アガサ・クリスティ『ひらいたトランプ』『そして誰もいなくなった』『カーテン』

 ここしばらく、手持ちにあるアガサ・クリスティの推理ものを一気読みしている。


 クリスティはかなり多くの作品を出しており、さすがに全部は持っていない。

 ポワロものは大半はあるが、何作か欠けている。マープルは半分くらい。トミー&タペンスは持っていない。

 全巻揃っているのはバトル警視ものだけだったりする。もっとも、バトル警視は常に脇役であり、主要な探偵役として登場する『ゼロ時間へ』でも、おいしいところは別の人に持っていかれているが。



 立て続けに読んでいると、いろいろ新しい発見もあるのだが、特に面白い関連性を見つけたので紹介しておく。

 それは、『ひらいたトランプ』(1936年)と『そして誰もいなくなった』(1939年)、『カーテン』(1943年執筆・75年刊行)が同じ発想で作られている、ということ。


 どういうことかを説明をすると重大なネタバレが含まれるので注意。




『ひらいたトランプ』と『そして誰もいなくなった』は、一見すると全く別のスタイルの作品に見える。前者は、ブリッジのプレイ中に殺人が行われ、犯人はブリッジのプレイヤー4人に最初から絞られている、という作品で、後者は、島に隔離された10人が1人ずつ殺されていくという作品。


 しかし、前者の容疑者4人と、後者の被害者10人が島に集められた理由は全く同じ。完全犯罪を成し遂げた者達が選ばれ、おびき寄せられている。


『ひらいたトランプ』は、パーティーの主催者であるシャイタナが、ポワロに犯罪コレクションを披露しようとして、完全犯罪を成し遂げた4人をパーティーに招待する。そしてパーティーの最中に、「君らが人殺しをしたのは知ってるんだぞ」ということを匂わすような発言をしたために、ブリッジのプレイ中に殺される。


『そして誰もいなくなった』は、犯人は完全犯罪を成し遂げた者達を島におびき寄せ、1人ずつ処刑していく、という筋立てになっている。

 ただし、島におびき寄せられた者の中には、交通事故で人を殺しておきながら、大して罰せられもせず、本人も反省していないという人物もいる。これは故意の殺人ではなく、完全犯罪というには語弊がある。彼が罰せられないのは巧妙に人を殺したからではなく、単に当時のイギリスの法律の不手際に過ぎないわけだから、彼が島におびき寄せられて「処刑」されるのは、なんか違うんじゃないかという気はする。

 もっとも、本作の犯人は、体裁としては「殺人者の処刑」という形を取ってはいるものの、その本性は単に人を殺したいだけの異常者に過ぎないから、細かいことはどうでもいいのだろう。とにかく自分が納得できる理由を付けて殺したいだけ。



 どうやらクリスティはこの時期、完全犯罪に凝っていたらしい。

 探偵ものでは、事件は解決されなければならない。完全犯罪が成し遂げられてしまうのは話の都合としてはよろしくない。もっとも、アーサー・コナン・ドイルはそんなことお構いなしに、「オレンジの種五つ」や「技師の親指」のような未解決事件をいくつか書いているが。

 でありながら、クリスティはいくつもの完全犯罪を思いつき、それを推理小説に織り込んだ。そして、ポワロですらも、その完全犯罪を裁くことはできなかった。『ひらいたトランプ』では、ポワロは4人の完全犯罪のうち、2つはほぼ解明し、1つは犯罪ではないことを突き止めた。しかし、解明した2つについても、法の裁きを受けさせるには到っていない。ただ、その犯行の手口を、シャイタナ殺しという、現在の事件を解決するための手がかりとして使っているのみである。残りの1つは、詳細すら不明なまま終わっている。



