三章



 松鴉かけすの声に目覚めると、すでに友は起き出して火鉢の側に座っていた。そちらは視線に気がついて頷く。

「早いな。昨日は羽目を外しすぎていたぞ」

「……けむたい」

 寝惚けたまま乱れた髪を掻き上げた。珍しいこともあるものだ、瑜順が煙をうなんて。

 悪い、と灰吹はいざらに吸殻を落とした。「少々眠れなくてな」

「緊張してんのか?らしくねえ」

「……韃拓。小福の棨伝てがたをもらっている俺たちは先に関を抜けよう」

 韃拓は欠伸あくびをしながら起き上がった。

「それは構わねえけど、他が無事に通るのを確かめなくて平気か?」

 次は自分の番とばかりに差し出してきた手に煙管きせるを渡しながら、瑜順は窓の外を見る。

「あいつらが特に官府と繋がっているような動きもない。食局の旅人にも訊いてみたが皆口を揃えて大丈夫だと言っていた。食行や互儈はなにより然諾ぜんだくを重んずるそうだ。報酬が満たせればたとえお尋ね者でも関係ないらしい。信じていいだろう」

「お前がいいならいいけど」

 吐き出した煙の輪を目で追う。「媽媽おふくろから文は来たか?」

「なんとかこのまま進むようにと。あちらはあちらで一泉主に俺たちの現状を伝えてくれる。とはいえ敵にいつ見つかるかも分からないから、一刻も早く朴東を出なければ」


 二人は鏢行の数人と麻姑を連れて朝の開門を待ち再び郊外の雑木林に戻った。小福もついてくる。韃拓はそれを見て怪訝な顔をした。

「おい、棨伝を貸してもらってありがたいけどよ、お前ここに入り浸ってると仲間だと思われて一緒に捕まっちまうぞ」

「つれねえな。いちど首を突っ込んじまったんだ、最後まで見届ける」

 麻姑が笑った。

「まあまあ、こののおかげでなんとか関越えできるんじゃあないか。そうつんけんしておやりでないよ」

 それを聞き流してさらに不機嫌そうに歩み去ってしまう。小福は瑜順に小声で訊いた。

「なあ、あいつなんであんなに偉そうなんだよう」

「韃拓は角族の現当主だ。単純だが考えなしではない。機嫌が悪いのはお前を心配しているだけだ。見ず知らずの子どもに助けてもらったことに少しはバツの悪さを感じている。別に本気で怒っているわけじゃないさ」

 瑜順は主の後姿を見て少しばかり微笑んだ。「なによりこれ以上誰かを巻き込みたくないのだろう。今あいつは仮にも二百人を預かる長だからな。俺に采配を任せているが、大事なところはいつも決断できる」

「おれにはあんたのほうが当主らしく見えるけどね」

 言えば歯を見せる。「俺は下僕しもべらしく当然の振る舞いをしているだけだ。なにも大したことではない」

 そう言うと彼も仲間たちのもとへ合流していく。その背を見送り、小福は横に立つ女を見上げた。

「いまいち掴めねえ奴ら。あんたはなんで協力したんだ?」

 麻姑は笑い含んだ。

「こういうのは気運というものがあるのさ。一言で言えるようなもんじゃあない」

「とか玄人くろうとぶりつつ、いちばんは金目当てなんだろ。まったく、この国の奴らはがめついぜ」

 首を振りながら言った小福もまた薄ら笑いを浮かべた。麻姑はそうさ、と得意気に胸を反らす。

「あたしは商人だよ。どれだけ自分が得できるかを一番に考えるのさ。今回の件は危険も多いがなにより国が関わってくる重要事だ。角族を上手く助ければ報賞もありうる。そうなればあたしのこうも名が通ってますます大きくなれる」

「おれも昇級しょうきゅうできる?」

「したいなら今のうちにあのぼうやたちに恩を売っておきな」



 良民には必ず位がある。けい大夫たいふなどの階級は同級位でも上中下の等級があり、さらに細分された爵位に割り振られ、任官の有無によって官爵と民爵に隔てられた。官爵は位により俸禄と土地の所有量、奴婢の数が定められた。

