二章



 韃拓たち角族の使節団が現在移動しているのは泉畿みやこのあるごう州に隣接した東隣のわい州であり、瑜順の言った通り襲撃のあった翌々日の昼前には両州の州境の郡郷ぐんごうまで辿り着いた。高くそびえる壁を臨み、目立たないよう山林の影に隠れ、ひとまずは偵察隊として十二人を二人一組で門内に入り込ませることになった。韃拓も行く気である。


「日暮れまで門は開いている。門卒はいるがいちいち検問はしていない。ともかくなにより食糧を手に入れたら油を売らずにすぐに出ろ。勘づかれてはまずい」

 韃拓が行くなら瑜順もついてくる。ばらけさせた隊を壁外の周囲に配置し、夜になったらまた集合するよう指図した。



 二人が外套を被ったまま門に近づいても門卒は目もくれず、あっさりと通過できた。州境とあって人通りが多く、間口の広い門を中から外からひっきりなしに旅人ふうの者をはじめ、牛馬をいてすきを担いだ農夫やら背に大きな籠を担いだ行商人やらが仲間と談笑しながら出入りしている。少し怪しくとも構っていられないのかもしれない。目立たないよう顔を上げれば、扁額かんばんには朴東ぼくとうとあった。


 朴東は初めて泉国の街を目の当たりにする韃拓でさえ栄えていると分かる賑やかさだった。外側からは静謐に佇む牆壁しょうへきで隔絶され中の様子は窺い知れなかったが、雪は除けられて大途おおどおりにはみ出すように市廛みせや露店が並んでいる。ちょうど昼時で良い匂いが漂っていた。


 腹を空かせているもので鼻をひくつかせて見て回る。「なあ、瑜順。飯はちゃんと持って帰るからさあ、ここで腹ごしらえしようぜ」

 瑜順は厳しい目を向けた。「長引くのはだめだ」

「俺たちがこのまま戻ったら、あいつらの為に持って帰った飯を分けなきゃいけない。金はあるんだ。怒られやしないだろ」

 言われて束の間考え、一理あり、と同意した。

「では、ついでに調べたいことがある」

「なんだ?」

「北門だ」


 言って瑜順はみちの先を指差した。ずっと向こうに大きく開かれた門が横並びに三つあり、そこからちらりと目と鼻の先にある剛州の陰影が見えた。


 共に露店のいすに腰掛けながら密やかに言う。

「州境の関を越えなければ首都州には入れない」

「どっかから回り込めないのか?」

 それには黙って首を振り、煮肉の浮いた粥を前にさじを取った。「剛州のまわりは堅牢な長城で囲われている。回り込もうにも抜けられる道がない……良きかてを、日々の恵みに感謝する」

「良き糧を。……じゃあ国の外から入れば良くないか?剛州の北は霧界なんだし」

 一泉は大泉地だいせんちの最も北に位置する。それよりさらに北は神域、つまり黎泉れいせんがあるという天の領域に続いていく山と森しかない。

「今から淮州の外へ出られるとも思えないし、危険すぎる。現実的じゃない」

「水門は?」

 瑜順はそれも否定した。

「無茶だ。人が越えられると思うか。それに都水台とすいだいに見つかれば大事になる。大所帯で水中を渡れるはずもなし、この寒さだ、途中で心の臓が止まって死体になって浮かぶのが目に見える」

 唸って粥をかき込んだ。「じゃあ、どうあっても朴東の関門を抜けなきゃならんということだな」

「まず街にさえ入れないのは困った」

 韃拓は口の端を擘指おやゆびの腹で拭い、あたりに視線を走らせる。「…それは後で考えよう。ひとまず食糧を調達して出直そう」

 肩を叩かれて瑜順も頷く。人波のなかでとりわけ目立つのは黒い服の兵士たちだ。長い得物が人々の頭上で揺れている。捕吏ほりか、と目をすがめた。


 腹を満たし二人は旅人でごった返す邸店ていてんで携行食を求め、市廛でその他の乾物や干物を購入した。瑜順は一人で北門近くの様子を見に行き、憮然とした顔で戻って来たがわずかな焦りが見えた。

