第16話
コリンナ・シュタルクとリヒャルト・グレーデンの婚約はすぐに社交界をざわつかせた。
あの麗しき社交界の花がどうしてあんな変わり者と? と言う者もいれば、まぁ確かに身分も釣り合いがとれているし賢いし彼女の言う条件は満たしているなと納得する者もなかにはいたそうだ。
婚約してからというもの、コリンナはしょっちゅう侯爵家を訪ねている。
「あら、今日はちゃんと髭を剃っているのね」
応接間で紅茶を飲んでいるコリンナのもとに、リヒャルトがやってくる。髪は簡単に櫛を通しただけのようだが、服は着替えているし髭も剃ってある。最初に会った時と比べればマシになった。
「……次に剃るのを忘れたら婚約解消してやるって言ったのは君だろう?」
ええそうね、とコリンナはしれっと答えた。まぁ別に、本気で婚約解消しようとは思っていないけれどそれを教えると効果がなくなるので言わない。
「髭を剃るのを忘れなければ、そのついでに顔を洗うし髪も梳くでしょう?」
見た目も大事だが、何より清潔さは重要だ。身体を清潔にしておくことは病を遠ざけることにもなる。婚約者として、未来の妻としてそのあたりはきちんとさせたい。
「……君ってもしかして僕の顔がけっこう好きだったりする?」
リヒャルトがコリンナの隣に座りながら問いかける。婚約してからというもの、この男は物理的に距離が近い。常にどこかは触れていなければダメなのかと聞きたくなるくらいにべったりなのに、その顔にも声にも甘さは滲んでいないのだからおかしい。
「あら、ついこの間お目にかかったばかりの顔だけど、どうしてそう思うの?」
だからコリンナはこうしてツンとわざと冷たい受け答えをする。
「なんとなく? 勘かな」
「ふぅん。悪くない勘なんじゃない? ……そうね、綺麗な顔は見慣れているし飽きてるけどあなたの顔は嫌いじゃないわ」
むしろまだあまり慣れていないので、見つめられすぎるとドキドキしてしまう。顔に出さないように気をつけているけれど、リヒャルトが楽しげに笑ってコリンナの頬に触れてくるので赤くなってしまっているのだろう。
「へぇ? 初耳だな」
「初めて言ったもの。……あなたは? 私の顔は好きじゃないの?」
これでも綺麗だと評判の顔だ。リヒャルトもよく綺麗だとは言うが、この顔が好きだと言われたことはない。
なんせ着飾ったコリンナに褒め言葉ひとつくれない男なので。
「好きか嫌いかで言えば好きだよ。世界で一番綺麗な顔だと思ってる」
「ひねくれた言い方しないでよ」
素直に好きだと言えばいいのに、とコリンナは唇を尖らせる。
しかしお互い、顔がどうのなんてどうでもいいのかもしれない。結局のところ見た目で選んだわけじゃない。
コリンナが紅茶を飲んでいる間、リヒャルトはコリンナの髪を弄んでいる。乱れるからやめてほしいと言ったところで集中してしまうとこちらの声なんて聞こえなくなってしまうから、近頃は諦めて髪を下ろしている。
「……君の名前の薔薇を作るのもいいかもな」
ぽつり、とリヒャルトが呟く。また研究のことを考えていたんだろう。
新しい薔薇に恋人の名前を、というのはなかなかロマンチックだが、コリンナの胸はあまりときめかなかった。
「それなら私じゃなくてエミーリアの名前をつけてちょうだい」
その方が断然うれしい。その薔薇だけを植えた薔薇園を作ってもいい。
可愛い妹の名前の薔薇が後世まで残るなんて――ちょっと想像してみただけでも最高じゃないだろうか!
コリンナはそんな未来を想像して目をキラキラとさせている。
「……君って本当に変わってるよね?」
「あなたに言われたくないわ」
きっぱりと言い放つコリンナにリヒャルトは苦笑した。変わり者である自覚はあるから言い返せない。
「……まぁいいか」
なかなか良い口説き文句だったけれど、コリンナはお気に召さなかったらしい。
リヒャルトはコリンナの白銀の髪をひと房持ち上げて、そのやわらかい髪にそっと口づける。
「コリンナ・シュタルクは僕だけの高嶺の花だからね。誰彼構わず積み取れる花なんかにするわけにいかないか」
同意を求めるようにこちらを見つめてくる青い瞳に、コリンナは微笑み返す。
ティーカップを置いて、その白い手でリヒャルトの唇に触れる。少し乾いていたのであとで手入れしてあげようかなんて思いながら問いかける。
「その麗しの高嶺の花を手に入れたご感想は?」
誰もが見惚れてしまいそうなうつくしい微笑みを浮かべ、傾国の美女のように赤い唇で、少女のように頬を赤らめながら問うコリンナに、リヒャルトは笑いかける。
「最高すぎて言葉にできないかな」
満点の回答だとコリンナが告げるよりも先に唇が触れ合った。
麗しの高嶺の花は変わり者の侯爵をどうにかしたい! 青柳朔 @hajime-ao
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
愛猫は病気だけど今日も元気/青柳朔
★18 エッセイ・ノンフィクション 連載中 20話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。