アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』(後編)

●第三巻


1.ロレーヌの十字架


 ホスト:イマニュエル・ルービン

 ゲスト:アメイジングのラリ(手品師)


 ゲストの手品師が、バスを待っている時にとある女性と出会って話し込むという、なんでもないエピソードがネタになっているが、私はこういうなんでもない話は好きである。もちろん、それで終わるわけではなく、謎掛けがあるわけだが。


 夜中に国道を走っているバスに乗っていた子供が「ロレーヌの十字架」を見たという。それは何か? というのがその謎。

 これは、アメリカに住んでいなければ実感しにくい回ではある。しかし、仮に日本に答えとなるそれがありふれていたとしても、やはり気付かないのだろうと思う。人は固定観念でものを見がちだからである。あまりにもありふれているものは目に入らない。

 このミステリーはフェアだし、秀逸だと思う。そして犯罪と関係がない。



2.家庭人


 ホスト:ジェイムズ・ドレイク

 ゲスト:サイモン・アレグザンダー(脱税捜査官)


 芸術を教えられるかどうかについてのゴンザロとルービンの議論、そして、脱税を捜査しているというゲストをヘンリーまでが奇異の目で見るという、雑談回としてなかなか面白い回。「税金の取り立てなんぞやってる奴は有刺鉄線で鞭打ちにすればいい」などと、散々な言われようである。


 謎解きに関しては、私は似たようなネタを見たことがあったので、これはすぐにわかった。そもそも、第一巻の「実を言えば」で騙された人は、違和感のある言い回しには敏感になっているだろう。



3.スポーツ欄


 ホスト:トーマス・トランブル

 ゲスト:ロレンス・ペンティリ(諜報関係者)


 度々ゴンザロが言い出す「ヘンリーの秘密がわかった」話が出てくる回。そして、みんな大好きスパイの回である。


 二重スパイが二重スパイだとバレで刺されたのだが、死の間際に新聞のスポーツ欄を開き、スクラブルの駒でepockと並べていた。さて、どういう意味でしょう、という話。


 あとがきでは、作中の謎解きよりもいい謎解きが読者から送られてきたとして紹介されている。


 しかしそもそも、死に際に何かメッセージを残すのに、なぜわかりにくくする必要があるのか、と思う。

アメリカのドラマ『メンタリスト』シリーズで、連続殺人鬼レッド・ジョンの正体を知っている男が、死に際に血文字で"he is m"と書き残しているシーンがあったが、死にそうなのに"he is"とか書くなよ、mから書けよと思ったことを思い出す。



4.史上第二位


 ホスト:イマニュエル・ルービン

 ゲスト:アーサー・ガードナー(記者)


 朝鮮戦争に従軍したゲストが、とある仲間の死を看取ることになる。その人は自分の名前を「史上第二位の得票数を誇る大統領と同じ」と言った。彼の名前は何でしょう、と言う話。


 この回は好き。アメリカの大統領のことは詳しくないが、誰が死んだとか誰が殺したとかいう話よりも、こういうパズルの方が私は好きである。何度も言うが。

 これも「東は東」と似ていて、解釈次第ではいろいろ正解は考えられる。言った当人が何をして史上第二位と考えたかが問題。



5.欠けているもの


 ホスト:ロジャー・ホルステッド

 ゲスト:スティーヴン・ベンタム


 ゲストの職業は明示されていないが、話の流れからするとオーボエ奏者なのかもしれない。職業と話の内容とは関係しないからどうでもいい。


 前座の、ルービンが闇の錠前屋組織の話をボツにされた云々の話はなかなか面白い。暗号錠前を破る組織は現実にあるわけで、物理的な錠前を破る組織が現実に即していないと断言するのはどうかと思う。まあ、現実味があるかないかはともかく、面白ければなんでもいいと思うが。