 入ってきた南門を再び出ながら囁く。

「明らかに俺たちを警戒した検問だ。大きな荷台を運ぶ者は特に調べられている」


 都城外の山林に戻って食糧を配り、木々と荷台の陰に隠れて作戦を練る。隊の長らを集め皆して地形の描き込まれた図面を睨んだ。


「貢物はてていくしかない」

 瑜順の言に仲間は目に見えて落胆した。韃拓も不平を述べる。

「あれだけ苦労して運んだのに?」

「たとえ南門から入れたとしても北門は越えられない。荷を見られれば一発でばれる。泉畿で我々のことがどう伝わっているのか知らないが、進行を阻止されている以上この状況は伝わっていないと考える」

「待て待て。それじゃあ関を越えるのは無理で、泉畿からも迎えはないってことじゃねえか」

 だから、と瑜順は地図を叩いた。「荷を放棄し分散して関を越える。何梅さまが一泉主に不義はないとああまできっぱりおっしゃったんだ、この状況は決して泉主の指図ではない。なんとしても泉畿に辿り着いて直訴するしかない」

 宣尾が自信なさげに、

「一度戻って体勢を立て直したほうが良くはないか。泉畿に向かったって本当に迎えてくれるかわかったものではない」

「それこそ敵の思うつぼだ。この拒絶のされよう、きっと戻って泉外に出れば再度の入国は阻まれる。今度は我々の泉にさえ近づけるか分からない」

 そんな、と長たちが慌てた。瑜順は腕を組み主を見る。

「最悪俺たちが引き付けてお前だけでも通過させなければならない」

 韃拓はぽかんとした。「何言ってんだ」

「この同盟のかなめはお前だよ、韃拓。角族の新当主がこんなところで死んでは目も当てられない。なんとしても泉畿に入って一泉主に謁見してもらわねば」

 宣尾が溜息をついた。「貢物さえなく身一つで奉賀できるのか……?」



 皆が押し黙ったところで、近くのくさむらが微かに鳴った。耳敏い面々は咄嗟とっさに得物に手を伸ばす。


「ヒョウキョクに預ければいい」


 息を詰めて見据えたやぶのなかで幼い声がいたずらめいて聞こえた。仲間のひとりが横薙ぎに払えば、ひゃ、と悲鳴が響く。


「やめろ」

 瑜順が制し、立ち上がり覗き込んだ。草の間から頬を膨らませてい出て来たのは小童。

「危ないじゃないか!」

 韃拓は見覚えのある姿に声を上げた。

「お前、こないだ襲ってきた奴らの!」

 立ち上がった貧相な子どもはめつけ腕を組んだ。

「あの時はよくもおれを人質にしてくれたな」

「まだ何か用なのか。くれてやるもんなんて何も無いぜ」

 小馬鹿にして追い払う素振りをするとさらに頬を膨らませた。瑜順は首を傾ける。

孩子ぼうず、なんでけてきた」

「こいつは女だぜ」

「それは失礼した、潑辣小娘おてんばむすめ。俺たちの動きをどこぞに密告していたのか」

 すると黙りこくり、そっぽを向いて俯いた。纏った襤褸らんるが黒ずんでいるのを見てまさか、と息を飲む。

「……里が焼かれたのか」

「なんだって。本当にやられちまったのか」

 少女はどう感情を出して良いのか分からないように目を泳がせ、やがて頷く。

「他の者は」

 これにも黙って首を振った。韃拓も他もさすがに険しい顔を崩せない。

「お前ら、誰の差し金で動いてた。ただの匪賊おいはぎなら里を焼かれはしないだろ」

 次は短くほつれた裾を握り、霜焼けだらけの素足を片方で掻いた。

「……おれもよくは知らない。おとうはばらしちゃだめだって言ってた。でもお父はお前たちを追い出すのに失敗しておしおきで死んじゃった」

 徐々に震え声になり、乾いた地面に落ちた雫が染みをつくった。しゃくりあげたのに瑜順が溜息をつき、おもむろに小さな頭に手を置く。「知っていることを全部話してくれるか」