 大抵の民は第一級か二級、士階級である公士こうし上造じょうぞうを持つ。軍功を上げれば進級し罪を犯せば取り上げられる。といっても、泉地では戦など度々に起こることではないから、爵位を上げてより多くの権益を得るには士官して地道に昇級していくか金で位を買うのが一般的だ。また、国家の大事や吉礼のおり、特定の個人がめざましい貢献をした場合などには国から賜爵された。ちなみに買爵は公に認可されたものだが売爵は文字どおり位を失うことであるのでよほどのことがない限り忌避される。


 しかし奴婢階級である泉賤民せんせんみん、そして商人には爵位は与えられない。



「でもさ、あんたなら国から褒美を与えられなくても腐るほど金を持ってるだろ?」

「まあ、お偉い官吏連中はあたしらが手広く私腹を肥やすのを薄汚いものとして見ているから肩身は狭いやね。しかし金は金でも国からのものなら箔が付く。正攻法で得たものならなおさら価値がある。それで名が挙がるからね。同業はいくらでもおれど、こちらとてあえて売名の為に国と取引して金を注ぎ込むなんてことはしないしつまらないことだからそういうのは滅多にないことだよ」


 古くは商人とは地に根ざして暮らす良民とは異なる営みを行う者たちとしてより蔑視され、泉賤どれいと同じく戸籍さえなく土地を持つことが許されなかった。立場が向上したのはひとえに泉国には絶対になくてはならない浄水石――麦飯石ばくはんせきの普及には商人の力が必要不可欠だったからにほかならない。客商のなかで特に霧界の資源をもたらす馬絆ばはん食行はいまや特別視されている節もある。


 小福は先を歩む麻姑にさらに問う。「……州府しゅうふからもらったほうが楽だとは思わない?」

 わい州が角族を朴東関ぼくとうかんで待ち構え、捕らえようとしているつもりならあちらに協力したほうが手っ取り早い。麻姑は意味を理解して振り返った。

「まあ、淮州に住んでいる者ならそう思うかもしれんな。だがあたしは常にここにいる人間じゃないんでね。いつも大物狙いさ」

 そう、と俯いた小さな頭をしばし眺め、口角を上げる。

「話は聞いたよ。親父さんは残念だったが、いまさらあれこれ悔やんでも仕方ない。お前にはお前のやり方があるんだろ。良いと思うことをやればいいさ」

 そう慰めたが、小福は曖昧に頷いただけで顔を晴らしはしなかった。



 四不像を数頭ずつ荷台に乗せ、または目立たないよう偽装して朴東その他の近場の郡県へと移送し、全頭のつのを切る作業には数日を要した。目立つから関を越えさせられないので、角族使節団が安全を確保し呼び寄せることができるまで鏢局が預かる。その間に麻姑は自らの行を采配して泉賤どれいごう州に輸送するという体裁を整え、また鏢行も貢物を運ぶための段取りを終えてこちらは先行して関を越え始めた。


 しかし調整を済ませいよいよ人員が出発するとなった時分、韃拓は瑜順に異議を立てた。

「やっぱり、俺は最後に通る。もし麻姑の運ぶ荷を止められて泉賤が角族だと知られたら、俺はそれを無視して先に行くことはできねえ。全員通過したのを見届けてからにする」

 対して瑜順は腕を組んで睨んだ。「もし万一そうなったとしたら、その時点で関門が封鎖され、徹底的に仲間が郷内にいないか調べられるだろう。お前が殿軍しんがりを務めるのは危険だ」

 しかし首を縦に振らない。「お前が先駆けしろ。どの時点でばれても後ろに続く奴はここで捕らえられる。なら、先行するのは泉畿せんきに着いて上手くやれそうな奴にすべきだ」

「だめだ。お前を一人にはできない」


 しばらく説得を試みたが、それでも言を曲げなかった。

「もし仲間がここで殺されたら俺は一泉を許さない。見つかったら後戻りして朴東を滅ぼす。そんくらいに思ってる」

 背に負った剣の柄を握ってみせ、それで瑜順は盛大に溜息を吐いてとうとう折れた。「……わかった。だが殿軍をするのなら俺と一緒だ。前も言ったが、お前はかなめなんだ。失われてはここにいることに全ての意味がなくなる。それは分かってくれ」