 本題は、「トライ-ルシフェリアン」と名乗る、怪しい宗教のウソを見破ること。教祖は火星に行ったことがあるらしく、その様子を語っているが、そこに矛盾を見つけてやろうという話である。

 アシモフお得意の宇宙の話、しかも、火星から見てどの天体がどう見えるのかを計算して割り出したりしており、なかなか元気のいい回である。


 あとがきによると、アシモフは本格的なSFはこのシリーズには向いていないと思っていたようである。しかし結果的には、SFネタを書いているときの方が活き活きとしている。



6.その翌日


 ホスト:ジェームズ・ドレイク

 ゲスト:スティーヴン・ベンタム(編集者)


 編集者と新人作家、横暴な編集長のやり取りが描かれる、出版業界残酷物語。さすがにアシモフ自身がその業界の人間なのでディティールが細かく生々しい。


 謎解きについては、アメリカの出版業界の事情を知らないと解けないものとなっている。私はこのシリーズをミステリーとして読んでいないので、その辺はどうでもいい。



7.見当違い


 ホスト:ロジャー・ホルステッド

 ゲスト:ダン・バリー(学校の校長)


 ゴンザロがヘンリーの秘密がわかる回。またかね、君。


 この回は、暗号解読がテーマになっている。今まではスパイの情報交換手段が問題になっているものはあったが、実際に使われた暗号を解くものはなかった。


 この回も、アメリカの事情を知らないと謎解きはできない。しかし、ある程度の当たりは付けられるとは思う。



8.よくよく見れば


 ホスト:ジェフリー・アヴァロン

 ゲスト:ナイ・セント・ジョン(電気技師)


 前座はホルステッドとルービンによるリメリック議論。今回の謎の鍵が言葉にあるからだと思われるが、おおむね本題とは関係ない話と言える。それがいい。無駄話最高である。


 ゲストはヤボ用で出掛けたマンションで偶然死にかかっている諜報員を見つけてしまい、ダイイングメッセージを託される。さて、犯人は誰でしょう、というのが本題。

 設定は大げさだが、話題としては細かい言葉の問題。ヘンリーの答えに辿り着くのにプロの諜報員達は7日かかったらしいが、それはさすがに間抜けすぎやしないかと思う。



9.かえりみすれば


 ホスト:トーマス・トランブル

 ゲスト:ミルトン・ピーターボロ(学生)


 ゲストが書こうとしているSFミステリー小説のネタを考えるという、アシモフの仕事そのまんまな課題がテーマとなっている回。というわけで、この回のデキは秀逸。

 殺人犯と犠牲者はどちらも日蝕マニアで、日蝕の写真のデキで競っているが、犠牲者の日蝕の写真があまりにデキが良すぎたため、殺人犯は嫉妬のあまり殺人を企てる。では、殺人犯が嫉妬するほどデキのいい日蝕の写真とは何か? というのが今回の主旨。


 ここでヘンリーの考えたネタは素晴らしい。実際はアシモフが考えたわけだが、さすがである。



10.犯行時刻


 ホスト:ジェイムズ・ドレイク

 ゲスト:バリー・ルヴァイン(弁護士)


 ゲストは殺人の容疑で起訴されている被告人の弁護を務めているのだが、その容疑の鍵を握っているのが、ホテルに掛かっている時計の時刻。同じ時間の同じ時計を、フロントマンは6時10分前と言い、たまたまホテルにやってきた会計士は5時半だったという。なぜか、というのが問題。


 この前座の話は他愛ないのだが、やはりというか、ちゃんと伏線にはなっている。ある夫婦が、亭主は6時に夕食が食べたく、女房は7時がいいという。それが原因で別れてしまった、という話。

 謎解きのヒントにはなっておらず、単に時間が問題になる話だから時間に関係のあるネタが引き出されたのだろうが、この話はよく考えると面白い。

 この夫婦も実は、同じ時計を見ながら、違う時間を言っていただけなのかもしれない。本当は意見は一致していたのに、異なると勘違いしたことが夫婦仲を割いたのかもしれない。そう考えると、何とも言えない気分になる。