 するとすすけた顔で見上げてくる。「お父たちはお前たちが昔何をやってたか話してくれた。毎年家畜や麦がたくさん奪われて大変だったって。でも今は違う。同盟してるのに殺すのは間違ってるって困ってた。でも、やるしかなかったんだ。ここは淮州だから」

「淮州だから?」

「淮州は侯王こうおうさまが治めてる。封領ほうりょうなんだ。州牧しゅうぼく太守たいしゅもみんな侯王の言いなりだ。貧しい端っこの里じゃ今では角族の掠奪と同じくらいひどいことが毎日起こってるって聞いた。前の刺史ししさまが謀叛むほんの罪で処刑されてから税の取り立てがますます厳しくなったんだ。麦を一合でも欠かした里はひどい罰を受ける。逆らったら他のところの見せしめに里ごと焼かれちまうか、人買いに連れて行かれるんだ」

「なんだそれは。ひでえことしやがる」

「俺たちが言えたことではないがな。しかし、封侯ほうこうとはそもそも国政に関わる実権のない王族が就く名誉職のようなものではないのか」

 少女は腕で目を擦った。「そんなのは建前だけだ。淮州は玉や石は採れるけど土は痩せてて作物なんてろくに育たなくて、いつも貧しかったのを泉主が侯王を遣わされて優遇出来るようにした。それで実際に大きなさとなんかは暮らしが助かって富んだから、侯王さまに頭が上がらない。だから淮州で起こっていることは泉畿まで届かない。まずいことは全部揉み消すって噂だ」


 なるほど、と韃拓は腰に手を当てた。「じゃあその封侯ってのが俺たちに嫌がらせしてるわけか」

「軍を動かせばさすがに目立つから、内々に俺たちを消すように画策していたということだ。逆らえない民を使って」

「汚ねえな。それで?お前はなんで俺たちを追ってきてたんだ?」

 問うと唇を突き出した。「おれだっていことと悪いことの区別は分からぁ。お父はなにも悪くないのに殺されちまった。このままだとあんたたちも朴東で捕まって霧界に放り出される。だから助けてやらなくもないと思って、どうするか様子を見てたのさ」

「いつからだ」

「あんたたちを襲って失敗して、すぐ里が焼かれた。そっから後を追って、そのままずっとだ」


 ほう、と男たちは感心して顔を見合わせた。韃拓をはじめ、角族として生まれた者はそのほとんどが毒霧に耐えうる特質を持つ者・由歩ゆうほで尚且つ厳しい北の自然と共に育つ。五覚は鋭敏で泉人に気配を消して狙われたとしても大抵は気がつくはずだが、今まで誰一人として少女の尾行を察知出来なかった。


 韃拓は破顔して薄汚れた頭を荒く撫でた。

「大したもんだ」

「汚い手で触るな」

「お前のほうが汚れてるじゃねえか」

 少女は心底嫌そうに手を避け、若干瑜順に寄ってみせた。

「な…俺はだめで瑜順はいいのかよ」

 口端をひくつかせた主に構わず、寄られたほうは見下ろす。

「それで、娘。俺たちを助けてくれるのか?」

「……タダじゃいやだ。助けてやったらお金をちょうだい。あと、王さまにお父たちが殺されたことを言いつけてほしい」

 厚かましいやつだぜ、と韃拓は呆れたが、友は頷いてみせた。

「いいだろう」

「おい、いいのかよ」

 目線を外さないままでいれば仲間のひとりが問うた。「先ほど言っていたヒョウキョクとは何だ?そこに貢物を預けるのは安全なのか?」

鏢行ひょうこうってのがあって、霧界を旅する商人なんかを護衛する組合があるんだ。それの拠点が鏢局。代金さえ払えば秘密厳守でなんでも守ってくれるし、預かってくれる」

「真価のほどは?」

「あっちも商人相手の生業なりわいだ。信用がものを言う。おれは使ったことはないけど、預けた荷が返ってこなかったなんて噂はまったく聞いたことがない。淮州でもそれは同じさ」

