準備室のモアイ

涼雨 零音

第1話

「ね、ミッチ。モアイの話、知ってる?」


 いただきますをしたあと、カッチがひそひそ声でそんなことを言った。ぼくはちょうどカッチのえらんだおかずを見ながら、ぼくもぶた肉のたつたあげにすればよかったと思っていたところだった。


 給食のおかずは朝の会のときに三しゅるいの中からえらべる。ときどきどこかの国のめずらしいおかずが出たりするんだ。


 今日はハムシ・タヴァっていうトルコのおかずがあって、ぼくはそれをえらんじゃった。イワシをあげたやつなんだ。お肉のほうがよかったかな。


 朝の会のときにおかずをえらぶのは楽しいんだけど、給食の時間になると、ともだちのえらんだおかずのほうがよかったなって、思っちゃうんだ。


「なんの話だって?」


 ぼくはハムシ・タヴァを口に入れながら言った。食べてみたらカリカリして、おやつみたいでおいしい。ぼくは少しきぶんがよくなった。


「モアイだよ。モ、ア、イ」


 カッチはひそひそ声のまま、口だけ大げさに広げて言った。言い終えたらぼくのほうを見たまま、たつたあげを一つ、口の中へほうりこんだ。


「モアイってあのみなみの島にある石の顔みたいなやつでしょ」


「それそれ。そのモアイがさ。学校にいるってうわさがあるんだよ」


「いる?」


「人に化けたモアイが理科室の奥のかぎのかかった部屋にいてさ。まほうを使うって話」


「まほう?」


 カッチはほっぺたが膨らむほどほおばったたつたあげをもぐもぐやりながらうなずいた。


 ぼくは人になったモアイを思いうかべてみた。かみの毛のところがうまくそうぞうできなかった。


「お昼休みにさ、行ってみようぜ」


 カッチが言った。


 ぼくはおどろいちゃったんだな。カッチはモアイを見に行くつもりなんだ。ぼくはもういちど思い浮かべてみた。モアイって体はどんなだったろう。服は着てるのかな。かみの毛は、はえてるのかな。


「ミッチ、こわいの?」


 ぼくがだまっていると、カッチはちょっとふんぞりかえっていばるみたいに言った。


「こ、こわくないけどさ。かぎかかってるんでしょ。入れないよ」


「入れなくたっていいんだよ。ドアの前まで行ったらなにか聞こえるかもしれないだろ。かくれて見てたら来るかもしれないだろ」


「モアイが?」


「そうさ」


 ぼくは気がすすまなかった。こわくないって言っちゃったけどさ。ほんとは少しこわかったんだ。そのあとカッチもぼくも、ほとんどおしゃべりをしないで給食を食べた。ハムシ・タヴァはカリカリしておいしかったけど、ちょっぴり苦さがかくれていた。



 お昼休みになって、カッチとぼくは校しゃの三かいにある理科室へむかった。カッチが前を歩いて、ぼくはそのあとをついていった。理科室のあたりには四年生になったら使う家庭科室とか図工室がある。お昼休みだからだれもいなくてひっそりとしていた。なんだか少しだけ、あたりがひんやりしているような気がした。


 理科室のある角をまがると、ろうかのはじっこまでまっすぐに見わたせる。いちばんおくにあるドアがそのかぎのかかったドア。理科じゅんび室のドアだ。カッチが立ち止まった。ぼくは「あっ」と思った。


「カッチ。見て」


「うん」


 いつもかぎがかかっているはずのドアが、開いていた。カッチとぼくはしぜんにしのびあしになって、音をたてないようにそおっと歩く。でもどんなにしのびあしをしても、うわばきのうらがろうかの床にはりついて、びぎゃっ、びぎゃって音が出てしまうんだ。


 ドアのそばまで来ると、カッチとぼくはかべにせなかをくっつけた。そのままそろりそろりとよこ歩きでへやの入口へ近づく。カッチが首をのばしてへやの中をのぞきこんだ。


「ねえ。いる? モアイ」


 ぼくはひそひそ声で言った。


「いないみたい」


 カッチもひそひそ声で答えた。


「入ってみよう」


 カッチはぼくのほうを見て言った。


「よしなよ。いつもかぎかかってるってことは子どもが入っちゃいけないってことだよ」


「でも今は開いてるよ。入っていいってことじゃない?」


 ぼくはそういうことじゃないと思ったけれど、うまいせつめいが思いつかないんだな。ぼくがまよっているうちにカッチはへやに入っていってしまった。ぼくもしかたなくカッチについていった。


 そこはそうこみたいなへやで、たくさんのダンボールがつみかさねてあった。ダンボールの間を進んでいくと背の高いたながあって、そこにはたくさんのてんびんやふんどう、理科のしりょう集にのっているようなじっけんの道具がならんでいた。教科書や本なんかも、指も入らないぐらいみっちりとつまっている。


