ミロのヴィーナス

ミロのヴィーナスを見ろ。

まて、そういう目で見るな。いやミロをそういう目で見るな、ということではなくて、ギャグを言った私を、ぢとっと見るな、いや別に、目を輝かせてミロのヴィーナスを見ろというわけでもないよ。

ミロのヴィーナスをどういう目で見ても構わない。コミュ障だから私の目を見ないで。動物全般、目を見るということは攻撃の意思だ、威嚇だよ。


ミロのヴィーナスは、その形状を想起するときに、まず腕の断面からになると思う。

「腕があったら、どういう姿だったのか」

という文章で、不完全な美についての説明をされる。大抵そういう話に繋がる彫刻だ。この作者はそういう意図で見られたいとは思っていない。そういうたぐいの作品の中でも、軍を抜いて有名だと思う。


私はこの、不完全な美に傾倒していた。つまり、実践してみせたのである。


私が生まれた時、右足がなかった。脚じゃなくて、足。ここ間違える人が多いので……教養を身に着けてくれ。

普通じゃない育て方をされて、物心がついたときには義足をはめていた。シリコン製の肌を模した義足で、わざとらしい質感がついていたが、もっとちいさいときには、どうにも嫌で、泣いて取れ取れと言ったという。


さて、小学校のときには、既に周囲と自分の違いを認識して、それを受け入れていた。というか、むしろ人の足が気持ち悪かった。左足が、気持ち悪かった。

指というものは、うねうね動き、くっつくし、隙間にゴミが溜まったり、爪が割れたりする。それに対して、義足は水に通してさっと洗えばいいし、形状もきれいだったし、爪も無駄に伸びたりしない。

そして、その義足を作った人の、その仕事も好きだった。肌を再現しようと、色んな人の足の形を取り、けづり、シリコンと汗を流していた。その人曰く、形状はいいけど質感がどうしてもうまくいかん、と悩んでいたけれど、私はむしろ、この義足の質感が好きだった。というか、正直中の硬い所が好きだった。


小学校のときには、不思議といじめに合わなかった。

クラスの中にめちゃくちゃに動き回る子がいて、休み時間はおろか、授業中もフラフラ、放課後も入り口と逆にフラフラ、づっとフラフラしているもんで、当然、途中で誰かに足をかけられて転んでは、どっと笑われていた。私も笑った。

私はむしろ、足がないのに、その子より転ばないよね、と言われては、お得意の自虐ネタを披露して笑わせた。冒頭のギャグを見て分かる通りのセンスで、今思えば大して面白くないので、言わない。言わないって。


5年生ぐらいになって、美術の授業で教科書を漁っていると、ミロのヴィーナスを見た。不完全な美の話になって、私は、私もきれいでしょ?といった事を言って、周りを笑わせた。先生は困っていた。

その帰りに義足のシリコンを剥がした。作者が頑張ってくれているのはありがたいけど、中の金属質だけでも充分に立てたし、いつも隙間を洗うのが面倒だったから、剥がした。結局金属部分も汚れるので、洗う手間はそんなに変わらないけど。

でも、とにかく、そのほうがきれいだから、剥がした。


中学校初日、こんどはいじめられた。

多感な時期になるとむしろ頭がバカになるんだろう。小学校から続けて、盛大に義足を見せながら入学式に行って、周りからづっとソワソワ、足がない、コソコソ、義足だ、と声がして、教室で笑われた。

笑われるのには慣れていたし、むしろ笑わせる側としては万々歳である。漫才オーディションに出てって、何も言ってないのに、審査員が笑ってくれたら、それはもう優勝である。

足の病院だと呼んでいた病院は、総合病院になって、なんか、もらう薬も増えた。


それはそうと、絵を描き始めた。私の絵はこのサイトには上げられないので、各自想像してほしいけど、まあ所謂アニメ絵みたいなもんだ。最初はボールペンで紙に書いていたけど、板タブになって、ipadになって。見てくれる人も、母から、10人のフォロワーから、800人ぐらいになった。

