涼格が選ぶクリスティ作品ベスト8

 江戸川乱歩に倣って、私もクリスティ作品のベスト8を挙げてみようと思う。

 ただし、私は推理小説を推理小説として読んでいないところがあり、謎解きやトリックにもあまり興味ない。なので、かなり変なラインナップだろうと思う。



 1.『ABC殺人事件』

 2.『五匹の子豚』

 3.『三幕の殺人』

 4.『スリーピング・マーダー』

 5.『ひらいたトランプ』

 6.『象は忘れない』

 7.『ポアロのクリスマス』

 8.『複数の時計』


 各作品のざっとした解説を加えるが、ネタバレに関しては配慮しないので注意。



 1.『ABC殺人事件』


 あまりに王道過ぎて、ミステリーファンはかえって黙殺する作品。この作品が好きだというと、素人臭いと思われるのが嫌なのだろう。私は素人でいいから堂々と1位に推す。


 名探偵と助手、へっぽこ警部が登場するホームズ的王道パターンで、犯人も、予告状を出してその通りに殺人を犯していくという、これはまた怪盗ルパン的王道悪役。そしてアルファベット順に殺人が行われるというシステマチックな連続殺人事件。これぞ推理小説の王道といった作品。


 この作品が特にいいのは、犯人は完璧に計画通りに仕事を完遂し、その上でポワロがそのトリックを見破り、追い詰めるところ。

 クリスティの作品では、しばしば犯人は自滅によってボロを出す。犯人が間抜けだから捕まえられただけのケースが多くて、それが少々気に入らないのだが、本作の悪役は完璧だし、ポワロもこのトリックには苦戦している。悪役が手強いからこそ、話も盛り上がるわけである。


 ABCの被害者達もそれぞれに個性的。そして、自分達でABCを捕らえるために私設部隊を結成する。これもクリスティ作品ではよくある展開。そして私は、クリスティの素人探偵ものが結構好きなのである。

 選外にしたが、『マダム・ジゼル殺人事件』も、推理小説としてはイマイチかもしれないが、素人探偵が捜査する作品としては好き。ジェインが客に扮して聞き込みをしたり、ポワロの助手として速記するフリをしたりと活躍するシーンは面白い。



 2.『五匹の子豚』


 クリスティは、過去の事件を掘り返すという『スリーピング・マーダー』系列の作品をいくつか書いている。『五匹の子豚』もそのひとつ。私は、このタイプの作品こそがクリスティが最も真価を発揮するのではないかと思っている。

 そして、過去の事件を明らかにするという困難なシチュエーションこそ、ポワロの真価を発揮するのにふさわしい難業であるとも思う。ポワロは安楽椅子探偵志向なので、複数の記憶の中から真実を導くタイプの事件は向いていると思う。


 この作品の最も優れている点は、依頼者の母親がなぜ無実の罪を受け入れたのかということ、真犯人の動機、その末路。それと対比される依頼者の姿、といったことが一気に描かれるラストだろう。私はクリスティの作品では、本作の犯人が一番印象的だった。一応完全犯罪を成し遂げた者なのに、こんなに哀れな犯人がいるのかという感じである。



 3.『三幕の殺人』


 ポワロが照明として脇役を演じる作品。しかし、ポワロほどの目立ちたがり屋が脇役に徹することができるはずもなく、最後には主役を食う。


 マープルも探偵の補佐役を演じるタイプだが、マープルは終始控えめであることが多いのに対して、ポワロは脇役に徹しきれず、最後には出しゃばってしまうところが面白い。


 そして、これも素人探偵もの。素人探偵ものとしては一番良くできていると思うので、『複数の時計』や『マダム・ジゼル殺人事件』などよりも上位の3位とした。

 クリスティは主役がずっと出張る作品よりも、主役を脇に配する方が好きなのかもしれない。このタイプの作品はかなり多く、マープルものはその典型。


 この殺人のトリックは、単純にして巧妙と言える。無差別殺人と本命の殺人を連続殺人として仕立てたら、犯人の特定が困難になる、という仕掛けである。これは『ABC殺人事件』と同種のトリックで、『三幕の殺人』の方が先に執筆されているから、それで『ABC』を『三幕』の下位にする人は多いと思う。

 私はむしろ、同じトリックを立て続けに使いながら、これだけ別物の作品を書いていることに驚く。そしてどちらも傑作なのだから笑ってしまう。


 そして、サタースウェイトマニア垂涎の作品でもある。……そんな奴いるのか?

