地味系女子の東雲さんは、どうやら超人気インフルエンサーらしい

地味系女子の東雲さんは、どうやら超人気インフルエンサーらしい



「東雲さん。今週までに提出する数学のノート、出して貰っていい?」

「あ……うん。ごめん、どうぞ」


 彼女は慌てた様子で、机の中からピンク色のノートを取り出した。

 表紙のタイトルは意外にも可愛らしい文字で「数学」と書かれている。

 勝手に達筆そうだなと思っていたので、なんとなく驚いてしまう。


「ありがとう、東雲さん」

「いえ」


 東雲さんの席から離れ、俺は教室を出る。

 彼女が放課後に残っていてくれて本当に助かった。後回しにしていたらあっという間に金曜日。提出期限が今日までだったので、なんとか集まって良かった。


(そういや俺、東雲さんと話すの初めてだったな)


 東雲しののめこころは、今年の春に転校してきたクラスメイト。

 真っ黒なストレートロングの髪と、目を隠した大きなメガネに、さらに口元にはマスクを着用。

 友達がいないのか、親しく話しているクラスメイトを見たことは恐らく誰もいない。

 本人は特に気にした素振りもなく、いわゆる「ぼっち」がこの数ヶ月で定着している。

 授業以外はほぼスマホを弄っているし、というかスマホ以外に目を向けるところを見たことがない。ちなみになぜマスクをしているのか、というところだが。

 聞いたとこによると東雲さんは重度の鼻炎持ちらしい。それならマスクも仕方がないな。


 しかしまあ、良くも悪くも平穏なクラスなので、彼女にちょっかいをかける輩はおらず、適度な距離を保ちながら東雲さんと接している。



「……あー! しのぴ、オンスタ投稿してるよ。はぁ〜めっちゃかわいい」

「このカラコンどこのだろう? すごい綺麗な色してる」

「え、知らないの? これしのぴの自前だよ」

「まじで!? 超ヘーゼルナッツ色じゃん。たまにいるよね、色素薄い目の子。あたしもそうなりたーい」


 職員室を出て昇降口に向かえば、女子二人が盛り上がっている。

 俺はその横を素通りして、そそくさと帰路に着いた。




「おにーちゃーん。タブレット貸して」

「えー、俺いま漫画見てんだけど……」

「漫画はスマホでも見れるじゃん。これからしのぴっちゃんのミーチューブライブなの〜。お願い〜」


 風呂上がりにリビングのソファで横になっていれば、妹の桃が上からのしかかってきた。

 もうすぐで夜の八時になる。どうやらその時間からミーチューブライブが始まるらしい。


「ライブなんてアーカイブで見れるだろ。それか自分のスマホ。なんでわざわざ俺のタブレットで――」

「部屋で大きい画面で見たいのー!」

「いって! わかった、わかったから押すな押すなっ」


 けっきょく俺は押し負けて、桃にタブレットを渡した。桃は急いだ様子でミーチューブを開くと、慣れた操作で指を滑らせる。


「あ、よかった……まだ開始前だ! ほら、せっかくだからお兄ちゃんも一緒に観ようよ」

「なんでだよ。おかしいだろ。俺が観たって楽しくないだろ」

「そんなことないってば。男女比だって女の子六割、男の子四割でほぼ差はないし。見てるだけで目の保養になるんだから」


 そう言って桃は画面を見せてくる。

 目に映ったのは、シルバーなのかピンクなのかよく分からない色の派手なストレートのロングヘアに、透き通るようなヘーゼルナッツ色の大きな瞳を瞬かせた女の子だ。たしかに美少女という言葉が当てはまる。