 皆少女の言葉に揺れる。それが事実なら汗水垂らし運んできた貢物をこんな雑木林に棄てて行かずに良くなる。

「その鏢局というのは朴東にもあるのか」

 あるけど、と少女は男たちを見回し、それから木に繋がれている獣たちを見た。


「そのへんてこりんな馬も連れて朴東へ入るのは目立ちすぎるよ。何なんだ、それ。鹿にしちゃ大きいよな」

 馬と大差ない大きさの騎獣のりものは従順に下草を食んでいる。一見は鹿で、同じように両耳のあいだから二本の枝分かれした立派な角が生えていたが、それはびっしりと短い産毛で覆われていた。尾は驢馬ろばのよう、顔は面長でおとなしそうだった。


 韃拓が一頭の首を撫でる。

四不像しふぞうだ。馬より速くて身軽だ」

 麋鹿おおじかは大きな瞳を細める。少女はふうん、と喉を鳴らして触ろうとした。が、容赦なくその手を叩かれる。

ってえ」

「こいつは矜持が高い。それに馬ほど人に優しくもない。不用意に触ると角で突かれるぜ」

 少女は手をさすりながら忌々しげに見返す。「そんならなおさら朴東にも入れないし鏢行に預けるのも無理じゃないか。あんたらが関を抜けるのにはどうしたってこの荷車とそれが邪魔なんだぜ」

「…いや、方法はある」

 隣で言った声に振り仰ぐ。瑜順は再び見下ろした。

「娘、名は」

ふくだけど」

「では、小福しょうふく。俺をその鏢行とやらに案内してくれ。まだ日暮れまでには時間がある」



 俺も行く、と韃拓が名乗りを上げて再度二人は小福を先導に南門から朴東へ入った。怪しまれないよう仲間と交換した外套の影に顔を伏せる。前を行く小福と距離を置きつつ向かったのは大途から東に逸れた胡同ろじだった。先ほど寄った邸店と目と鼻の先にひっそりと目立たない木造の建物があり、一見してなんの店舗なのか分からなかった。


 小福が中へ入ったがすぐに出てくる。二人を連れてさらに細い、家と家の隙間のつぼまった奥へ縫うように進むと、いきなり店裏の物見窓の蓋が上下し門窗いりぐちが開いた。彼女が腕を引かれてあっという間に引きずり込まれる。警戒した二人に木戸の端からごつごつとした手が振られた。


「早く入れ」


 くぐもった声に招かれて進み、頭覆いを取れば目の前には胡乱うろんな男が立っていた。

 来な、と手招きされて奥まった家の中に入る。


 通された廂房はなれはだだっ広い粗末な納屋のようで、中央に今にも崩れそうな小卓つくえ凳子いすが埃を被っていた。

 待っているよう言われ、陽が落ち始めた頃に院子なかにわに面した紙を貼り付けた隔扇とびらが開いた。


「待たせたね、ぼうやたち」

 屈強な男を左右にはべらせ、年嵩としかさのほっそりとした男が穏やかに呼びかけた。

「あたしは朴東の鏢行を預かる行老こうろうをやっている。……なるほど、たしかに角族の方々と見受けた」

 行老は外套を脱いだ韃拓と瑜順を眺め、服装が一泉のものではないのを確認し座を勧めた。小福が口を開く。

「さっきも言った通り、こいつらが荷を預かってほしいらしい。けっこうな大荷物と変な鹿だ」

「変な鹿?」

「四不像ってんだ。でもありゃかなり目立つぞ」

 行老は顎に手を当てた。「噂に聞く稀少な獣か。官府おかみに取られるのは惜しいね。しかし若人わこうどらよ、代金はどうする。鏢行はふつうの宿貸しとは違うぞ。荷を傷なく欠かすことなく守るには人手がいるしそれなりに手間がかかる」


