第1話 燧石と爆薬
2月も後半に入り始めた頃、僕は1人で通っている学習塾の自動ドアを抜け帰路に着く。
「あ〜寒っむ、昨日まであんなに暖かかったのになぁ」
あまりにも今日は寒いというか昨日と今日の寒暖差が激しすぎるせいで昨日の夜に厚手のコートをタンスにしまったのが失敗だった。
そして、今朝少し寝坊してしまい直ぐに制服にきがえては準備したてあった鞄とカーディガンを手に取り家を飛び出したのが8時過ぎ。
その時には、あまりの寒さに身が震えたもののまた部屋に戻り、昨日まで着ていたコートを取り出す余裕はもうなく、そのままの格好で学校まで走っていき一日をすごした。
その後、学校から駅前の学習塾にてもう10日後に迫った高校受験のために授業を受け終えたのがついさっきである。
時刻はもう既に22時を回り、空を見上げると今夜の満月は春と言うに冷た過ぎる夜風が吹くせいか皮肉にも空は澄み渡り月明かり晧晧と煌めいていた。
ポケットに手を突っ込んで家に帰ろうと歩きはじめる。
この街の駅前は学習塾と寂れた本屋以外にはしみったれた飲み屋が数件あるくらいで物珍しものは無い。
途中でいつもなら直進する道を左に曲がる。
ふと、なにか暖かいものでも買おうかと思い少し迂回することにしたのだ。
家に帰っても待っているのは既に夕食を取り終えたであろう妹が1人いるだけだプラス10分程度大差はないだろう。
「少し待ってろ妹よ兄ちゃんは欲に負けたのだ。」
そう独り言り、コンビニの中に入る。サッとホットドリンクコーナーからアツアツの缶コーヒーを取り出してレジにて購入。
また暖かな店内から帰路に着くために勇気をだして自動ドア抜ける。1歩外に出るとまるで別世界のような寒さに床冷えする。
まだ購入した缶コーヒーを開ける気はしない。開けると中に冷たい空気が入って缶が冷たくなるからもう少し手を温めるためにコイツには尽力してもらわないといけないからな。
あれから5分位経っただろうか、公園の前を通り過ぎようとした時何やら音が聞こえる。
いや、声だ。
それも誰かの話し声ではなく多分歌声なのだろう。
もし、自分が10人いたら9人はスルーしてこのまま家に帰ったであろうが僕は何となく公園の中に入りこの歌声の主を探してしまった。
そして見つけた。
見つけてしまったのだ。
主は公園の端にあるベンチの前にマイクを立てて聞いたことの無いROCKを赤いエレキギターをかき鳴らしながら歌っている。
その様子は、とても猛々しくガムシャラにでも一生懸命さが嫌でも伝わってしまう程で身体を激しく揺らし声を上げる姿に、満月の後光が彼女を照らし乱れる漆黒に一筆の赤いメッシュの入った髪に、肌に流れる
だが、1番はそこではない。
そんなのは後付けだ。
ここに来てわかったことだ。
それよりも先に響いたものがあった。
心を震わせたものがあった。
姿がはっきりと見えない時からでも伝わるものがあった。
声だ。
この声だ。
この声に僕は惹かれたのだ。
この声に僕はここまで誘われ、この瞬間僕の心は鷲掴みにされた。
1歩公園に足を踏み入れたが最後。
あとはズルズルとここまで引かれてここに立たされた。
猛々しくも繊細でこの月夜に透き通り響き奏でれる。
しかし、コレは高尚なJAZZでもなければ
名も知らぬROCKなのだ。
これでも人並み程、いやそれ以上くらいには音楽には触れてきているがこんな曲は知らない。
こんなにも僕の心を震わせ、満たし、鷲掴みにして音楽で、ROCKで圧死しそうになったのは初めてだ。
彼女の手にあるエレキもマイクもアンプさえ今この場においてはただの『火打石』に過ぎず、そして彼女は『爆薬』だ。
彼女の出す声が、彼女の奏でる音が
これは僕からしたらTNTにも勝る代物だ。
今までの僕を、過去15年積み上げてきた価値観や世界観の全てが今なお続く彼女のROCKという名の『爆弾』にぶち壊されている。
心地よい。この感覚が心地よい。
何よりも、今、この場所で彼女のROCKを独り占めにしているこの現状が最高だ。
言わばこの場は彼女による僕一人のためのワンマンライブである。
嗚呼、最高だ。今日の凍て返る寒さすらもこのステージを盛り上げるためのセッティングとすら思えて来てさっきまで愚痴っていたのがなんだったのかと言うぐらいに今は感謝すらしている。
手の中にある缶コーヒーはとっくに冷たくなっているがそんなのは一切気にならないほどに僕の手は熱くなっている。
しかし、未だに上がり続ける僕のテンションとは裏腹に彼女の曲も終わりに近づいてきた。
あぁ、もう終わりか。
悲しくなる。いつまでも聞いていたい。永遠と言える時間の中でさえ彼女のROCKさえあれば僕は生きていけるだろう。
そして、どんなものにも終わりが来てしまう。
音が止み、辺り《ステージ》に一瞬の静寂が盈ちる。
そんな彼女に対して僕はできる限り最大限の拍手する。
万雷とまでは行かないにしても、この15年間でしたことの無いような、両手が吹き飛びそうなほどに精一杯に。
そんな僕に対して、一礼した彼女が再び顔を上げた時目が合った。
何を言おう
彼女に何を言えばこの思いが伝わるだろう
時間は無粋にも待ってくれない
何か言わねば
この感情にたる称賛を意味する言葉が僕の
だから
言ってしまった
ここから10年、いや、死ぬまで笑われて恥ずかしい思いをする言葉だとしても、今の僕には誰の声も例え神様のお告げですら頭に入ってこない僕には関係なかった。
「好きです!あなたの声を僕に下さい!」
「は?」
僕の全ての熱は彼女の素っ頓狂な声に掻き消され、この寒空の下に今度こそ音ひとつない静寂が盈ちた。
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