「まあ……可愛いけど」


 学校の女子も話していた「しのぴ」とやらを、俺はこのときようやくちゃんと見た。

 すでに閲覧数は千を余裕で越え、さらに増えている。

 それをぼんやりと眺めていれば、隣にいた桃が素早くタブレットに何かを打ち込んだ。


『あっ、お兄ちゃんと観てくれてるんだ! いつも観てくれてありがとう、桃ぴっちゃん』

「きゃー! やったっ。こんなに早くコメ読んでもらえるなんてツイてる〜!」

「……桃ぴっちゃんて、お前のこと? なんでぴっちゃん? 桃でもよくない?」

「うるさいなぁ。しのぴっちゃんをリスペクトしてるから、その名前の一部を借りてるの。桃だけじゃ短いしシンプル過ぎるし可愛くないじゃん」


 ということらしい。

「ふーん」と興味なさげに答えたのがわかったのか、桃は納得いかなそうにしながらも二階に駆けて行った。

 これから二時間はタブレットの前に居座って離れないだろう。


 タブレットを取られたので、俺はスマホで漫画の続きを見ることにしよう。

 立ち上がった俺は、再びソファにごろ寝をし、スマホの画面を開いた。


『今日も数学の追試で居残りしててー、もう本当に、数字って苦手〜』

「あはは、しのぴ居残りしてたんだ。なんか親近感沸く〜」


 階段付近にいるであろう桃が大きな独り言をこぼしていた。

 数学の居残り……しのぴって、俺や桃と同い年くらいなのか。

 髪も派手だし有名インフルエンサーなんて言われているから、とっくに成人してるのかと思っていたが。

 たしかに顔立ちは成人というには幼かったような。

 まあ、今は小学生がミーチューブで稼いでいる時代だし、驚くほどでもないか。





 生憎、休日は二日とも雨だった。

 特に予定がなかった俺は、家でゴロゴロしているつもりだったのだが、スマホにあるメッセージが届く。


『カズ:わりー裕太郎! 店まで来て欲しいんだけど! ミント持って大至急!!』

「えええー……外、雨じゃん……」


 俺は窓に目を移し、ため息を吐く。

 台風ではないけれど、それなりに風が強くて出歩くには億劫な天候だ。

 しかし、スマホには二度、三度、四度、五度……と、スタンプの嵐か届く。

 通知を切って無視する訳にもいかず、俺は立ち上がって適当に準備を始める。

 雨は、さらに強くなっているような気がした。



 カズとは、同い年の俺の従兄弟だ。

 実家は和菓子屋を営んでいて、カズは小遣い稼ぎによく手伝っている。

 そして俺が幼い頃は繁盛していたような印象があるのだが、今はその面影もなくだいぶ寂しくなってしまった。


「ほら、買ってきたぞミント」

「だー! まじで助かった!」


 裏口から店に入って早々に、カズは俺に駆け寄ってくる。


「つーかなんでミントなんているんだよ。そんな菓子なんてあったか?」

「前に言っただろ! カフェスペース作って和スイーツのメニュー増やしたってさ。これは抹茶パフェに乗ったアイスに飾るためのミント」

「飾りミントのために俺はこの雨の中わざわざ来たのか……」

「まあまあ、そう言わないでくれよー。これがあるとないとじゃ見栄えが違うんだ。お礼になんか奢るからさぁ。ちょっと奥の席に座って待っててくれよ」


 そして俺はカフェスペースの奥にあるテーブルに追いやられた。

 どうやらお客は一組だけらしく、カズは笑顔で作り立ての抹茶パフェ二つを運んでいる。

 叔父さんと叔母さんは急な会合で留守らしく、二時間ほどカズが一人で店番をしていたようだ。

 

 それにしても、日曜日の午後だっていうのに、お客が一組ってどうなんだろう。

 数年前、駅の前に大型ショッピングモールが建てられてからというもの、この下町感溢れる地域にやって来る客は激減したらしい。

 ショッピングモール付近にお洒落なカフェや娯楽施設が立て続けに作られてしまったため、この辺は一気に寂れてしまったようだ。


(カズが最近、オンスタで店のアカウント作って写真を投稿してるって言ってたな。それからはポツポツとカフェを利用する客も来てくれるようになったって言ってたけど)


 今日のこの感じを見るに、まだまだ集客力を上げなければ厳しいように思う。


 人様の店に俺がとやかく思っても仕方がないとはいえ、一応親戚という立場だから心配にもなる。

 こういう時、有名なインフルエンサーなんかが写真を投稿すれば、影響力はすごいことになるんだろうな。


(しのぴ……とかは、こんな場所に来なさそうだけど。そもそもああいう派手なインフルエンサーって、都市中のいかにもって感じのカフェにしか行かなそうだ)


 それはさすがに偏見か、なんて考えていれば、窓の外に人影が現れた。

 強風のせいで差していた傘が壊れたのか、近くにあったこの店の屋根を借りて雨宿りしているようである。


(うちの高校の制服に似てるな……いや、うちの高校じゃないか? というか、あの子……)