「そこでなにをしているんだい?」


 カッチとぼくがへやの中にあるいろいろなものを見回していると頭の上から声が落ちてきた。


「ひゃあっ」


 カッチとぼくはいっしょにさけんでとびあがった。それからそおっとふりかえった。


 モアイがいた。


 思ったよりもずっと大きなモアイが、カッチとぼくを見おろしていた。モアイはちゃんと服を着ていて、頭には赤いへんてこなぼうしをかぶっている。


「なにかようじかな?」


 モアイはぼくのお父さんよりもずっと低い声でそう言うと、少しかがんでカッチとぼくのほうへ顔を近づけた。おでこの影のなかにおくまっていた目がはっきり見えた。


 ぼくは声が出せなくて、ぶるぶるって首をふった。


「もももももあ、もあい」


 カッチが電池のきれかけたサルのシンバル人形みたいにガタガタ動きながら言った。


 モアイのおでこに、じょうぎでひいたみたいにしわができた。


「ふぁっふぁっふぁっふぁっ」


 モアイはでっかい口をあけて笑った。おなかの底の方がびりびりするような笑い声だ。


「まあ、すわりなさい」


 モアイはどこからともなくイスを出してカッチとぼくをすわらせると、ぼくらを見おろしながら赤いぼうしをとった。


 ぼうしをとったモアイには、そこだけ絵の具をぬったみたいにかみの毛があった。とても短いかみの毛だ。


「プカオ」


 モアイはとつぜんこわい顔でそう言って、すぐにまゆ毛を上げた。おでこのがけっぷちにかきねみたいにあるまゆ毛が上がると、かげにかくれているモアイの目がよく見えるようになった。


「モアイがかぶっているこんな形の赤いぼうしはプカオというんだよ」


 モアイはとったぼうしを見せながら言った。てんびんに乗せるふんどうみたいなかたちのぼうしだ。


「きみたちはモアイがどこにいるか知っているかい?」


 ぼくがカッチを見ると、カッチもぼくを見た。カッチはもうガタガタしていない。


「みなみの島?」


 ぼくが答えた。


「ラパ・ヌイ」


 モアイはじゅもんみたいな言葉を言った。


 ぼくはカッチを見た。


 カッチもぼくを見た。


「イースター島っていう名前で知られている三角形の島だよ。どれ、ひとつ地図でさがしてみよう」


 モアイはそう言うとかべぎわに立っている背の高いたなのところへいって、地図帳をもってきた。


「ほら、ごらん。南太平洋にある島だ。正しくはパスクア島といって、地図帳にはイースター島という名前は書かれていないね」


 ひろげた地図帳を指さしながらモアイが言った。


「この島はチリという国にふくまれている。チリではスペイン語が使われていて、パスクアというのはスペイン語の名前なんだ。イースターはその英語だよ」


 モアイはカッチとぼくを見比べながら言った。


「でもここに住んでいる人たちは島のことをラパ・ヌイと呼んでいる。ラパ・ヌイっていうのは大きな島というような意味だよ。モアイはこのラパ・ヌイにいるんだよ」


「おじさんはそこからきたの?」


 カッチが聞いた。


「おじさんじゃない。先生」


「え? おじさんって先生なの?」


 こんどはぼくが聞いた。


「おじさんじゃないの。先生なの。先生はこの学校のきょうとう先生なのだ」


 ぼくはおどろいちゃったんだな。人になったモアイはきょうとう先生だったんだ。きょうとう先生がモアイだったんだ。


「先生はその、ラパ・ヌイから来たの?」


 カッチがもういちど聞いた。


「んー。そうかもしれないねえ」


 モアイ先生は手で岩みたいなあごをさすりながら言った。


「ラパ・ヌイにはラノ・ララクっていうたくさんのモアイの生まれた場所があるんだ。もしかしたら先生はそこから来たのかも、しれないねえ」


 モアイ先生はゆっくりそう言うと、ふぁっふぁっふぁって、あのおなかの底の方がびりびりする声で笑った。


「ね。先生はまほうを使えるの?」


 カッチが聞いた。


 モアイ先生は笑うのをやめてカッチとぼくを見くらべた。


「教えてあげよう」


 モアイ先生はたなのひきだしからひもを取り出してきて、それでわっかを作ってカッチとぼくにくれた。


「よく、見ているんだよ」


 モアイ先生がゆびにかけたひもをこにょこにょといじると、はしごの形ができた。


「あやとり?」


「これはラパ・ヌイのカイカイだ。日本のあやとりとよくにているねえ」


 作ったはしごをくずしたモアイ先生は、カッチとぼくがまねして作れるようにゆっくりもういちどはしごを作った。


 カッチとぼくはいっしょうけんめいまねする。


 ぼくのりょう手のあいだにはしごができた。


 カッチのりょう手のあいだにもはしごができた。


「これがまほう?」


 ぼくが聞いた。


「こうして、のぞいてみてごらん」


 モアイ先生はカイカイのはしごを目の前に持ち上げて、はしごのむこうからぼくを見た。


 カッチとぼくもおなじようにする。はしごのすきまからモアイ先生が見えた。


 そのとき、ぼくたちのまわりにあった部屋がふわりとなくなって、モアイ先生のうしろに底が見えないほど深い空が広がった。


 はしごをのぞいたままカッチのほうを見ると、カッチもはしごのむこうからぼくを見ていた。


 ぼくたちはカイカイのはしごをわたってたちまちラパ・ヌイまで飛んで行ったんだ。


 とてつもなく広い空の下で、モアイ先生がカイカイのはしごのむこうからぼくたちを見て笑っている。おなかの底の方がびりびりした。


《了》

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