二章
韃拓たち角族の使節団が現在移動しているのは
「日暮れまで門は開いている。門卒はいるがいちいち検問はしていない。ともかくなにより食糧を手に入れたら油を売らずにすぐに出ろ。勘づかれてはまずい」
韃拓が行くなら瑜順もついてくる。ばらけさせた隊を壁外の周囲に配置し、夜になったらまた集合するよう指図した。
二人が外套を被ったまま門に近づいても門卒は目もくれず、あっさりと通過できた。州境とあって人通りが多く、間口の広い門を中から外からひっきりなしに旅人ふうの者をはじめ、牛馬を
朴東は初めて泉国の街を目の当たりにする韃拓でさえ栄えていると分かる賑やかさだった。外側からは静謐に佇む
腹を空かせているもので鼻をひくつかせて見て回る。「なあ、瑜順。飯はちゃんと持って帰るからさあ、ここで腹ごしらえしようぜ」
瑜順は厳しい目を向けた。「長引くのはだめだ」
「俺たちがこのまま戻ったら、あいつらの為に持って帰った飯を分けなきゃいけない。金はあるんだ。怒られやしないだろ」
言われて束の間考え、一理あり、と同意した。
「では、ついでに調べたいことがある」
「なんだ?」
「北門だ」
言って瑜順は
共に露店の
「州境の関を越えなければ首都州には入れない」
「どっかから回り込めないのか?」
それには黙って首を振り、煮肉の浮いた粥を前に
「良き糧を。……じゃあ国の外から入れば良くないか?剛州の北は霧界なんだし」
一泉は
「今から淮州の外へ出られるとも思えないし、危険すぎる。現実的じゃない」
「水門は?」
瑜順はそれも否定した。
「無茶だ。人が越えられると思うか。それに
唸って粥をかき込んだ。「じゃあ、どうあっても朴東の関門を抜けなきゃならんということだな」
「まず街にさえ入れないのは困った」
韃拓は口の端を
肩を叩かれて瑜順も頷く。人波のなかでとりわけ目立つのは黒い服の兵士たちだ。長い得物が人々の頭上で揺れている。
腹を満たし二人は旅人でごった返す
入ってきた南門を再び出ながら囁く。
「明らかに俺たちを警戒した検問だ。大きな荷台を運ぶ者は特に調べられている」
都城外の山林に戻って食糧を配り、木々と荷台の陰に隠れて作戦を練る。隊の長らを集め皆して地形の描き込まれた図面を睨んだ。
「貢物は
瑜順の言に仲間は目に見えて落胆した。韃拓も不平を述べる。
「あれだけ苦労して運んだのに?」
「たとえ南門から入れたとしても北門は越えられない。荷を見られれば一発でばれる。泉畿で我々のことがどう伝わっているのか知らないが、進行を阻止されている以上この状況は伝わっていないと考える」
「待て待て。それじゃあ関を越えるのは無理で、泉畿からも迎えはないってことじゃねえか」
だから、と瑜順は地図を叩いた。「荷を放棄し分散して関を越える。何梅さまが一泉主に不義はないとああまできっぱり
宣尾が自信なさげに、
「一度戻って体勢を立て直したほうが良くはないか。泉畿に向かったって本当に迎えてくれるかわかったものではない」
「それこそ敵の思うつぼだ。この拒絶のされよう、きっと戻って泉外に出れば再度の入国は阻まれる。今度は我々の泉にさえ近づけるか分からない」
そんな、と長たちが慌てた。瑜順は腕を組み主を見る。
「最悪俺たちが引き付けてお前だけでも通過させなければならない」
韃拓はぽかんとした。「何言ってんだ」
「この同盟の
宣尾が溜息をついた。「貢物さえなく身一つで奉賀できるのか……?」
皆が押し黙ったところで、近くの
「ヒョウキョクに預ければいい」
息を詰めて見据えた
「やめろ」
瑜順が制し、立ち上がり覗き込んだ。草の間から頬を膨らませて
「危ないじゃないか!」
韃拓は見覚えのある姿に声を上げた。
「お前、こないだ襲ってきた奴らの!」
立ち上がった貧相な子どもは
「あの時はよくもおれを人質にしてくれたな」
「まだ何か用なのか。くれてやるもんなんて何も無いぜ」
