トースターと食パン

 ピザとの果てしない戦いの最中、私はオーブントースターの買い換えを検討した。10年以上使っているトースターだし、そろそろ買い換えても良いのではないかと。それでデルソーレがおいしく焼けるようになれば、NE-R3000でいちいち予熱して焼く必要がなくなる。


 戦後、ネットでトースターを調べてみたが、実物を見ないとよくわからないことが多かった。それで、電気屋やホームセンターを訪れ、実際に展示品を見てみることにした。

 そうして、ネットで調べたり、実物を見たりするうち、トースター選びは意外と厄介であることがわかってきた。



 トースターで重要なのは、庫内の広さ、ヒーターの種類と本数、掃除がしやすいかどうか、設定機能と方式。意外とチェック項目が多い。


 庫内の広さは、何をさせたいかで決まる。食パンを1枚焼くだけなら小さくていいし、ピザを焼くなら広い方がいい。ケーキやグラタンなどを焼くなら、高さも考える必要がある。一見高さが充分なように見えて、網の位置が高く設定されているモデルもあるので、実物を見た方がいい。


 ヒーターはトースターの仕事に関わる部分。価格に最も大きく反映される部分でもある。石英ヒーターが複数本使われていたり、カーボンヒーターなどを使用している場合、一気に値段が上がる。

 最もベーシックな機種は石英ヒーターが上下1本ずつ。たいがいの場合はこの仕様で問題ないが、トースターに特殊な仕事をやらせたいならそれにふさわしいヒーターを搭載している機種を選ぶ必要がある。ただ、何のヒーターを搭載しているかを記載していないトースターも多く、調べるのは厄介である。


 掃除のしやすさもかなり重要。特にパン以外のものを焼く場合、油やソースが庫内に跳ねたりしてすぐ汚れ、放っておくと取れなくなるので、掃除がしやすいことは絶対条件のひとつとなる。これも実物を見て確認した方がいい。

 パンくずトレイのないトースターはもはやそうそうないと思うが、網が取れるかどうかや、天井へのアクセスは必ずチェック。展示品の扉を開け、中に手を突っ込むのだ。


 設定機能は、高級モデルが優れているとは一概には言えない。マイコンで自動で火加減を調整してくれるのは一見便利だが、ダイヤル式ならパンを入れてダイヤルをひねるだけのことを、マイコン式だといちいち何を何枚どう焼くのか設定しなければならない。ダイヤル式のシンプルなやつの方が、結局は使いやすいし丈夫ということもあり得る。

 また、温度設定できるモデルは片面のヒーターだけを付ける機能がないものが多かった。上だけ付けて焦げ目を付けるとか、逆に下だけ付けるとか、そういうことが手動でできない。


 主要なネットショップでは最近のモデルばかりが売られているが、実店舗で売れ残っている型落ち品は、現行品と機能に大きな差がないのに格段に安い場合がある。そのためトースターに関しては、ネットで買うのが安いとは言い切れない。実店舗で売れ残りを見つけた方が安く買えるケースが多々ある。実店舗で2900円で買える機種がネットでは5000円台中盤というケースもあった。



 トースターなんて単純なものだから適当に買えるだろうと思っていたが、真面目に選ぶと深淵に落ちる。どいつもこいつもパンがおいしく焼けると宣っているが、本当においしく焼けるかは使ってみないとわからない。


 ひとつ言えるのは、トースターは全体的に値上がり傾向にあるらしい。エントリーモデルでも少し前に比べると高くなっている。2000円台で買えていたクラスが3~4000円台になっており、だったらもう少し出していいヒーターを使っているのを買った方が良くない? と思えてくる。しかし、そうしたモデルはマイコン式のものが増える。ダイヤル式にこだわる場合はそこがネックとなる。



 数々の電気屋、ホームセンターを訪れ、展示品の扉を開けて手を突っ込み、網を外そうとし、説明書を読み、ネットで評判や価格を調べた末に、私は真理を得た。実際使わなきゃさっぱりわからん、ということである。