 まあ、この作品を読んでそんな深読みをする人はいないと思うが、



11.ミドル・ネーム


 ホスト:マリオ・ゴンザロ

 ゲスト:ライオネル・ウォッシュバーン


 フェミニズムが話題になっている回。黒後家蜘蛛の会、そして、そのモデルとなった実在する戸立て蜘蛛の会は女人禁制となっている。アシモフはそのことに異議を唱えていたが、聞き入れられることはなかったようである。前座となっている話は、実際の議論が元になっているのだろう。


 本題の謎は、「小学生なら誰でも知っていて、しかも知らずにいる一音節のミドル・ネーム」。これは、アメリカで教育を受けていなければ解けない問題である。日本の小学生は誰も知らない。



12.不毛なる者へ


 ホスト:マリオ・ゴンザロ

 ゲスト:マシュウ・パリス(弁護士)


 恒例の、ゴンザロが厄介なゲストを連れてくる回。そして、ある意味でシリーズで最もシリアスな回とも言える。会に直接利害のある話であり、モリアーティばりの最強のライバルが登場する回だからである。


 ゲストは、ラルフ・オッターの遺言状を携えてやってきた。オッターは黒後家蜘蛛の会の創設者であり、今では顔を見せなくなった者。彼は遺言にてメンバーの1人に遺産を贈るとしていたが、その条件は、自分の出題した謎を解くことだった。


 オッターは言葉遊びを得意とする知恵者で、その出題はメンバーの性格を知り抜いた上で仕掛けられた罠であり、会の面々はそれに翻弄される。そして彼らは、オッターの知らないもう一人の会員、ヘンリーに最後の望みを託すのである。


 やっていることはいつもと大差ないが、なかなかジャンプ漫画っぽい熱さのある展開で燃える回である。やはり手強いライバルがいないと話は盛り上がらないよね!


 そしてこれが、ギリシャ神話のパリスの審判と重ねられているという構造も巧み。



●第四巻


1.六千四百京の組み合わせ


 ホスト:トーマス・トランブル


 黒後家蜘蛛の会始まって以来2回目の、ゲストのいない回。トランブルが自分で自身の存在意義について尋問し、自分で答え、問題を出す。


 問題というのは、数学者が考えた14字からなるパソコンのパスワードを一発で当てること。


 これは、作品の構造がヘンリーに有利になりすぎている典型的な例だろう。こんなもん、あれだけのヒントでは普通は当たるわけがない。

 一方、このパスワードを実際に盗んだ人に関しては何回でもアタックできるのだから、そのうち当たる可能性はある。


 それはそれとして、いつもは不機嫌でぞんざいなトランブルの全編にわたっての恐縮した感じや、それを相手する面々のやりとりは面白い。



2.バーにいた女


 ホスト:イマニュエル・ルービン

 ゲスト:ダライアス・ジャスト(作家)


 ダライアス・ジャストはアシモフの推理小説『ABAの殺人』の主人公。この回はほとんどジャストの回想に終始し、ゲストの面々が謎に対してあれこれ言う機会がほとんどない。そのため私はしばらく、この回ではホルステッドが欠席しているのではないかと思っていたほどである。よく見ると、終盤に一回だけどうでもいいセリフを言っている。たぶん彼が出てくるのはここだけ。


 謎解き自体はどうでもいいが、ジャストの話は物語のイントロとしては面白い展開ではある。この続きはないが。


 なお、『ABAの殺人』は、文庫本の裏には本格推理巨編とかなんとか書かれているが、実際は『黒後家』と大差ないタイプのミステリである。謎解き自体は大したことない。

 この作品の特徴は、ジャストがアシモフに代筆を頼んで書かれた、という体になっており、アシモフの書いた文章が気に入らないジャストはその文章に脚注を入れ、されにそれが気に食わないアシモフが脚注を入れるという、変な構造になっていること。しかもアシモフは本編にも登場している。

