二十五章



 少女は偉そうに小卓に腰を下ろす。

「あんたらそもそもおかしいと思わなかったのか。ここは淮封侯の膝元の華囲郡なのに、なんで堂々と郷里に入れて泊まれるのか」

「……たしかに、敵の本陣は曲汕きょくさんで、ここも同じ郡内だが」

「だろ?郡兵は太守のお許しのもと都尉といの指図で動くけど、本来太守は州牧に手綱を握られてるものだ。淮州がお上に逆らったいま、目下敵であるあんたらをみすみす州のなかで野放しにするわけないだろ」

 保蹼が、では、と首を傾げる。

「華囲太守は我らの味方ということか?太守はどこに」

「曲汕だ。州軍の目を盗んで鳥を飛ばしてる。まあ、そのうちそれも止まるだろうけど」

 小福は宙に浮いた脚を揺らす。富隆が腕を組み直した。

「おぬしの話からすると、その華囲太守は淮封侯の命で動いている、と?」

「そう聞いた」

「聞いた?」

「おれはあんたらに伝えるよう頼まれた」

 韃拓を見れば首を振った。

「お前の話だけじゃ分からねえな。封侯は今までさんざん味方だのやっぱり敵だっただの言われてて、よく分からない奴だ。お前も俺たちの襲撃に失敗して焼け出されたのは封侯のせいだと言ってたろ。まずお前が本当の素性を初めから話す必要がある。信じる信じないはその後だ」

 小福は少し俯き、分かった、と頷いた。飛び降りると改めて面々を見る。

「おれは淮州蔵草ぞうそうかん田耶でんや奈爾なじ福。おとうの名は宇かん。……お父は奈爾の里正さとおさだった。奈爾は街道から少し離れた小さい里でお父は昔からそこに住んでて、里の大人おとなたちは封侯の『耳』だった」

「『耳』……間諜かんちょうのことか」

 小福は頷く。

「といっても片田舎のただのひもじいむらだ。大したことない噂話なんかを収集して報告してた。それはおれが生まれる前からだと言ってた。奏上の対価を貰えないと暮らしていくのに不便なところなんだ」

 ひとつ息をついた。思い出すのが苦しいのか、眉間に皺を寄せほつれた襟を掴む。

「そのうちお前たちが来るという話があった。角族の使う如願じょがん泉から奈爾は遠くない。それで里は封侯の密命を受けた」

「俺たちを殺せ、と?」

「うん。お父は殺すのはだめだとみんなを説得して、ひとまず捕まえようという話になって、それでおれたちはあの夜あんたたちを襲ったんだ。……見事に失敗したけど」

 でも、とくらい顔で続けた。

「お父はずっと『耳』として働いてきたから、この一回の失敗でひどく咎められることはないだろうと言ってたんだ。それなのにすぐに州軍が来て里は焼かれちまった。おれははじめ、こういうお上からの罰は封侯が州牧に命令してやらせてるんだと思ってた。お父は裏切られたんだって。……でもそれは勘違いだった」

「というと?」

 小福は目を閉じる。





 里が兵の襲撃に遭う直前、父親は棨伝てがたを自分に押しつけると里の小さなほこらに走らせた。迎えに行くまで床下に隠れて、絶対に出るな、と。あの時を思い出すと呼吸の仕方が分からなくなる。頭の隅で理解していたのだ、父や仲間とはもう二度と会えないことを。薄々気がついていて、でも怖くてどうしようもなくて家々が火と叫び声に包まれるのを震えながら窺っているしかなかった。

 声を殺して泣き、州兵が引き揚げてもその場で死んだように呆然としていた。そうして幾日か経ち、気を失うように眠って、ふと目を覚ますと荷馬車に揺られていた。


「起きたか、孩子ぼうず


 覗き込み白い歯を見せたのは無精髭を生やした粗野な男だったが、気の良さげな柔らかい笑みを浮かべていた。


 水をもらってやっとのことで声を出せた。

「……みんなは」

 問うたのには顔を曇らせた。

「……死んだんだ?」

 悲しげに低い声を発する。

「奈爾で助けられたのはお前だけだ。すまんな」

「……あんたはだれ」

 男は馭者ぎょしゃを警戒しつつ、小声で淮封侯の密偵だと明かした。握りしめていた棨伝を指差す。

「お前の親父さんとは旧知でな。さてしかし、息子がいるとは聞いていなかったが」

「あんたも、あの薄情者の手先なのか」

 男はひどく辛そうに首を振った。

「宇甘がそう言っていたのか」

「お父は封侯のこと、信じてたのに……」

 そうか、と少しばかり肩を震わせ大きく息を吐いた。

「ちょっと来ない間に、淮州はこんなことになっちまってたなんて」

「おれはどこに行くの?売られるの?」

 そんなことはしない、と男は笑った。「宇甘からは自分になにかあったら身の回りの事は任せると言われていたから、ひとまずあの焼け野原から連れ出したんだ。それに、辛かろうが少しお前に聞きたいことがあってな」