 と、ここでふと思った。NE-R3000で食パンを焼くのはどうなのかと。

 パナソニックのオーブントースターのハイエンドモデルにNT-D700がある。遠赤外線と近赤外線を使い分けて食パンを焼くらしいが、これはNE-R3000の機能と同じである。つまり、NE-R3000で食パンを焼けば、「食パンがおいしく焼ける」と宣伝しているオーブントースターの実力を再現できるのではないだろうか。



 というわけで、朝食にパンをNE-R3000で焼いてみた。焼いたのはフジパンの彩香、6枚切り。コスモスにて激安で売っている食パンである。安すぎて不安になるが、何の不満もない。


 説明書によると、食パンを焼くときは上面グリルで3分30秒焼いてから、ひっくり返して1分30秒焼くのだとか。トースターは上下にヒーターがあるが、オーブンレンジは上部にしかない。そのため、両面に焦げ目を付けるためにひっくり返す必要があるようである。両面グリルなら同時に両面に焦げ目が付くはずだが、パンを焼くには火力が高すぎるのだろう。

 説明通りに焼いた。


 結果は想像を超えていた。割ると中から蒸気が出てくるくらいふっくらしているのに、外はちゃんとカリサクなのである。

 マジかこれ。こんなに違うの? というか、今まで私は何をやってたんだ? せっかく食パンをカリふわに焼ける便利なブツが目の前にあるのに、わざわざカリふわに焼けないトースターで何年もパンを焼いていたのである。しかもピザとは違って調理時間に差はない。ひっくり返す一手間があるだけ。


 嗚呼、俺は一体何枚の食パンをよりおいしく食べる機会を逸してきたのだろう! 愚かすぎる!

 もっと早く気付くべきだった。家にこんないいモノがあるのに、店頭でアラジンとかを指をくわえて眺めていたなんて、間抜けにもほどがある!

 何万円もするトースターなんか買わなくても、すでに何年も前から、食パンをカリふわに焼いて食す機会が手の届くところに転がりまくっていたのである。必要なのはそれを使おうと思いつくおつむだけだった。



 こうなると、当然考えるだろう。綾香でこれなら、乃が美とかの高級食パンだとどうなっちゃうの? と。


 試してみるかって? そりゃ試すだろ! 少なくともうまいのは確定なんだから! 問題は当たりが等倍か倍付けか三倍付けかというだけ。こんなボロいギャンブルを逃す手はない!



 少し前まで、乃が美の食パンは都会まで繰り出さないと買えなかったが、最近、そこそこ近いところに「はなれ」ができた。これはつまり、買えという天命である。


 私は早速、雪の降りしきる中を車で走り、乃が美の食パン、1斤(ハーフ)を購入した。

「行ってみたけど売り切れでした。予約しろよバーカ。完」というオチもあり得たが、実はそこまで心配してなかった。売り渋ってプレミア感を出す戦略は今時流行らないからである。高級食パン専門店は増えており、「予約しないと買えません」とお高く留まっていたら他の店に客を取られるだけである。乃が美クラスのメジャーな店なら、飛び込みで行ってもまず買えるだろうと踏んでいた。特に平日の昼前ならまず間違いない。


 2斤でなく1斤で買ったのは、そんなに食えないというのもあったが、2斤よりも相対的に耳が多いからである。「5枚切りもありますよ」と言われたが、もちろん却下。せっかくの両耳がなくなってしまう。むしろその5枚切りを作ったときに落とした耳が欲しい。

 私は食パンの耳が好きで、放っておくとどんどん食ってしまう。これはどこのパン屋の食パンでも関係ない。ときおり、パンは耳だけでいいんじゃないかと考えることもある。



 帰った私は早速、パン用まな板とパン切り包丁を取り出した。

 フランベルジュのように禍々しい曲がりくねった刀身を持つこの包丁を使うのは実に数年ぶりである。かつてはこれで幾多の食パンを血祭りに上げたものだが、最近は最初から切れている食パンばかり買うようになり、そもそも食パンを食べる機会が激減した。