 司馬遼太郎は『龍馬が行く』の幕間で龍馬とお喋りしていたが、そんなのがかわいく見えてしまうほどアシモフ出過ぎの作品。


 ……そう紹介すれば読みたくなる人が増えると思うのに、なぜ出版社はそう書かないのだろう。「本格推理巨編」なんて書かれていたらむしろ読む気が失せないだろうか? 私は失せる。しかも、その文言に惹かれて買った人は必ずがっかりする。詐欺である。



3.運転手


 ホスト:ジェイムズ・ドレイク

 ゲスト:カート・マグナス(宇宙生物学者)


 ゲストの職業は会の面々には奇異に映ったようだが、エンケラドスなどのわりと身近(宇宙的尺度からすれば)な天体にも生物がいるかもしれない可能性が出てきた今、この分野はそれほど珍しくなくなっただろう。


 しかし、本題は宇宙生物学の話ではなく、彼らの国際会議の場でタクシーの運転手が事故死した話となる。



4.よきサマリア人


 ホスト:マリオ・ゴンザロ

 ゲスト:バーバラ・リンデマン


 ゴンザロが厄介なゲストを連れてくる回。今回も実に厄介。女人禁制の会において、女性をゲストとして連れてきたのである。さすがゴンザロ。


 あとがきにおいてアシモフは「話としては別にゲストが女性でなくてもいいけど、あえてそうした」と書いている。謎解きそのものよりも、会のごたごたを楽しむ回と言える。



5.ミカドの時代


 ホスト:ジェフリー・アヴァロン

 ゲスト:ハーブ・グラフ


 私はギルバート=サリヴァンを知らない。それでもこの回は結構好き。文学上のしょうもない話なのがいいし、謎解きも面白いと思う。


 問題になっているのは『ペンザンスの海賊』の物語の年代設定が、1873年なのか、77年なのか、という話。

 設定では、主人公は物語開始当時21歳。ただし、2月29日生まれなので、誕生日が来るのは4年に1回だけ。作中では、21回目の誕生日が来るのは1940年だとしている。

 これを逆算すると、主人公は1856年生まれで、年代設定は1877年のように思える。


 しかしグレゴリオ暦では、1900年は閏年が間引かれる。つまり、1940年に21回目の誕生日が来るようにするには、1852年生まれで物語開始時は1873年でなければならない。


 果たしてギルバート=サリヴァンは、1900年が閏年であることを知っていたのか忘れていたのか。


 話としてはやや複雑だが、実際にはしょうもない問題である。しょうもない問題を大真面目に解く。これこそ文学の神髄と言える。


 日本の文学は、たかだか小説ごときに哲学だの人生観だのを説きすぎている。本来、ただの娯楽であり、くだらないもののはずの小説を高尚化しすぎである。

 一方、英米文学では、アガサ・クリスティの文体を分析して、文体から犯人が男か女かを当てるとか、実にしょうもない研究をしている。そういうのを見るといつも羨ましく思う。



6.証明できますか?


 ホスト:イマニュエル・ルービン

 ゲスト:ジョン・スミス(隠居暮らし)


 たまに訪れるスパイ話。今回は、ゲストがスパイと疑われて拘束された時の話。

 例によって雑談が伏線になっているので、そこに気付けば謎は解きやすい。

 謎解きとしてどうかはともかく、この作品で描かれているシチュエーションは、ないとは言い切れないだけにリアリティがあるような気がする。



7.フェニキアの金杯


 ホスト:イマニュエル・ルービン

 ゲスト:エンリコ・パヴォリーニ(市立古代美術館館長)