 瑜順は静かに男を見つめた。

「四不像の角を切る」

 それで座った韃拓が慌てて見上げた。

「本気かよ」

「冗談で言うものか」

 あっさり言って男たちに向きなおる。「四不像はその存在そのものが幻といわれる珍獣、群れでいなければ繁殖出来ず杜撰ずさんな扱いをすればすぐに弱る繊細な生き物だ。そして角は鹿茸ろくじょうと同じ効能はもちろんあらゆる病に効くとされる妙薬。角を失えばしばらくは人を乗せないが、どのみち置いていかねばならないのだから同じだ。それがいま、ちょうど二百いる。全ての角を切ってそちらに差し上げよう。それなら荷を預かってもらう代金を差し引いても釣りが来る」

 行老は考えるように瑜順を見つめる。

「それと貢物の高車こうしゃが八つある。四不像と荷と、こちらがけ戻すまでひとつも欠かすことなく保護、護送してくれたならば車一台の宝物ほうもつにつき一割を報酬に加えよう」

「やりすぎだ。泉人が四不像の角なんて滅多にお目にかかれるもんじゃないだろ。しかも二角どっちも、それを二百頭分切るなんて城が建っても驚かねえぞ」

 韃拓の言葉に小福が目を丸くした横で瑜順は一瞥を返した。

「ひとつ忘れていないか」

「なにを」

「預けるはこれで以上だ」


 腕を組む。「肝心の我々の持つ棨伝では角族だとばれてしまう。関を抜けるには全員分とは言わないが泉民として偽のものが要る。その用意もしてもらわねばならない」

 行老が苦笑いした。

「そいつはあたしらの仕事じゃないねえ。鏢行ってのはあくまで護衛業さね。付随した諸々は請け負えど角族にそこまでする義理はない」

「代価は我々の輸送も込みでの値段だ。それにお前たちは食行しょくこうと仲がいいだろう」

「仲が良いというか、一心同体のようなものだね。しかし職掌の範囲外のことはやらないよ。慈善事業じゃないのだからね」

 両手を挙げた老人を睥睨しさらに強気で言う。

「それなりの対価は支払うと約束した。お前たちが無理ならば棨伝を用意できる者を紹介しろ」

 小福が瑜順の袖を引いた。

「おれ、ふたつならあるよ。一個はおれの。もうひとつはお父の」

 差し出された木札は煤けていたがきちんと発行した官廨やくしょの名が書いてある。韃拓がためつすがめつして、

「いいのかよ。大事なもんだろ」

 問えば首を振る。「もう里は焼けちまったし、おれは他所よそへは行かないから。帰る時に返してくれたらそれでいい」

 瑜順も無言でそれを受け取り、しばし観察した。次いでもう一度鏢行の面々を見る。

「せめて五十でいい。伝手つてがあるなら教えてくれ。棨伝を用意できなかった者は荷に紛れさせて関を越えさせる」


 行老はやれやれと肩を竦める。だがしかし、悪くない、むしろかなり羽振りのいい報酬に内心ではすでに乗り気だった。

「ま、紹介するくらいならいいが。人渡しに長けた商人を連れてきてやろう。――おい」

 言われて屈強な護衛の一人が出て行く。男は面白そうに瑜順を見た。

「なかなか思い切ったことをした。我々が訴え出ればすぐにここは包囲される。その危険を冒してまで取引きに臨むとはね。それほどあたしらを信じていいのかい?」

「我らとて強行な真似をして無駄な血を流したくはない。一泉とは曲がりなりにも同盟を組んでいるのだから。それにいまは他に方法がない。貴重な宝物を通りすがりの物乞いの小遣いにするよりはこちらに賭けたほうがまだいい」

 そうかい、と小福を見、それから韃拓を見た。

「四不像はこちらで秘密裏に移動させ我々が持つ近くの厩舎うまやに止めおこう。なに、人のように人相書きなどないのだから誤魔化しはきく。群れで置いておけば良いのだろう?」

