魔女3

「……え?」

 串刺しにしたかと思えば、すぐに数本の鉄柱が彼女の頭上から降り注ぎ、いたいけな少女の体はひしゃげた。鉄柱の山に彼女の姿は覆い隠される。

 鉄が地面に刺さる音も少女の体がひしゃげる音も、すべてが無にかえる。

 耳が痛くなるような、静寂。

「………………」

 突然の出来事に、声が出せなかった。工事中のビルから落ちてきたそれに、言葉はない。積み重なった鉄柱たちは奇妙な形のアート作品になって、そこへ鎮座していた。

 鉄柱の隙間から、じわりじわりと赤い液体が染み出していた。

 歩道に降り積もった雪に、彼女の血と思わしき液体が吸い込まれていく。鮮烈な赤は雪の白を濡らし、グロテスクな華を咲かせている。そこでようやく、ふらつく足で立ち上がれた。

「……ビアンカ」

 どうしよう。僕を庇って、彼女はこんな。

 這いよる絶望に、僕の足はまた力が抜けてしまった。彼女へ近づきぺたりと座りこんで、鉄柱へと手を伸ばす。鉄には温度がなく、僕の体温を奪っていくばかりだった。ビアンカの血が僕の膝を濡らしても、動くことなんてできなかった。

 脳が麻痺して、うまく考えられない。

 頭の中は真っ白だった。だって、そうだ。ビアンカには僕を助ける理由などない。つい最近出会ったばかりで、親しい間柄でもない。それなのに、なぜ。どうして。そんなことばかりが浮かんで、まともな思考なんて出来やしない。悲鳴も涙も出ず、体はだるさばかりを覚えていた。

 そういえばビアンカは、あんな最悪な出会いをしたのにも関わらず、倒れた僕を介抱してくれたのだった。暖炉の火に照らされた、憂いを帯びた美しいかんばせが、目に焼きついて消えなかった。

 そのとき、背後から革靴の響く音が聞こえた。

「だから言ったでしょう。魔女に近づかないほうが身のためだと」

 顔だけ振り向けば、以前どこかで見た男が立っていた。

 黒いコートにサラリーマン風の男性だった。どこにでもいそうな外見に光る真っ黒のサングラスは、太陽の下でも異様な存在感を放っている。ビアンカに介抱された夜に出会った男だった。

 異様なのはサングラスだけではなかった。周囲は既に青いビニールシートで囲われており、ビアンカの姿が周りの人間に見えないように隠されている。ビニールシートの内側にいるのは、僕とビアンカと男、そして男と似たようなスーツを着た数名だった。

「鉄柱を撤去しろ」

 男の命令に忠実に従うその人たちは、僕の目の前で鉄柱を片付けていく。非日常的な光景に、やはり僕は腰が抜けたままだった。

「あ、あなたたちは……」

「おや、魔女からなにも聞かされていないのですか」

 男は黒い革手袋で覆った指でサングラスをくいとあげる。サングラス越しに見下ろされているのが嫌でも分かるほどの目力だ。僕は目をそらすこともできなくて、ただ唇を噛むことしかできなかった。

「私たちは呪いにかかった人たちの保護、治療、研究を行う機関の者です。あなたもこれから関わってくることになるでしょうから、覚えておいて損はないかと」

 慇懃無礼な態度の男の表情からはなにも読み取れなかった。

「呪い……」

「ええ。私たちは基本的に、あなた方のサポートに徹しています。特に魔女は、重要人ですから」

「魔女って……ビアンカのこと?」

「見ていれば分かります」

 がらん、と派手な音がして、鉄柱に向き直る。鉄柱の数本は撤去されており、その中心に鉄柱の刺さったビアンカが立っていた。


 信じられない光景だった。

 鉄柱が胸に貫通しても、彼女は腰を曲げて立っている。鉄柱が重いのか、体を支えきれていない。頭も胴体もひしゃげ、腕や足はあらぬ方向に折れ曲がり、体のいたるところから多量の血を流していた。