なんでも、ボカロ曲に似合うとかで、時折、数ヶ月に一回、人のために絵を描いたけど、私の絵には足がないようになっていた。曲もそんなかんじで、何かが抜けたような、あっさりした命の詩だった。でも私は、そういう意図で足のない絵を描くのではなかった。

絵に足がないのは、最初に投稿したときからそうだった。足がないのが美しいのだから、美形化された絵ならなおさら、スカートから一本しか伸びていなくて、しかるべきなのだ。これがなんだか評価されて、足無ちゃんって名前がついて、なんとなく続いていたけど、いまは中学校の話だったので、こっちの話のほうを続けよう。


でも、中学校は特に無いよ。面白いことも言えなくなったので、とりあえず授業受けて、休み時間に絵を描いて、その絵を破かれて、あ、それをテープで治すと、更に美しくなったから、合作ってことにした。作:私・スン

実際になんて読むかは違う気がするけど、スンと呼ばれていた。「し」をshiじゃなくてsiと発音するのを除けば、「手術」もスラスラと言ってのけた。私によく言う言葉の一つだった。その人の「し」の発音だけが違うのを、私は絶対に伝えなかった。その日本語があまりにきれいだったから。他の泥みたいな暴言よりも、遥かに綺麗に流れていた。例えとは真逆に、ちょっと硬めで、強い声の色をしていた。


そのうち学校はあんまり通わなくなったけど、勉強はそのまま教科書を進めた。授業と違ってさっさと進められるので、空き時間は絵を描いたり、旅行に行ったりした。琵琶湖の大きさにびっくりしたけど、その後、茨城のほうに行って、霞ケ浦を回ったときに、こっちのほうが良いなと思った。普通にアクセスが良かったから。パッとしてないけど、湖としての大きさは日本二位らしい。もっと溜まってたら一位だったのに。


一番大きい旅行は、ヨーロッパ周りだったと思う。ルーブル美術館も、当然のように候補に入れていたけど、ドイツやオーストリアも行ったし、フランスで美術館以外に行ったか甚だ疑問だ、時間的に多分、無理して行ったんだと思う。母に申し訳ないことをした。

イギリスは行ってない。EUから欠けているので。と、そういう見方をすれば美しいけど、あれは欠けていると言うより、抜けてるので、ちょっと趣向と違う。


高校になると、普通はアルバイトをするもんなんだろうけど、絵で定期的にお金が入るので、それで服を買ったりした。手がない人向けの服というアイデアでデザインされた服が、タイムラインに流れてきて、その人の個人ブランドみたいなのの服を買った。

私は手はあるから、その手がない人向けの服は買ってない。でもミロのヴィーナスには着せられないと思う。あれ想像よりかなりデカいのだ、調べたら203cm。あれ、そんなにでかくないぞ?いや、実物を見たら、すごいデカいんだって、ホント。だから言ったのだ、見ろ。だれもネット越しにとは言っていない。

とにかく、個人ブランドの、5万円ぐらいの、手がない人向けの服ではないけど、なぜか片方袖がないデザインのを買った。片腕になにか、感情でもあるのかも知れないな、このデザイナーは。


大学は行かなかった。母も特に何も言ってこなかったし、私は自分で何でもするタイプだったから、母も信頼をおいてたんだと思う。絵で食ってくのは難しいと言うけれど、私は長時間立っているとどうにも疲れるし、人付き合いも下手なので、むしろ絵ほどかんたんに稼げるものはない。片足の女の子の絵を描く画家、としてインターネットで7000人ぐらいに名を馳せた。

Vtuberというのもやってみた。ボイチェンで頑張って女声を出している人がいて、その人の時折刺さる男声が好きで、一緒にコラボしたいと言ったら、できた。その人とマイクラでマルチ配信したら、知らない人にコメントで、さっさと絵を描け、と言われたので、続けざまにマイクラをやってやった。ちなみにこの知らない人は、その後の推理ゲーム配信でネタバレしたので、結局ブロックした。他の人たちは私達の百合を見れれば何でも良いっぽかった。