 途端に主はころりと破顔した。

「おう!そうと決まったらとっとと抜けちまおうぜ!」



 期日は翌日の朝から、関の開門と同時にまず麻姑の預かる隊を先行させる。泉賤になりすました仲間を五十人ずつに分け複数の荷車で通過させた。その間に偽の棨伝を持っている者は旅人その他に混じって単身で抜け、全員の通過を確認した最後に韃拓と瑜順が通る。


 泉賤のふりをした仲間の最終の車には請負主の麻姑自身が乗り込む。馭者ぎょしゃ台に立って二人を見下ろした。


「合流地で待ってるよ」

「ああ。俺たちにもしもがあったら仲間を頼んだ」

 麻姑は頷き、一瞬瑜順に視線を流すと、そのまま発進の号令をかけた。ごとりと車輪は動き出し、檻の中でわざと身を汚した、小声で武運を祈る配下たちに韃拓は軽く手を挙げた。宣尾センビ蒼池ソーチも緊張した面持ちで頷いてみせた。


 二人と小福は北門が見渡せる近くの高楼から息を詰めて荷を見送る。麻姑が気安そうに門卒と話すのが見えた。やがて再び重そうに動き出し、門洞もんどうを抜けて速度を変えずに徐々に道の向こうに見えなくなる。


「行った……」

 韃拓がほっとして小福の頭をぐしゃりと撫でた。それに嫌がりながら瑜順を見る。

「いよいよだな。すぐに行くのか」

「ああ。長居は無用だ。今のところ勘づかれた様子はないが、各所の厩舎に置いている四不像にもしかすれば誰が気づくとも分からない。早いところ出よう」

 小福は少し寂しそうに頷いた。「ぜったい棨伝を返しに来てくれよ。おれはここにいるから」

「必ず」「任しとけ」

 声を揃えた青年二人を硬い表情でもう一度交互に見て、

「じゃあ、目立たないように見てる。……さよなら」

 そう言うとあっという間に階を降りていった。韃拓が腰かけていた欄干から立ち上がりつつ、変な奴、と不思議そうに首を傾げた。



 関はやはり朝のうちに出入りする者が多い。なので二人も麻姑の荷車が出て行ったすぐ後に門前の列に馬を並べる。検問を待つ人の波は午初刻ひるどきになって少し引いていた。


「瑜順、先に行け」

「お前な……」

「お前だって全員のうちの一人だ。怪しまれるから距離を取る。じゃあ後でな」

 口を挟む隙を与えず、韃拓が離れた。瑜順は息を吐いて向きなおり、門を窺う。場に緊張はさほどない。しかし、と上を見る。箭楼せんろうには兵が多い。行方の消えたこちらの一団がいないか探しているのか。


 衣服も着替え、髪も辮結みつあみではなく泉国ふうに緇撮だんごにしている。身姿みなりは旅人の装いだ。門の列がじりじりと進み、前に五人ほど残したところで下馬した。

 ついに巡ってきて、検兵は横柄に棨伝を見せるよう命じ、裏表を確認し、積んである荷を開くよう言った。食行であつらえてもらったのはごく普通の旅支度で、兵はつまらなさそうに顎をしゃくる。目は既に次の者に移っていた。



 ――――越えた。瑜順は馬に跨り歩みながら、振り返りそうになるのを我慢してゆっくりと壁を抜ける。抜けた先は剛州、門前には反対側と同じく道を挟んで市廛みせや露店が並んでいる。しかしこちら側は郷の内ではなく郊外のようで、目をさらに前方に向けると道の先にまたひとつ壁で囲われた居住区らしきものが見えた。

 門前には人も多い。誰かを待っているのか、門から出てくる者を確認するように伸び上がる者や、実際に再会した者と合流したのか喜色を浮かべて抱き合う一団などもいる。その中に紛れ、韃拓の通過を待つことにした。




 一方、三つある門のうち、韃拓は瑜順から二十人ほど後ろの隣の門列で彼があらためられるさまを見ていた。静かに去っていく背中に内心膝を叩く。これなら余裕で大丈夫そうだ。

