魔女2
二人並んで街中のバス停に向かう。ヒールの高いブーツを履いているにも関わらず、彼女は滑る雪の上を涼しい顔で歩いていた。そのブーツには重りでも入っているのかと疑ってしまうほど、彼女の足取りはしっかりしていた。
街中では人通りも少ないからか、近くのビルを工事している音が聞こえる。さっき外を歩いたときよりもさらに冷たい風が強く打ちつけてくるのだった。耳が痛くなってしまい、つい耳たぶを手で覆ってしまう。たいするビアンカは、ヘッドドレスの下にもこもこした黒のイヤーウォーマーを装着していた。
「それつけて私の声聞こえる?」
「聞こえないわね」
「聞こえてるじゃん!」
白い煙が盛大に吐き出されたのを見て、ビアンカはくすくすと笑っていた。
「あなた、私のところで働かない?」
「ビアンカのところ?」
「ええ。ちょうど使用人を一人雇おうと思っていたの。あなたの仕事場、窮屈そうだし、私のところで働けばいいわ」
「うーん、まあ、考えておくよ」
穏やかな昼下がりだった。
雲ひとつない晴天。溶けはじめた雪の群れ。強烈な白に太陽が反射して、目が眩んだ。
「ビアンカってさ、なんでここに越してきたの?」
さっき言葉にできなかったことをやっと言えた。なぜあのときこの言葉が出てこなかったのか理解できないほど、単純な疑問だった。
一瞬、風がやんだ。
ビアンカがすぅ、と息を吸う。そして、じりじりと迫りくるような静けさをたたえた声で話す。
「ハツエのためよ」
「ハツエさん……?」
「幼いハツエを拾って育てたのは、私。だから、最期を看取るのも、私」
ハツエさんを育てたのはビアンカ。その言葉に首を捻った。ハツエさんを育てたにしては年齢がそぐわない。ハツエさんは九十近くのおばあさんだが、ビアンカはどんなに頑張っても十五さいくらいにしか見えないのだ。
笑おうとした。けど、笑えなかった。
「なに言ってるんだよビアンカ。面白い冗談だなあ」
「冗談だと思いたいなら思えばいいわ。だけど、これから私が話すことは真実よ」
ビアンカの横顔は、どこか切羽つまっているようでもあった。冷たい空気が、僕たち二人を鋭く切り裂いていく。
彼女はそれでも歩みをとめなかった。
「あの子、もうすぐ死ぬわ。もう長くは持たない」
足をとめたのは僕のほうだった。
あの子、あの子? あの子とは誰だ。一体誰のことを。
そう尋ねたかった。しかし、尋ねる必要もなかった。だから僕は、迷わず進んでいく彼女の華奢な背中を見つめるしかなかった。
「……嘘」
そう声に出してやっと、ビアンカはこちらを振り返った。
ビルの影を被っている僕とは対照的に、彼女は陽だまりの世界にいた。太陽の砂を纏った金の髪は、再び強く吹き抜けた風によって乱されていた。ふわ、とピンクのヘッドドレスが宙に舞った。
彼女は飛び去っていくヘッドドレスを目で追うこともなかった。
「嘘じゃないわ。あの子は長いこと心臓の病と戦っているの。でもそれももう終わりね」
「それは……それは知ってるよ。でも、ハツエさんは、まだ元気、だし」
「あの子、もう九十よ。長く生きられないのはあなたも分かっているはずでしょう」
ビアンカはただ、事実を淡々と述べているだけだった。彼女の言葉に嘘偽りはない。ハツエさんは高齢者で、心臓の病を患っていて……最近は転倒することも増えた。
でも、だったらなぜ。
「じゃあなんで……ハツエさんは僕と十文字くんを拾ったんだ?」
長くはないのを知っていて、なぜハツエさんは僕たちを拾ったのだろう。どこに行くこともできない若者を憐れんだのかもしれない。でも、はじめて会ったときの彼女は決して同情の気持ちだけではなかった。
まるで僕たちと暮らすことが楽しみだとでも言いたげな笑顔で、僕を迎えてくれたのだ。
「――、」
ビアンカが小さく口を開く。しかしその言葉は空気に溶けることもなく飲みこまれた。
彼女の視線は、僕の上空に向けられていた。
ビアンカは重いドレスに構わず僕に向かって走ってくる。ヒールの高いブーツで、まっすぐに。呆然としていると、彼女はその小さい体に全体重を預けて僕を突き飛ばした。
後方へ弾き飛ばされ、尻餅をつく。
瞬間。
爆雷でも落ちてきたかのような壮絶な音が、ビアンカの体を圧し潰した。
細い彼女の体を串刺しにしたのは、太い鉄柱だった。
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