マイクラでも、不完全な家を立てた。一部だけガラスにして、現代建築みたいにした。三角屋根の部分もガラスなので、実際にあったら、ガラスの部分で寝たら、空が見えて相当きれいだと思う。でもガラスと木の隙間を掃除するのは面倒だろうな。こう、樹脂できれいに埋めたら行けるのかな、いや、普通に水垢でガラス自体が汚れるから、結局掃除は必要か。現実ではできない不完全性、いやこれはこじつけ。


まあいいや、Vtuberの話に戻すと、最近はその人もあまり活動しなくなってしまって、まあよくいるタイプのバ美肉の個人Vtuberだったから、その流れに淘汰されたのだろうけど、かなり初期の段階からやっていたし、声も他のボイチェン勢より、どこか女っぽさがあって、完成度高めだったので、もっと有名になってよかったのに、と思う。ちなみに、その人はバ美肉という言葉が好きじゃなさそうで、本人の前ではできるだけ避けてたけど、あくまでわかりやすくするために、この表現を使わせてもらう。ごめんな。

私が始めたのはもっとあと、海外Vtuberが有名になった頃。身バレ怖いので詳細は言わない。


大学に行っていないと言ったけど、それでも教養は大事だと思う。自分の足がないことを、先天性四肢障害という名前で、それが案外多く居て、特に笑いのネタになるもんじゃなくて、深刻な問題で、可愛そうで、直してあげなきゃいけない、病気であることを、そういうことを知るのに生まれてから15年かかった。こういうのを学校で教えないせいで、自分みたいにそれを美しいと勘違いしてしまうのだ。普通は両足が美しい、らしい。


話がそれた。教養は大事。足と脚の区別もそう。解剖学というか、国語の問題だ。スンさんを見習って欲しい。ところで、今思えば、あの人は多分わざと「si」と言っていた。ミロのヴィーナスと違って、意図的な不完全性だったのだ。理由は知らないけど、完璧に一度も「shi」と言っていないので、ほぼ無意識になった意識的な行為だったんだ。ちゃんと言えば個人的無意識である。


ようは個人的無意識とは、「自分の足は美しい」ということである。そして、集団的無意識とは「片足はかわいそう」である。フロイトの無意識とは違う。

哲学の話になったので、そろそろ本題に入ろうと思う。まあルターは宗教の方だけど。倫理は宗教と哲学を一緒くたに学ぶ。というか、人は昔、宗教と世界を同一視していた。

「死は人生の終末ではない、生涯の完成である」という名言がある。


これのせいで、どうにも踏み切れないのだ。そのせいで、こんな長文を垂れるはめになった、どうしてくれる。

私の人生は、何かが欠落していて、何かが未完で、何かが「足りない」のだった。これが「足」という漢字を覚えたとき、使ったギャグだ。ああ、言ってしまった。

だから、そういう目で見るな。さっきとちょっと違う目をするな。人と話をしないから、ぢとっと見られると困る。

とにかく。私はどうにも、そういう不完全さに美しいと感じ、不完全さに取り憑かれてきた。この文も推敲しない、不完全なままが一番、美しい。ちなみに「づ」はスンの喋り方の模倣だ。発声だときれいになるのだけれど、文章にすると意図的すぎてちょっとダサいことがわかった。


それで、どうにも踏み切れない、という状態で4日間ぐらいが経っている。なぜか、経っている。

つまり、人間は4日間は飲まず食わずで生きられるのだ。一応飲んだか、雨。教養があるので、科学にするには再現性が必要なのはわかる。そうなると、片足のない人間は、その片足の分だけ生きられるのかも知れない。にしても、4日間は長いのではないか。

この足場の石にも慣れてきた。ここは茨城県の、湖がみえる高いところで、私はスカートを履いて、例の片だけノースリーブを着て、短髪の姿でづっと立っている。右腕はいつものように、

ああ、いつも人が怖いのか自分を抱いていたのだけど、そうして左の腰を抱えるようにして、左腕は、横の木につけている。何の木かはわからない。何かしらの、たぶん落葉系の、普通の高さの木だ。ふと果実がついているのを見つけたので、食べてみる。うん、甘い。甘くない果実なんてそうそうないけど、結構甘い。ところで、ipadを使う前もiOSだった。理由はとくにないけど。一回果実を食べたらあのロゴみたいな形状になったので、思い出した。でもこれはりんごじゃない。なんだっけ、見覚えはあるんだけどな。


すると、蛇が出てきて、私に言った。

「それは不死の実だ。本来は食べてはならない、禁断の果実である。神は死んだのは知ってると思うから、お前がこの世界で永遠と生きる罰を、とりあえず私が課そう」

私は小説の地の文用に頭をかいて言った。

「それは困る、今から死ぬ予定なんだけど」

蛇は言った。頭をかく腕も、絡める足も、なんか文になりそうな可動部が一切無いせいで、地の文をどうすればいいかわからないけど、こう言った。

「ならその予定は未完になるな」

私は、ぢっと蛇を見た。思考が読めるのか、ならば未完に美しさを感じるのも、蛇にはわかっているのだ。そもそも幻覚なんだから、脳内が見えてむべなるかな。

「そんな目で見るな。まあそういうことだ、特にもう伝えることはない、最後に質問タイムを設ける」

「あの、キリスト教なのか、仏教なのか、どっちなんですか」

特に質問も持っていなかったが、いまいち言っている内容の宗派が、てんでばらばらなので、そこをついてみた。藪から棒に。蛇に。ところで、君は良い目をしているね。

「ん~、どっちもちがうな、この世界の真理はな、ID論だよ。神というのは、インテリジェンスなデザイナーのことだ。そいつが、デザイナーの仕事で、うつ病こじらせて、数年前に服毒自殺したから、もう神は死んだと言ったんだ。死んでも死ななくても、どちらにせよ君たちの計り知ることではないから、一番わかり易いであろう、「神」と言ったんだ」

一応私は前述の通り、倫理を勉強していたので、ちょっとムカッとして、

「神の存在証明ぐらいは知ってる。それに、ニイチェも知っている。現代日本人にしては、私にとって「神」はそこそこ重い言葉だから、ちゃんと説明してほしかったよ」

とめづらしく知識自慢を放ったが、

「まあ、まあ、人間の、宗教というものに関しては、ちゃんと表向き、配慮するようにしているから、落ち着いてくれよ」

と、無関心そうに言った。配慮する、と言った人は、だいたい過保護か何もしないかのどっちかだと思うけれども。

「もう質問はないね、それじゃ」

と蛇がするりと横を通っていくので、なにか惜しくなって、声を少し、配信のときみたいに、通るようにして、

「まって、最後に一個だけ」

と、呼び止めた。

「質問かい?あまり、人間に情報を教えるな、というサーバルールがあってだな、これまでの情報だけでもBAN一歩手前なんだ」

随分とゲーミングな世界なんだな、と思いながら、昔から気になっていることを訊いた。

「ミロのヴィーナス、腕どうだったの」


すると、蛇は、よくわからない数値を同時に羅列発声し(具体的には、小さい声でタイムラインの値と地球時間日本標準時の値を、高速でカウントアップしながら)、こういった。

「あー、ちょいまち、検索する。えーと、タイムライン811769.46777 Σ、地球時間日本標準時2021年07月05日6:38:21.210、天体4IR9454JR5N22O-P-3 座標X 3122.958136841, Y 148671941.98763479, Z 71.802495767か、日本国じゃない、美術館か?えー、地球座標48°……」


蛇は、ホログラムで写真を出した。

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