた。飛行機は一時、町まで戻って燃料の調達と修理を行う必要が生じ、その間は補給が受けられなくなった。

 さらに、再び嵐に見舞われて立ち往生。再び失敗かと思われたが、ラルフは同行メンバーを一部帰還させることで隊を軽量化し、スピードアップすることで遅れを取り戻すことにした。

 そうしてついに北極点に到達。迎えに来た軍の観測機によって座標を確認してもらい、北極点への到達を認定してもらった。4月19日。43日目のことである。


 なお、地球の地軸は動いているので、北極点は一定の場所にはない。そのため、ピアリーが探検したときの北極点と、ラルフの到達した北極点は同じ場所ではない。

 また、仮に北極点に到達しても、そこは氷の上なので、時間が経つと氷が流されてズレてしまうのだとか。なので、到達したらすぐに北極点到達を証明しなければならない。



 ラルフは、この偉業が大ニュースになることを期待していた。しかし、時期が悪かった。

 1968年の4月4日にキング牧師が暗殺され、6月5日はロバート・ケネディ(ケネディ大統領の弟)が暗殺された。こうしたニュースによって、ラルフの業績はかき消されてしまったのである。



 この番組にはちょっと面白い余談がある。

 ナショジオ協会はラルフの探検テープを買い取ろうとしたが、ラルフはそれを拒否した。素人集団だとバカにしたことを根に持っていたわけである。

 というわけで、ナショジオはラルフの番組を組むことはできない。それを今回、ディスカバリーチャンネルが放送したわけである。


 素人の探検をナショジオが蹴ってディスカバリーが買うのは面白い。ディスカバリーは今でも素人がサバイバル生活したり金を掘ったりする番組を放送している。ナショジオチャンネルとディスカバリーチャンネルは似ているが、やはり違うのである。ディスカバリーでは「UFOは本当に地球に来ている!」「幽霊は本当にいる!」とかいう非科学的な番組も放送しており、純粋な科学番組チャンネルではない。あくまでエンターテインメントチャンネルなのである。


 また、ラルフは実体験を踏まえて、ピアリーは嘘を吐いているんじゃないかと疑った。ピアリーの記録によると、1日200kmも進んだ日があるが、犬ぞりでそんな速さで進むことは無理だと考えた。また、復路も同じルートを通って帰ったとされるが、氷が割れて道がなくなるから、それは不可能だと主張している。

 それが本当だとすると、氷上を通って北極点に到達したのはラルフが初ということになる。



 初北極点到達が誰か、という話にはいろいろうさんくさい話がつきまとっている。

 エベレスト征服を証明するのは比較的容易い。どこが山頂かは見ればわかるから、写真を撮るとかすればいい。しかし北極点は動く上に目印もないから、証明することが難しいのである。


 1907年にフレデリック・クックが北極点到達を主張したが、それを証明する記録がなかったため、ナショジオ協会その他はその主張を却下した。

 一方、1909年のロバート・ピアリーの北極点到達の主張に確たる証拠があるかというと、それも怪しい。ナショジオ協会はピアリーの記録を調べて北極点到達を認定したが、その資料を非公開にした。ナショジオ協会はピアリーのスポンサーだったために公平な立場とは言えない。本来なら第三者機関がピアリーの記録を精査すべきだったのに、ナショジオ協会は隠蔽したのである。


 仮に彼らが初北極点到達者でないとすれば、1926年の飛行船ノルゲが初北極圏到達なのではないかと言われているが、これも第三者による公式な記録がない。


 疑いの余地のない公式記録を持つ初の北極点到達者は、1969年のウォーリー・ハーバート。彼はピアリーの北極点到達60周年記念に同じルートを辿り、北極点に到達した。

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