小馬鹿にして追い払う素振りをするとさらに頬を膨らませた。瑜順は首を傾ける。
「
「こいつは女だぜ」
「それは失礼した、
すると黙りこくり、そっぽを向いて俯いた。纏った
「……里が焼かれたのか」
「なんだって。本当にやられちまったのか」
少女はどう感情を出して良いのか分からないように目を泳がせ、やがて頷く。
「他の者は」
これにも黙って首を振った。韃拓も他もさすがに険しい顔を崩せない。
「お前ら、誰の差し金で動いてた。ただの
次は短くほつれた裾を握り、霜焼けだらけの素足を片方で掻いた。
「……おれもよくは知らない。お
徐々に震え声になり、乾いた地面に落ちた雫が染みをつくった。しゃくりあげたのに瑜順が溜息をつき、おもむろに小さな頭に手を置く。「知っていることを全部話してくれるか」
すると
「淮州だから?」
「淮州は
「なんだそれは。ひでえことしやがる」
「俺たちが言えたことではないがな。しかし、
少女は腕で目を擦った。「そんなのは建前だけだ。淮州は玉や石は採れるけど土は痩せてて作物なんてろくに育たなくて、いつも貧しかったのを泉主が侯王を遣わされて優遇出来るようにした。それで実際に大きな
なるほど、と韃拓は腰に手を当てた。「じゃあその封侯ってのが俺たちに嫌がらせしてるわけか」
「軍を動かせばさすがに目立つから、内々に俺たちを消すように画策していたということだ。逆らえない民を使って」
「汚ねえな。それで?お前はなんで俺たちを追ってきてたんだ?」
問うと唇を突き出した。「おれだって
「いつからだ」
「あんたたちを襲って失敗して、すぐ里が焼かれた。そっから後を追って、そのままずっとだ」
ほう、と男たちは感心して顔を見合わせた。韃拓をはじめ、角族として生まれた者はそのほとんどが毒霧に耐えうる特質を持つ者・
韃拓は破顔して薄汚れた頭を荒く撫でた。
「大したもんだ」
「汚い手で触るな」
「お前のほうが汚れてるじゃねえか」
少女は心底嫌そうに手を避け、若干瑜順に寄ってみせた。
「な…俺はだめで瑜順はいいのかよ」
口端をひくつかせた主に構わず、寄られたほうは見下ろす。
「それで、娘。俺たちを助けてくれるのか?」
「……タダじゃいやだ。助けてやったらお金をちょうだい。あと、王さまにお父たちが殺されたことを言いつけてほしい」
厚かましいやつだぜ、と韃拓は呆れたが、友は頷いてみせた。
「いいだろう」
「おい、いいのかよ」
目線を外さないままでいれば仲間のひとりが問うた。「先ほど言っていたヒョウキョクとは何だ?そこに貢物を預けるのは安全なのか?」
「
「真価のほどは?」
「あっちも商人相手の
皆少女の言葉に揺れる。それが事実なら汗水垂らし運んできた貢物をこんな雑木林に棄てて行かずに良くなる。
「その鏢局というのは朴東にもあるのか」
あるけど、と少女は男たちを見回し、それから木に繋がれている獣たちを見た。
「そのへんてこりんな馬も連れて朴東へ入るのは目立ちすぎるよ。何なんだ、それ。鹿にしちゃ大きいよな」
馬と大差ない大きさの
韃拓が一頭の首を撫でる。
「
「
「こいつは矜持が高い。それに馬ほど人に優しくもない。不用意に触ると角で突かれるぜ」
少女は手を
「…いや、方法はある」
隣で言った声に振り仰ぐ。瑜順は再び見下ろした。
「娘、名は」
「
「では、
俺も行く、と韃拓が名乗りを上げて再度二人は小福を先導に南門から朴東へ入った。怪しまれないよう仲間と交換した外套の影に顔を伏せる。前を行く小福と距離を置きつつ向かったのは大途から東に逸れた
小福が中へ入ったがすぐに出てくる。二人を連れてさらに細い、家と家の隙間のつぼまった奥へ縫うように進むと、いきなり店裏の物見窓の蓋が上下し
「早く入れ」
くぐもった声に招かれて進み、頭覆いを取れば目の前には
来な、と手招きされて奥まった家の中に入る。
通された
待っているよう言われ、陽が落ち始めた頃に
