十八章



 征西軍が到着した剛州と彬州の大関門は流捌関りゅうはつかんといい、そこから英霜までは速駆け十日を要する。道程はさほど険しくない。なだらかな下り坂に伴い時折ゆるく隆起する丘に竹林と低木の森が所々点々とし、その他は田畑か荒れ野、間を縫うように幹川かんせんと郷里が続く。街道は丘陵に妨げられなければ基本的に川の横に沿うように並列していた。


 馬で速駆け十日ならば四不像の脚はもっと速い。襲撃に備えて夜進み、わずかな微睡まどろみの合間に陽を数えて四度目に、すでに瑜順率いる禁軍使者五名は迷路のように溝渠こうきょが交錯する英霜城を眼前に捉えていた。聳え立つ楼閣の前に立ちはだかるのは国府に負けないくらいの高い郭壁で壁上に槍を片手に立つ哨兵の数が尋常ではなかった。総動員という感じだ、と瑜順はかぶとを脱ぐ。使者の姿をみとめて色めき立っているのが遠目からでも分かった。


 これ以上近づくのは危険かと思うくらいまで進むと太鼓の音が聞こえた。堅牢な懸門けんもんのひとつが重厚な音を立てて上がり、馬が通れるくらいの幅の中から数騎の甲冑の兵士が飛び出てくる。


「近づいて来るな。満嵐マンラン、使者の旗を」

「もう揚げてる」


 英霜の兵たちはほどよく距離を取って急停止した。

「禁軍右軍使者と見受ける!」

 瑜順はいらう。

「いかにも、禁軍右営褚文統ちょぶんとう将軍率いる征西軍である!私は同盟軍の楊瑜順。調停の合議の是非について問いに来た。彬州州軍代表に目通り願う」

 英霜兵は槍を構えた。

「全員下乗し武具と武器を捨て、前に出て身を伏せろ」

 瑜順は配下たちに目線で頷いた。麋鹿おおじかから降りて言われた通りに襖甲よろいを脱ぐ。弓矢と佩刀、懐剣を全て取り外して進み出、胸を地につけた。


 指示した居丈高な声に反して兵たちは丁寧だった。ごわつく麻縄を打たれたものの殴打や罵声などを受けることもなく彼らは粛々と使者たちを歩かせる。四不像の手綱を取って物珍しげに見上げていた。


 ほりを越えて築かれた羊馬墻かきねを通り過ぎ、椀型に張り出した甕城おうじょうから英霜のまちに入る。



 彬州の都は一見して小綺麗で整っていたものの、家々の壁はひび割れて朽ち、なかには崩壊しているのに修繕もされずに手つかずになっている瓦礫が通りの隅に申し訳程度に寄せ集められて、その下で生死の分からない浮浪者が寝転がったりなどしている。骨と皮ばかりの犬たちが黒ずんだ何かを争って吠え立てていた。住民の気配はあるにはあるが皆息を殺しているよう、物音ひとつ、かまどの煙ひとつ無い。異様な空気に瑜順たちは怪訝に頭を巡らせたが、野次馬で窓から覗く顔さえ見受けられなかった。ただ兵たちは無言に近いさやめきの中で使者を取り囲んで歩ませ、重苦しい空気に包まれた市街の中心に立つ城へといざなった。



 州府とはすなわち州城であり設置された郡都が州首都となる。国府が泉主直轄の首都州とその他各州の取り纏めならば、州府は当該州に属する諸郡の管理を務めた。正確に分けて言うならばその行政府の官廨やくしょを集めた建物全てを総じて州府といい、州牧と刺史以下主だった地方官が公務、居住する場所が州城である。州府城は必ず一箇所に纏められており州府は州城の前面に据え置かれ、戸籍や圃場、牧畜、葬祭や刑罰などに関わる民の一切のことは州府で取り扱われる。州府が置かれる上で考慮されるべき点は人口の多さと都市の発展の具合であり、古来からより利便に富む土地が好まれた。必然に州都は幹川から形成された泉の規模が大きく水量が十分にある場所となる。官府のうち都水台だけは州府と離れて都市の主泉の周囲に官舎を構え、水に関すること全般を担った。


 街々の泉はその都市の名を冠す。彬州州都の英霜泉をぐるりと囲う隔壁をまわり、瑜順らは背後に並ぶ官府の黒いいらかと白い壁を間近にする。てっきりその中へ入るのだと思っていたがしばらく待たされた。やがてぴったりと閉じられた大扉の横の脇戸が少しばかり開いて、官服の人影がなにやら州兵と話す。それから再び歩かされ、州府を迂回して吹き抜けの回廊を渡り裏にどっしりと佇む州城へと連れて行かれた。



