二十五章
少女は偉そうに小卓に腰を下ろす。
「あんたらそもそもおかしいと思わなかったのか。ここは淮封侯の膝元の華囲郡なのに、なんで堂々と郷里に入れて泊まれるのか」
「……たしかに、敵の本陣は
「だろ?郡兵は太守のお許しのもと
保蹼が、では、と首を傾げる。
「華囲太守は我らの味方ということか?太守はどこに」
「曲汕だ。州軍の目を盗んで鳥を飛ばしてる。まあ、そのうちそれも止まるだろうけど」
小福は宙に浮いた脚を揺らす。富隆が腕を組み直した。
「おぬしの話からすると、その華囲太守は淮封侯の命で動いている、と?」
「そう聞いた」
「聞いた?」
「おれはあんたらに伝えるよう頼まれた」
韃拓を見れば首を振った。
「お前の話だけじゃ分からねえな。封侯は今までさんざん味方だのやっぱり敵だっただの言われてて、よく分からない奴だ。お前も俺たちの襲撃に失敗して焼け出されたのは封侯のせいだと言ってたろ。まずお前が本当の素性を初めから話す必要がある。信じる信じないはその後だ」
小福は少し俯き、分かった、と頷いた。飛び降りると改めて面々を見る。
「おれは淮州
「『耳』……
小福は頷く。
「といっても片田舎のただのひもじい
ひとつ息をついた。思い出すのが苦しいのか、眉間に皺を寄せほつれた襟を掴む。
「そのうちお前たちが来るという話があった。角族の使う
「俺たちを殺せ、と?」
「うん。お父は殺すのはだめだとみんなを説得して、ひとまず捕まえようという話になって、それでおれたちはあの夜あんたたちを襲ったんだ。……見事に失敗したけど」
でも、と
「お父はずっと『耳』として働いてきたから、この一回の失敗でひどく咎められることはないだろうと言ってたんだ。それなのにすぐに州軍が来て里は焼かれちまった。おれははじめ、こういうお上からの罰は封侯が州牧に命令してやらせてるんだと思ってた。お父は裏切られたんだって。……でもそれは勘違いだった」
「というと?」
小福は目を閉じる。
里が兵の襲撃に遭う直前、父親は
声を殺して泣き、州兵が引き揚げてもその場で死んだように呆然としていた。そうして幾日か経ち、気を失うように眠って、ふと目を覚ますと荷馬車に揺られていた。
「起きたか、
覗き込み白い歯を見せたのは無精髭を生やした粗野な男だったが、気の良さげな柔らかい笑みを浮かべていた。
水をもらってやっとのことで声を出せた。
「……みんなは」
問うたのには顔を曇らせた。
「……死んだんだ?」
悲しげに低い声を発する。
「奈爾で助けられたのはお前だけだ。すまんな」
「……あんたはだれ」
男は
「お前の親父さんとは旧知でな。さてしかし、息子がいるとは聞いていなかったが」
「あんたも、あの薄情者の手先なのか」
男はひどく辛そうに首を振った。
「宇甘がそう言っていたのか」
「お父は封侯のこと、信じてたのに……」
そうか、と少しばかり肩を震わせ大きく息を吐いた。
「ちょっと来ない間に、淮州はこんなことになっちまってたなんて」
「おれはどこに行くの?売られるの?」
そんなことはしない、と男は笑った。「宇甘からは自分になにかあったら身の回りの事は任せると言われていたから、ひとまずあの焼け野原から連れ出したんだ。それに、辛かろうが少しお前に聞きたいことがあってな」
「なに?」
「角族のことだ。いま、それほど離れていない所にいる。お前は会ったのだろう、あの者たちに」
小福は意識を記憶に
「会ったよ」
「どんな具合だった。人数は」
「――――強かった。塊で分かれてたから数はよく覚えてないけど……。若いやつがしきりにおれたちのことを殺しちゃだめだって叫んでた」
男は意外そうに眉を上げると腕を組んだ。「なるほど、では角人に殺された里人はいなかったと」
「みんなは封侯に殺されたんだ。あの裏切り者、絶対ゆるさない」
拳を握ったのにさらに首を振る。
「宇福、それは誤解だ。侯はそんな
「じゃあどうして里が焼かれたんだ⁉お父やみんなはもういないんだぞ!」
叫んだ肩を男は強く掴んだ。押し殺した声で囁く。
「淮州でのことは、侯がお許しになっているわけじゃあない。それに宇福、州兵を好き勝手に動かせるのはな、州においてはただひとりだけなんだ」
涙に濡れた顔でゆるゆると見上げれば、力強く頷き返してきた。
「ちゃんと説明する。その上でお前に協力してもらいたい」
話を聞くに、と言う声で小福は回想から立ち返る。
「その男の言が間違いないのならば、俺たちを襲うよう言ったのも、里を焼いたのも封侯じゃない、と」
頷けば保蹼はさもあらんと唇を引き結んだ。
「そもそも封侯王というのは実権を持たない栄誉の位、いくら王統に連なる御方とて当人には
「そう…州牧だ」
面々は頷いた。
「
「封侯と州牧の力関係がいまいち分かりませんね。我らへの襲撃には素人の民を使い、里を焼き払うのには軍兵を動かした」
「それは我々に州軍に襲われたと訴えられるのはまずいと思ったからだろう。しかし州内の税の取り立てと称して少しばかり兵を動かすくらいならなんとでも。とはいえ、朝廷には一切の奏上は届いていなかったわけだが」