 それでは早速、乃が美の食パンを切ってオーブンレンジに投入! ……といきたいところだが、まずは耳の部分だけそぎ落として食う。


 ああうまい。


 ……ああうまい。


 あと、乃が美のパンは生でもおいしいので、まずは一切れ、生で食う。これは乃が美のパンをいただくための儀式なのでスルー不可である。

 もっとも、私はもともと食パンを焼かないのも好きだったりする。ジャムを塗るときは焼かないで、バターを塗るときは焼くことが多い。



 儀式が済んだところで、ついに、乃が美を一切れ、オーブンに投入。上面グリルで3分30秒、ひっくり返して1分半。


 できあがりは、想像していたより淡い焼き加減になった。何が原因かは不明。置く場所の微妙な違い? パンに含まれる水分量の違い? ただ、焼き上がりに関しては問題なかった。カリふわである。


 しかし、少々意外な結果となった。

 石英トースターに比べて、NE-R3000の方が中のしっとりふわふわ感が高く仕上がることは間違いない。ただ、そんなに大きな差がないのである。石英トースターでもちゃんとカリふわになる。


 あと、そもそも、乃が美のパンを焼く必要があるのか? という疑問がある。生の方がうまくないか?

 いや、確かに、焼いたら焼いたで違ったおいしさがある。特に耳は焼くとサクサクになってうまい。ただ、白いところは焼かなくていいような気がする。

 白い部分を焼いたときのサクサク感は、普通の食パンでも味わえる。この食感が味わいたいなら乃が美でなくてもいい。一方、乃が美を生で食ったときの味わいは、普通の食パンでは味わえない。



 生のまま食うべきか、焼くのがいいのか。耳だけ焼いて白い部分は生で食うべきなのか? 乃が美のパンを高級トースターで焼くことに意義があるのか? 石英で充分ではないか?

 私は人類史上最も困難な哲学的難題に頭を悩ませた。


 そのときふと、私は何気なく顔を上げた。そして、目の前で恐るべき怪現象が起きていることに気付いた。それは哲学的難題など一瞬でどうでもよくなるくらいの衝撃だった。


 ――乃が美のパンがなくなっているのである。さっきまでちゃんとそこにあったのに!


 店がくれた注意書きには書かれていなかったが、どうやら乃が美の食パンは放置すると蒸発するらしい。必要な分だけ切り出したら、すぐ袋に入れて厳重に封印し、誰の目も手も届かないところに保管しなければならない。そうしなければあっという間に消えてしまう。あまりにやわらか過ぎるから、空気中に長時間晒してはいけないのである。特に、まな板の上にパン切り包丁と共に放置してはいけない!



 ……さて。私は少々見当違いな方向に考えを進めてしまったようである。今回問題になっているのはトースターの性能比較であり、焼かない方がうまいパンを焼いて比較しようとする発想は誤っていた。

 そこで今度は、焼くことで真価を発揮するように作られた食パンで比較してみることにした。


 選んだターゲットは、コメダ珈琲の食パン。

 あれはまさしく焼かれるため生まれてきた、焼き食パンのサラブレッドである。


 コメダといえばシロノワールやでっかいエビカツサンドが有名だが、モーニングのトーストも忘れてはいけない。厚く切られたコメダの食パンはまさしくサクふわであり、コメダの屋台骨を支える重要な柱である。みんなタダで食えるからと侮ってはいないかい? 実はコーヒーより重要かもしれない一品なのである! ……言い過ぎた? コーヒー屋に失礼?