 そして、『カーテン』。『カーテン』が興味深いのは、『そして誰もいなくなった』の犯人役をポワロが演じる、というところ。


『カーテン』が、シャーロック・ホームズシリーズの「最後の事件」に対抗して書かれたものであることは、たいがいの人が勘付くことだと思う。

 ドイルは自分を歴史小説家だと思っており、ホームズものばかり注目され、人気が出るのに嫌気が差した。

『シャーロック・ホームズの冒険』に収録されている短編群を発表した後、ストランド誌はさらにホームズものの短編を依頼した。その際、ドイルはべらぼうな原稿料をふっかけて諦めてもらおうとしたが、ストランド誌がその条件を飲んでしまったので、書かざるを得なくなった。しかし、もうこれ以上書きたくなかったので、その連載の最後に「最後の事件」を書いた。モリアーティとかいうライバルを登場させ、滝の側でホームズと格闘して一緒に転落死することにしたのである。

 しかし、生死不明な書き方をしたために、後に「空き家の冒険」で復活させることになってしまう。


『カーテン』ではドイルの失敗を踏まえて、ポワロが絶対生き返らない方法で確実に殺した。

 また、ポワロが命を賭けて戦う生涯最後の犯罪者も、きちんと作り出した。モリアーティ教授のように、何が犯罪界のナポレオンなんだかちっともわからない、ふわっとした存在ではなく、絶対に法では裁けないが、生かしておく訳にはいかない、具体的な悪党を作り出したのである。ポワロはそいつを処刑し、自分も死ぬ。


 しかしこれは、よく考えると『そして誰もいなくなった』と同じシチュエーションなのである。動機はぜんぜん違うが、どちらも法では裁けない犯罪者を「処刑」する、という点では同じ。


 また、自身も自殺することで完全犯罪を成し遂げながら、そのトリックを手紙でバラす、という点でも共通している。『そして誰もいなくなった』では、犯人はトリックを解説した手紙を瓶に詰めて海に流している。『カーテン』では、ポワロは死後しばらくしたら、ヘイスティングス大尉に自身のトリックを解説した手紙が届くように手配した。



『カーテン』は、大ネタを連発してミステリー界を騒がせた時期のクリスティらしい作品と言える。探偵が犯人というタブーを平気で破り、「最後の事件」のオマージュとしても興味深い。そして、ポワロ初登場の舞台であるスタイルズ荘を舞台にした設定も素晴らしい。

 なにより面白いのは、あまりにポワロをきっちり殺しすぎたせいで発表できず、結局はドイルと同じように、クリスティもポワロを殺し損ねて、その後も延々とポワロものを書かねばならなかったことだろう。


 作品の時系列としては『象は忘れない』の後に『カーテン』が来るわけだが、『象は忘れない』では地味で穏やかになっていたポワロが、完全犯罪者を処刑して自殺するなどという派手な立ち回りを演じるのは、やはり違和感がある。



 ついでなので、各作品についてざっと。


『ひらいたトランプ』は、『ABC殺人事件』の冒頭にて、「もし自由にオーダーできるとしたら、どんな事件を手掛けたいか?」という話題の中で、ポワロが「理想の事件」として挙げた内容がそのまま作品になっている。4人がブリッジに夢中になっている部屋で、ある人物が殺された。犯人はブリッジのプレイヤーの4人の内の誰か以外には考えられない。さて、誰でしょう? という話。


 殺されたシャイタナは、ポワロに犯罪コレクションを披露するためにパーティーを開いた。そのパーティーには、完全犯罪を成し遂げた犯罪者4人と、広い意味で探偵である4人が招待された。

 探偵役はポワロの他、バトル警視、レイス大佐、オリヴァ夫人という面子。彼らはポワロもの以外の作品のいくつかで登場しており、クリスティの作品をいろいろ読んでいるとおなじみの面子。

 ポワロものだと、レイス大佐は『ナイルに死す』、オリヴァ夫人は『マギンティ夫人は死んだ』、『死者のあやまち』、『第三の女』、『象は忘れない』に登場している。


 本作では容疑者が4人に絞られている。しかもブリッジの最中に殺されたことは確実で、そのために、ゲーム展開がわかると犯人がわかるようになっている。ブリッジのルールを知らないとこの仕掛けはわかりにくいが、わからないなりに読んでいても、だいたい状況は読めるようになっている。