 サタースウェイトは、『謎のクィン氏』で探偵役を務めるキャラクター。クィンにヒントをもらって、それを基に謎を解くのである。



 4.『スリーピング・マーダー』


 これをマープル最後の事件としてとっておきにした理由はよくわかる。「眠れる事件を掘り返す」というシチュエーションは奇抜だし面白い。

 しかしクリスティは結局、せっかく思いついたアイデアを死蔵するのはもったいないと思ったのか、『五匹の子豚』をはじめとして、いくつか似たタイプの作品を書いている。


 クリスティが面白いのは、同じアイデアで作品を書いても、結構違ったタイプの作品になること。トリックやシチュエーションを使いまわしていても、あんまり気にならないものが多い。


 この作品は、過去の事件掘り返しタイプであり、子供が目撃した殺人を証明するタイプであり、素人探偵ものでもある。そして素人探偵は「おしどり夫婦」という、クリスティのお得意パターンてんこ盛り。私はトミー&タペンスより、本作の素人探偵夫婦の方が好き。警察のような権限もなければ捜査の経験もないから、どういう言い訳をして聞き込みをしようかとか、考えながら捜査を進めていくところがいい。


 これは一応マープル最後の事件だが、『カーテン』のポワロと違って、マープルはいたって元気。捜査を担当する素人探偵の新婚夫婦を助けるために現地に出張し、時には自分で聞き込みをし、さらには若者をピンチから救う役割までこなしている。『牧師館の殺人』の頃より元気である。

 もともとマープルは後の作品ほど元気になっている。『パディントン発4時50分』では、数学科出身でどんな家事でも完璧にこなすスーパーメイドを探偵役として雇って現地に潜入させた上に自分も現地まで出張っているし、『予告殺人』でも現場に出張して聞き込みをし、犯人逮捕の止めの役を自分でこなしている。



 5.『ひらいたトランプ』


 これは以前に紹介したから省略。クリスティの作品の常連4人の探偵と、それぞれに個性の強い、過去に完全犯罪を成し遂げた経験のある容疑者4人、そして、これまた個性の強い容疑者のお友達が織りなす、クリスティの中でも特にキャラクター性の強い作品。



 6.『象は忘れない』


 実質的に最後に書かれたポワロもの。

 この事件の謎は「姉妹がいる」という情報が入った瞬間にわかってしまうもので、推理小説としてはあまり質が良くない。『予告殺人』と同じトリックを使っている点も評価を下げる要因だろう。


 この作品が面白いのは、「拳銃自殺した夫婦の、どちらが先に撃ったのか」という、はっきり言ってどうでも良さそうなことを調べるというところにある。『五匹の子豚』のように、冤罪を晴らすという目的があるわけでもなく、こんな調査意味があるの? と思いつつ、オリヴァ夫人もポワロも捜査をする。この雰囲気がなんとも独特。いつものポワロものにある緊張感がまるでなく、どことなく幻想的なのである。短編集の『謎のクィン氏』に似ているかもしれない。

 結末もどことなく『クィン氏』っぽい。たしかに殺人だが純愛でもある。殺人事件の結末で、犯人がわかった時にこんなに幻想的な気分になる作品はそうないだろう。ものすごく変な感触。


 私は実は『謎のクイン氏』が結構好き。クィン風味のポワロものだからこの作品が好き、というのはある気がする。



 7.『ポアロのクリスマス』


 意外な犯人パターンの作品では、これが一番よくできていると私は思う。『アクロイド殺し』はフェアだが、フェアすぎるゆえに冒頭のトリックで私は違和感を覚えてしまったし(これは、大学で文学を専攻した弊害。一人称話者がぼかした言い方をするところには敏感になってしまうのである)、『オリエント急行の殺人』は大ネタだが大味だと思う。


 この作品の犯人は、よく考えたら確かに容疑者リストに入れるべき人物だが、案外気づかない。そして、ちゃんと疑うべき要素は冒頭に入っている。この仕掛けはうまいと思う。さすがに『アクロイド殺し』を書いた作者の後年の作品なだけあって進歩している。


 そして、クリスティお得意の、財産家とその遺産を狙う家族という館ものである。『アクロイド殺し』からのお決まりパターンのひとつ。



 8.『複数の時計』


 こんな作品をベスト8に入れるのは私くらいだと思う。


 この作品を私が評価するのは、スパイキャッチャーがスパイを探す過程でたまたま殺人事件に出くわすという、スパイものであり素人探偵モノである、という点。

 クリスティは初期の頃にスパイものをいくつか書いているが、デキはイマイチで、本人もその自覚があったらしく、その後書いていなかった。しかし、久々に書いたスパイものは意外と面白い。本格スパイものではなく、推理小説の合間にスパイもの要素を挟むというバランスがいいのだろうと思う。


 この作品のトリックはイマイチだが、素人探偵が手掛けるにはちょうどいいレベル。そして、素人探偵はポワロに相談を持ちかけるわけだが、ポワロは「こんな簡単な事件も解けないのか」と言わんばかりの傲慢っぷりを見せる。まるでワトソンの調査にイライラしているホームズのような作品となっている。「孤独な自転車乗り」みたいな雰囲気で、ポワロの嫌味が存分に発揮されている。