 そう思い馬を曳いて進み、自分の番になって言われるままに棨伝を差し出した。

 検兵は退屈そうに目を細めながら札を見て、動きを止める。裏表を凝視して持ち主の顔とを見比べた。

寒県かんけん奈爾なじ宇福うふく?」

「そうだが?」

 兵は表情を一変させた。棨伝を返すことなく他の兵に目配せする。

「――ちょっと来てもらおうか」

 密やかなその言葉に韃拓はぽかんと目を見開いた。




 見知らぬ男が走り出てきて後ろを指差した。


「大変だ、関抜けだ!」


 慌てた叫びだけでもう何があったか分かった。瑜順は馬に打ち跨ると混乱し始めた門前に飛び込み先ほど進んできたばかりの暗い門洞の向こうをすがむ。怒号と悲鳴のざわめき、聴いたのは壁沿いの馬道ばどうを駆け上がる荒々しい蹄の音。

 それで壁沿いの坂を目指す。方向は門に向かって左、入口には兵がいたが小門は開け放たれていた。油断していた兵卒たちを蹴散らし、一目散に壁上へ駆け登った。


 思った通り、主が姿を現した。後ろから追われている。向こうもこちらに気がついた。荒く鞭打って近づいてきたのに厳しい目を向ける。


「――なぜばれた」

「分からねえ!棨伝を見た途端連れて行かれそうになったんだ!」

「なに?」

 馬を並べながら眉根を寄せた。

「棨伝の姓名をわざわざもう一度確認された!どういうこった?焼き討ちに遭った里だったからか⁉」

 韃拓は追ってきた捕兵をみとめて外套の中に隠していた剣を抜いた。やむを得ず倣って瑜順は、いいや、と返す。

「それなら小福の父親のものを持っていた俺も捕まったはずだ。しかし妙だ。人相書きが伝わっているのなら顔を見るはず。それなのに姓名を確認する理由が分からない」

「瑜順、矢が来る!」

 二人は北に向かって駆けながら後ろを振り返る。「殺す気なのは間違いねえ!」

「前からも来る!」

 待ち構えているのは歩兵だ。槍を構えた姿に韃拓が舌打ちした。「俺が道を開ける!お前は後ろの矢を落とせ!」


 舐めてもらっては困る、と不敵に笑った。手綱を離すとそのままの速度で歩兵に斬り込み槍を奪った。馬上で振り回す。同心円内で首を撫で斬りされ、頭蓋を真横から叩き割られた兵卒が後ろ向きに吹き飛び、巻き込まれた数人が勢い余って壁から落ちていった。瑜順も腹を括る。もう後には退けない。飛来したものを叩き落とし、そのうちの一本を宙で捉えた。韃拓に続いて乱れ込んだ歩兵の群れの中から弓を奪い取り、背後に身をよじりながら引き絞って放つ。


 角族は騎射で知られる。馬を駆るまま振動をものともせずに半身を使い、四方八方に矢をつがえ使うことを得手とした。一泉で掠奪をはたらくときも必ず騎乗して戦った。手綱を離して馬を操る技術と進行方向に左右されない体捌き、揺れのなかで敵を精確に射抜く腕と眼は幼い頃から鍛え上げなければ得られないものだ。


 交戦して嵐の包囲を駆け抜け、二騎はただひらすら北へと逃走した。




 追っ手を散らし、適当なところで馬を捨てて壁上から霧界側へと飛び降りた。北東辺の見張りの兵はまばらで二人を挟撃することさえかなわなかった。受身をとって斜面を転がり、枯れ草にまみれ咳をしながら起き上がって、壁が見えなくなるまで走った。ようやくその灰色の一直線が森林の霞に見えなくなった岩場で足を止め、瑜順は汗を拭いながら初めて声を発した。


「韃拓……‼」


 前を行く背に突き立つのは折れた一矢。同じく汗だくになった韃拓は膝をついて肩越しに頷く。「抜いてくれ」

 瑜順は力を込めて食い込んだものを引き抜いた。肉を千切る音がしたが血は溢れない。外套をぎ、褞袍わたいれを脱がせて傷口を確かめた。


 やはり、と内心息を飲む。この光景は何度見ても慣れない。矢が刺さった肌は裂けていたけれども出血は少量で、まるで肉凍にこごりを切った時のようにそれは弾性でもって差し込まれたやじりの傷は即座に癒合した。あとはただ、表皮だけに擦り傷程度の細い線が残るのみ。それも見ているうちに薄らいで消えた。