「角切りは俺たちがやる。一頭ずつ目立たないようにやらねえと他のやつが混乱して暴れる」

「何を食う?」

「本当は藤麹とうぎくを混ぜた飼い葉がいいが、なかったら馬と同じでいい。知らんやつに馴れないうちは機嫌が悪くなるからせいぜい気をつけろ」

「ほんに気難しいね」

「鹿茸がタダ同然で手に入るんだ、それくらい我慢しろ」


 言ってやるせない息をこぼした。四不像の角は角族にとっては本来の薬としての活用はもちろん、石鏃やじり銛先もりさきにすれば頑丈で欠けず、小刀や匕首あいくちとしても使え、磨けば玉のように装身具になる汎用性の高い貴重なものでもある。それを二対、四百も。それに角をるにしても大抵は生え変わりで自然と落ちるのを待つし、どうしても必要でも一角ずつ、しかも少しずつ切り取るものだ。領地の者にばれたら卒倒ものの暴挙に等しい。


 韃拓は瑜順を窺う。自分としてはまだいまいちこの状況に切羽詰まって現実味を感じられないが、彼はそうではないらしい。やがて、厳しい横顔が格心まどに映った影に動いた。



 入ってきたのは小綺麗で裕福そうな女だった。廂房の中を見回すと面白そうに腰に手を当てる。


「なるほど、腑に落ちた。割りがいいわけだ、北狄ほくてきの手助けとは」

「あんたは?」

「一泉を中心に泉国を行き来してるしがない互儈ごかい麻姑まこってもんだ。それで、朴東関を越えたいって?」



 商人はその職掌によって区別される。総じて広く行商人は客商かくしょうなどといわれるが、国内を中心に取引する者とその組合を商行しょうこう、品を国外へ輸出入する交易者たちとその組織を馬絆食行ばはんしょくこうあるいは食行と呼び、それぞれに行老という長を置いていた。商人たちが品物を卸す各地の店舗が坐賈ざこであり、客商とそれら地元の商店を周旋する仲買人は互儈という者たちが務めた。泉地では通貨は共通だが、国地域により物価も品物の価値も異なり、取引における各国商人間の風習も違う。商談をより円滑に進める為に売買者間を繋ぐ互儈にんは欠かせない必要な者で、大手の操業者は客商と同じく自らのこうを持ち、各地の拠点を持つ。おおむね鏢行は食行の中に包含されて認識されているが、互儈は商行と食行どちらとも立場を画した独立組織の色が濃い。とは言うものの、食行と同じく由霧ゆうむを渡ることの多い者たちでもあるから、彼らの活動拠点として食局しょくきょくの中に窓口を設けるほどには結びつきが強かった。



 頷いた青年らに人数を訊いて麻姑は思案して宙を向いた。

「二百いるうちの五十か。どのみちいっぺんには無理だ。棨伝を用意するのにも時間がかかるね」

「待て。そもそも本当に出来るのか、こんなこと。あんたはただの仲買人だろう」

 韃拓が問うと麻姑は笑った。

「頼みに来ている当人が言うにはおかしな言葉だ。もちろん報酬に目がくらんだのは認めるが、なにより自信がなきゃ乗らない話さ。それにここは淮州だ。商人の間じゃ関税がバカ高くて悪評高い。お上の横暴に頭にきてるのはなにも農民だけじゃないやさ。あたしは義賊じゃないし、口に出せない危険な仕事も本当はやる柄じゃないが、助けを求めてきた外地のぼうやたちを無闇に袖にしないほどにはお役人たちを出し抜いてやりたいという思いがある。是非に噛ませてもらうよ」

「……助かる。力添え感謝する」

 頷いた瑜順をちらりと見てさらに女は含み笑う。「北辺でたまぁに角族の連中を見かけることがあったが、これほど殊勝な奴もいるとはね。しかもなかなかの色男ときた。恩を売っておくのも悪くなかろうて」

 次いで行老を見た。「あんたのとこのを護衛に借りるよ。いくらなんでも残り百五十を荷の中に隠すのは無謀ってもんだ。それならいっそ泉賤どれいに見せかけたほうが簡単さ」

「泉賤?」

 麻姑は形のいい爪で結った髪の後れ毛を耳にかける。「泉賤として売られてきた流氓るみんに仕立てれば棨伝がいらないからね。すぐに用意できるのは二十くらいだ。急いでいるのなら他はその体で通り抜ければいい。どうだ?」

