サイモン・シン エツァート・エルンスト『代替医療解剖』

 サイモン・シンシリーズ最終回。『代替医療解剖』。

 Amazonで調べてみると、サイモン・シンはこの他にアインシュタインに関する本も出しているようである。『宇宙創成』と内容がかなり被りそう。


 当初、私はこの本に関する雑記は書かないつもりだった。怪しい医療行為の臨床試験結果を調べて、そのほとんどはプラセボ効果以上の効果がないという、わりと当たり前な結果を報告しているだけの内容だからである。

 しかし、読んでしまったので、ついでだから言及しておこうと思う。



 本書の主要な目的は、代替医療の効果と安全性について紹介するものだが、その前提として、医療行為の歴史についても描かれている。

 かつての医療は個々の医者の経験則に基づいて行われるいい加減なもので、医者にかかるとかえって寿命が縮まることも多かった。医者にかかる余裕のある富裕層より、金のない貧乏人のほうが健康でいられたりしたわけである。


 その例として本書が大きく取り上げているのが冩血。古代ギリシャから18世紀ごろまで行われていた伝統と歴史ある医療行為で、患者の血を抜くことで血の巡りが良くなったりなんだりすると信じられていた。

 1799年、風邪の症状で倒れた元初代アメリカ大統領のジョージ・ワシントンは冩血を受けたが一向に回復の兆しが見られなかった。かかりつけの医師は冩血を繰り返し行い、結局、一日で2500mlほど血を抜いた。こうしてジョージ・ワシントンは亡くなった。そりゃそうである。


 18世紀に入ると、ある医療行為が本当に効果があるのかを試験する、臨床試験が試みられるようになってきた。これにより、徐々に医療は医者のヤマカン頼みではなく、客観的分析によって実際に有効性が確認された医療行為を行えるようになってきたわけである。



 本書ではナイチンゲールの仕事についても紹介されているが、これは興味深い。私は子供向けの偉人伝みたいなやつでナイチンゲールについて知っていただけだったが、それには単に献身的に患者を看病した人として描かれているだけだった。


 ナイチンゲールは1854年のクリミア戦争に従軍看護婦として参加したが、野戦病院で患者が死亡する主な原因が、不衛生な環境にあると推測した。医師達が「そんなもんで治るわけないだろ」と冷ややかな目で見るなか、ナイチンゲール達は野戦病院の衛生環境の改善に勤めた。そして、死亡率を42%から2%まで減少させたのである。


 ナイチンゲールは単に献身的な看護婦だっただけではなく、統計学の知識を持っていた。彼女は病院の環境の改善が死亡率を減少させることを議会に納得させるため、統計データを用い、素人にもわかりやすいグラフを作成し、病院の環境改善が死亡率の減少に繋がることを認めさせた。

 子供向け偉人伝ではここに触れていなかったが、このことは単に献身的に看護に当たったということ以上に重要だろう。ナイチンゲールは衛生環境が患者に与える影響を突き止め、その根拠をデータとして示し、認めさせたのである。



 本書では主に、鍼、カイロプラクティック、ホメオパシー、ハーブ療法についての効果と安全性について論じている。

 おおざっばに結果から言うと、これらにはプラセボ効果以上の効果はほぼ認められず、効果に対してリスクの方が高いと結論付けられている。まあ、予想通りだろう。

 ただ、本書はこうした医療行為をよかれと思って施術している、あるいは受けている人々を説得する狙いもあるので、できるだけそうした信者の心情を害さないように配慮している。それが一般読者には回りくどく感じる。


 そもそも、いくら配慮したって、その行為が効くと信じている人の信仰を翻すのは不可能だと私は思う。代替医療を信仰している人は科学を嫌悪しているのだから、科学的な検証結果を提示したって無駄である。



 以下は、気になった点について個々に取り上げる。



 第II章「鍼の真実」では、鍼の盛衰の歴史について書かれている。それによると、イギリスでも中国でも、鍼は一時衰退し、忘れられた医術になりかかっていたが、中華人民共和国の成立にともなって復活したらしい。

 その狙いは、ひとつは、人民に愛国心を植え付けるために古来の文化を復活させること。もうひとつは、医療を充実させるというマニフェストを実現させるため。しかし、毛沢東自身は鍼の効果を信じておらず、施術を拒否していたという。


 本書によると、かつてWHOは、鍼には有効性があることが証明されたという公式見解を発表したことがあるらしい。

 WHOがしばしばおかしいことを言い出すことがあるのは、2009年に弱毒性のインフルエンザを「人類の危機」のように警告したり、2014年のエボラ流行時の対応が遅かったりしたことでも知られているし、昨今のCOVID-19関連の対応が疑問視されていることでもわかる。



 第III章「ホメオパシーの真実」。

 私は本書で初めてホメオパシーというものを知った。ホメオパシーのもともとの発想はワクチンと似ている。ある病気を治療するために、病気の原因となる物質を希釈して与えると効果があるのではないか、というもの。わかりやすい例では迎え酒みたいなものである。二日酔いを直すには酒を飲んだらいいというアレ。 


 ただ、ホメオパシーでは、その「希釈」の度合いがとんでもない。ホメオパシーでは、希釈すればするほど効果が高まると信じられており、何百万回も希釈を繰り返した結果、有効とされる成分が分子1つたりとも含まれていないものを使用する。