「小福、淮侯は本当に敵じゃないとどうして言えるんだ?」
問えば思いつめた顔をした。
「言うように、封侯はただ偉いだけ、州軍を動かす力もなければ止める力もない。その上『耳』の存在を嗅ぎつけられ、知らないところで自分の指示として動かされた。そういうことなんだよ。お父たちは
小福を助け出した、父と同じく淮封侯の『耳』だという男は、角族の族主だけでも先に保護して
はじめ、小福はこの提案を信じられなかった。父と里の仲間は殺された。『耳』の存在が敵側に洩れているのなら、もしやこの男も封侯側ではなく敵側で、自分のことも上手く利用しようとしているのではないか、と。
「そう疑ってた。でも嘘をついているようにもどうしても思えなくて。あんたらにも本当のことを言おうか迷ったけど、信用してくれないだろうと思ったから言えなかったんだ。
「その男が助けようとしていたのは本当だった?なぜそれが分かった」
「おれはあんたに棨伝を渡しちまったから淮州からは出られない。それに里は焼かれたし行くとこがなかった。おじさんはそのままおれを一緒に連れて行って、しばらく飯と寝床を恵んでくれた。それで、おれの誤解を解いて、侯が敵じゃないって確信できる奴に引き合わされた」
「そりゃ誰だ?」
「今は曲汕の
懐から上等な
「これは……」
「印章?」
そう、と小福はもっともらしく頷く。
「――――重州刺史之印」
「重州刺史といえば、謀叛が起きてからすぐに行方不明になったという?」
いるのか、と男たちは少女を見下ろした。
「本物か?」
「偽物なら淮州で隠れてる意味もない。封侯は重州刺史を匿ってる。それが敵じゃない証拠だろ」
「重州刺史は朝廷側だったのか」
「でなきゃ逃げて来ない。重州牧の謀叛を良く思ってなくて殺されそうになったから淮州へ出奔してきたって。それを封侯は謀叛軍に隠してる。だからおれは信じた」
褒具が鼻を鳴らした。
「印だけではな。刺史から奪ったのかもしれん」
「だとしても敵側なら隠伏する必要もなかろうて。しかし、曲汕にはいま重州と淮州の連合軍が結集しておるのにその膝元にいるとは、なんとも豪気ではないか」
「燭台の下は暗くて見えないだろ。それに、封侯と近いほうがなにかと連絡に便利だ。その分危険だけど」
「さらに華囲太守もじつは封侯側、と?もしや我々が郡内に入っておるのを州牧には伝えていなかったということか」
小福は何度も頷き、だけど、と目を伏せた。
「もうそれも限界だ。宮城が落ちた。力は完全に敵側に傾いた」
「封侯が新たな王だというのは、やはりでっちあげか」
「まつり上げられたんだ。やつら、文句を言わず逃げられないハリボテが欲しいだけだ。封侯もあけっぴろげに敵意を示したら最悪殺されかねないから甘んじてる」
分からん、と声が上がる。
「結局敵はどのくらいいる。淮州と重州だけで宮城まで占拠出来るはずがないだろう」
「それも含めて重州刺史から話を聞いたほうが早い。少なくとも刺史は重州が誰に加担して決起したのか知ってるはず」
「刺史は今どこに?」
「曲汕から三日歩いた
「お前を助けた男は一緒ではないのか」
「もうだいぶん前に別れた。西へ行くと言ってた。おれも危険になれば刺史を置いて逃げろと言われたのだけど、今んとこ駒麓の『耳』は敵に知られてないから……そんでもって、おそらく華囲太守は近々にお前たちを攻めるよう命じられる。面と向かって言われれば逆らえない。今のうちに采舞から、淮州から出たほうがいいと言伝するというのが、おれがここに来たいちばんの理由だ」
どうする、と新たな迷いで揺れ、富隆も佟原も韃拓を見た。
「ここで睨み合いを続けていても、どのみち攻められる。その前に刺史と会っておくのも一案だな」
「西の八馗と未だ連絡はつかず、何梅さまからも新しい指示はない。無闇な行動は控えたいが、ここまで聞いて放置も出来まい?大人数で移動はできんが駒麓へ小隊を出すか?」
韃拓は頷いた。
「もしも小福にせよ何にせよ罠だとしても、人数は少ないほうが逃げられるから、俺と一泉人の保蹼だけで行く。いいか?」
指名されて保蹼は、
「黄仙が戻るまで我々は動かぬ」
だめだよ、と小福が首を振った。
「もう太守ではあんたらがここにいるって隠しておけないんだ。今すぐ逃げるべきだ」
しかしそれには笑った。
「都城内にとどまっている限りは向こうも易々と攻められはしまい。黄仙、事態が急変したら必ず文を寄越せ。――駒麓に水虎はおるのか?」
「都水台の
小福は忠告を軽んじられて不服そうにしながらも答える。韃拓は立ち上がった。
「どのみち曲汕に動きがあれば駒麓に着かなくてもすぐに戻る。正纁俟斤と鑲白俟斤に全兵の指揮を任す」
「――――
声を揃えた老将たちに頷くと、早速保蹼と小福を連れて
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