「なに?」

「角族のことだ。いま、それほど離れていない所にいる。お前は会ったのだろう、あの者たちに」

 小福は意識を記憶に彷徨さまよわせ、こくりと頷いた。

「会ったよ」

「どんな具合だった。人数は」

「――――強かった。塊で分かれてたから数はよく覚えてないけど……。若いやつがしきりにおれたちのことを殺しちゃだめだって叫んでた」

 男は意外そうに眉を上げると腕を組んだ。「なるほど、では角人に殺された里人はいなかったと」

「みんなは封侯に殺されたんだ。あの裏切り者、絶対ゆるさない」

 拳を握ったのにさらに首を振る。

「宇福、それは誤解だ。侯はそんなむごいことをお命じになったりはしないよ」

「じゃあどうして里が焼かれたんだ⁉お父やみんなはもういないんだぞ!」

 叫んだ肩を男は強く掴んだ。押し殺した声で囁く。

「淮州でのことは、侯がお許しになっているわけじゃあない。それに宇福、州兵を好き勝手に動かせるのはな、州においてはただひとりだけなんだ」

 涙に濡れた顔でゆるゆると見上げれば、力強く頷き返してきた。

「ちゃんと説明する。その上でお前に協力してもらいたい」





 話を聞くに、と言う声で小福は回想から立ち返る。

「その男の言が間違いないのならば、俺たちを襲うよう言ったのも、里を焼いたのも封侯じゃない、と」

 頷けば保蹼はさもあらんと唇を引き結んだ。

「そもそも封侯王というのは実権を持たない栄誉の位、いくら王統に連なる御方とて当人にはまつりごとへは介入させず、また影響させないのが本来のあるべき立ち位置です。封侯の鶴の一声でそう易々と兵を動かしていては州牧など必要ない」

「そう…州牧だ」

 面々は頷いた。

小鬼こおにの話からするに、敵は淮州牧、ということになるのか?」

「封侯と州牧の力関係がいまいち分かりませんね。我らへの襲撃には素人の民を使い、里を焼き払うのには軍兵を動かした」

「それは我々に州軍に襲われたと訴えられるのはまずいと思ったからだろう。しかし州内の税の取り立てと称して少しばかり兵を動かすくらいならなんとでも。とはいえ、朝廷には一切の奏上は届いていなかったわけだが」

「小福、淮侯は本当に敵じゃないとどうして言えるんだ?」

 問えば思いつめた顔をした。

「言うように、封侯はただ偉いだけ、州軍を動かす力もなければ止める力もない。その上『耳』の存在を嗅ぎつけられ、知らないところで自分の指示として動かされた。そういうことなんだよ。お父たちはだまされたんだ。淮州で起こる罰をぜんぶ封侯のご意思として、裏で隠れて汚いことをする奴らが真の敵だ」


 小福を助け出した、父と同じく淮封侯の『耳』だという男は、角族の族主だけでも先に保護して泉畿みやこへと送るため州軍に潜ませた仲間に連絡した。しかし、接触が敵に露見すれば角族は泉宮には辿り着けず同盟にひびが入る。内密に、安全に事を運ぶために小福に角族を手引きさせ、棨伝を目印にして関門で段取りを組んでいたのだ。


 はじめ、小福はこの提案を信じられなかった。父と里の仲間は殺された。『耳』の存在が敵側に洩れているのなら、もしやこの男も封侯側ではなく敵側で、自分のことも上手く利用しようとしているのではないか、と。


「そう疑ってた。でも嘘をついているようにもどうしても思えなくて。あんたらにも本当のことを言おうか迷ったけど、信用してくれないだろうと思ったから言えなかったんだ。朴東ぼくとう関で騒ぎになって、やっぱりおれは騙された、あんたたちにとんでもないことしちまった、って……」

「その男が助けようとしていたのは本当だった?なぜそれが分かった」

「おれはあんたに棨伝を渡しちまったから淮州からは出られない。それに里は焼かれたし行くとこがなかった。おじさんはそのままおれを一緒に連れて行って、しばらく飯と寝床を恵んでくれた。それで、おれの誤解を解いて、侯が敵じゃないって確信できる奴に引き合わされた」