 ようやくひとつの房室へやに通され固い石床に座らせられる。

「……あの、私どもは誰とまみえるのでしょうか」

 瑜順が見張りの衛兵に問うたが、兵卒たちはただ目を逸らすだけで答えてはくれなかった。後ろで少年が小さく舌打ちした。


 途方もなく長い時間が過ぎたように感じた。室内に時刻の分かるものはなく、物音は兵卒が交代するために動く音と扉を開閉する音だけ。弱い陽脚は徐々に傾きはじめて赤みを増してくる。背に柔らかな感触があり瑜順は溜息と共に少し笑んだ。後ろの満嵐は待ち疲れて眠ってしまったらしい。なんとも豪胆な奴だと思い腹が震える。沈黙の中で笑いをこらえるのは大層な苦行だった。


 使者は瑜順を含めて五人で全て韃拓から与えられた親衛二十の中から選んだ。皆若いが勇ましく郝秀のように不満や不信の心がない者ばかり。正直失うのを惜しんでしまう戦士たちだ。とりわけ背後で今にもいびきをかきそうな彼は韃拓の正黄せいこう軍の中で最も若い。ちなみに那乃ナナイの従兄弟にあたる。


 八馗では若さを尊ぶ。壮士おとなになればどんなになりたてだろうが一人前とみなす。かといってあらゆることが歳上たちと同じように出来るわけではないし、こちらもそれは相応にしか期待していない。それでも重んじる。歳若い男は戦いにおいても家を持つということにおいても貴重で、特に子供を儲け良い血を繋ぐことは一族を殖やす上で重要視される。

 とはいえ良い時機に頃合いの嫁が見つからない不運がある。戦いで若さを散らさないうちに婚姻は早めに済ますのがならいだからそうなると縁者は焦った。それを解消する為、近親者でひとりの妻を共有することがあり、角族はこれを特に傪俳サンパイと呼んだ。傪俳の妻とそこから出た子供はなべて二人の夫からの財産を受け継ぐ。満嵐と那乃も互いに傪俳ですでにひとりの妻女を迎えていた。

 逆に先代当主何梅カバイがそうだったように二人以上の女がひとりの夫を持つ場合はいわゆるありふれた一夫多妻に相当するが、夫より家格が上の妻が伴侶となることも多々ある。ゆえに柱勢ジュセは家長ではあれど、立ち位置としては入婿と言ったほうが正しい。


 いずれにしても絶えさせてはならない血を繋ごうとする習俗であることは確かで、その実、二人は仲間内では剛の満嵐、柔の那乃とうたわれるほど有能な八馗兵だった。



 しかしそんな勇士も何もせずただじっと待つことには慣れておらず瑜順が少し身動きしてみせても一向に起きる気配がない。見張りの兵卒たちの視線が痛い。どうしたものか、と肩越しにちらりと小さな頭を見下ろした。ところで、ついに正面横の扉が音を立てて開いた。


 軋みで背に当たる頭が持ち上がったことに安堵しつつ前を向く。入ってきたのは怜悧れいりな顔をした五十なかほどの男、縛られた使者たちを一瞥しそのまま正面の座に腰を下ろした。


「……禁軍の使者というには、奇妙な格好ですね」

「同盟軍の角楊瑜順と申します」

 男は視線を合わせた。

「……彬州兵曹従事史へいそうじゅうじし河元錫堂かげんしゃくどうという者です。征西軍は角族を使い捨てにしますか。それでどうして同盟と言えるのでしょうね。片腹痛い」

「使者の出向も人選も私の一存です。褚将軍以下一泉軍に圧力をかけられたわけでは断じてありません」

「自ら捨て駒に?」

「そういうつもりで参じたつもりはありませんでしたが。彬州はこの場で私どもを斬って交渉を拒否するおつもりなのですか?ではなぜ私たちが彬州に入ってからここに辿り着くまで一度も阻止しようとなさらなかったのですか?」