 見覚えのある姿にハッとしたとき、道路を走行していた軽自動車が明らかなスピード違反で店の前を通り過ぎた。

 水溜まりがビシャっと跳ねて、かなり広範囲に飛沫が広がる。そして雨宿りをしていたその子にも、思いっきり掛かっていた。不憫すぎる。


「東雲さん!」


 居ても立ってもいられず、俺は入口を出て彼女に声をかけた。


「……五条、くん?」


 休日になぜか制服姿の東雲さんは、全身びしょ濡れになった状態で呆然と立っていた。




「……びっくりした。ここ、五条くんの家なの?」

「いや、親戚がやってる店だよ。俺は材料が足りないって言われて、たまたま届けに来ただけ」

「へえ、そうなんだ」


 そう返した東雲さんは、興味深そうに店内のあちこちを見回している。


「だけど、本当にありがとう。風で傘が壊れちゃって、本当に困ってたの。まさか車に水をかけられるとは思わなくて……」


 カズに持ってきて貰ったタオルで頭を拭きながら、東雲さんは俺に話しかけてくる。

 東雲さんて、普通に話せるんだ。

 教室では短い言葉だけで会話が成立していたので、彼女が口角を上げて笑っているのが何だか新鮮である。


 そもそもマスクを外した姿も初めて見た。濡れたマスクが気持ち悪くて取ったようだけど、さらに際立ってわかる顔の小ささ。


「東雲さん制服だけど、学校に行ってたの?」

「うん、そうだよ。数学の補習」

「え、東雲さんが?」


 またもや驚いてしまう。

 てっきり俺は、東雲さんは頭が良いのかと思っていた。

 実に単純な話だが、制服は少しも気崩さず真面目に着用し、黒縁の大きなメガネを掛けているので、ぶっちゃけ見た目はガリ勉っぽいのだ。


「あたし、数字が本当にダメで。古文とか歴史は得意なんだけどね。だからこの前の試験で赤点取っちゃって。昨日も今日も居残りの補習だったの」

「へぇ、そうなんだ。昨日も数学の補習……それで教室に残ってたんだ」

「そうだよ」


 東雲さんはこくりと頷く。

 数学の居残り……最近ほかでも聞いたような気がするけど、忘れてしまった。


 するとそこへ、カズが特大のパフェを持って俺たちの席にやって来た。


「裕太郎と同じクラスなんだって? 俺は従兄弟のカズっていうんだ。裕太郎とは同い年。よろしくね、東雲ちゃん」

「はじめまして、よろしくです」


 東雲さんは少し遠慮げにお辞儀をする。

 カズは誰にでも話しかける恐れ知らずなタイプだ。クラスでいつも一人でいる東雲さんとは相容れない性格なのかなと思いつつ、二人の会話を聞く。


「東雲ちゃんは甘いもの好き?」

「うん、好きだよ。よく色んなお店も行ってるから」

「お、そうかそうか。それじゃあこれ、よかったら二人で食べてくれ。カップル限定の特大和風パフェ! アイス増し増しだ」


 ……なんてもんを出してくるんだ、こいつ。

 カップル専用のパフェをクラスの女子と一緒に食べろっていうのか。


「え、こんなに立派なものいいの?」

「むしろ食べてくれたらありがたい! 俺が考えてメニューにして貰ったパフェなんだけどさぁ。そもそもこの店若いカップルなんか来ないのなんのって。熟年老夫婦カップルは和菓子を買いによく来てくれるんだけどな。こういうパフェは胃がもたれるから食ってくれないんだ……」

「飾りもこんなに凝っているし、見た目も可愛いのに勿体ないね」


 思いのほか東雲さんはパフェに食いついている。

 メガネと前髪であまり見えないけど、瞳がきらきらと光っていそうな雰囲気だ。


「じゃ、二人で食べてくれよ! 俺は後ろで皿片付けて来るからさ」


 今まで出せなかったパフェを作れて満足したのか、カズは早々と厨房に引っ込んでいった。

 けっきょく俺と東雲さんは、二人でカップル限定和風パフェをつつくことに。


「五条くん、少し待ってもらっていい?」

「うん?」

「写真だけ取らせて欲しいの。時間はかけないから」

「ああ。わかった――」


 俺の返答と共に席を立った東雲さんは、目にも留まらぬ速さでスマホを手に構えると、上手く角度をつけてパフェの撮影を始めた。

 流れるような迷いのない動き。どう撮ればいいのかわかっているような、熟練者の匂いがする。


「終わった。ありがとう、五条くん」

「い、いえ、どういたしまして」


 こういう撮影の時間って、もっと掛かるものだと思っていたのだが、本当にあっという間に終わってしまった。

 そして教室での彼女とは別人の動きを見せた東雲さんに、俺は呆気に取られてしまう。


「いただきます。……カップル限定のメニューって初めて。可愛い」


 東雲さんは長いスプーンを手に持ちながら、そんなことを呟いた。

 メガネで隠れたその顔がなんだか嬉しそうで、俺は特大和風パフェに視線を移す。


 俺だって初めてだ。カップル限定メニューなんて。




 それから一時間が経ち、会合から叔父叔母が帰ってきた。

 外は雨も止んで太陽が顔を見せ始めている。

 東雲さんと二人で特大パフェを完食した俺は、器を厨房に持っていった。


「あら、裕ちゃん。わざわざ運んでくれてありがとう」

「こちらこそ、ごちそうさまでした」

「おう! どうだったよ俺の力作パフェは!」

「美味かったよ。たしかにあれは二人でちょうど良いサイズだな」

「そうだろうそうだろう。なんせカップル限定パフェだからな。あれはな、二人の思いやりがなければ完食できない構造をしているんだ。どちらかが先に食い進めればたちまちアイスが雪崩を起こし、コーンが――」

