祟 -シュウ-「鬼門参リ」
ゆらゆらと炎が揺れ、多くの者がそれを前に瞼を閉じて手を合わせていた。
恋人達は手を繋ぎ、その手に
悲しみも憎しみも視えない
この日、人々の祈りは火の子となり、真っ暗な天へと運ばれる。
その村では毎年『
【
〈〈コラム・『鬼門参リ』〉〉
とある地域に伝わる『鬼門参リ』の内容は以下の通りである。
『鬼門参リ』が行われる時期は中秋後の最初の新月の晩であり、大きく分けて二つの行程がある。参加者は成人に限られるが、既婚者はそれを満たしていなくても構わない。
『鬼門参リ』はその年によって日付が前後するが、時刻は毎年同じであり、行われる日の前日の日中に特定の場所に社を建てることから始まる。この社の大きさは内部が八畳丁度でなくてはならない。
それから日が変わった
『鬼門参リノ儀』は、その年の『鬼門参リ』の行われる日から遡って一年以内に実子を亡くした八人の女がその社にそれぞれ一体ずつ、計八体の
ここまでが『鬼門参リノ儀』であり、これにより社の内部は一時的に鬼門を
この『鬼門参リノ儀』によって灯された社を燃やす炎は『
この『鬼門参リノ祈』が行われている間、参列者はそれぞれの抱える悩み事や忘れたい記憶を鬼門へ封じ込めるべく炎と向き合って祈りを捧げる。また、『鬼門参リ』から一年以内に子供や恋人や家族などの愛する人を亡くした者は、故人の持ち物や故人を想って用意した物品(後者の場合は新しい物でも構わない)を『鬼哭ノ灯』に投入して燃やす事で弔いになるとされている。
『鬼門参リ』と呼ばれているのは『鬼門参リノ儀』と『鬼門参リノ祈』を両方を合わせた行程であり、前者は人間(特に女)の業を糧にして鬼門を開く儀式とされ、後者は開いた鬼門に人間の業を封じ込める儀式とされているが、『鬼門参リ』には不明な点が多く、これからも研究が必要である。
『鬼門参リ』について現時点でわかっている事は以上である。
最後に『鬼門参リ』について持論を述べておく。
現代に於ける『鬼門参リ』は鎮魂や祈祷という祭事に近いが、元々は呪術である可能性が高い。別のコラムにて述べたことがあるが、『鬼門参リ』は『丑の刻参り』と酷似しており、同一視しても間違いではないと言える。だが、前述の通り、現代に於ける『鬼門参リ』は鎮魂や祈祷の意味もあるため、呪術である『丑の刻参り』とはやや異なるという事も認めなくてはならない。
しかし、一説によると『鬼門参リ』は本来ならば赤子の命を人身御供(生け贄)として鬼に捧げる儀式であったという説もある。その場合は呪術なのか祈祷なのかは人によって意見が分かれるが、少なくとも赤子を人身御供にして鎮魂を行うというのはおかしいため、この説が正しいのであれば『鬼門参リ』の持つ
いずれにしても、『鬼門参リ』には女と子供と男が関わった何らかの因縁があるのは間違いない。
『鬼門参リ』研究家・鈴木武
鬼門参り 貴音真 @ukas-uyK_noemuY
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