漫画

柳沢きみお『大市民』

 私はセラミックファンヒーターを愛用している。エアコンは暖まるのに時間がかかるし、部屋全体を暖めるから効率が悪いし、空気が乾燥するから好きでない。ガスファンヒーターはすぐ暖まって暖房器具としては最高だが、部屋の湿度が上がりすぎてべちょべちょになる。

 セラミックファンヒーターは、ガスほど熱量はないものの、すぐ暖まるし、湿度を上げも下げもしない。必要な時に必要な範囲だけ暖め、不要になったらすぐ消せるフットワークの軽さもいい。個室で部屋全体を暖める必要などない。自分の周りだけ暖かければいい。

 従来のセラミックファンヒーターは風量が物足りないという欠点があったが、数年前にアイリスオーヤマが風量の強いタイプを発売してくれたおかげでだいぶガスファンヒーターに迫る暖房器具になってくれた。


 しかし、今年の冬は寒すぎて、セラミックファンヒーターでは若干、熱量不足気味。なかなかファンヒーターの側から離れられない。

 ファンヒーターにしがみついているとパソコンは使えない。テレビはパソコンモニターで観ているからテレビも観られない。それで、漫画を読む機会が増えた。

 というわけで、久々に柳沢きみお『大市民』を読んだ。



 この漫画との出会いは少し変わっている。

 小学か中学か忘れたが、ともかく学校に通っていた頃、私は下校中に道端に雑誌が捨てられてるのを見つけ、拾って読んでみた。

 その中で二作、続きが気になった漫画があった。ひとつは競馬で不正をやろうとしている内容の漫画で、もうひとつは麺類をすすっているだけの漫画だった。

 しかし私は、その雑誌の名前も、作品のタイトルも、作者名も覚えていなかった。こうして私があの漫画の続きを知ることは永遠にない……はずだった。


 何年か経って、大学生になった私は、古本屋で何気なく『賭博黙示録カイジ』を手に取り、一巻だけ買ってみて、そのうち全巻揃えた。

 それからしばらく経って、ふと思ったのである。あのとき拾って読んだ漫画、『カイジ』の画と似てなかったか? と。

 ネットで調べてみると、あのとき拾った漫画の正体が判明した。雑誌は『アクションピザッツ』で、漫画はそれぞれ福本伸行『銀と金』と柳沢きみお『大市民』だった。


 今では『アクションピザッツ』はどこに出しても恥ずかしくないエロ漫画雑誌だが、当時はエロネタがOKというだけで大してエロくなかった。性欲まみれの若者ではなく、下ネタを面白がる中年男性向けの雑誌、といった感じ。脂ぎったどうでもいい内容の漫画ばかりの中で、なぜか『銀と金』が連載されていたわけである。


 タイトルがわかったことは大きな前進だが、本当に大変なのはそこからだった。単行本がなかなか売っていない。徒歩と電車で知る限りの本屋と古本屋を片っ端から当たり、時には自転車で片道二時間かけて古本屋に遠征してようやく1冊確保したりして、相当な苦労の末に全巻揃えた。

 ただ、『大市民』の番外編だけはどうしても見つからなかった。これは後にebookjapanで電子書籍として入手した。無料クーポンを使ったのでタダだった。



『銀と金』の続きが気になったのはわかると思う。あの時読んだのは連載が終わりそうな頃、森田が引退した後の競馬編だったが、充分面白い。

『大市民』については説明が必要だろう。


 私が読んだのは、佐竹が旅館から失踪して、山形のアパートに帰ってきた回だった。これもそろそろ連載が終了しそうな頃である。パスタを食って酒を飲んで、ラーメンを食っているだけの回だが、主人公の山形は、ラーメン屋で携帯で通話する人があまりに多いのにうんざりして、海沿いのボロ小屋を探そうと決意する……というところで終わっていた。

 私は、おっさんのボロ小屋ライフが読みたかったのである。


 実際には、このボロ小屋にはレクリエーションでちょっと訪れるだけで、そこで生活するという展開にはならなかった。キャンプみたいなもの。なので私の期待は裏切られることになる。



『大市民』は、小説家の山形鐘一郎45歳(連載開始当時)が、自身のこだわりについてうんちくを語ったり、飯を作ったり食ったり、酒を飲んだり、世の中について文句を垂れる漫画。


 結構いい加減なつくりの漫画で、たとえば山形は、当初は「とんでもない大食らい」として設定されており、さんざん飲んだ後にラーメン大盛り3杯に焼きそば大盛りを食ったりしているのに、後にはカレーの大盛りが食い切れない男として描かれている。それも「歳をとって食べられなくなった」のではなく、最初から大食らいじゃなかったかのように描かれる。


 また、山形は、田舎の旅館の娘が都会暮らしをする際に保護観察役を買って出るのだが、この娘は当初は純真でしっかりした女の子として描かれているのに、突如としてテニスサークルに入るようなナンパな男と付き合う女に変わり、しばらく出てこなくて忘れられた頃に、突然失恋して新興宗教に入信してしまうという目茶苦茶な展開になる。

 これは、この娘がもとからそういう女として設定されていたのではなく、作者がその時々で「テニスサークルに入るような男」を批判したいから適当に彼氏として登場させ、「新興宗教に入信する若者」を批判したいから適当に失恋させて入信させただけ(連載当時はオウム真理教事件の前後だった)なのは、読めば誰でもわかると思う。酷い話である。