「そりゃ誰だ?」

「今は曲汕の隣郷となりまちに匿われてるけど、これを角族に見せてくれって」


 懐から上等な荷包きんちゃくを引き出した。受け取った韃拓が袋を逆さにする。

 てのひらに転がり出た小さな固い塊を周囲はまじまじと見た。

「これは……」

「印章?」

 そう、と小福はもっともらしく頷く。



「――――重州刺史之印」



「重州刺史といえば、謀叛が起きてからすぐに行方不明になったという?」

 いるのか、と男たちは少女を見下ろした。

「本物か?」

「偽物なら淮州で隠れてる意味もない。封侯は重州刺史を匿ってる。それが敵じゃない証拠だろ」

「重州刺史は朝廷側だったのか」

「でなきゃ逃げて来ない。重州牧の謀叛を良く思ってなくて殺されそうになったから淮州へ出奔してきたって。それを封侯は謀叛軍に隠してる。だからおれは信じた」

 褒具が鼻を鳴らした。

「印だけではな。刺史から奪ったのかもしれん」

「だとしても敵側なら隠伏する必要もなかろうて。しかし、曲汕にはいま重州と淮州の連合軍が結集しておるのにその膝元にいるとは、なんとも豪気ではないか」

「燭台の下は暗くて見えないだろ。それに、封侯と近いほうがなにかと連絡に便利だ。その分危険だけど」

「さらに華囲太守もじつは封侯側、と?もしや我々が郡内に入っておるのを州牧には伝えていなかったということか」

 小福は何度も頷き、だけど、と目を伏せた。

「もうそれも限界だ。宮城が落ちた。力は完全に敵側に傾いた」

「封侯が新たな王だというのは、やはりでっちあげか」

「まつり上げられたんだ。やつら、文句を言わず逃げられないハリボテが欲しいだけだ。封侯もあけっぴろげに敵意を示したら最悪殺されかねないから甘んじてる」


 分からん、と声が上がる。

「結局敵はどのくらいいる。淮州と重州だけで宮城まで占拠出来るはずがないだろう」

「それも含めて重州刺史から話を聞いたほうが早い。少なくとも刺史は重州が誰に加担して決起したのか知ってるはず」

「刺史は今どこに?」

「曲汕から三日歩いた駒麓くろくというむらで匿われてる。案内はおれがする」

「お前を助けた男は一緒ではないのか」

「もうだいぶん前に別れた。西へ行くと言ってた。おれも危険になれば刺史を置いて逃げろと言われたのだけど、今んとこ駒麓の『耳』は敵に知られてないから……そんでもって、おそらく華囲太守は近々にお前たちを攻めるよう命じられる。面と向かって言われれば逆らえない。今のうちに采舞から、淮州から出たほうがいいと言伝するというのが、おれがここに来たいちばんの理由だ」


 どうする、と新たな迷いで揺れ、富隆も佟原も韃拓を見た。

「ここで睨み合いを続けていても、どのみち攻められる。その前に刺史と会っておくのも一案だな」

「西の八馗と未だ連絡はつかず、何梅さまからも新しい指示はない。無闇な行動は控えたいが、ここまで聞いて放置も出来まい?大人数で移動はできんが駒麓へ小隊を出すか?」

 韃拓は頷いた。

「もしも小福にせよ何にせよ罠だとしても、人数は少ないほうが逃げられるから、俺と一泉人の保蹼だけで行く。いいか?」

 指名されて保蹼は、はい、と頷き、富隆が息をついた。

「黄仙が戻るまで我々は動かぬ」

 だめだよ、と小福が首を振った。

「もう太守ではあんたらがここにいるって隠しておけないんだ。今すぐ逃げるべきだ」

 しかしそれには笑った。

「都城内にとどまっている限りは向こうも易々と攻められはしまい。黄仙、事態が急変したら必ず文を寄越せ。――駒麓に水虎はおるのか?」

「都水台の官廨やくしょはなくて日に一度巡回してくる。その時に簡単な言伝なら頼めると思うけど」

 小福は忠告を軽んじられて不服そうにしながらも答える。韃拓は立ち上がった。

「どのみち曲汕に動きがあれば駒麓に着かなくてもすぐに戻る。正纁俟斤と鑲白俟斤に全兵の指揮を任す」

「――――うけたまわった。搬運はんうんを」

 声を揃えた老将たちに頷くと、早速保蹼と小福を連れてきびすを返した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る