日向と雪うさぎ

蓮之助/Karhu

日向と雪うさぎ

「行ってきます」

「いってきまーす!」

 格子戸の薄っすらとした影が落ちる玄関から、息子と一緒に居間にいる妻やお義父さんたちに挨拶をする。喜色の滲んだ息子の声に、庭で遊ぶことを提案してよかったと、手を繋いだ先で揺れるニット帽のポンポンを見てそう思った。

 妻たちの声が返ってくると繋いでいる手を引かれ急かされるが、繋いでいなかった片方の手も軽く握って屈み、目を合わせる。

 外で遊ぶことが決まった際にした二つの約束。外に出たらゆっくり歩くこと、庭から一人で出ないことを、息子の大きな瞳を見ながらもう一度確認した。

 どちらも息子の身を守るための大事なものだ。

 息子は私の目を見ながら話を聞き、分かったと大きく頷く。けれど、心は格子戸の先に向いているようだ。その様子に幾何いくばくかの不安を覚えたが、繋いでいた片方の手を離して立ち上がり、格子戸を横に滑らせた。

 開けた戸の先は、見える先すべて白で覆われていた。

 東京ではあまり見られない辺り一面の雪を、息子は体を大きく揺らしながら眺めている。

(戸を開けたら走っていっちゃうと思ったのに……)

 想像していたよりも落ち着いている息子の様子に内心、驚きながら、歩きやすいように整えた軒先を一緒に歩く。軒先はもちろん、庭の方も少し雪を残してはあるがそちらも雪かきを終えている。

 外に出る前、遊べるか庭の様子を窓から確認した。その際に、今日行われる雪まつりにみんなで参加するため集まっていた叔父たちが、雪かきを手伝ってくれた。

 その叔父たちに雪かきの最中、日向、しばらぐ見ねぁうぢにおがったなーと言われたのを思い返す。叔父たちの顔には喜色が表れた後、目に寂しさが宿り、顔が曇っていた。

 小さな足でゆっくり歩む息子と庭へ進んでいると、上京前は取られることのなかった雪に足を取られかけ、立ち止まってから息子の手をゆっくりと離す。

 突然手を離され驚いたようで、息子もその場で立ち止まる。私の顔を振り仰いでみる息子の瞳に心配の文字が浮かんでいるのが見え、足に力を入れた。

 先ほどよりも雪に気を付けてまた手を繋ごうとするも、両手とも背中の後ろに隠されてしまった。

 自分の手を眺めてからこのまま行こうと言いかけ、くふくふと可愛らしい笑い声が聞こえてきて口を閉じる。背中に隠した手を口にあて笑う様子から、手を繋ぐのを拒んだのは悪戯だったようだ。

 可愛らしく笑いながら息子が先へと進んでいく。こちらを振り返らずに歩む姿を、追うことも忘れて見つめた。

 太ももの横にだらんとぶら下がっている手には、小さな手できゅっと握られていた感触がまだ残っている。

 息子は絨毯のような雪の感触に、右に行ったり、左に行ったり、その場で飛び跳ねてみたり。雪の中、見失うことのないようにと着せた夕日色のダウンが目を引いた。

 自分の足跡だけが残っている周囲を見渡して、息子の嬉々とした笑い声が庭に満ちていく。目を輝かせ足下を見つめている様子に、私の口元が緩く上がるのを感じた。

 足跡をたくさん残せて満足したのか、こちらに手を振り向かってくる。私も手を振りながら近づいていくと、息子が雪に足を取られ顔から転んでしまった。

「日向!」

 駆け寄り立ち上がらせようと腕を浮かすが、妻の言葉が脳裏を掠め、腕をゆっくり下した。

 一年ほど前、公園で息子が転んだ。その際に駆け寄ろうとした私を妻が憂いの帯びた表情で、自力で立てるように優しく見守るのよ、と制したのだ。その場では妻の言葉に頷いてすぐには駆け寄らず、見守ったのを思い出す。

 ぐっと堪え、息子の様子を見守る。顔から転んだ息子は、ゆっくりと自力で立ち上がった。

「痛いところは?」

 屈んで息子の瞳を見て訊く。

「だいじょうぶ!」

 鼻頭や前髪に雪をつけ、太陽のような笑顔で息子はそう返す。

 痛みを我慢していたらと思い、腕や足に触れて確認するが息子の言うように怪我はしていないようだ。

 怪我の確認を終えると、息子は赤ん坊だった頃を思い起こさせる声で笑い始めた。

「おにーちゃんだから、へいき!」

 腕をぶんぶんと振り、怪我をしていないと見せる。前まではすぐに、泣きだしていたのに。

「……そっか、強いな! でも、痛かったり辛いときは我慢しないでいいんだぞ。お兄ちゃんだって、泣いていいんだからな」

 ダイヤモンドダストのように輝く瞳を見つめながら、手を握る。握った手はまだまだ小さいが、いずれ大きくなるのを想像し胸が温かくなった。それと同時に、水気の多い雪のような重苦しいものが、心のなかに降り積もっていくのも感じる。

 気づくと、息子の瞳を見ていた目は白い地面へと落ち、日向がおにいちゃんになった日を思い返していた。

 妻のお腹に二人目の家族が宿ってから出産するにあたって、里帰り出産をすることに決めた。妻は産前休業をとって日向と、夫婦両方の実家がある秋田の横手に行き、私は仕事のため東京に残ることに。

