えんばん手帖
朱雀辰彦
えんばん手帖
ずいぶん暑い日が続いている。
遠くでは蝉の鳴き声がし、それがまるで地鳴りのように周囲を震わせているように感じる。
(そろそろかな)
私は家の二階に上がった。祖母が死んでからというもの、一度も二階の掃除をしていない。埃があちこちにあり、其の中でカメムシが、まるで冬虫夏草に寄生されたかのように、体中に埃をまとわりつかせて死んでいる。私は口にマスクをし、叩きと箒を手にとって掃除をはじめた。ぱたぱた。ぱたぱた。すっかり埃を落とすと、ゴミを捨て、ゆっくりと歩いてゆく。ぎぃ、ぎぃ、と不快な音が耳に入ってくる。目の前にあるのは、いくつかの箪笥。ずいぶん重そうな感じだ。
一年前だったか、古文書の虫干しをした。私の家は無駄に古いため、それこそ腐るほど古文書があるのだ。其の時は、確か数名の使用人に手伝ってもらったのだが、やっぱり一日かかってしまった。そろそろ其の季節である。虫干しをする前に、少しばかり古文書を自分なりに調べてみようと思ったのだ。
引き出しを開け、古文書をぺらぺらと捲る。戦前は何をやっていたのか知らないが、飛ぶ鳥を落とす勢いであった、という私の家は、今はもう其の勢いはなく、静かだが平穏な時の流れに身を任せている。父は田舎の神社の神主をしている。家系図もあるし、先祖伝来の龍笛とかいうのもあるのだが、特に気にしていない。むしろ、そういうのは市に寄贈でもしなければ、このまま朽ちていくだけである。旧家というのはそういうものなのだ。この古文書のように、外の空気を入れなければ、いずれ内側から腐っていく。
(おや…)
古文書を漁る私の手が止まった。真新しい…といっても、かなりぼろぼろだが…他の、江戸時代の文書に比べれば新しいノートが、私の目の前にあったからである。
えんばん手帖
ノートには、そう記されていた。日記のようだ。日記の最後の日付は、昭和2年とある。
恐らく祖父のノートではないか、と私は思った。祖父は若い頃から日記をつける性格で、何冊かを自費出版しているという。これもそのうちの一冊のようだ。もっとも、私が生まれる前に亡くなっているから、祖父の思い出などまったく無いのだが。
しかし、円盤とは驚きだ。ケネス・アーノルドがフライング・ソーサー、所謂空飛ぶ円盤を目撃したのは1947年とされる。しかし、それ以前に空飛ぶ円盤の目撃例があるのなら、ちょっと驚きである。
私は二階から降りて、井戸から水を汲むと、お茶菓子を用意して、わくわくしながらページを捲った。以下は、その「えんばん手帖」の内容である。
どうやらこの本は、祖父の日記を数十年してから出版したものらしかった。
20数年前に書いた、自分の書いた文章であるのに、実は、読んでみて吃驚した。良き時代に生まれ、良き時代に育った先人たちが、円盤に託して人生を語り、その道を論じていたのである。
思えば数十年前、不思議な話、奇妙な話を友人から聞きつけ、無心になってこのことをノートに書いていたのを思い出す。私の生涯の楽しみであった、と思わなければならぬのだろう。いまや、大きな戦争が終わり、米国で円盤譚は花盛りだが、かつて、日本にも、そのような時代があったのだと、私は胸を張って言いたい。
昭和30年 初秋
冬の円盤
<貴族院議員 K男爵の話>
浅草のある寺で、親鸞上人の何百年目かの法要があった。法要の後、すっかり夜になっていたので、一杯飲んで帰ろうと思い、数人で近くをぶらぶらと歩いていると、傍らにいた茶人の小川宗楽というのが、「あッ」と叫んで、夜の闇を指差した。目を凝らしてみると、まばゆい色の物体が、西の空へすぅーッと飛んでいくところであった。小川は彗星だと言うが、わしはずばり、宇宙人が乗っている円盤に相違ないと言ってやった。人工衛星ならゆっくりと飛ぶはずだし、何しろチカチカ光っているから誰にでも分かるが、あんなに早く飛んでいるのは見たことも無い。あれはきっと円盤だったのだろう。円盤だとしたら何ヶ月ぶりか。