 河元は口の片端を少しばかり上げる。

「なるほど、我々が使者を迎えると読んだ上での来訪ですか。まあ、それなら話は早い」

 そう言っていちど溜息をつくと語調を引き締めた。

「朝廷にお伝え頂きたい。我々は長年実りの少ない土地ながらも一粒の麦の重さほども租税をおろそかにしたことはございませんでした。それなのに蝗害こうがいが起き冷夏になろうとも税は減免されず、然るべき救済の手当てもなく、上納できなければ酌量の余地なく罰を与えられました。加えてあの鈍愚の州牧と保身に走る刺史によって圧政を布かれた彬州は末端の邑里ゆうりに至るまで人心と土地を荒らされた。この責任は全て上奏に耳を傾けなかった朝廷と王にあります。民にとって害となる施政者は不要です。よって彬州は現泉主姜坎きょうかん陛下の禅譲と摂政崔梓さいし陛下の退任を強く求め、北狄との和平にも反対、同盟の解消を望みます。これが我々の主張です」

「……失礼ながら、貴殿は兵曹であられますね?本来、そういった州の管理は州牧と刺史の職分、しかし話によると頼りになっていなかったことは理解出来ました。であればこの場は次席の治中ちちゅう別駕べつがが窮状を総括して国府に奏上すべきことかと」

「そんなもの、乱の噂を耳にしただけでとっくに逃げ出しました。兵曹とは戦が起きた時の臨時職。私はもとはしがない簿曹書佐ぼそうしょさ……州財政の歳入出の管理と穀倉の出納係でしかありません。それを皆に推し上げられてこうして取り仕切っているに過ぎません」

「そうですか…それで、訴えが聞き届けられなかった、と?」

 河元は苦々しげに頷いた。

「彬州牧は長年民に違法な徴税を課し私腹を肥やしていた畜牲けだもの。それをいくら直訴しようが揉み消されました。頼みの綱の刺史は懐柔され見て見ぬふりをする始末。彬州の土は固く痩せていて水を吸わず穀物の生育に適さない。もともと豊かとは言えず収穫も他州より少ない。なのにこれ以上税を増やされれば民が飢える。あなた方も見たでしょう、農地が少なく荒れ野が広がっているのを」


 確かに剛州のように水田が段々畑で広がっているわけでもなく、わずかばかりに開墾した土地とあとは砂礫されきと雑草の荒地が多いのが目立った。


「税を納められない者を州兵は取り立てなければならない。彼らとて多くは彬州で徴兵された民なのです。その兵たちがわずかの税の未納の為に友人を、家族を引き立てて捕らえなければならないその苦悩。逆らえばもっと重い罰が待っている。直に手を下しそれを断行しなければならない彼らの葛藤がいったい、どれほどのものか。もう限界でした。決起を促したのは私ではありませんが、州府でも賛同した者は多いですよ。現に州軍は州司馬しゅうしば以下属官全てこちら側です」

 州都であるのに閑散と寂れていたのもその為だ。おそらく決起の前に逃げられる民は逃げたのだろう。

「惣州と結託して?」

 これには河元は首を振った。

「我らは特に各州とは連繋しておりませんでした。しかし、今の時期に決起とすれば雨期の前に今年一度めの麦を収穫し終え、籠城戦に備えて水を蓄えられる今頃、と。禁軍が鎮圧に来る頃には収穫はほとんど終えていると思ったのです。予想より早いお着きでしたが」


 瑜順は内心疑念を抱いた。他州と示し合わせていないなら、なぜこうも謀叛の時期が重なるのか。河元の説明と同じことを他の全ての叛乱主導者が考えたとでもいうのだろうか。しかしそれはとりあえず置いておき、更に尋ねた。


「事情は把握しました。しかし、なぜ我々との同盟をも反故を要請するのですか」

「彬州は東地域とは無縁ですから、たとえ角族との同盟が続いても大きな得にはなりません。よりか経済があちら側に偏りこちらに不利益が生じるのを避けたいのです。……一泉は商業のほとんどが民間に任せきりで規制や制限も少なく国府は円滑に提携管理できていない。ゆえに商行、食行ともに個人で隊商をつくり私腹を肥やす者が多い。いくら角族との取引で他国で麦飯石が大売れしてもその利潤が国全体にはうまく回っていないのを分かっていながら長年放置してきた朝廷にこれからも期待することはもう出来ないのです。この国を支えているのはなにより土を耕し種を蒔いているごく平凡な民たちです。蔑ろにすることは許されません」

 河元は言いたいことをあらかた言い終えたのか一息つくと、それで、と冷たく切り替える。

「角族の方々が危険を冒してなぜ使者に?西の州とてあなた方の悪い噂が入っていないわけではないのですよ」

 瑜順は目を伏せて微笑んだ。

「失礼ながら従事。彬州には人質を掲げて国と取引できるようななにかがおありですか。話を聞くに民たちの鬱憤が溜まり軍がそれに呼応してなし崩しに決起したという印象を受けましたが」