 主要な登場人物の設定からしてコレなので、作品の質も回によってまちまち。細かいところまでしっかり描写している回もあれば、すんごい手抜きの回もある。

 山形は鮨にこだわりがあり、「鮨屋では板さんとの間合いが大事。回転寿司にいくら通っても鮨の神髄には辿り着けない」などと、例によってうんちくを垂れているのだが、とある回では、どの順番で何を食ったかと、その鮨の絵が適当に描かれているだけだったことがあった。板さんの姿も、鮨屋の情景も、鮨を食う山形の姿もなし。白背景に鮨の絵だけ。面白くも何ともない。



 あと、世の中について延々文句を垂れている回もつまらない。深い見識や意外な切り口から論じているならまだしも、誰でも言える浅い思いつきを述べているだけで、しかも本人はそれを「鋭い見解」だと思っているのだから読むに堪えない。

 女性とのデート中に世の中について延々愚痴を言う回があったが、それがいかにダサいかを山形どころか作者さえ認識していなさそうなのが痛々しかった。キャバクラでホステス相手に一席ぶつ客そのまんま。


 山形は自分を個性的な人間だと思い込んでいるようだが、クラシックカーやギターが趣味で、ボクシングを愛好し、ビールにこだわりがあり、説教ぐせがあり、自己愛が強くて頑固で無責任なのは、わりと典型的な団塊の世代の特徴だったりする。

 そのことを笑いにしているか、あるいは無責任説教オヤジの典型から外れた何かがあれば、まだ救いがあるのだが。



 一方で、描くべきものがちゃんと描かれている回は面白い。山奥の旅館に行くのにタクシーを使わず、「歩いて辿り着いた方がその後の温泉と酒がより極楽だから」と、何時間もかけて歩いて行ってみたら旅館が火事で燃え尽きていた、というエピソードでは、珍しく数回に渡って、山奥で日が暮れて悲惨な目に遭う様が描かれている。こういう回はやはり面白い。


 松茸の土瓶蒸しをよりおいしくいただくために、あえて粗食をするという回では、わざわざマズい飯を食ってマズイマズイと連呼する様を描いている。こういう馬鹿な試みをしている回は面白い。ただ、そうやって粗食を乗り越えた後、松茸の土瓶蒸しにありつくシーンがあっさり流されていたのは物足りなかったが。そこ、一番大事じゃんかさ。



 この漫画を読んでの一番の収穫は、冷し中華がなぜマズいかを知ったことだった。山形が言うには「具が多すぎる」ということだった。その通りだと思った。それまで私は冷し中華が好きでなかった。その理由が全然わからなかったのだが、この漫画を読んでわかった。

 冷し中華のメインは麺である。具はあくまで麺を引き立たせる脇役でなければならない。なのに、冷し中華はしばしば麺が見えなくなるくらい具をてんこ盛りにする。これだと何を食ってるんだかわからなくなる。

 私の家で母親が作る冷やし中華も、ワカメやレタス、トマト、缶詰のみかん、キュウリ、ハム、錦糸たまご、紅ショウガなどがふんだんに盛られていた。栄養バランスを考えたのかもしれないが、結果としてワカメやレタスで水っぽくなり、みかんで変に甘くなり、トマトで酸味がきつくなりすぎ、味のバランスがぐちゃぐちゃになっていた。


 というわけで、冷し中華は自分で作ることにした。麺は麺だけで提供し、具は別添えにして、それぞれ好きにトッピングできるようにする。こうすることで各自好みの味にできるという寸法。みんなが幸せになれる。

 私はだいたい、具は錦糸たまご(味付けなし)とツナ缶だけにする。あとはゴマ。野菜は別の料理で食えばいい。サラダにするとか。



 唯一実物を入手できなかった『大市民』の番外編は、山形が主人公ではなく、クラシックカー専門の販売・修理業者が主人公で、クラシックカーにまつわる人間ドラマを描いた短編が収録されている。

 この番外編のデキは総じていい。世の中に愚痴を垂れるシーンはないし、設定や描写が突然いい加減になったりもしない。きわめてまとも。


 どうやらこの作者は、真面目に描けばちゃんとしたものが描けるようである。『大市民』は明らかに手抜きしている。酔っ払いながら描いてるのかもしれない。そう考えると、設定や内容が行き当たりばったりだったり、言っていることがころころ変わったり、延々と同じ愚痴を言い続ける回がしばしばあるのも納得である。

 つまり、読む側もそんなに真面目に読まない方がいい、ということである。酔っ払いのおっさんがくだを巻いているのにいちいち構うべきじゃないのと同じことである。



『大市民』は今でも掲載誌を点々としながら続いているそうだが、私が読んだことがあるのはオリジナルと『THE 大市民』だけ。『大市民』と『THE 大市民』の間には『大市民II』があるらしいが、これは未読。『THE 大市民』以降は、愚痴の割合が増えているらしいと聞いて読んでいない。


『THE 大市民』は、『大市民』よりも読み物としては安定していると私は思う。アパートの住人との絡みが多いため、山形が一人でくだを巻くクソパターンを回避している。

 これは掲載誌が影響していると私は思う。『THE 大市民』は『ヤングマガジンアッパーズ』で連載されていた。『大市民』の歴代掲載誌の中ではもっともメジャーで、たぶん編集者が優秀だったのだろう。ちゃんと面白くなるように監視していたから安定していたのだと思う。

 その後はマイナー誌で掲載されており、雑誌の弱さに対して作者が大御所すぎるため、編集部は口を出しにくかったのではないか。しかし、柳沢きみおは放っておくと手抜きするタイプだったため、ジジイが文句を言うだけのクソ展開になったのだ……と私は思う。

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