 それでも彼女は、荒く息をしていた。

「……早く抜きなさい」

 喉も潰れてしまったのか、ビアンカの小鳥のような声は嗄(しゃが)れていた。数人がかりでビアンカの胸から鉄柱を引き抜こうとしている。頭から血の気が引いて、とめようとした。そんなことしたら、出血多量で本当に死んでしまう。そう言おうとしたのに、声も足も出なかった。

 ずる、と。

 血まみれの鉄柱を引き抜けば、胸にぽっかりと穴があいているのだった。真っ赤な空洞には臓器や骨が残っており、普通の人間なら確実に死んでいる夥しい量の血が噴き出した。鮮血の飛沫は僕の頭上を濡らした。

 胸に穴があいてもなお、少女は立っている。

 歯を食いしばって痛みに耐える少女があまりにも痛々しかった。

 美しく縫われたドレスは見る影もなくぼろぼろにちぎれ、可憐な少女の姿はなかった。ゴミ捨て場に置き去りにされた人形のようだった。

 それでもビアンカの目だけは、火のように煌々と輝いているのだった。

 う、あ、と言葉にならない嗚咽を漏らしながら、彼女は棒立ちになっている。そうしていると、次第に空洞となった穴の部分に骨や肉がつまってくるのだった。

 折れた骨が音を立てて元のあるべき形に戻る。時には血を噴き出し、奇形になりながら、彼女は修繕されていく。誰の力でもない、彼女自身の力で。

 それは、あまりにも残酷な光景だった。

「あなた、あれ見ても吐かないんですね。私なんてはじめて見たとき吐きましたよ」

 僕だって今すぐ泣きたいし吐きたい。それでも目をそらせないのは、彼女の生の力に圧倒されているからだった。

 けがをするのも、治っていくのも、痛いだろうに。

 それでも彼女の目は、強い光を放っていて。

「彼女の呪いは、不老不死なんです。なにをやっても死なない。なにをやっても老いない。だから彼女には協力してもらっているんですよ」

 協力、とオウム返しすれば、男は「呪いのメカニズムを知るための研究ですよ」とだけ言った。

 けがが治っていき、そして。

 完璧な肢体の少女が、そこに立っていた。

「ああ勿体ない。あのドレス、お気に入りだったのに」

 ずたずたに引き裂かれたドレスの裾をつまんで、ビアンカは愛らしく唇を尖らせた。まるでさっきあったことをなにもなかったかのように、涼しい顔をしている。そして腰を抜かした僕を見下ろして、なんでもないことのように言った。

「あなた、結構強いのね。あれを見て吐かない人なんて稀なのよ」

 もう、耐えられなかった。

 あんなに力の入らなかった足で立って、ビアンカを抱きしめずにはいられなかった。抱きしめたら小さくて暖かくて、それだけでもう、泣かずにはいられなかった。

「う、うう~~っ」

 情けない声を漏らして、ぼたぼたとビアンカの肩で泣く。どんなに痛かっただろう。彼女はどれだけ孤独だったのだろう。ビアンカの生涯を考えれば考えるほど胸がはりさけそうで、僕はみっともなく大粒の涙をこぼすしかなかった。

「ちょっと、血で汚れるわ。離れなさい」

 ビアンカが弱い力で突っぱねようとするが、イヤイヤと首を振って駄々をこねる。痛々しい彼女を離す気には到底なれず、僕は声を殺して泣き続けた。最終的にはがすのを諦めたのか、ビアンカは脱力して、僕の背中に手を回した。

「……よしよし、大丈夫よ。もう大丈夫だから」

 小さい肩に顔を埋めて泣いていた僕にはビアンカの表情は覗えなかった。ビアンカは母親のように優しい声で、僕の背中を叩いた。子守唄でも唄っているかのようなリズムが、僕の心に染みる。

 ああ、なんて強い人なのだろう。

 それに比べて僕は、いつまでも泣いていて、本当にみっともない。今だって、自分より小さいビアンカに縋りついて泣いている。情けないったらありゃしない。

 でも僕は、彼女を抱きしめたかった。

 いつかビアンカのように強くなれるだろうか。小さなぬくもりを抱きしめて、僕は未来を願わずにはいられなかった。

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