卵は拾われた

俺、十文字蒼夜は、いわゆる漫画家の卵だ。

 だからといって絵がうまいわけでも、構成がうまいわけでもない。どこにでもいる、才能のない創作家だ。

 才能がないくせに漫画を描き続けるしか能のない人間。少なくとも俺は自分自身のことをそう評価している。

 高校三年生のときに新人漫画賞に入選したのだってたまたま運が良かったからだとしか言えない。今の担当にたまたま運良く拾われ、雑誌掲載に向けて地道に描き続けている。

 そこに理由は、ない。

 理由など探してもどうしようもない。俺は物心つく前から漫画もどきを描いていたし、そうすることが俺にとって一番自然なことだった。緑色の豊かな植物たちが光合成するように、俺にとって漫画を描くことは当たり前だった。

 うまく描けなくて落ち込む日もある。自分の技術不足に夜な夜な泣きつぶすこともある。それでも俺は漫画を描くのをやめられなかった。

 理由など探したところで、俺が漫画を描くことは決定事項なのだった。

 誰かに認めてもらいたいから。誰かに読んでもらいたいから。そんな気持ちがある創作家は、俺からすれば十分プロとしての素質がある。対する俺は、承認欲求など皆無に等しく、内側にある熱情をただ白い紙に叩きつけているだけの人間だった。だからいつまでも独りよがりで、進歩のない漫画が生まれてしまうのだった。

 正直彼らが羨ましかった。

 別に、漫画を描いて金がもらえたらそれでいいじゃないか。作品を描くのに人の反応などいらない。俺は心底そう思っていたし、できることなら読まれたくもなかった。人の反応を見るなんて真っ平御免だ。

 ではなぜ漫画家を目指しているのかというと、答えは一つだ。漫画を描くことしか能がないからだ。

 内向的な性格故に人間関係もうまく構築できない。かといって他に得意なこともない。そうなると必然的に、俺の目指す道は一本に絞られるのだった。

 そうやって燻っていたある五月のこと、劇的な出会いがあった。

 高校卒業を一年後に控えた春、俺は公園のベンチでぼんやり空を眺めていた。

 薄い色素の青空がやけに遠く見えていた。葉は青々と輝き、穏やかな風が木々を揺らす季節だった。

 その時、俺の隣に座った老婦人がいた。

「こんにちは」

 身なりの良い老婦人に挨拶され、反射的に会釈した。

 最初は特に話すこともなかった。初対面の人と話すのも苦手だった俺は、かといってその場を立ち去ることもできず、ただ晴天を仰ぎ見るだけだった。

「美しい春ですね」

 突然そう言われ、なんのことかと訝しんだ。そんな俺を責めるわけでもなく、老婦人は可愛らしくにこりと笑って、「それではまた明日」と帰っていくのだった。

 ただそれだけの会話だったのだが、なぜか気になって仕方がなくなってしまった俺は次の日も公園に通った。

 やはり老婦人はベンチに座っていた。

 それから老婦人の名前がハツエさんだと知り、毎日通っていくうちに仲良くなって――ある日のこと、俺はハツエさんの前でしょうもないことを口にした。

「俺、実家から離れようか迷ってるんス」

 俺のその頃の悩みというと、うまの合わない家から出るか否かだった。別に実家が嫌いなわけではなかったが、漫画を描き続ける俺のことを両親は理解してくれなかった。否定はしないが肯定もしない。俺には言わないが、漫画に執心する俺のことを快く思っていないようだった。だから高校卒業を機に家を出るつもりだった。

 本当は、実家を出るのを迷ってなどいなかった。

 それでも「迷っている」と言ってしまったのは、ハツエさんに甘えていたせいなのかもしれない。

 ハツエさんはそんな俺を叱ることもなく、両手を合わせて言った。

「それなら、来年私の寮に来ればいいわ」

 そう言ってくれたハツエさんの好意に甘えて、俺は親から自立したのだった。

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