 いてて、と韃拓は背を丸めたが、本当に痛みを感じているのか信じられない。角族かれらはふつうの人ではないということをまざまざと思い知らされる。瑜順はいつもこの神秘に微かな怖気おぞけを感じるのだ。


「……大したことはないようだな」


 内心とは裏腹に無感動に言うと笑う。「さすがに近すぎた。ちょうど骨の間に刺さっちまったけど、鋼兼ハガネさまさまだな。もう大丈夫だ」

「悪い。俺が阻み損ねた」

 只人なら謝るだけで済まない傷に問題ない、とさらに朗らかに笑って後ろを振り向く。「随分走ったな。どうせ泉人はここまで来れねえだろう」

 陽はすでに傾き霧に包まれた森は薄くだいだいと赤紫に火照ほてっている。韃拓は立ち上がって指を口にあて、甲高い音を発した。瑜順はあたりを見回す。「ハクが来ているのか?」

「あいつは俺の行くところにはどこでもいてくる。あえて泉地に入りはしないし壁を越えては来ないが、たぶん近くにいるはずだ」

 何度か指笛を鳴らし、言葉通りいくらも経たないうちに断崖から黒い一点が駆け下りてきた。


 獣は一目散に走ってくるとそのまま腕を広げた主にじゃれつく。すっぽり覆われ全身が見えなくなるほどの巨体に押し倒されて韃拓は笑いながら荒く毛並みを撫でた。「やはりいたか。さすがは俺の相棒だ。けどどいてくれ。めちゃくちゃ重い!」

 赤い舌で舐め回されている様子に瑜順もふと微笑み、薄暮を見上げた。「さてしかし、どうしたものか。これで壁は易々とは通れなくなった。皆と合流しようにも難しいが」

「どうしてだ?北は守りが薄い。夜に紛れて壁を越えればいい」

 瑜順は首を振ってしゃがんだ。「壁上で州境を越えてしばらくしても剛州から応援の兵が向かってきた。それも初めから矢を射掛け、襲ってきたということは剛州も俺たちを保護するつもりなんかないということだ」

 藍を帯びていく空を見つめながらつまり、と続けた。「剛州へ内密に入れても州内は安全とは言い難いということ。どころか淮州と同じくすでに捕縛するよう手配されていると考えたほうがいい」

 韃拓は睨む。「じゃあ、他の奴らもまだ大手を振って歩けねえってことだよな?捕まってるってことか?」

「いいや、それは何ともいえない。大人数の集団を警戒していたならたとえ見知った麻姑の荷車とはいえもっと検めに時間をかけたはずだ。使節団が消えたとなれば尚更。それが、朴東関で見咎められたのはお前ただ一人。敵は小福の棨伝を持ったのが角族の韃拓だと知っていた」

「それって、」

 やはりな、と瑜順は再度首を振った。「最初から怪しいとは思っていたんだ。里を焼き討ちされたのなら兵の包囲を掻いくぐって一人だけ助かるなんてことは奇跡だ。しかも都合良く棨伝を持ち出していて俺たちに助けを差し伸べた」

「あの悪童わるがき……」

「どの時点で敵と通じたのかは知らないが。しかし少なくともあれの助けのお陰で皆が関を越えられたのは確かだ。ただ角族の首長だけは捕らえて殺せというめいが出ているのやもしれない」

「なんで俺だけを」

「俺たちの戦い方は泉人にとっては異質だと聞く。角族の勇士二百人全てを捕縛しようとすれば犠牲がかなり出るだろう。それならとにかく頭を押さえたほうが確実だ。同盟を潰そうという魂胆ならお前を見せしめにして仲間の反感をあおるか、意気を削ぐのが早くて簡単だからな」