 瑜順と韃拓は顔を見合わせる。

「無事に皆が泉畿に辿り着けるなら文句はない。勝算のほどは」

「泉賤の売買は珍しくないし、州を跨いでの取引もよくあること。それなりに取り繕って剛州の食局に逃げ込めばあたしらの勝ちだ」

 韃拓は鼻息荒く、よし、と膝を叩いた。

「それでいこうぜ。合流するとこは決めといて落ち合えばいい。関を越えたら追手はかからないんだよな?」

「俺たちを亡き者にしようと画策しているのは淮州だ。関を越えた時点で危機を脱する」

 瑜順もまた大きく頷いた。朴東の面々を見る。「よろしく頼む」

「では何人か腕の立つ奴を集めておこう。麻姑、すまないね」

 行老が言うと、なんの、と笑う。「むしろ感謝してるよ。最近辛気臭い仕事ばっかりだったからね。久しぶりに腕が鳴るってもんだ」


 あんたたち、と三人を見る。

「もうすぐ門が閉まる。他の仲間にはあたしの手下が知らせておくから、今晩はこっちに泊まりな。宿代は要らないよ。代わりに北の話を聞かせとくれな。酒は飲めるか?」

「いいのか?」

 問いながら近づいた小福の頭を撫で、あんたには牛の乳をやるよ、と微笑んだ。後について院子なかにわに出、瑜順はようやく表情を和らげた。

「なんとかなりそうだな」

 言った韃拓に硬さを柔らげた声音で返す。「何梅さまから泉主に問い合わせも行くだろうし、ここを抜けられさえすればいい。正念場だが」

 韃拓は破顔した。「お前は出来たやつだ。四不像の角を切るなんて考えもしなかった」

 言えばそうか、と微かに首を傾げる。彼にとってはそれが当たり前に思いつくのだから、やはりこいつは違う、と朋友の肩を叩いた。




 夜半、調子に乗って酔い潰れた韃拓を抱え食局に隣接した邸店の階上にある宿舎に戻った瑜順は、主を寝かしつけた直後、密やかな声に隔扇を薄く開いた。

 油火に照らされた顔は麻姑。先刻まで大酒をあおっていたとは思えないほど落ち着いている。

「もう寝るかい?」

「いや、…まだ」

 濡れた紅唇が弧を描く。無言で手招きしてきたのに意を悟り、外へ出た。


 ついて入ったのは彼女が借りている自房じしつで他の房より少しだけ広くて豪華だ。瑜順は無言でしなやかな手が燭台に火を灯すのを見ていた。


「……いつもこんなことを?」

 麻姑は結髪を解いたところで問われて微笑む。「いつもじゃないさ」


 そう答えて胸を開いた。白い肌の上に浮いた鎖骨が優美に隆起している。次いで青年の頬を撫でた。

「泉民の女を抱くのは初めてかい?」

 視線を受け止めてなおも笑う。「あんた、好いたやつはいるのかい」

「……故郷くにに」


 触れた手がそのまま首筋に降りた。とめを外し、大襟えりを肩から落ちるまで広げていたずらめく。

「そりゃ、悪いことをしたね」

「本当に性悪女だ。こちらが逆らえないのをいいことに」


 麻姑は至極冷静に嘆息した彼を牀榻しんだいいざない、ゆったりと押し倒した。その上に跨り、顔を両手で包む。

「正直、あんたがいなけりゃ受けなかった仕事さ。こういうのは乗り気が大事なんだ」

 双眸が少ない光に爛々らんらんと輝く。「つくりものみたいにきれいな顔だね」

 愛おしむように唇に指を沿わされ、瑜順は素早くその細腕を強く引いた。体勢を反転させしとねに押しつけ、はだけた裾からあらわになった両膝を割る。

「俺は高いぞ。手間を取らせる分、受けた仕事は必ず成功させろ」

「もちろん、これも報酬として数えておくよ」

 しゃあしゃあとした返事にもう一度溜息をつき、不快感を飲み込んで腰紐を解いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る