 この回では、美術館が盗品商から美術品を買い取っているという設定になっており、それについて博物館の学芸員から抗議があったとあとがきにある。

 しかしアシモフは、ミステリ作家が現実にはないことを書くのは当然だと居直っている。


 この態度は間違っている。確かにアガサ・クリスティは、上流階級を舞台にした殺人事件を多数書いている。クリスティの作品を多数読んだ人は、上流階級では殺人事件ばかり起きていると誤解するかもしれない。

 しかしクリスティはあくまで、とある架空の上流社会の一家庭を舞台にしているだけであり、イギリス上流社会がすべからくこうであると誤解させるような描写をしているわけではない。


 しかし、「フェニキアの金杯」にはこういう描写がある。


-----

 実はつい最近、美術館の市場で、フェニキアの工芸品が一点、売りに出されたのです。正確には、闇市場と言うべきですが……。

 (中略)

 当然、わたしどもはこの金杯を手に入れたいと考えました。世界じゅうの名だたる美術館がこれを狙って動きだしたことは言うまでもありません。

-----


 もしこの回の設定が、とある架空の美術館が、違法だと知りつつ闇市場から密かに美術品を買ったという話なら問題ない。架空のある美術館が違法なことをしているだけであり、どの美術館でもそんなことをやっていると誤解する人はいない。いたとしたら誤読しているだけである。


 しかし、この文章は問題だろう。これでは、世界の名だたる美術館は、盗品商から競って美術品を買い取っており、それは業界では周知の事実のようである。


 しかも、この設定はこの回の謎解きに必要ない。謎解きは、メモ帳に書かれた謎の図形から、預かり所のある場所を特定する、というものである。正規に入手した美術品を預けた場所を特定する話にしても何の問題もない。

 だったら、美術館にあらぬ誤解を与えかねないデタラメな描写は削るべきだろう。

 だいたい、第一巻の「贋物のPh」では、博士の選考過程が現実とは異なると読者から指摘を受け、単行本掲載時に修正したというではないか。なぜ同じ配慮をこの回ではしないのか。より深刻な問題なのに。


 この回は駄作と言わざるを得ない。



8.四月の月曜日


 ホスト:トーマス・トランブル

 ゲスト:チャールズ・ソスキンド(政府機関の人間)


 この回には会の面々の謎解きはない。ゲストが話をして、その直後にヘンリーの解答編が始まる。

 作品全体としてはそんなにデキのいい回とは思えないが、ヘンリーの解答は盲点である。うんちく話としては価値のある回といえる。



9.獣でなく人でなく


 ホスト:ジェイムズ・ドレイク

 ゲスト:ジョナサン・タンドル(光ファイバーの仕事)


 エセ科学を吹聴する新興宗教が言うところの「人食い人種よりも性質の悪い」宇宙人が棲む星とはどこかを当てる回。


 アシモフは「荒唐無稽ないかがわしい宗教団体」は嫌いで、このシリーズでも度々手厳しくやっつけている。だったら美術館について荒唐無稽ないかがわしいデタラメを吹聴する「フェニキアの金杯」もダメだと気付くべきだと思うのだがね。


 それはそれとして、この回は文学+天文学という、アシモフの得意分野の回となっており、うんちく話としてもなかなか情報量が豊富で面白い。



10.赤毛


 ホスト:マリオ・ゴンザロ

 ゲスト:ジョン・アンダスン


 アンダスンがどんな仕事をしているかは、結局語られていない様子。読み落としていなければ、だが。


 この回は、アシモフが見た夢をそのまんま書いた作品らしい。夢でこれだけいいネタが思い浮かべば苦労はない。



11.帰ってみれば


 ホスト:ジェフリー・アヴァロン

 ゲスト:クリストファー・レヴァン(銀行員)


 ゲストの家は4件並んでいるそっくりの家のうちの1軒。ある日、酔っ払って帰ったゲストは、違うお宅に帰宅してしまい、そしてたまたまそこでは札束の詰まったスーツケースを広げているという、犯罪臭漂う現場だった。