 韃拓は歯噛みした。

「そういう事かよ。くそ、絶対許さねえぞ。でもじゃあどうする、下手に国内なかに入らないほうがいいってことだよな」

「そうだな。何梅さまは泉畿を目指せとおっしゃった。俺たちがいなくても宣尾さんたちは入ろうとするだろう。泉畿近くまで霧界を進んでなんとか合流するしかないが」

 どうにか連絡を取れればいいのだが、と悩む。伝鷹でんようは移動している相手どうしの連絡手段には使えない。

「追われてるのが俺だけならお前は戻れる」

 言ったが憮然と否定された。

「俺とてもう面が割れた。前回の同盟に随行した者らの話によると、泉畿へ入るのにはもう一度門があり調べがある。いま剛州へ戻れてもそこで足止めになる可能性がある」


 韃拓は苛立たしげに頭を掻きむしった。

「どうするってんだ。もうこのまま狛で泉宮せんぐうへ乗り込んで泉主に会ったほうが早くねえか?」

「……無謀にもほどがあるが一理ある。だが、一泉に入ってからどうもあちらの動きは変だ。俺たちを仕留めたいならば淮州に入ってからすぐに包囲して滅ぼせば簡単な話だった。なんなら如願じょがん泉で待ち伏せしてな。それが逗留先を阻んだり素人の里人を使ったりという回りくどいやり方で州境に近づくまで実質放置、やはり堂々と兵を動かしたくなかったということ。俺たちへの妨害を知られたくないからだ。小福の言ったことから、俺たちはそれが侯王こうおう……淮封侯ほうこうがそう指示していると思い込んでいたが、淮州の州官が州牧しゅうぼくを筆頭に封侯に頭が上がらないのならば、なぜそうまでして兵を動かせないのか。刺史ししは処刑されて不在、泉畿へ直接に繋がる官がいないのにこの警戒のしよう、それならば今回の企みは封侯の意思に反して何者かが指図していると考えるのが自然だ」

「じゃあ、本当は淮封侯は俺たちの味方ってことか?」

「結論するのは早いが、可能性はある。考えるに、一泉の勢力は二分されている。角族との同盟に賛成か反対かで分かたれているんだ。仮に淮封侯が賛成派、その他が反対派としても、力の差は歴然としている。反対派は表面上は封侯に逆らえない立場だからこんなことになったが、隠匿してまで俺たちを潰したい。そしてそれを実行出来る力がある。…………とはいえ別の疑念も浮かぶ。はたしてなんの後ろ盾もなくそんなことをやるだろうか。角族主であるお前を殺しても処罰を免れる算段があるのでは、と。後援が淮封侯よりももっと上の権力だとすれば」

 韃拓がさらに眉間に皺を寄せた。

「一泉主が俺たちの敵だってことか?だが媽媽がそんなことを見誤るはずがねえ。それは考えにくいぞ」

「俺もそう思うが、現に剛州兵からも攻撃された。俺たちを迎えるようにとの通達が届いてないんだ。剛州は首都州、泉主の膝元だ。一泉主が俺たちの味方なら剛州でも追われるのはどう考えてもおかしい。泉主も寝返ったのかもしれない。たとえ泉主があずかり知らずとしても、少なくとも角族の排除に中枢で加担している奴がいるはずだ。泉畿のある首都州で大々的に攻撃して国府にばれないはずがない」

「初めから一泉主が同盟の反故ほごを望んでたのなら俺たちから泉を取り上げて断絶を宣言すればいい話だろ。こんな回りくどい姑息な手段で捕らえる意味が分からねえよ」

「人質を取って一族の反発を防ぐ…とか」

「それにしたって悠長すぎる」


 暗闇のなか二人で頭を捻る。一泉の自分たちに対する扱いにむらがあってどうにもよく分からないのだ。とにかく、と韃拓は座り込んだ岩場を拳で叩いた。

「俺はここまで来て尻尾巻いて逃げ帰るなんてごめんだぜ。なによりみんなを敵地に置いたままにできるか。どういうことなのかきっちり説明してもらう」

「そうだな。だが最悪の事態を想定して行動した方がいい。どのみち今日の騒ぎが収まるまでは国内へ入れないから、霧界で日を待とう。あちらが泉畿に入るのと同じくらいに合流して、拝謁はいえつの儀に滑り込みたいところだが」