 問えば、しばらく黙ると息を吐き、重々しく首肯した。

「……白状しましょう。その通りです。人質を取ったはいいがそれがどうしたと一蹴されればそれで終わりなのです。はなから勝ち目などない」

 河元さま、と周囲の兵たちが身じろぎした。それを手で押しとどめる。

「けれど彬州の願いを朝廷に聞き届けてもらうにはこれしかなかった。これでどれほどの罰に甘んじようと兵たちは後悔などしていない。これは民意です」

「巻き込まれる奴は憐れだな」

 瑜順の後ろで少年があっさりと言ったのに顔をしかめて続ける。

「ですから蜂起の前に戦場となりそうな郷里まちからは極力避難するようにとの触れを出しています。民の総意とて戦うすべの無い者をいたずらに死なせたくはない」

 そうですか、と瑜順は再び頷いた。

「こちらは州牧、刺史、及び捕らえている州府の官吏全ての引渡しとあなた方の降伏を要求します。といっても、従ってもらえるはずはないので、人質の解放だけお願いしたく思います」

「馬鹿な。それこそするわけがない」

 兵のひとりが吐き捨て、それにも首を縦に振る。


「ええ。ですから私たちと引き換えに」


 場の視線が一斉に注がれた。

「我々とて死ぬのは御免ですし、彬州の民に慕われている州軍を殺して恨みを買いたくはない」

 理解に苦しむ、と河元が首を傾げた。

「使者五人、全て角人。一泉民でもなく高官でもないあなた方は朝廷と征西軍にとってそれほど価値があるようには見受けられない。だからこそこの任を許されたのでは?」

「従事は直言な方ですね。もちろん、褚将軍個人にとっては我らは大事というよりむしろあだでしょう。野垂れ死ねと思われているくらいに。しかし、国にとっては違います。我々は同盟相手なのです」

 微笑みを浮かべたまま肩を竦めた。

「我々五人の後ろには角族八十万が控えています。このことを太后さまが忘れるはずはなく、私ども一人あたりの戦力が泉兵とどれほど差があるのか、淮州の大禍たいかを経験した者なら分かろうというもの。そうそう敵に回して良い駒ではありません」

「であればますます分かりません。もしそうなら人質を交換すればこちらは優位になる。なぜ討伐軍のあなた方がわざわざそんな申し出を?それほどお強いのならばここから強行突破しても生き延びて陣に戻れるでしょう?」

 まさか、といぶかる。「よもや本当に我らに協力するつもりですか?」

「いいえ、それはさすがに。翻意ほんいを見せて同盟に亀裂を生みたくはありません。人質交換はあくまでそちらに脅されたという形が必要です」

 河元は額に手を当てた。

「同じですよ。無茶な。そうしたところで解決に至るとは思えません」

「ご要求の変更は求めたいところです。泉主の廃位などという大それた事でなくても、ようは彬州の状況が是正されることが第一でしょう?であればそちらに重点を置いて訴えるべきです。それがたとえ今まで聞き入れられなかったことの繰り返しとしても、我々がここにいるなら朝廷も少しは考えるかもしれませんよ」

 正面に座す男はしばし沈黙し、瑜順を軽く睨む。内心を見透かそうとするかのようにさらに目を細めた。


 彬州が人質をこの角族の使者五人にすげ替えたところで征西軍の歩みは止まらない。むしろ褚文統ならいくら偽装したところでこの者たちがこちらに協力したと思うだろう。そうなればあちらにいる仲間も危ないだろうに。