 さて、この犯罪に関わっていると思われるご近所さんは、3軒のうちどれでしょう、という話。


 こういう設定はアガサ・クリスティの『ひらいたトランプ』を思い出す。そして『ひらいたトランプ』は、犯人は4人の内誰かなのは確定していながら、誰なのかを巧みに揺さぶっている。


 ああした作品と比べてしまうと、この回はどうしても格落ちを感じてしまう。



12.飛入り


 ホスト:ロジャー・ホルステッド

 ゲスト:ハスケル・プリチャード(地方公務員)

 乱入者:フランク・ラッソ(ビール工場の職長)


 会に乱入者が現れる回。黒後家蜘蛛の会の噂を聞きつけ、相談を持ち込もうとしたこの男の話を聞くかどうかの決を採った際、反対したのはルービン、トランブル、アヴァロンだった。ルービンとトランブルは当然だが、アヴァロンが反対票を投じた理由はよくわからない。もっとも、決選票をヘンリーに託すための演出だから、大した理由はないのかもしれないが。


 知的障害を持った妹を騙くらかした奴が誰なのかを見つけて仕返しをするという、このシリーズでは珍しく生々しい話を扱った回である。


 この乱入者の妹について、会のメンバーが冷淡なのが印象的。なんだかんだ言って彼らは恵まれた階級の人間であり、下々のことなど知ったこっちゃないという雰囲気がありありとしている。

 一方でヘンリーは、平静を装っているものの、「ぶん殴るより、そいつの奥さんにありのままを言えばいい」と仕返しの方法をアドバイスしている。第一巻第一話「会心の笑い」の、正直だけが取り柄だが、裏切り者への仕返しは手加減無しのヘンリー・ジャクスンの一面が久々に見え隠れする回である。



●第五巻


1.同音異義


 ホスト:トーマス・トランブル

 ゲスト:ニコラス・ブラント


 発音が同じだけど、意味が違う言葉についての話。前座の雑談でその手の言葉遊びが延々展開し、嫌気が差したトランブルが連中を黙らせるために、「発音が同じで、綴りも意味も違う言葉4つ。最初のひとつはright」という出題をしている。作中ではright, write, riteと3つは出ているが、最後のひとつは書かれずじまい。何かは私はわからない。


 この言葉遊びの話自体は面白いが、謎解きの着地としては煮え切らない回。ヘンリーの答えが本当に正解かどうかも不明瞭だし、正解だからといって役にも立たないという不完全燃焼な終わり方をしている。



2.目の付けどころ


 ホスト:イマニュエル・ルービン

 ゲスト:ホレイス・ルービン(大学院生)


 ゲストはルービンの甥。

 アシモフが学生時代、ムカつく教授に対してマウントを取って仕返しした実話をそのまんまネタにしたという回。

 現実では、アシモフがその教授に仕返しを受けたかはわからないが、作中ではルービンの甥は仕返しされ、化学にまつわるいじわるクイズを出される。その答えを探す話。


 化学元素の話なのに実にくだらないという、私の好きなタイプの話である。知識の無駄遣い。



3.幸運のお守り


 ホスト:ジェイムズ・ドレイク

 ゲスト:アルバート・シルヴァスタイン(ノベルティストアのオーナー)


 アシモフはあとがきで、ここで書かれているノベルティ業界の話は下調べしたわけではなく全部思い付きだと告白している。

 ただし、ここで書かれているのはあくまで、ゲストがやっている店では三つ葉のクローバーに葉をひとつ足して四つ葉にして売っている、と書いているだけであるから問題ない。ノベルティ業界ではそういうインチキをするのは常識だとか、そういうことを書いていなければいいのである。


 謎解きはノベルティ業界の話とは関係がなく、ゲストがホテルに泊まったとき、客の少年がお守りをなくしたことで大騒ぎになった時のことが問題になっている。


 スパイ話の要素が絡んでいるようないないような形になっているが、いろいろ書いているわりには全体的に中途半端な回。



4.三重の悪魔


 ホスト:マリオ・ゴンザロ

 ゲスト:ベンンジャミン・マンフレッド(元書店チェーンのオーナー)