しかし冬の円盤というのは、空気が引き締まっている中に、一筋の光が飛んでいくという感じで、実に宜しいものである。夏は空気がだれていけない。やはり秋と冬の円盤こそ、見て楽しい、風流さを感じるものである。
いつぞや、鎌倉の大仏の頭上を円盤が飛んでいったことがあったが、あれも、晩秋の肌寒さと、ちらほら舞う雪とが相まって、素晴らしかったように思う。
わしが円盤好きというのを知っていたのか、友人の家に遊びにいった折、そいつが幻灯機で円盤の映像を見せてくれた。ところが、その浜辺を飛ぶ円盤というのを撮ったのが、昨年の8月だという。わしは「夏の円盤なぞ碌なもんじゃない。円盤の季節は冬だ」と言ってやったが、友人は一歩も譲らず、「夏の円盤こそ清涼感があって良いものだ」と言った。
円盤は特撮に限る
某寺大僧正 M氏の話
この頃は、皆が空を見ては円盤だ円盤だと騒いでおる。まことに嘆かわしいことじゃ。円盤というものは、その九割が偽物だと決まっておる。わしなぞ、写真を見て偽者かどうか、すぐに見分けがつくようになった。ところで今の若い者はピアノ線の意味も分からぬ。けしからん話じゃ。妄想と現実の区別がつかず、わしが「これは偽物じゃ」というと、じゃあ円盤の存在を信じてないんですね、とくる。最近の若者は短絡的でいかん。円盤が本物ではないからといって何がいかんというのじゃ。偽物であっても本物であっても、円盤は円盤。好きなものは好き、この精神でなくては世の中渡っていけんじゃろう。
最近、特にけしからんのが…えーと、そうそう、CGとかいうもの…あれはいかんですな。円盤本来の雰囲気を壊してしまう。CGなんぞに頼っておるから頭が悪くなるのじゃ。
しかしまァなんといっても、特撮は結構ですな。ピアノ線でふらふらと飛ぶ円盤。我々僧侶の間じゃァ葉巻はいかんというので、葉巻型の円盤というものはご法度ということになっておる。前に、法要があった時、円盤の上映会が催され、其の中に葉巻型の円盤があったというので、わしの仲間が一人、大変な叱責を受けたことがあるくらいじゃ。
アダムスキー型、あれが宜しい。最近はドローンとかいうわけの分からんものもあるが、円盤といえばアダムスキー型じゃろうな。それ以外は愚の至りじゃ。
私はこの辺で本を閉じ、持ったまま階段を下りた。汗を拭きながら、冷蔵庫から氷と麦茶を出し、コップに注いで、ばあやが用意してくれた菓子を手に、続きを読んでみることにした。じっくり読んでみたかったからである。
撮影名人譚
俳優T氏の話
昔は、まあ、円盤を撮影する名人というものがそこかしこにいたもんで、我々の間じゃ、それを冷やかして楽しむのが流行ったことがある。もちろん円盤だけで飯を喰ってる奴らはほんの一握りで、他の人たちは、そうさね、蕎麦屋とか、てんぷら屋、うなぎ屋かなんかをやっていながら、客に円盤の写真を見せて楽しむ、というような、まあ、円盤きちがいですな。イヤほんとうに、今思えばおかしな時代だったと思うんだが、とにかく、日本中が円盤に狂ってた時代があったのさ。
私はというと、上野の「天芳」。まあ見た感じは天ぷらの店なんだがね、これが、天ぷらなんぞはそう美味くもないんだが、写真が素晴らしいってんで、評判の店だった。親父は鉢巻を巻いた職人気質の人でね、円盤の写真で喰えるんじゃないかと思うんだが、まあ、趣味でやってるから面白いってんだろうね。