「待たせたね、ぼうやたち」
屈強な男を左右に
「あたしは朴東の鏢行を預かる
行老は外套を脱いだ韃拓と瑜順を眺め、服装が一泉のものではないのを確認し座を勧めた。小福が口を開く。
「さっきも言った通り、こいつらが荷を預かってほしいらしい。けっこうな大荷物と変な鹿だ」
「変な鹿?」
「四不像ってんだ。でもありゃかなり目立つぞ」
行老は顎に手を当てた。「噂に聞く稀少な獣か。
瑜順は静かに男を見つめた。
「四不像の角を切る」
それで座った韃拓が慌てて見上げた。
「本気かよ」
「冗談で言うものか」
あっさり言って男たちに向きなおる。「四不像はその存在そのものが幻といわれる珍獣、群れでいなければ繁殖出来ず
行老は考えるように瑜順を見つめる。
「それと貢物の
「やりすぎだ。泉人が四不像の角なんて滅多にお目にかかれるもんじゃないだろ。しかも二角どっちも、それを二百頭分切るなんて城が建っても驚かねえぞ」
韃拓の言葉に小福が目を丸くした横で瑜順は一瞥を返した。
「ひとつ忘れていないか」
「なにを」
「預ける荷はこれで以上だ」
腕を組む。「肝心の我々の持つ棨伝では角族だとばれてしまう。関を抜けるには全員分とは言わないが泉民として偽のものが要る。その用意もしてもらわねばならない」
行老が苦笑いした。
「そいつはあたしらの仕事じゃないねえ。鏢行ってのはあくまで護衛業さね。付随した諸々は請け負えど角族にそこまでする義理はない」
「代価は我々の輸送も込みでの値段だ。それにお前たちは
「仲が良いというか、一心同体のようなものだね。しかし職掌の範囲外のことはやらないよ。慈善事業じゃないのだからね」
両手を挙げた老人を睥睨しさらに強気で言う。
「それなりの対価は支払うと約束した。お前たちが無理ならば棨伝を用意できる者を紹介しろ」
小福が瑜順の袖を引いた。
「おれ、ふたつならあるよ。一個はおれの。もうひとつはお父の」
差し出された木札は煤けていたがきちんと発行した
「いいのかよ。大事なもんだろ」
問えば首を振る。「もう里は焼けちまったし、おれは
瑜順も無言でそれを受け取り、しばし観察した。次いでもう一度鏢行の面々を見る。
「せめて五十でいい。
行老はやれやれと肩を竦める。だがしかし、悪くない、むしろかなり羽振りのいい報酬に内心ではすでに乗り気だった。
「ま、紹介するくらいならいいが。人渡しに長けた商人を連れてきてやろう。――おい」
言われて屈強な護衛の一人が出て行く。男は面白そうに瑜順を見た。
「なかなか思い切ったことをした。我々が訴え出ればすぐにここは包囲される。その危険を冒してまで取引きに臨むとはね。それほどあたしらを信じていいのかい?」
「我らとて強行な真似をして無駄な血を流したくはない。一泉とは曲がりなりにも同盟を組んでいるのだから。それにいまは他に方法がない。貴重な宝物を通りすがりの物乞いの小遣いにするよりはこちらに賭けたほうがまだいい」
そうかい、と小福を見、それから韃拓を見た。
「四不像はこちらで秘密裏に移動させ我々が持つ近くの
「角切りは俺たちがやる。一頭ずつ目立たないようにやらねえと他のやつが混乱して暴れる」
「何を食う?」
「本当は
「ほんに気難しいね」
「鹿茸がタダ同然で手に入るんだ、それくらい我慢しろ」
言ってやるせない息をこぼした。四不像の角は角族にとっては本来の薬としての活用はもちろん、
韃拓は瑜順を窺う。自分としてはまだいまいちこの状況に切羽詰まって現実味を感じられないが、彼はそうではないらしい。やがて、厳しい横顔が
入ってきたのは小綺麗で裕福そうな女だった。廂房の中を見回すと面白そうに腰に手を当てる。
「なるほど、腑に落ちた。割りがいいわけだ、
「あんたは?」
「一泉を中心に泉国を行き来してるしがない
商人はその職掌によって区別される。総じて広く行商人は
頷いた青年らに人数を訊いて麻姑は思案して宙を向いた。