 そして、私がこの作品を特に好きな理由は、ポワロが古今様々な推理小説について論評を加えるシーンがあるところ。どんだけ暇なんだ(笑)



 選外にした作品について、いくつか言及しておく。もちろんネタバレが含まれるから注意。

 言及しているのは『予告殺人』、『ゼロ時間へ』、『そして誰もいなくなった』、『愛国殺人』、『オリエント急行の殺人』。



『予告殺人』


 ローカル紙の性質に着目し、新聞で殺人をお知らせし、実際に殺人が起きるという出だしや、デリシャス・デスの殺人など、見どころは確かに多い作品。乱歩が◎にした理由はわかる。

 私が気に入らないのは、マープルが捜査に加わっていながら、余計な殺人が2件も起きていること。『牧師館殺人事件』でマープルは、自分が手を控えて慎重になりすぎたせいで余計な殺人が起きたことを悔いている。なのにこの作品ではさらに2人も余計な犠牲者を出している。その点がどうも気に入らない。

『スリーピング・マーダー』を評価するのはその裏返しで、マープルは余計な殺人を防いでいる。『三幕の殺人』でもポワロは余計な殺人を防いでいる。名探偵とはかくあるべきだと思う。


 一方、『複数の時計』で余計な殺人が起きるのは減点にならない。ポワロは主たる探偵ではなく、単なるアドバイザーだし、事件に責任を負っていない。素人探偵に事件を未然に防げというのは無理がある。


『ひらいたトランプ』の余計な殺人も減点対象にはならない。これは完全犯罪を成し遂げた経験者同士の殺し合いであり、殺人経験者が集まったらそりゃそうなるだろうからOKである。無実の無関係な人が無意味に殺されるのとは違う。



『ゼロ時間へ』


 犯人の真のターゲットは、直接殺した2人じゃないのが面白い作品。「殺人事件は、殺人が起きた時に始まるのではなく、それよりずっと以前に始まっている」という発想も面白い着眼点だと思う。前半の、一見なんでもない情景だが、徐々に犯罪への緊張感が高まっていく描かれ方もいい。

 これも乱歩好みの作品なのはわかる。事件そのものはそこまで斬新ではないが、切り口が斬新。


 私が気に入らないのは、バトル警視がいくらなんでも無力すぎること。『ひらいたトランプ』であれだけポワロが高く評価したわりには、自力で真犯人を挙げることができず、無実の人間を有罪にしかねなかった。


『ゼロ時間へ』の犯人は、クリスティの描いた殺人犯の中では上級な部類の手強い犯罪者だった。であれば、そのライバル役である探偵も、それなりの格の者をぶつけるべきだったと思う。偶然に頼らないと解決できない程度の探偵が担当してはつまらなくなってしまう。それこそポワロが担当すべき事件だったろう。


 なお、私は余計な殺人を減点対象にする傾向があるわけだが、判事が殺される件についてはノーカウント。判事は本筋の事件が起きる前に殺されており、バトル警視が事件を担当する以前の出来事。防ぐも何もない。



『そして誰もいなくなった』


 別に嫌いじゃないし、いい作品だと思う。ただ、前にも書いたように、殺人を犯しながら法の手を逃れた者が集まっているわりには、各キャラクターに邪悪さや図太さが感じられないのに違和感を覚えるのが減点理由。『ひらいたトランプ』の容疑者たちのように、強い個性が欲しかった。



『愛国殺人』


 これも特に嫌いなわけではない。むしろポワロシリーズとしては重要だと思う。ポワロの倫理観が強く描かれているからである。どんなに気に入らない奴でも無実であるなら助けるし、どんなに好感が持てる人物でも、殺人犯は見逃さない。『オリエント急行の殺人』は例外だが、あれは特殊なケースだから『愛国殺人』とは同列に比較はできないだろう。

 この作品が『カーテン』に繋がるのだから、ポワロシリーズとしては外せない。

 また、歯医者が殺されるというのは面白いアイデアだと思う。歯医者に行きたくない人はたくさんいるだろうし、歯をガリガリやられる時は殺意を覚えたりするもんである。しかし、死んだら死んだで非常に困る。ポワロの執事であるジョージが「歯医者を探さなければならない」と言ったのはもっともな指摘である。

 ただ、終わり方が重すぎて、読後感の辛い作品なので順位を下げた。



『オリエント急行の殺人』


 大胆なトリックの作品で、それはいい。

 ただ、犯人は計画通りに犯行を遂行できておらず、その隙をポワロに突かれて真相がわかってしまう、というところに少々物足りなさを感じる。ポワロクラスの名探偵が手掛ける事件なら、犯人も万全の態勢で犯行に及んで欲しい。犯人にハンデが付いたら、そりゃあポワロなら解決してしまうだろう。

『ABC殺人事件』の方を高く評価する理由はそこ。ABCは完璧な仕事を果たし、ポワロも全力で立ち向かう。だから面白いのである。

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