ちょうど京都で何日か撮影があって、東京に戻ってきたとき、久々に親父の円盤が見たいと思ったもんだから、上野によってみた。親父さんに、「適当に見繕ってくれ」と言うと私の顔を見て喜んでね、しばらくすると何枚か円盤の写真を見せてくれた。私が「いやあこれはうまいね」と言うと、それまで上機嫌だったのが、急に口を曲げるんだ。
「イヤ、先生…最近は困ったもんです。最近はつまらねぇ写真を撮る奴らが増えまして」
「つまらねぇ写真ってのは、何です」
「もう人目で作りもんだと分かるような…。あっしはね、作り物と本物と、その間を飛ぶような、そんな円盤を撮りたいと思ってるんですが…なかなか、ねえ、うまくいきませんねえ」
「ははあ」
「円盤を見る奴らの目もダメになりましたよ。円盤とくりゃ、誰でも喜ぶようになっちまった。あたしゃ、『今更アダムスキーか、くだらねえ、ふざけるなッ』とか、『マイヤー?そんなものはインチキだッ。俺の前でマイヤーの話なんかするなッ』と、ビシッと言ってくれる人を待ってるんだが…」
いや、私はそこまで功徳を積んでいないから、何も言えなかったねえ。
あれから数年して、『天芳』は閉店した。親父が絶望して田舎に帰っちまったんだ。あっという間にこういう店も減っちまったねえ。そういうこだわりを持った職人もいなくなった。東京もつまらねえ街になったもんだよ。
もう何が何やら
T子爵夫人の話
うちの亭主のオカルト好きにはもう困っております。今日も、UFOだUFOだと騒ぐんで、くだらないッと言ってやったら、むすッとした顔で、女には分からん世界なのだ、とかなんとか。いえ…あたくしも、趣味は趣味だと思っているのですが、あなた、大変恥ずかしい話ですが、お金の問題なんでございますよ。
この前も、「友達と観劇に行く」と言って、一日中居なくなったことがありました。帰ってみたら、まあ、亭主の部屋に新しい本棚が出来て、人一人撲殺できそうな分厚さの、日焼けした本が並んでるじゃありませんか。あたくし、仰天しまして亭主をしかりつけたんですが、俺の病だ、堪忍してくれい、と土下座するばかりで。これじゃ、オカルトを取り上げたら首括っちゃうんじゃないかとゾッとしまして、もう、何も言わないことにしたのです。
そうそう、ついこの間は、友達と一緒に部屋でいろいろ話されていました。お相手は、確か酒井さんとか言ったかしら。確か、日本にもピラミッドがあって、竹内文書が…とかなんとか。歴史の勉強なのかしら?それがどうしてオカルトと関係があるのか分かりませんけれど…。
読んでいるうちに、私はようやく気づいた。
これは事実ではなく、祖父の願望なのだと。
戦後すぐ、アメリカで爆発的な円盤ブームが起きた。それを知った祖父は、アメリカに負けたくない、という対抗心と、神職であるという保守的な立場から、なぜか「古き良き円盤ありき日本」という、奇妙な世界を作り上げてしまったのではないか。それほど、祖父は円盤に狂っていたのだろう。
私は煙草を口にくわえ、火をつけた。
『円盤』というものが、もう、過去のものになりつつあるのではないか。
そろそろ「ベーゴマ」とか「メンコ」というレベルに、円盤はなっているのではないか、と思う。そこはかとなく郷愁を誘うというかなんというか。あの頃は「貧しいけど幸せ」で、「皆の目が輝いて」いて、土管があって、というような、「レトロ」なものになりつつあるのかもしれない。
えんばん手帖 朱雀辰彦 @suzaku-Ta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
旅行の記録/朱雀辰彦
★2 エッセイ・ノンフィクション 連載中 5話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます