形而下学的田んぼバイオトープ
月下 猫一疋 - ねこいっぴき
教室はヒエラルキー、地球はフラクタル
私の学校には、地球がいる。
チキュウ(実際の地球、つまり13,000kmの方の地球と区別して、実際の地球はチキュウと言おう)の中に地球があるのだから、ちきゅうというのはフラクタルなのかもしれないけど、地球のインドあたりの表面をなぞっても、その場所はツルツルしているので、厳密にはチキュウじゃないのかもしれない。チキュウのテクスチャが貼ってある、球体なのかも。
夏のある日、地理の授業で南極について勉強した。南極には大きな大陸があって、おかげで北極よりも温かいらしい。地熱がどうとか言っていたけど、正直興味がなかったので、全く関係ないノートに、もっと合理的な地図を考えていた。やはり細かい場所のどうのこうのより、大きい世界全体を知りたいのだ。
世界地図は基本的に長方形で、極に行くに従ってどんどん横向きに伸びていく。個人的には、誰ももう船になんか乗らずみんな飛行機を使うのに、なぜ未だに円筒図法を使うのかわからないけれど、現状黒板の隣りにある地図では、南極が世界一横に長い大陸になっている。
(全く関係ないけれど、地震速報で円筒図法を使うのは、絶対に合っていないから、早く正距方位図法に変えてほしい。同心円を描くのに、円筒図法では歪んでしょうがない)
授業の後、地球の周りに人だかりができていた。この学校には国ごとに色つけされたチキュウ儀はあるけれど、実際の、氷の質感のある、チキュウの北極は見たことがないので、地球の北極を見ようとしたのだ。
しかし地球は
「見ないでよ」
とアルゼンチンあたりの経度側に回転して拒否した。
「下」というのは地球でも我々でも恥ずかしいものなんだな、と思った。下を見たがる人がいて、下を見られたくない人がいるのはどこにでもいる。秋葉原駅のエスカレーターとか。(ちなみに、エスカレーターという言葉の語源ははっきりしていない。こんなにいつも使っているくせに。不思議なことに、そういう細かすぎる部分にも興味がある。普遍性という意味では、細かすぎることは、逆に大きいからなのかもしれない。フラクタル。)
「やめてあげてよ」
と私は言ったけど、
「地理の授業のくせに、本物の南極を見せない先生がわるいではないか」
と反論を受けた。先生と地球は別のものなのだから、その責任は先生の方にあるだろう、なんの因果もないではないか、と思ったけど、私はヒエラルキーの下だったので、口を噤んで、こいつらを段々畑の崖から突き落としてやろうか、と内心で人を殺した。こういう形而上の「下」も(形而上の下は、それはもう形而下なのでは?というのはさておき)、私は見せたくないし、見られたくないものだ。前述の秋葉原駅の「下」との違いは、見る側が下側にいるか、それとも上側にいるか、という点だ。
南極事件から二日後、ある異変が起こった。
惑星というのは、不定期にポールシフトが起こって、S極とN極が入れ替わる。チキュウにもそういうのがあって、巨大隕石とか、マントルとか、そういうのでいろんな軸がずれる。地軸とか、磁軸とか、あとなんだっけ。
それが地球にもあって、おかげでS極が入れ替わり、すこし性格がサディストになった。
それははそうとして、面白いことに、南極が上を向いていた。私はてっきり、日本人のよく見るチキュウ儀と同じような位置関係だと思っていたのだけれど、確かに「北半球」という言葉が作られ、それがデフォルトでは上に向いているのだから、ポールシフトで北が逆になったから、この回転現象は理にかなっているのかもしれない。
ちなみに、南半球から転校してきた人(誰も名字について触れようとしないけど、内心みんなユニークがっているタイプの、あの人)は
「これが普通ではないか」
と言っていた。でもまあ、球体に上下なんてないし、あったからどうってこともないのだけど。本当の意味での天地無用。地球にとっては、慣用の意味での天地無用みたいだったけれど。
二日前に南極を見たがっていた、私が脳内で突き落とした人々は
「案外、小さいものだな」
と言いながら、ロス棚氷から南極半島までをなぞっていたし、地球も
「フン、メルカトルに慣れやがって、馬鹿物」
とSを丸出しにして煽っていた。私もどうでもよかったので、フン、と真似をして、席で楕円形の世界地図を計算していた。あのタイプの地図のアイデアは、もっといいものがあるはずなのだ、たとえば途中に切れ込みを入れて、紙を三次元に曲げてみるとか。別に紙のポスターにするのに、完全な平面にする必要はないのだ。三次元ならチキュウ儀があるじゃないか、と言われるだろうけど、私が作りたいのは、一点から全てが見える、最も完璧な地図である。
その日の地理で、北極について勉強した。案の定先生は北極を黒板に描かなかったし、誰もカナダとロシアの距離感をつかめずに授業が終わったけれど、北極「海」なのに氷があるという不思議な謎に惹かれて、地球のもとへ向かった。
地球はサディストのままなので、そのまま無頓着に見せてもらったけれど、薄い白が覆っているだけだった。緑と茶色の混ざった、複雑な地形と、見覚えのあるフィンランドの海岸線と、それらと氷の隙間に液体があった。それだけだった。
下を見るというのは、そういうことなのだ。
下を見るということは、ただ知らない少しだけのことが、知ることになるだけだった。それは、ただ特定の地形を見るだけの事であり、ただいつも隠れている布の色を確認するだけのことであり、自分より劣っている人間を再確認するだけのことだった。
私は
「ありがと、やっぱり夏なんだね」
と言った。それで、休み時間は終わって、二次関数のグラフを少しずらすだけの時間が始まった。
ただ知らない少しだけのことが、知ることになる時間だった。
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