創作家の信念1
ハツエさんが出て行ってからも、十文字くんが寝るまで傍にいてあげることにした。十文字くんは「子どもじゃないんスから」と言うが、目を離した途端にベッドから抜け出す可能性もあった。
「だって、原稿途中なんだろう? 休むのを忘れてまた没頭しちゃうんじゃないの?」
「うっ……」
やはり図星だったらしい。僕と視線を合わせたくないのか、しきりに眼鏡をカチャカチャと忙しなく動かしていた。
「ダメだよ、今は無理しちゃ。〆切がそんなに近いの?」
「いや、〆切までは余裕ありますけど……」
「じゃあ休まなきゃ。自己管理ちゃんとしないと、漫画書くのも大変になっちゃうよ」
漫画だけにとどまらず、なにかを行うにはペース配分が必要だ。常に一定のペースで作業を行い、それを毎日続ける。無理のない範囲の作業量を設定し、規則正しく過ごす。勉強でも、あの窮屈な家の生活でもそうだった。小さい頃から教えられている自己管理の方法だ。
「あんまり無理な生活してると早死にしやすいって聞くし、十文字くんも気を付けないと……」
「……別に、漫画のために死ねたら本望ですけどね」
僕が声を出す間もなく、十文字くんは呆れた目で僕の背後を見やった。一瞬、十文字くんの表情が暗く澱んだように見えたが、気のせいだったろうか。
「そんなことより、なんでアンタがここにいるんだよ」
そう、僕の背後には、熱心に机の上を眺めている優斗さんがいた。ハツエさんがいなくなる頃を見計らって、またいつものように突然現れたのだ。ハツエさんには優斗さんが視えないので、僕や十文字くんが優斗さんに話しかけないように姿を消しているのだという。ありがたい気遣いだ。ハツエさんの前で優斗さんと喋りはじめたら、確実に変な人に見られてしまう。ハツエさんは滅多なことでは動じない人だが、それにしたって限度があるだろう。
姿を現した優斗さんは、飽きずに机の上や本棚を眺めている。その気持ちは分かる。僕だってもっと隈なく眺めていたいくらいだ。人の本棚というのは、なぜこんなにも僕の心を沸き立たせるのだろう。
だというのに、僕たちのほうに振り向いた優斗さんは、ひどく思いつめた表情をしていた。
僕ではなく、十文字くんをじ、と見つめる。彼は寡黙な人だが、目元が険しいので余計迫力がある。十文字くんは意識が朦朧としているのか、優斗さんの表情に気づいていないようだった。
「アンタに入っていいと言った覚えはない」
十文字くんの突き放す言い方に、なぜか優斗さんは表情を緩めた。まるで聞かない子どもを見やる親のような、柔らかい表情だった。
僕の知っている優斗さんは表情はかたい人だったけれど、今の優斗さんの表情は今までに見たことのないくらいに自然だった。十文字くんの言動に面白いところでもあったのだろうか。優斗さんは消え入りそうな声で呟いた。
「……やっぱり、お前はあいつに似ているな」
僕の中で合点がいった。僕と同じように、十文字くんは兄に似ているのだと優斗さんも思っていたのだ。優斗さんは兄にはわかりやすく優しい感情を顔に浮かべるのだと知った。
そしてそんな優斗さんが続けたのは、突拍子すぎる言葉だった。
「なあ、ある作品の最後を描いてみる気はないか?」
ある作品。なんのことか思い至らず、僕は首を傾げてしまう。だというのに、十文字くんは怯むことなく尋ね返した。
「……それは、他人の作品の最後を俺が代わりに描く、ということか?」
「ああ」
頷いた優斗さんの表情から柔らかさは消え、いつも以上に頑なだった。そんな優斗さんを十文字くんは鼻で笑った後、冷たい目で一蹴した。
「話にもならないな。そもそも、作品に他人が介入すること自体ナンセンスなんだよ。作品への冒涜だ」
「そうなのか? 他人が手を加えた作品は結構見たことがあるが……」
「校正や確認作業という点であれば、他人が介入するのも分かる。だが、元からある物語に他人がストーリーを追加させたり勝手な設定を生やしたりして公式化するのは好きじゃないね。趣味の範囲ならまだ分かるけどさ」
おとなしい十文字くんとは思えないほど饒舌だった。彼の言葉には熱があり重みがあり、感情があった。静かに盛る炎だった。
「作品というのは作者の想いの結晶なんだ。他人が介入するのはその作者の想いを捻じ曲げることに他ならない。作者にも作品にも失礼だ」
「――作者が故人だとしてもか?」
「故人だとしても、だ。……いや、故人だからか。俺は好きじゃない」
「続きを読みたがっている読者がいてもか?」
「この話は平行線だ。話し合うだけ無駄。そもそも、なんでそんな、話にもならないことを言い出すんだお前は……。お前のせいで寝れないだろ」
十文字くんは投げやりに言って、毛布を被り横になった。優斗さんもため息をついて、これ以上十文字くんに問うことはなかった。
なんだか、気まずかった。
優斗さんが言っている「故人」とは、兄を指すのだろう。そして、「作品」は、兄が書いた小説のことを言っている。優斗さんは、兄の小説の続きを十文字くんに描いてもらいたいのだろうか。ということは、兄の小説は完成していないのか。
僕は兄の小説について、なにひとつとして知らなかった。優斗さんに尋ねる気すら起きなくて、今まで話題にするのを避けていた。
僕と優斗さんの差を見せつけられる気がして、怖かった。
嫉妬心に胸が灼かれ、優斗さんから目を離す。そうして俯いた瞬間、部屋のドアの開く音が聞こえた。
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