第2章

Prolog 切株と少女と導星

 僕が小学6年生のとき僕たち家族は母を亡くした。


 あれは、夏休み真っ只中のよく晴れた日だ。


 太陽が燦々さんさんと輝き足下のアスファルトがその熱を反射して陽炎かげろうか生まれる程の猛暑日だった。


 その日、僕と母さんは仲良く手を繋いでお出かけに行っていて明日に控えた自分の誕生日のためのプレゼントを買ってもらうことで頭がいっぱいだった。


 だから猛スピードでこっちに突っ込んできた車に気づくことが出来ずに気がつけばドンッと背中を強く押されて道に転がっていた。


 キキーッガッシャーン!!!


 と、けたたましい騒音が後ろから鳴り響き、地に伏せていた顔をあげてさっきまで立っていたところを見たら母さんは見るも無惨な形になっていた。


 僕は何も考えることができずに周りの大人が駆け寄ってくるまではさっきまで母さんだったもの言わぬ肉片を両手でペタペタと触っていた。


 大好きだった母さんは後に居眠り運転だったと判明した車の暴走に巻き込まれる形で呆気なくこの世を去った。


 何も言い残さずに僕を庇う形で。


 今でもあの生暖かい血の感触と香りは頭の隅から消えてくれない。


 おまけにその憎むべき母の仇も一緒に逝った。


 何を恨めばいいのかもわからなくなった。


 事故の前日は家族みんなで海水浴に行き、とても楽しかったことも相まってこの人生の落差に絶望した。


 人生で初めての深い深い絶望だ。


 その日から、僕は海やプールの様なところで水に浸かることはおろか半ズボンを穿くだけで母さんの死を思い出して足が震えて酷い時は吐き気をもよおすこともある。


 風呂も湯船には浸からずシャワーを浴びるのが精一杯だ。


 それすらも偶に体が拒否してお湯で濡らしたタオルで体を拭いて終わりの日もある。


 何ともまぁ情けない話だと思う。


 自分がいかにマザコンだったかがよく分った。


 父の仕事はカメラマンであり兼業で画家をやっていたので世界各地を飛び回り家には月に1回帰ってきたらいい方だったので僕も妹も圧倒的お母さんっ子だった。


 ちなみにこれは今でも克服できていないのであの日から1度もシャワーの時に全裸になる以外で膝下を晒したことは無い。体育の授業は年中長ズボンを履いて行ったし、プールの授業は教室で1人で自習していた。親父が学校の先生に先に言っておいてくれた事もあって周りの大人からは何も言われなかったし、友達もいなかったので僕に話しかけてくる同年代の子もいなかった。


 まぁそんな事はどうでもいい。


 あれから、僕は三日三晩泣きわめき1週間部屋に引きこもった。


 食事も喉を通らずに食べては吐いて食べては吐いてを繰り返し見る見る衰弱していった。


 親父は入っていた仕事を全部蹴って家に居てくれたし、妹と一緒に毎食ごとに食事を部屋に運ぶついでに様子を見に来て心配してくれた。


 何度も意気消沈している俺を励ましてくれたし、慰めてくれたが正直何を言われているのか全然頭に入って来なかった。


 まだ僕よりも幼くて辛かったであろう妹の事などその時は考える余裕も無く、本当は僕の方が妹を支えるべきだったにも関わらず自分の事で頭がいっぱいいっぱいだった。


 今にして思えば、多分あの日からなんだろうだろう。


 妹が僕よりもずっとずっと優秀になったのは。


 昔は近所ではお転婆娘で有名だった妹が人が変わったかのように、家事から食事から家の事をみんなやって僕の面倒を見てくれるようになった。


 そして、それはまるでみたいに僕を慈しむ様な表情をするようになった。


 本当に情けない限りだ。


 あれから自分の事などどうでもいいかのように近所に沢山いた友達と1度も遊びに行くことは無くなり、今も部活には入らずに強制的に入れられた委員会以外で家に帰って来るのが遅くなることは無い。


 その事を思うといつも胸が苦しくなってドロドロとした罪悪感が湧き上がる。


 もういいよ。


 もう十分だよ。


 もう十分なんだよ。


 もう僕は十分良くしてもらったから自分の青春じんせいを大切にしていいんだよ。


 そうやって何度言っても聞く耳を持たずに


「いいよ、好きでやってる事だもん」


 とはぐらかされてしまう。


 正直なところ、もうやめて欲しかった。


 年が経つにつれて顔も体つきも母さんに似てきている。


 成長期もそろそろなりを潜め始めて体が大人になっていく。


 最近、母さんの面影がずっと妹と重なるのだ。


 少し気を抜けば「母さん」と呼んでしまいそうになる。


 そしたらね、


 そうしたら、もう二度と戻れない気がするんだ。


 僕が『兄』で君が『妹』の関係が崩れると思うんだ。


 だから僕は妹の『名前』を呼ばないし、妹の前では僕は自分の事を『兄ちゃん』と言う。


 まるで誰かに言い聞かせるように、


 この立場が変わらないように、


 せめて、この現状が終わらないように。




 でも最近ずっと、あの日の夢を見るんだ。


 母さんの屍が僕をあの日に連れていくんだよ。


 いつか、きっと人は死ぬ。


 大切な誰かを置いて勝手に居なくなるんだ。


 もしも明日、妹や親父がこの世から居なくなったらなんてこと僕は考えたくもない。


 でも、ずっと悪夢あの日を何度も何度も何度も『ヘビーローテーション』するんだよ。



 居なくならないで。


 置いていかないで。


 そう思い、毎朝泣きながら目を覚ます。


 


 でもね、ある日奇跡が起きたんだ。


 天啓がきたんだよ。


 あの透き通る寒空の下で真っ赤なストラトキャスターを掻きむしって叫ぶ彼女は、


『逃げるな』


『戦え』


『変わりたいなら覚悟を決めろ!』


 と叫んでいたんだ。


 そうだ。


 妹が変われないのは、僕が変わらないからだ。


 僕の時間はずっとあそこで止まっていたんだ。


 だからいつまでも妹は変わらずに僕を支え続けてくれたのか。


 変わらなくちゃ。


 もう心配要らないよってわかってもらう為に。


 もう僕は死にそうな切り株なんかじゃないんだって、


 新しい芽がちゃんと生えたんだって、


 伝えるんだ


 今、雨は上がったんだって。


 もう隣でずっと傘を差してくれる必要はないんだよって。


 昨日までの『僕』とはサヨナラだ。


 まるで戦女神のごとく僕に道を示した導星彼女の名前は秋津 木芽


 僕のひとつ上の先輩だった。


 僕はこの人と共に戦って、強くなるんだ。


 


『I don't need you(もう大丈夫だよ)』


 って言うために。




















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