海の空、塩の大地

@john

海の空、塩の大地

 空が海になった。


 それはわたしのおばあちゃんのおばあちゃんが生まれる前あたりに起きた出来事らしい。

 らしい、というのは、わたしたち現代人にとって、空が海であることは当たり前のことだからだ。

 魚はたまに空から降ってくるし、サメの大群が乗った巨大台風なんて夏の時期は当たり前のことだけれど、昔の人たちは全然違ったらしい。魚は降らず、サメ台風も映画の世界の話。

空には空気しかなかったというのだから驚きだ。

 わたしには、そんな世界が全く想像できなかった。

 だからか、大学を卒業したわたしは、就職活動などは一切せずに、衝動的に世界をあちこち歩き回ることにした。


「ここも外れかしらね」


 わたしはこのアテのない旅に着いてきてくれた友人と次の旅先について話すことにした。


「磯の香りも残っていない。ここに海があったとは思えないな」


 友人のコクシバはそう言って鼻を鳴らした。


「あなたが匂いを感じ取れないのなら、完全に外れね。次はどこに行こうかしら」


「シカイはどうだろうか。あそこは最近、政府主導の観光地化の計画も出ている。調査をねじ込むことも可能だと思うが」


「なら、そこにしましょう」


 コクシバはわたしの言葉に頷いた。

 感覚派研究者という型破りなプロフィールを掲げている彼は、わたしの決断の速さに何一つ疑問を持たないでくれる。彼の感覚がわたしを信じてくれる限り、彼はわたしの言葉を信じてくれるのだ。


 数日後、潜水飛行艇に揺られ、イスラエルに着くと、翌日にはシカイに現場入りしていた。

 多少、軍関係者とのゴタつきがあったものの(柴犬の獣人手術を受けたコクシバを、文化的に受け入れるのが難しい国は世界でもまだ多い)


 検問所から軍の案内者の運転するジープに揺られること数十分。わたしたちは長いトンネルを抜けてシカイに着いた。

 目の前に飛び込んだ光景に息を呑む。

 そこにあったのは、人がすっぽり隠れるぐらいの塩の結晶の山だった。いや、むしろ山脈と言ったほうが正しい。恐ろしいことに、その風景が地平線のずっと向こうまで見えるのだ。

 もちろん、事前に調査などはしていたが、ここまでのものとは思わなかったのが正直な感想だ。

 軍人の案内にしたがってシカイのそばを歩くと、彼はあるものを紹介してくれた。

「神の椅子」と呼ばれるものだ。

 塩の結晶が無数に連なり、玉座のように見えることからつけられた名称のようだった。

 わたしとコクシバは「神の椅子」の周辺を調査範囲に定め、機材の用意をする。

 

ねえ、とコクシバに声をかける。

なんだ、と耳だけを立てて聞き返すコクシバ。


「ここ本当に海だったのかしら」


「これだけの塩があるのだから、まあ、海であったことは間違いないだろう」


「そう、よね…」


 この時のわたしは珍しく弱気になっていた。

 ここ最近の調査結果が芳しくなかったからかもしれない。

 そんなわたしを見てコクシバはあれを見ろ、と「神の椅子」を指さした。


「まあ、あれを見れただけ良しと思えばいい。神が見守ってくれてるようじゃないか」


 わたしはその時、本当の意味で「神の椅子」が「神の椅子」たる所以を知った。

 太陽の光を浴びることで、「神の椅子」と呼ばれる結晶の山にかかる他の結晶の影がまるで人の形を取っていたのだ。


 そうね。

 わたしはただただ、それだけしかいえなかった。

 未知や神秘を知りたい。

 それがわたしの初期衝動だったことを思い出したのだ。

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