 たとえば、ある症状に酢が効くとして、それを何百万回も水で希釈して、もはや酢の成分がひとつも含まれていない水にしてから飲用するのである。意味がわからない。


 しかし皮肉なことに、ホメオパシーは、意味がないからこそ医療効果を発揮した時代もあった。

 先にも書いたように、かつて医療行為は受けるとかえって死ぬものが多かった。医者にかかると大量出血を強いられ、水銀やヒ素を飲まされたのである。

 それに比べたら、成分を希釈しまくったただの水を飲むほうがよっぽど安全だった時代もあったのだ。


 こうしてホメオパシーは効くと信じられ、イギリスやアメリカでは今でも結構幅を効かせているようである。


 本書の著者の一人であるエツァート・エルンストは、かつてホメオパシーを信仰して長いこと施術も行っていたらしい。遅まきながらホメオパシーに何ら効果がないことを悟り、それが本書を執筆するきっかけのひとつになっているのではないかと思う。つまり、科学的な検証データを突きつければ、自分のように目が醒める人もいるのではないか、という。



 第IV章「カイロプラクティックの真実」。

 日本では整骨や整体はよく見かけるが、カイロはあまり見かけない。整骨に関しては本書の巻末で扱われていて、腰痛に対して通常医療と同等に効果があるとされている。ただし、通常医療自体が腰痛に対して有効な治療方法を確立できておらず、それはつまり、同等に効果がないという意味の裏返しでもある。


 カイロは背骨を矯正することであらゆる病気が治るという信仰のもとで施術されているが、実際にどこをどうすれば何が治るかにという見解は施術者によってまちまち。また、過激な施術によってかえって身体にダメージを与える例も多いようである。



 第V章「ハーブ療法の真実」

 これも日本では馴染みがない。日本だと漢方が近いのか。

 本書によると、エキナセアが風邪に効き、ニンニクが高コレステロール症に効くなど、いくつかポジティブな結果もあるが、アロエやラベンダーの効果が認められないなど、ちょっとショッキングな結果もある。

 私は子供の頃、火傷した箇所にアロエの汁を塗られたことがあったが、あれは意味がないどころか、症状を悪化される可能性もあったわけである。水で冷やすほうがよほど効果的。


 アロエについてネットで調べたが、wikipediaにはさも効果があるように書かれている一方、医学会のサイトなどには、シュウ酸カルシウムが傷口に刺さったり、アロインがかぶれを起こすなどと具体的な問題点が書かれている。


 あとは、薬の飲み合わせによっては危険を招く可能性について言及されている。飲んでいる薬はあるかと聞かれたら、一見害のなさそうなサプリメント等についても報告しておいた方がいいということ。



 第VI章「真実は重要か?」

 ここでは当時のイギリスの代替医療に関する事情が垣間見える。チャールズ皇太子は代替医療に楽観的な考えを抱いており、それが怪しい医療行為をはびこらせる一因になっていたようである。


 その他、怪しい医療行為がはびこる原因、責任の所在についての分析がある。


 特に興味深いのは医者についての項目。医者はしばしば代替医療に肯定的な態度を示す。その理由は、代替医療の効果や危険性について知らない場合もあるし、風邪や腰痛など、効果的な治療のない症状でやってくる患者に、とりあえず満足してもらうために勧めることもある。患者は何もしてくれない医者に物足りなさを感じる。なので、代替医療を勧めて責任を果たしたっぽいことにするわけである。


 また、患者を失望させる医者が代替医療に向かわせるという分析もある。医者に思いやりがなく、自分のために時間を割いてくれないと感じる患者はままある。一方、代替医療は患者の診察に長い時間をかけてくれるし、親身になってくれる。



 本書では、代替治療の効果について調査し、そのほんどに効果がないと結論付けているが、ここでは、代替治療は患者と良好な関係を築き、高いプラセボ効果を生む環境を作り出していることに言及している。これは重要な指摘だろう。

 代替医療は、それそのものは怪しいし、たいがい効果がないし、時に危険ですらある。しかし、精神面での癒やしという点では通常の医療より役立っているところもある。そして、特に具体的な治療が必要ない患者の場合、それで充分なのである。


 本書では医者に対して患者にもっと時間をかけるように提言しているが、それは現実的には難しい。医者には治療する必要のない患者の世間話に付き合う暇はない。だいたいそんなことをされたら、具体的な診察や治療を受けたい他の患者にとっては迷惑である。


 つまり、治療する必要はないが、時間をかける必要はある面倒くさい患者は常に一定数いて、それを引き受けるところがどこかに必要になる。代替医療はその受け皿になっているわけである。これは難しい問題といえる。



 私の母親は気を送って身体を治すとかいう、わけのわからん治療に長いこと通っていた。止めても聞かないし、どうしようもなかった。治療費は安かったし、やることと言えば手をかざすとかして気を送るだけで危険ではなかったから、そこは問題なかったが。

 わざわざ月2回、電車に乗って遠くまで治療に行っていたが、あれが気晴らしや運動になっていただろうから、そういう意味では役に立っていたのかもしれない。

 アホな話だと思うが、ああいうエセ治療が必要な人間がいるのも事実で、どうしようもないと思う。


 問題は、エセ治療を過信すると医者の言うことを聞かなくなり、それで症状が悪化したりすること。しかし、それも本人の選択だからしょうがない。

 そういうのに、自分で意志選択のできない子供が巻き込まれるのはかわいそうだが、まあ、親を恨むしかないだろう。

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