初恋
「十文字くんってさー、絶対只者じゃないよね」
バイト先の先輩の声で、ふっと意識が浮上した。
今まで物思いに耽っていたらしい。やはり病み上がりだからぼんやりしてしまうのだろうか。それでもレジ打ちはしっかりこなしているのだから我ながら器用なものだ。
時刻は十八時前。俺の仕事場は、県内だけで展開している老舗の本屋だ。この時間帯は仕事帰りの客が多いので混むのだが、休日の土曜日だからかいつもより話す余裕があった。
白い蛍光灯の光は燦々と積み上げられている本たちに降り注いでいる。この本たちの中で売れていくのはどんな本なのだろうか。売れ残った本の行く末を想像して、軽く唇を噛んだ。
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてますよ。俺が只者じゃないって話っスよね」
バイト先の先輩である聡香(さとか)さんは、俺より五歳上のお姉さんだ。絶賛恋人と同棲中の、朗らかで人懐っこい女性である。基本的に人と関わりたがらない俺にも平気で話しかけてくる、ある意味タフな先輩だった。
聡香さんは薄く化粧をした頬を引っ掻く。
「そうそうー。ぼんやりしてるかと思えばちゃんと仕事をこなしてたり、人見知りっぽいのに結構普通に話せたり? 距離感が独特だよねー」
「そうですか」
「あとオーラってのかな? 常人ならざるものをひしひしと感じるよー」
「そうですか」
聡香さんはたまにわけのわからない絡み方をするので、そういうときは適当に受け流すに限る。今日もそうしていると、聡香さんは頬を膨らませて「そっけないぞー?」と不満を漏らしていた。
人間としてのスペックが人並み以下な俺は、なぜか昔から「只者でない」と言われ続けてきた。なぜそう言われるのか、俺はまったく理由を知らない。勉強も運動もできない、かといって人に愛想を振りまくこともできない、漫画を描くだけしかできない人間なのに。
せめて人に好かれる人間であれば――蓮ヶ原さんのような。
蓮ヶ原さんはいつでも明るくて人懐っこく、俺みたいな根暗にも話しかけてくれる。蓮ヶ原さんには「根暗なやつに話しかけてやろう」といった、卑しい感情はない。いつもまっすぐに俺の目を見つめて話してくれる。蓮ヶ原さんの目は他の人たちと全然違うから、恥ずかしくなってしまって見返すことができない。
蓮ヶ原さんの夜色の目には、いつも幾万もの星が輝いているのだった。
純度の高い夜の匂いとともに、彼女は星を瞳に携えて歩いている。太陽とも月とも違う小さな光だが、眺めているだけで心が安らいだ。それと同時に、自分の卑しさが蓮ヶ原さんの目に映ってしまうのではないかと不安だった。
きっとこの星は、俺にしか視えないに違いなかった。
俺は昔から、他の人とは違う世界を視ていた。それは時に幽霊だったり、はたまた人の感情だったりした。悪い幽霊は真っ黒に見えたし、意地悪な人間の周りには黒い霧のようなものがあった。俺はどうやら「視えてしまう」体質のようだった。
悪い幽霊と目を合わせたらひどい目にあった。人の感情が見えてしまうから人を信用できなくなった。それは、家族相手にもそうだった。
もう一生誰とも分かち合うことはない……。そう思っていたのに。
はじめて会ったとき、微笑んだ蓮ヶ原さんの目には、たくさんの星が輝いていた。
警戒心を隠すこともない俺に、あの人は微笑んで握手を求めてきたのだった。
『よろしくね』
ちかちかと瞬く星の光に、俺は目が離せなくなっていた。
一目惚れだった。
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