 ブリッジは2対2のチーム戦で行うが、必ずダミーという休みの人が1人いる。

 ブリッジではまず、13回戦中、何回差で勝つかを宣言し合う「ビッド」というのがある。その際に最も高い宣言をしたチームが攻撃側になるのだが、攻撃側の一人はダミーとなり、自分の手札を表に晒して休みとなる。犯人は自分がダミーの時にシャイタナを刺したわけである。


 さて。この状況で人を殺すとしたら、どうするだろうか? できるだけゲーム展開が熱く、みんながゲームに集中している時にダミーになって殺したいものである。そうすれば気づかれる可能性が低くなる。


 事件の晩のゲームでは、グランドスラムを取ったチームがあることがわかる。グランドスラムというのは13回全勝を宣言し、それを達成すること。

 そして、ポワロが容疑者全員に事件当時のゲーム展開について聞くと、グランドスラムのかかった勝負のとき、全勝を宣言した人がダミーだったことがわかる。つまり、わざとゲームを白熱させておいて、かつ、自分が休みになるように仕組んだ人がいた、ということである。


 このことは序盤に判明しており、ポワロはそれについて指摘しても良さそうなものである。しかし、この件は全編通して一切触れられていない。触れない理由はただひとつ。それが真相であり、そいつが犯人、ということである。クリスティはわりと、序盤に真相がわかるような書き方をすることが多い。


 というわけで、ブリッジを知っていれば犯人当ては簡単だが、この作品は、クリスティの作品にしては登場人物が少なく、だからなのか、みんな個性が強い。そのために読んでいて面白い作品になっている。

 探偵4人の内、レイス大佐はあまり捜査に関わらず、途中で外国に行って抜けてしまうが、バトルとオリヴァはそれぞれ独特な手法で捜査を進め、ポワロに劣らぬ活躍をする。そもそもポワロのいない作品では主役級としてやっていけるキャラクターだから当然と言えば当然。

 容疑者4人もかなり個性が強い。特に一番大人しそうなメレディスは、ポワロがプレゼント用に買ったというストッキングを盗んだりなんだりと大活躍である。



 登場人物がみんな殺人者というシチュエーションを発展させたのが『そして誰もいなくなった』。孤立した島に閉じ込められるクローズド・サークルものであり、童謡の通りに殺人が起きる見立て殺人ものでもある。

 ただ、登場人物の個性という点では『ひらいたトランプ』の方が強い。『そして誰もいなくなった』の登場人物は、殺人経験者のわりには邪悪さや図太さがいまひとつ足りない。過去に完全犯罪を成し遂げた者らしい狡猾さを見せる人物がいないのが、設定倒れに感じるところではある。


 それはそれとして、クローズド・サークルの童謡殺人ものとしては古典的な作品。童謡の通りに連続殺人を行うという縛りがあるからどうしたって強引な展開になるが、それはそれ。



『カーテン』は、ポワロ最後の事件として1943年に書かれ、クリスティが亡くなる直前の75年に発表された作品。

 43年にはマープル最後の事件である『スリーピング・マーダー』も書かれ、こちらは死後に発表された。

『カーテン』では、ポワロは復活させようのない形できっちり死亡するが、『スリーピング・マーダー』にはマープルが死亡する展開はないし、マープルがよぼよぼになっているわけでもない。むしろ若い者を助けるために村から出張し、自ら調査も行う元気っぷりである。


『カーテン』の概要についてはすでに書いた。「最後の事件」のオマージュであり、ポワロ生涯最後のライバルとなる、究極の犯罪者が登場し、ポワロはそれを処刑する。

 その舞台は、ポワロ初登場にしてクリスティ最初の作品である、『スタイルズ荘の怪事件』のスタイルズ荘。

『スタイルズ荘の怪事件』は軽妙な筆致の作品だが、『カーテン』は非常に重苦しい。ポワロは車椅子生活をしているし、スタイルズ荘は昔の見る影もなく変わり果てている。登場人物たちも一様に疲れ果てた様子の者ばかり。『カーテン』時のスタイルズ荘は、名前も変わって旅館みたいなものになっており、登場人物たちは保養に来ているはずなのだが、ちっとも楽しそうじゃない。