 文学ネタ回。マンフレッドは若い頃、世話になった富豪の遺産として、本を一冊もらえることになった。マンフレッドは生前、富豪の蔵書には一点、値打ちものがあることを富豪本人から聞かされていた。そのヒントが「トリプル・デビル」だった。さて、それは何の本でしょう、という話。


 これは英語についてある程度詳しくないと解けない謎ではある。しかし、そもそも私は謎解きに興味がない。文学ネタというだけで面白い。


 ここでは『トリストラム・シャンディ』の書名が登場する。一行だけの登場だが、さすがにアシモフはこの作品を知っていたようである。どのくらい真面目に読んだかまでは不明だが。

 この辺が、英米の作家と日本の作家の差だと思う。英米の作家は娯楽小説家でも、こういう作品を知っている。ラヴクラフトもフローベールなんか読んでいる。

 一方、日本では、小説の間に純文学と娯楽小説という壁を作って、長年お互いを無視、もしくは敵視している。これではまともな作品が生まれるわけがない。


 この作品でもうひとつ秀逸なところは『白鯨』を「退屈」で一蹴しているところ。日本の文学界でなかなかこうは言えないのではないか。


 私は学生の頃、課題で仕方なく『白鯨』を読んだときは、鯨のうんちくの部分が苦痛だった。しかし今では、うんちくのところしか読んでいない。なんかよくわからんイカれた船長と愉快な仲間達の話なんかどうでもいい。

 しかし、アシモフが『白鯨』を読んでいるのであれば、「何国代表?」の鯨ネタは、『白鯨』の、鯨のうんちくが羅列されるところから発想されたのかな、と思える。



5.水上の夕映え


 ホスト:ジェフリー・アヴァロン

 ゲスト:チェスター・ダンヒル(歴史関係の文筆家)


 歴史関係の雑談で字数の多くを割いているが、謎解きは、封筒を捨ててしまったせいで住所のわからない手紙がテーマ。


 ここで登場する『世界歴史大全』は、アシモフが欲しかったシリーズだったとある。そういうわけで、この本に関するゲストの話は熱い。



6.待てど暮らせど


 ホスト:ロジャー・ホルステッド

 ゲスト:W・ブラッドフォード・ヒューム(投資顧問)


 アシモフが現実に遭遇した、カメラマン失踪事件をそのまんま書いた話。番地まで事実そのままなのだとか。そして、事実そのままなのに、「こんなことはありえない」という抗議が殺到した回らしい。


 小説はウソ話だからこそ整合性が取れていることが多い。理路整然と組まれて理屈通りに展開する。

 しかし、現実では、しばしば人間の直感に反することが起きる。不合理、不条理に感じる出来事が起きるものなのである。


 これは、乱数表を作るときの問題と似ている。人が人為的に乱数表を作ると、同じ数字が連続で続かないようにしたがる。あまりに同じ数が続くと、ランダムに見えない気がするからである。結果、人為的な乱数表は数字が均質に並ぶ。たとえば1~6までの数字で乱数表を作ると312645、などとしたがるのである。

 しかし、本当にランダムに作られた乱数表では数字に偏りが生じる。たとえばサイコロを振って出目を記録すると、11644、みたいになったりする。そしてそれを見た人間は、こちらの方を不自然と感じるのである。



7.ひったくり


 ホスト:トーマス・トランブル

 ゲスト:ウィリアム・テラー(コラムニスト)


 アガサ・クリスティの初期作品、「料理人の失踪」(『教会で死んだ男』所収)を彷彿とさせる作品。

 そもそもクリスティの初期作品と似ているという時点でアレだが、デキも本家の方が優れているとなれば、少々いただけない気分になる。駆け出しのクリスティに老練のアシモフが負けてどうすんのさ。