「まったくこの子はそんな食べ辛いものを作って。それより裕ちゃん。あの子は裕ちゃんの彼女なの?」

「違うよ。店先でたまたま会っただけ。車に水かけられて大変そうだから声をかけたんだ」

「なーんだ、つまんないわ」


 叔母さんは俺の回答が不服なようだ。

 しまいには「どうしてこの二人は彼女が出来ないのかしらねぇー不思議だわ」と小言を言っている。


 そんなこと言われても困るわ。

 それとカズの場合は、特定の彼女が出来ないだけで異性関係はそれなりに楽しんでいる。とことん不真面目で不浄である。


 俺はさっさと東雲さんのところに戻ることにした。

 


「東雲さん、お待たせ」

「ううん。それより……本当にお金はいいの?」


 東雲さんは不安そうに聞いてくる。


「あのパフェはカズの奢りだって。だから心配しなくて大丈夫」

「……そっか、わかった。それじゃあ、今度また改めて来ることにするね。今日はこのあと用事があって、すぐに帰らないといけないの」


 そう言って東雲さんは立ち上がると、帰り支度を始めた。

 俺もそろそろ帰ろうかな。長居し過ぎても邪魔になるし。


 椅子の背もたれに掛けていた鞄を持って振り返ると、東雲さんがレジカウンターにいた叔母さんに話しかけているのが目に入った。

 東雲さんは何度かペコペコとお辞儀をすると、俺のほうを向いてまた頭を下げて、小走りで店内を後にした。


 恐らくパフェやタオルのお礼でも言っていたのだろうと、俺はさして気にせず、叔母さんや叔父さん、カズに挨拶をして家までの道をゆっくり歩いた。


(東雲さん。ちゃんと話してみると案外普通の子だった。話し下手ってわけでもなさそうなのに、なんで学校では一人でいるんだろ)


 そう考えていたとき、鞄からピコンと音が鳴った。

 開けて確かめると入れていたタブレットに通知が届いていたようで、なんの通知なのかを見てみる。


『閲覧予約通知:一時間後、しのぴライブを予定しております』


 桃のやつ、勝手に俺のタブレットで予約したのか。

 帰ったらまた貸してとせがまれるんだろうなと思いつつ、俺はまた鞄にタブレットをしまった。




 次の日。

 学校へ行くと、クラスの女子が何やら盛り上がっていた。


「ねえこれ、ここから遠くないよね!? 帰りに行こうよ!」

「あっ、しのぴのアンスタに載ってたやつ? え、でもこれカップル限定パフェじゃないの?」

「ほら見てここ、カップル限定だけど、しのぴっちゃんがお店の人に聞いてみたら、男女関係なく二人組ならおっけーだったって!」

「そうなの? じゃあ行こうかな〜! しのぴが行ったところで私も写真撮りたい!」


 クラスの女子の話によると、近くの和菓子屋でお洒落な特大パフェがあるらしく、有名インフルエンサーが写真に載せて話題になっているそうだ。


「……」


 俺は何も言わずに、後ろの席にいる黒縁メガネのマスクをした彼女を盗み見た。


 相変わらず授業が始まる前の合間の時間にスマホをいじる彼女は、黙々とその画面に目を落としている。


「……ええと、東雲さん」

「……?」


 俺が呼びかけると、東雲さんはこっちを不思議そうな顔をして見た。


「しのぴ……だったりする?」


 そもそも、あの店で、あの特大パフェを食べたのは、俺たちが初めてだとカズは言っていた。

 つまり、それは、考えなくても答えは出てくるわけで。


「……」


 一瞬動きを止めた東雲さんは、艶やかな黒髪を耳にかけ、ゆっくりとメガネをズラした。


「特大パフェ、美味しかったね。五条くん」


 そう言った東雲さんの瞳は、透き通るヘーゼルナッツ色に輝いていた。




 それからというもの、俺は事ある毎に東雲さんに「カップル限定メニュー」があるお店に一緒に行こうと誘われるようになった。


 彼氏がいない東雲さんは、カップル限定メニューに手を出せないのが以前から悔しかったらしい。

 彼女ほど人気なインフルエンサーなら、特別待遇で作ってもらえると思うのだが、そう言うと「あれは二人で食べるからもっと美味しくなるんでしょ」と怒られた。


 本当のカップルではない俺たちが、休日になるとカップル限定メニューを食べ歩くなんて、なんだかおかしな話である。


 しかし、いつの間にか、そんな状況を楽しんでいる俺がいた。




 東雲さんのオンスタ投稿のおかげで、カズの実家の店は再び繁盛しているらしい。

 カフェスペースは常に満席で、雑誌にも取り上げられているのだとか。

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