 ポワロシリーズとしては珍しいくらい重い作品だが、『愛国殺人』(1940年)、『白昼の悪魔』(1941年)の後に書かれた作品だと考えると納得がいく。この頃のポワロものはビターな終わり方をしており、ポワロにも疲れている印象がある。この時期のポワロなら自殺するのも納得である。

 そして、この辺が執筆されたのは第二次世界大戦時。この時期に明るい作品を書く気分にならないのも当然だろう。しかし作品そのものには戦時中であることを匂わせるような描写はない。全く気づかない人も多いと思う。


 しかし先にも言ったように、時系列的には『象は忘れない』の後に『カーテン』が来るわけで、そうするとポワロの自殺にはかなり違和感がある。



 ポワロの相棒であるヘイスティングス大尉は、BBCのドラマ版でのみポワロを知る人は、ずっと一緒に組んでいたと思っているだろうが、原作ではかなり初期にこのコンビは解消している。

 ポワロもの長編第二作である『ゴルフ場殺人事件』で、ヘイスティングスは「シンデレラ」と結婚し、南米に移り住んでしまう。このとき、ポワロとヘイスティングスのコンビは解散した。2作目にしてすでに解散である。ただ、たまにヘイスティングスは南米から帰ってきて、リバイバルバンドのごとく一夜限りの再結成を行うことがある。


 ポワロものの代表作というと、『アクロイド殺し』、『オリエント急行の殺人』、『三幕の殺人』、『ABC殺人事件』あたりだろうが、この中でヘイスティングスが登場するのは『ABC殺人事件』だけ。意外とヘイスティングスは、ポワロが真価を発揮した時にいなかったのである。ヘイスティングスが登場するのは『ビッグ4』や『エッジウェア卿の死』など、わりとイマイチな作品が多かったりする。


 そのヘイスティングス大尉が『カーテン』では久々にポワロとのコンビ再結成を行うわけだが、このとき、シンデレラはすでに亡くなっており、代わりに二人の娘が登場する。

『ゴルフ場殺人事件』に登場するシンデレラは、アクロバットショーのプロで、姉妹のために犯罪現場に潜入して証拠品であるナイフを盗み出したり、屋根にぶら下がって窓から侵入して真犯人を撃退したりと、いろいろアクティブな活躍をしている。そんな彼女の娘だけあって、なかなかの跳ねっ返りである。


 そして、ポワロの「モリアーティ」である真犯人。自分では一切手を下さず、ただ、人をそそのかして殺人者に仕立て上げるのに喜びを感じるという、悪魔のようなド変態野郎である。

 モリアーティはしょせん金目当てのしょうもない犯罪者だが、『カーテン』の犯人は、彼自身は人に殺人をそそのかしても何の利益もない。ただ、自分が他人に影響を及ぼし、その結果として悲劇が起こるのが喜びなのである。


 この悪魔を法律で裁く手立てはないので、ポワロは仕方なく、自らの手でそいつを処刑する。

 ポワロは常々、どういう理由であれ、殺人は許されないと主張していた。人が神に変わって処罰を与えるのは傲慢であり、仮に最初の殺人は正義に基づいていたとしても、そのうち人殺しに慣れてしまい、ささいなことで人を殺すようになるのだ、と。

 その主義を曲げてまで、ポワロは犯人の処刑を行うわけである。『愛国殺人』の後に『カーテン』を読むと、この意味は非常に重く感じる。


 しかしこれは、ポワロすらも犯人の影響によって殺人に駆り立てられた結果なのだと読めなくもない。そうだとすると、これは犯人の勝利とも取れる。ポワロすらも殺人者に仕立て上げたのだと。クリスティにその意図はなかったように見えるが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る