「二百いるうちの五十か。どのみちいっぺんには無理だ。棨伝を用意するのにも時間がかかるね」
「待て。そもそも本当に出来るのか、こんなこと。あんたはただの仲買人だろう」
韃拓が問うと麻姑は笑った。
「頼みに来ている当人が言うにはおかしな言葉だ。もちろん報酬に目が
「……助かる。力添え感謝する」
頷いた瑜順をちらりと見てさらに女は含み笑う。「北辺でたまぁに角族の連中を見かけることがあったが、これほど殊勝な奴もいるとはね。しかもなかなかの色男ときた。恩を売っておくのも悪くなかろうて」
次いで行老を見た。「あんたのとこのを護衛に借りるよ。いくらなんでも残り百五十を荷の中に隠すのは無謀ってもんだ。それならいっそ
「泉賤?」
麻姑は形のいい爪で結った髪の後れ毛を耳にかける。「泉賤として売られてきた
瑜順と韃拓は顔を見合わせる。
「無事に皆が泉畿に辿り着けるなら文句はない。勝算のほどは」
「泉賤の売買は珍しくないし、州を跨いでの取引もよくあること。それなりに取り繕って剛州の食局に逃げ込めばあたしらの勝ちだ」
韃拓は鼻息荒く、よし、と膝を叩いた。
「それでいこうぜ。合流するとこは決めといて落ち合えばいい。関を越えたら追手はかからないんだよな?」
「俺たちを亡き者にしようと画策しているのは淮州だ。関を越えた時点で危機を脱する」
瑜順もまた大きく頷いた。朴東の面々を見る。「よろしく頼む」
「では何人か腕の立つ奴を集めておこう。麻姑、すまないね」
行老が言うと、なんの、と笑う。「むしろ感謝してるよ。最近辛気臭い仕事ばっかりだったからね。久しぶりに腕が鳴るってもんだ」
あんたたち、と三人を見る。
「もうすぐ門が閉まる。他の仲間にはあたしの手下が知らせておくから、今晩はこっちに泊まりな。宿代は要らないよ。代わりに北の話を聞かせとくれな。酒は飲めるか?」
「いいのか?」
問いながら近づいた小福の頭を撫で、あんたには牛の乳をやるよ、と微笑んだ。後について
「なんとかなりそうだな」
言った韃拓に硬さを柔らげた声音で返す。「何梅さまから泉主に問い合わせも行くだろうし、ここを抜けられさえすればいい。正念場だが」
韃拓は破顔した。「お前は出来たやつだ。四不像の角を切るなんて考えもしなかった」
言えばそうか、と微かに首を傾げる。彼にとってはそれが当たり前に思いつくのだから、やはりこいつは違う、と朋友の肩を叩いた。
夜半、調子に乗って酔い潰れた韃拓を抱え食局に隣接した邸店の階上にある宿舎に戻った瑜順は、主を寝かしつけた直後、密やかな声に隔扇を薄く開いた。
油火に照らされた顔は麻姑。先刻まで大酒を
「もう寝るかい?」
「いや、…まだ」
濡れた紅唇が弧を描く。無言で手招きしてきたのに意を悟り、外へ出た。
ついて入ったのは彼女が借りている
「……いつもこんなことを?」
麻姑は結髪を解いたところで問われて微笑む。「いつもじゃないさ」
そう答えて胸を開いた。白い肌の上に浮いた鎖骨が優美に隆起している。次いで青年の頬を撫でた。
「泉民の女を抱くのは初めてかい?」
視線を受け止めてなおも笑う。「あんた、好いたやつはいるのかい」
「……
触れた手がそのまま首筋に降りた。
「そりゃ、悪いことをしたね」
「本当に性悪女だ。こちらが逆らえないのをいいことに」
麻姑は至極冷静に嘆息した彼を
「正直、あんたがいなけりゃ受けなかった仕事さ。こういうのは乗り気が大事なんだ」
双眸が少ない光に
愛おしむように唇に指を沿わされ、瑜順は素早くその細腕を強く引いた。体勢を反転させ
「俺は高いぞ。手間を取らせる分、受けた仕事は必ず成功させろ」
「もちろん、これも報酬として数えておくよ」
しゃあしゃあとした返事にもう一度溜息をつき、不快感を飲み込んで腰紐を解いた。
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