 韃拓は首を傾げた。「乗り込まないのか?一泉主が敵なら、正攻法で宮城まで行けてもそこで捕まるかもしれんだろ。拝謁なんて到底無理だ」

 瑜順はじっと考え込み、それから逃げてきた遠くを見据えた。「……実は、もうひとつ気になることがあってな。一泉主も我々との同盟に本当に反対なら、さっきお前が言った通り再度の同盟締結の話が出た時に断ればいいだけのことだった。もしくは無視するとかな。仮にも一国の王だ、本気なら誰にも止められない。しかし、それならば反対派はたとえ封領で淮封侯の権が強いと言っても、王の命だと押し通して俺たちを堂々と排除出来るはずなのに、それをしなかった。俺がいま悩んでいるのは淮州での俺たちに対する攻撃の仕方と、辿った動機の齟齬そごだ。だが、そもそも俺は『一泉主』そのものにそれを感じる」

「意味が分からない。どういうこった?」

「何梅さまはお前も知っての通り肚裡はらの内を夫である柱勢ジュセ大人たいじんにも息子であるお前にも見せようとしない、謎めいた御方だ。こう言えば悪く言ってしまうことになるが、少々、臣下である俺たちをあそぶきらいがある」

「否定はしないぜ。媽媽は昔からあんな感じだ。いつも薄気味悪い笑顔で表情を崩したところを見たことがない」


 韃拓はおおよそ何梅ははから直接的な愛情表現も反対に嫌悪の念も受けたことが無い。それはすべて乳母や役が肩代わりしていたから。

「媽媽は俺たちを大事には思ってくれている……それはなんとなく――まあ時おり分かるんだが、如何せん何を考えてるのかさっぱりだ。悟らせねえ。弄ぶってのはまさにそうだ。いきなりなにか大事を言ってしもべが慌てるさまが好きなんだよ、あの人は」

 性格悪いぜ、と毒づいたのに瑜順は続ける。

「俺は何梅さまの言っている『一泉主』が今回、どうも前回同盟した泉主と同一人物でない気がしてならないんだ」

 韃拓が驚いて口を開ければ、さらに困ったように眉を寄せる。「麦飯石を一泉に卸している水守みずもりの旦骨タンコツを知っているだろう?あいつから随分前に泉主は崩御ほうぎょして新王が立ったらしいという噂を聞いたことがあるんだよ」

「本当か、それは。でも俺たちには何も知らされてないぞ?新しく泉主が即位したなら礼物とかを贈ったはずじゃないのか?」

 瑜順は額を押さえた。「何梅さまが一泉と同盟を組んだのは『選定』をお受けになり戴冠してすぐあとのことだ。窰洞ちかの史書にはその後の一泉の新たな崩御と即位の記録はなかったし、年代的には当時の泉主がそのまま在位していても何もおかしくはない。しかし一泉と取引を始めて関わり出してから泉地の噂はどうしたって聞こえてくる。泉主が世代交代したのは本当のことなのではと俺は思っている。だから何梅さまがどういうつもりで、また誰のことを『一泉主』と呼んでいるのか分からない」

「はっきり泉主は同じ奴だと言い切ってたのは憶えてるぜ?」

「ああ。だから俺たちはそれを信じて拝謁まで漕ぎつけられると思うしかないんだが……この状況では盲信としか言えないか……」


 二人は黙った。泉地に入ってからまったく順風とは言い難く、まして韃拓は命を狙われている。このまま泉畿へ行って無事で済むのか、瑜順でさえ分からない。迷う。やはり、仲間を見捨てでも主を領地へ連れ帰るべきなのか。


「じゃあ、一泉主が俺たちにとって敵なのか味方なのか、それから誰なのかはっきりさせる為にも絶対に会わねえとな。味方なら嫁をもらうし、敵なら殺す。それでいいよな?」


 すっぱりと言ってのけたのに瑜順は一拍無言になり、それから口の端を震わせた。

「お前は、まったく……」

「なんだよ?」

 稀有にひとしきり笑うと頷いた。頭の中が軽くなった。

「――俺は当主に従う。必ずお守りして泉宮にお連れする」

 韃拓もおう、と笑い返し歯を見せた。




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