 殺しましょう、と声が上がって河元は顔を上げた。兵たちが使者を囲む。

「河元さま、口車に乗ってはなりません。何を企んでいるか知らないが泉民でもないこんな奴らの言うことなぞ聞くべきではない」

「もしかすればこちらを油断させ隙を突かせる為の単なる時間稼ぎなのやも。こいつらはもとから捨て駒です」


 後頭部を掴まれ床に近づけられ、背後から、瑜順、と反抗の許可を求める声が聞こえた。だがそれには無言で禁止の意を伝える。頭を横向けて河元を見上げた。

「従事。今ここで我々を処刑すれば事態は悪化します。分かっておいでですね?」

 問えば相手は諦めるように息をつく。

「使者どの、私は州城ここではまとめ役ですが彼らの主ではありません。民が交渉の拒否を望むのなら、私にも反対する理由がない」

「俺たちを殺せるって?」

 満嵐がせせら笑った。「やってみろよ。その薄っぺらい剣では小指ひとつも落とせねえぞ」

「この豎子ガキ、自分の立場が分かっているのか!」

 挑発に兵たちが興奮して腰のものを抜いた。瑜順は内心で嘆息し、身が自由ならな、と後ろに括られている手に力を入れた。



「――――やめんか」



 ふいに聞こえた重厚な声で場が止まる。入ってきた人影をみとめて兵たちの熱が一瞬にして鎮静した。


「州司馬」

「遅れて来てみれば騒々しい。河元、かしらならもっとしもべを抑えんか。そのように甘やかせばお前の権威をも弱めるのがなぜ分からんのだ」

 白髪の混じった髪の壮年の男はまるで地鳴りでも響かすかのような威厳でどしどしと近づいて来る。重石が離れて起き上がった者たちを見下ろし、大砍刀おおなたこじりを向けた。


「……おぬし、いま殺すつもりであったな?」

 瑜順は俯けた顔を無表情のまま上げ、見返す。視線のかち合った男は鼻を鳴らした。

「殺気を隠すのはそれほど上手くはないようだ。しかし腹の内が見えぬ。何が目的だ」

「……私たちはただ、一泉全土の戡定かんていと友和を」

 言には失笑した。

「どの口が言うておる。……それでおぬしらがこちらの人質になれば、禁軍は進軍を止め、我らは朝廷と交渉出来るのか。たしかに角族の力は侮れぬがおぬしらとて一枚岩ではなかろう。どんな思惑があるにせよ、もしもこの乱がもつれ、一泉との同盟が崩れ去れば困るのはそちらとて同じ。……ではあるが、話を聞いていればまるでおぬしらが朝廷の切り札とでも言わんばかりだな」

 目の前の異人の青年はただ口角を上げてみせた。

「お試しになってみればいい。それでも征西軍が誅伐を始めるなら、我らを殺して振り出しに戻るだけ。もとより州牧を人質にしても意味などなかったのですから」

「……まあ、たしかにそうですが……」

 河元が顎をさすった。未だ疑いの目で使者たちを見つめる。「そう簡単に斬られてはくれないのでしょう?」

「その時は抵抗はしますが、流石に五人で万を相手にするとなると無理な話。私たちとて人ですので血を流せば死ぬ」

 州司馬が腕を組んだ。

「儂は乗ってもいい」

達吟たつぎんどの」

「考えてもみよ。角族を囲うならこやつらの大将を巻き込める。彬州を軽々に攻めれば人質は殺され今度は角族との確執が生まれてしまうからな、朝廷は独断でこの乱を押さえることがかなわなくなる。平定するまでに長引き、そうなれば国軍が相手にするのは今度は剛州に詰めかけた民だ。三方から波のように押し寄せる自国民を無闇に殺せぬとなれば水門を開けるしかなく、賦税が国に収まらないのであればあちらが譲歩して折れるしかない」

「我慢比べですか」

「玉砕戦よりよほどやる気が出るわい。ここはひとつ使者の案に乗ってみてはどうか」

「………州司馬であるあなたがそう仰るのならば、兵から不満も出ませんが」

 逡巡しつつ、河元が自分を納得させるように頷いた。瑜順は微笑む。

「では、決まりですね。州牧と刺史らをご安全に禁軍の近くまでお届けしてください。こちらから一人付けても?」

「四人も五人も変わらぬと?」

「使者がいなければ何がしかの罠かと疑われて口を開く前に殺されるかもしれませんよ――満嵐、頼む」

 しかし後ろの彼は顔を背けた。

「断る」「お前な」

「戻るなら瑜順が戻ればいいだろ」

「それでは意味がないんだ」

「嫌だ。そもそも俺はお前の目付けを韃拓の大哥アニキに頼まれてんだぞ」

 瑜順は溜息をつき、達吟が体を揺らして笑う。

「子どものくせに肝が座っとる。いい、こちらで指名しよう。では河元、州牧と刺史の解放の準備を。牢車は頑丈なのを用意せい。伝え聞いた民が怨嗟に駆られて禁軍に渡す前に殺してはたまらんからな」

「それほど怨まれておいでですか」

「惣州ほどではない。彬州牧は金にがめついだけで街を焼いたりはしなかったからな。そうであれば走狗そうくである州軍が民から信用されているはずはない」

「ご苦労されたようですね」

 わずかに憐れむ気配をさせたのに達吟は探る眼をした。変わった奴だと心の中でひとりごちて身をひるがえす。言葉は通じるし感情も伝わってくるのになにか決定的なものが掴めない、掴ませない。そういう奴は無防備に信用しないほうがいい、と知っていた。




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