貴族ビアンカの憂い7
東京の雑踏をかきわけ、街中を二人で歩いていた。この人混みでは意外にも私の姿は景色に溶け込んでしまう。少年の格好をしている美星も然りだ。田舎では異端扱いをされている私たちも、人の溢れる都会ではただの通りすがりになるのだった。
手を繋いで、ビルの隙間を縫うように移動していた。途中で足を止めたのは美星のほうだった。
ショーウィンドウに、深く項垂れている彼女の姿が映っていた。私はガラスに映る美星の姿を見つめた。手は繋いだままだった。
「……ごめん」
喉から水分を絞りきった、掠れた声だった。
泣いてしまうだろうか。そんな声だった。
「そうね。私の警告に耳を貸さず無茶なことをした点については謝ってもらわなければ気がすまないけれど……」
「髪」
する、と彼女の手が私の髪を撫でた。よく手入れされた手の皮膚が耳を掠る。労わるような優しい手つきに、私はようやくショーウィンドウから目を離した。
美星は傷ついた表情こそしていたが、泣いてはいなかった。
泣くのを堪えているのか何度もまばたきを繰り返している。長い睫毛のせいで彼女の瞳が翳って見えた。暗がりに光る星はいっそう美しく輝いて見えるのだった。
「あんなに綺麗だったのに。ごめん」
「別に。気にしてないわ」
「それでも……ごめん」
謝るのをやめない美星は目に見えて落ちこんでいた。ただでさえ白いのに顔面は蒼白で、繋いだ手も少しだけ震えていた。
美星は人として弱い生き物だ。その弱さが羨ましかった。
「本当に、気にしてないのよ。どうせまた髪は生えてくるのだし」
「でも……」
「そんなに言うのなら、私の髪を毎日整えればいいじゃない。やり方は教えているのだからできるでしょう?」
美星の手を引っ張って、再び歩き始めた。そんな私たちに構わず人々は忙しそうに通りすぎていく。まるでこの世界がたった二人になってしまったかのような錯覚を抱いて、私たちはただ前を進んだ。
「ビアンカ……」
「存外、あなたに教えるのは楽しいのよ」
声の調子がぶっきらぼうになってしまった。もっと優しく言ってあげたかったのに。私はやっぱり偏屈で、素直じゃない。きっと彼女もいつか、私の不器用さに嫌気がさして旅立ってしまうのだろう。そうであればいい。いつまでも雨宿りしているわけにはいかないのだから。
ちゃんと言葉の意味が伝わったのか、彼女の手はもう震えてはいなかった。代わりに、おずおずと、それでもしっかりと握り返してくれるのだった。
「そういえばビアンカ」
「なに?」
「僕が十年も持たずに死ぬって、本当?」
「ああ……あなたには説明してなかったわね」
生き延びる可能性がある以上、不用意に教えたくはなかった。しかし、聞かれていたならしかたない。どうせ、自分と関わり続けていればいつかは知ることになる。呪いを保有した若者の余命について説明すると、美星は動揺もせず、「そうかあ」とのんびり呟いた。
「……あなた、事の重大さが分かっているのかしら?」
「ん。でもさ、十年以上生きてる人もいるんだろ? 心配ないよ」
「あなたは少し危機感を持ったほうがいいわ。なんでそんなにのんびり構えてられるのかしら」
「だってさ、兄さんはもう死んじゃったんだよ」
突然兄の話をし始めた美星は、少し苦い顔をしていた。
「十年あれば兄さんが死んだ年齢も越せる。それってすごいことなんじゃないかって、僕は思うよ」
「……なにがどうすごいのか、私には分からないわ」
「そうだね、僕も分からないや」
美星は自分のことに無頓着だ。もっと自分を大切にしろと、これから教えていくべきなのだろう。先のことを思いやるとため息をつきたくなるが、楽しみにしている自分もいた。
美星を連れて街の奥へ進んでいく。やがて車の駐車場にたどり着いた。
数多の車が並ぶ駐車場で、黒塗りの乗用車が一台置かれている。機関の車だ。案の定、私たちを視認した慎がウィンドウを開けた。
「連絡くださったら迎えに行ったのに」
「あなたには彼らの迎えを頼んだから。徒歩でも問題なかったわ。いい気晴らしになったくらいよ」
「それは良かった。引きこもりのあなたが外に出るのはいいことです。それにしても、その髪はどうしたのですか? イメチェンというやつですか」
「そうね。まあ少し伸ばしすぎていたし、ちょうどよかったわ。後で手配よろしく」
「人使いが荒いなあ。まったく」
嫌味のつもりなのだろうが、私はまったく怒りが沸いてこない。吠えている犬が甘噛みしてきているようなものだ。ウィンドウの奥を見やると、助手席には十文字蒼夜と幽霊の男がいた。
十文字蒼夜は私たちの姿を確認すると、強張っていた表情を幾分か緩めた。サングラスをかけた怪しい男が迎えにきたら怖いだろう。それでもすばやく状況を把握し、臨機応変に適応するのはさすがといったところか。
「さて、ここからは長旅になりますよ。早く乗ってください」
満面の笑みを浮かべる慎を見て見ぬふりして、私は後部座席に乗り込んだ。私の真似をして美星も乗り込む。
このまま車で青森まで帰る。少々息苦しいが、空の旅など一日に何回も行うのは面倒だった。
美星を見やれば、一気に疲れが押し寄せたのか、深く息を吐いていた。呪いの兆候は見られない。彼女も、私が知らないうちに成長していたのだろう。
この子もいつか私の元から巣立っていってくれればいいが。願いを視線に乗せ、車窓から見える東京の景色を一眺するのだった。
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