 あとがきによると、これも実話を基にして書いたそうだから、「料理人の失踪」と似ているということに気付かなかったのかもしれない。あるいは、読んでいない可能性もある。クリスティの作品群では特に重要とは言えない作品ではあるので。

 ただ、デヴィッド・スーシェの演じる有名なテレビドラマシリーズの第1回目が、なぜかこの作品だったりするので、知っている人は多いかもしれない。



8.静かな場所


 ホスト:イマニュエル・ルービン

 ゲスト:シオドア・ジャーヴィック(編集者)


 この作品が好きだという人はそういないと思うが、私はその数少ない一人。というのは、ここに登場する「静かな場所」がいいのである。ホテルの近くの森の中の、誰も来ない静かな場所で、ただ座って時間を過ごすという描写がたまらない。

 そして、あの場所へもう一度行ってみたいと願うゲストと、そのゲストの様を「ザ・ロスト・コード」という曲の歌詞として表現する展開もいい。私はこの曲を知らないのだが。


 謎解き自体は少々無理があるというか、本当にそれが正解なの? という疑念は拭えないが、そんなことはどうでもいい。



9.四葉のクローバー


 ホスト:ジェイムズ・ドレイク

 ゲスト:アレグザンダー・マウントジョイ(大学の学長)


 四葉のクローバーの描かれた手紙を鍵にして、歴史学、昆虫学、天文学、数学者の4人のうちから裏切り者を探し出すという話。

 残念ながら、歴史、昆虫、天文、数学という各分野において四つ葉のクローバーがどういう意味を持ちうるかという議論が深くなされておらず、さっさとヘンリーが答えを出してしまうので、物足りないし、納得も行かない。アシモフの溢れ出るうんちくが活かされていない、不完全燃焼な回である。



10.封筒


 ホスト:マリオ・ゴンザロ

 ゲスト:フランシス・マクシャノン


 あとがきで、「水上の夕映え」と同じネタだと気付いた、と告白している回。「水上の夕映え」は、間違って封筒を捨ててしまったために手紙のみで住所を当てなければならなくなる話であり、こちらは手紙を捨てて封筒を大事にしまう変な奴の話である。順番が逆なら問題なかったが、「水上の夕映え」を読んでから「封筒」を読むと、ネタが割れる。



11.アリバイ


 ホスト:ジェフ・アヴァロン

 ゲスト:レナード・ケーニヒ(対諜報機関の職員)


 ゲストが一回だけ手柄を立てたとされる、スパイのウソを見抜いた話。みんな大好きスパイ回。ウソ話はどこかでボロが出るものだ、という話である。



12.秘伝


 ホスト:ロジャー・ホルステッド

 ゲスト:マイロン・ダイナスト(鉛管工)


 ディクスン・カーに対抗して密室ものに挑戦した回。ただし、密室で行われたのは殺人ではなく、料理のレシピの窃盗である。


 しかし、その「密室」となっている家には、レシピを書いた後に破り捨てたという本人と、近所から預かった子供5人がいたという設定になっている。仮にその家が本当に密室だと言えるのであれば、消去法で犯人は子供以外にありえない。

 会のメンバーは子供に何の疑いの目も向けていないが、なぜだろう。明らかに転がっている可能性のひとつなのだから、検証くらいしてもよさそうなものである。もっとも、そうしてしまうとヘンリーの出番がなくなる。


 この回のゲストは初の知識階級でない人間である。乱入者としては一度いたが、正式に呼ばれた者としては初めて。しかし、なかなかやってくれる。例によって「あなたは何をもって自身の存在を正当とするか」という問いに、「腕のいい鉛管工というだけで引っ張りだこだ。いくら一流の核物理学者でも、真夜中にぜひすぐ来て欲しいなんてことがあるか」と切り返している。


 しかし、この窃盗事件は、下手な窃盗よりも質が悪いと思う。しかも、その片棒として子供を使うところも悪質。

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