 早速私はコメダに行き、ブレンドコーヒーとミニもっと大人ノワールを頼んだ。そして、他の客の話に耳を傾けた。


 私は喫茶店で何か話している客がいたら、とりあえず聞いてみることにしている。別に盗み聞きではない。店内中に聞こえる大きさで喋っているのだから。

 一方で私も、誰かと来ているときは戦車だの炭疽菌爆弾だのテロだのといった不穏当なワードをちりばめた話をよくしている。


 私の後ろの席では、自分では役に立っているつもりだけど、実は見当外れな指示や方針ばかり出す上司について話していた。


 なかなか興味深い話だが、そのとき、やや遠くに離れたところに座っている客が、自分の息子? 娘? の話をし始めた。断片的にしか聞こえなかったのだが、ところどころ「息子」の話だったり「娘」の話だったりしていたようなので、もしかすると複数いる子供の話が混ざっていたのかもしれない。

 小説家だか漫画家だか志望で、賢く、海外に出掛けるほどアクティブだが、賢いがためにアホな人との付き合いが苦手で、職場にあまりにアホな人が多すぎるせいでうまくやっていけず、鬱病になったものの、精神科医の先生も信用できずに薬を飲まないとかなんとか。


 小説家志望という人種にはよくあるタイプの性格であり、実際にこういう人と付き合うと面倒臭いだろうが、他人事として聞く分には面白い。ただ、聞こえにくいので、もうちょっと大きな声で喋ってくれんかね。


 ああ、で、そうそう。もちろん目的も忘れていない。私は帰る少し前に山食パン3枚切りを注文した。


 本当は帰ってすぐ焼きたがったが、乃が美とミニシロノワールでもはや限界に近かった。

 よく考えたらミニシロノワールのソフトクリームの下に敷いているのって、パンじゃないか。今日だけで一体どれだけパンを食ってるんだ。朝もパン、昼もパン、おやつもパンかよ!


 なので、夕飯を抜いて夜に焼くことにした。



 そして深夜。私はこそこそと台所に行き、コメダの山食パンを焼く準備をした。


 まずは石英トースターを使って焼いてみる。

 仕上がりは思った以上に上々だった。パンを割ると蒸気が出るし、中はふっくら、外はカリカリ。コメダの店で出るものと大差ない。


 これはもしや、また差が少ない結果になるのか? と思いつつも、次にNE-R3000を使って焼く。

 NE-R3000で焼いた方は、パンがミディアムレアに仕上がるようだった。外側はちゃんとカリカリしているが、中は生に近い。そのおかげで、パンに練り込まれているバターの風味がより強く感じられる。

 これはうまい。コメダで食べるよりうまい。

 ただ、好みの問題という気もする。私はもともと生食パンが好きなのでうまいと感じるが、焼かないと無理、という人は、もうちょい焼く方が好みかもしれない。ミディアムレアがお好みか、それともミディアムウェルか、といった違い。



 今回わかったことについてまとめてみよう。


 その1。食パンは薄いほど、トースターの性能によって仕上がりに差が出る。6枚切りだとその差は歴然だが、3枚切りだと大きな差は生じない。

 普段4~6枚切りで食パンを焼いて食べており、ミディアムレア的な焼き加減が好みなら、高級トースターを買う価値はあると思う。ウェルダンが好きならトースターにこだわる必要は全くない。

 トースターにお金をかけずにカリふわ体験がしたいなら、切れてない食パンを買って厚切りにするといい。

 もしくは、電子レンジでパンを軽く暖めてからトースターで焼く手もある。高級トースターがやっていることを手動で実現できるが、これは時間調整が難しい。最適な焼き時間を見つけるまでに多くの犠牲者を出すだろう。


 その2。高級トースターによって作り出される風味は繊細なものなので、ジャムやバターを塗るとあまり意味がなくなる。食パンには必ず何か塗って食べる、という人は、さしてトースターにこだわらなくてもいい。最初は感動するだろうが、そのうちどうでも良くなるはずである。それよりはおいしいジャム、おいしいバターを買った方がいいと思う。


 その3。乃が美などの生食パンは、トースターの性能による差は小さい。そもそも焼かない方がいいんじゃないの? とも思える。私は、耳だけお好みで焼いて(私は焼かない。というか焼く前になくなる)、中身は生か、軽く表面が乾く程度に焼いて食べるのを勧める。これなら安物トースターでも何ら問題ない。


 その4。乃が美のパンは蒸発する。食べない分はすぐに袋にしまって厳重に密閉し、誰の目にも届かず、容易に手の届かないところに保管すること。

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