 テレビ通話で話す日々が続き、日向と会えたのは日向がお兄ちゃんになった日だ。

 陣痛が始まったと連絡がきて新幹線で秋田へ向かい、出産中に産婦人科に着いた。

 分娩室の外で待っていたお義父さん達に会釈してから、息子の隣で産声が聞こえるのを手を組んで待っていた。

 三時間ほど分娩室の扉を見つめていたら赤ちゃんの泣き声が。お義父さん達と詰めていた息を吐き出していると、分娩室の中から看護師さんが出てきて、皆で中へと入った。

 分娩室には額に汗を搔き疲弊した表情で、それでも綻ぶような笑みを浮かべている妻と、その腕には可愛い赤ちゃんが。

 息子を抱き上げ、顔をよく見せると小さな手でぷっくりとしている頬に触れる。

 頬をゆっくり撫でながら、あかちゃん、おなまえなーに? と訊く息子に、妻と共に日鞠と答えた。

 出産後五日間で、妻は日鞠と実家に戻れた。

 妻の実家の一室にベビーベットを置き、そこに日鞠を寝かせると、息子は踏み台に上ってベットの中を覗き込んだ。

 微笑む日鞠の名を呼んでいた後ろ姿を思い返し、重苦しいものを飛ばすように頭を振って、視線を上げる。

「日向! なにして遊ぼっか。雪合戦でも、雪だるま作りでも、なんでもいいぞ!」

 ニット帽や顔や服についた雪を落としながらそう訊く。

「なんでも⁉」

 目を見開き、口を大きく開けた息子になんでも! と返す。

「んー…………ゆきうさぎさんつくりたい!」

 首を傾げ悩んでいた息子が、跳ねながらそう言った。

「雪うさぎさん?」

 てっきり雪合戦を選ぶと思い、拍子抜けした声が出てしまう。

「うん! ほいくえんでね、とわくんがゆきうさぎさんのことおしえてくれたんだ!」

 とわくんは保育園が一緒で、秋田に来るまで綿菓子のような笑顔を浮かべて、日向と一緒に遊んでくれた子だ。

「うん、雪うさぎさん作ろう!」

 立ったままだった息子も屈み、掌に雪を集めていく。息子の好きなオムライスに近い形に雪を成形し、でこぼことしている表面を撫で、滑らかな曲線にする。

 何度か手直しをすると自分の理想の形になり、掌から地面へ移動させた。息子に声を掛けてから、格子戸の前に植えられている庭木へ近づく。

 常緑樹のその低木は赤く丸い実をつけ、凍えてしまいそうな気温でも凛としていた。低木から多めに赤い実と葉を貰い、息子の隣へ戻る。

「日向、これで雪うさぎさんの目と耳を作ってあげよう」

 掌にのせた赤い実と葉を見せた。

「おうちきたときもあったけど、それなーに?」

 手に乗せている雪の塊を置き、小さな手で赤い実を一つ手に取る。

「南天っていう木につく実だよ。白い花を咲かせたあと赤い実をつけるんだ。実も葉も食べられるけど、少し毒があって、たくさん食べると危険だから食べちゃだめだよ」

 掌で赤い実を転がす息子に伝えると、どく……と神妙な顔をして頷いた。

 艶やかな赤い実を、雪に二つ付ける。それだけでもうさぎに見えてくるから不思議だ。

 私の手元をじっとみている息子に微笑みながら、葉もつける。葉をつけると、それはうさぎの耳になり、そこに小さなうさぎが現れた。

「日向」

 息子がこちらを見る。雪の上にいるうさぎを掌に移動させ、差し出した。

 息子の小さな掌に、同じくらいの大きさのうさぎが乗る。息子が手を目線の高さまで持ち上げ、うさぎを見るとゆっくりと頭を撫でた。

 数回うさぎの頭を撫でると、うさぎを置き、雪の塊の成形を再開し始める。

 小さな手で、何度も雪の表面を撫でたり雪を足したり。そうすると、雪うさぎの形になっていき、実と葉をつけていく。

「できた!」

 雪うさぎを掲げ笑みをこぼす息子の頭をニット帽越しに撫でる。

「可愛いうさぎさんだな」

 出来た雪うさぎは、指の後でもこもことしていた。

「おとーさん! どーぞ!」

 太陽のような笑顔で雪うさぎを差し出された。

 目を瞬いていると、手の上に雪うさぎを乗っけられる。そのうさぎを落とさぬように目の前に持ってくると、横から抱き着かれた。不意の衝撃に尻餅をつき雪の冷たさが伝わるが、片手に乗る重みに目を向けると、太陽に照らされたように心が温かくなり、気にならなかった。重苦しく降り積もったものも溶けていったようだ。

 「日向」

 声を掛けると、こちらを向いた大きな瞳に私の姿が映る。

「ありがとう」

 頭を撫でるとこぼれるような笑顔で、どーいたしまして! と返ってきた。

「おかーさんと、ひまりにもつくる!」

 掌から撫でていたニット帽の感触が離れていく。

 こちらに背を向け雪へ向かう息子から目を移し、片手に乗る雪うさぎを撫でた。いずれ溶けてしまう雪で作られた雪うさぎ。けれど、まだまだそれは溶けそうにはなく、大きく跳ねてあちらこちらに足跡を残し、後ろを振り返ってくふふと可愛らしく笑う姿を思い描いた。

「おとーさん、いっしょにつくろー!」

 返事をして、息子の隣に移動する。地面に置かれた私が作った雪うさぎの隣に、ゆっくりと息子の作ってくれた雪うさぎを並べた。

 あと二匹、一緒に並べるために、満面の笑みを浮かべ雪を見つめる息子と雪を集めた。

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