邂逅2

「え……っと、美星」

「いやああああああっ! 喋ったあああああっ!」

 まさか喋るとは思わなくて、ベッドから真っ逆さまに落ちた。腰が抜けてしまってうまく逃げられない。優斗さんは僕に手を差し伸べようと前に出るが、ビアンカはその後ろで笑いをこらえているのだった。

「ビアンカ! 悪趣味だよ!」

「あら、ごめんなさい。愉快だったもので」

「どこが愉快なんだよ!?」

「あまりにも無様で……。それはそうと、呼び捨てにしないでくださる? 私のことはマイレディとお呼びなさいな」

「死んでもおことわりだよ!」

 ビアンカに悪態をつきながらなんとか立ち上がる。優斗の手をとりたかったが、彼の体は透けていた。

 改めて彼に向き直る。優斗は最後に見た社会人のときの姿のままだった。精悍な顔つきや、年齢のわりに落ち着いた雰囲気も。なにもかも、以前と変わりがなかった。

 死体があがったときに身につけていたという、黒のタートルネックに細身の黒いパンツ姿だった。

 彼は体格がいいが、引き締まっているせいか細身に見える。全身が黒ということもあって余計細く見えるのだった。

「な、なんで、優斗さん、こんなところに……」

「心配だった。お前はセツに懐いていたからな。立ち直るまでは見守ろうと」

「……なんですか、それ」

 突然、僕の胸に灯火が宿った。それは紛れもない怒りだった。じくじくと痛む怒りの炎が、僕に火傷をつけていく。

 無責任だ、と思った。

 兄と自殺したくせに、この人はなにを言ってるんだ。

 あんたがここにいたら、兄はどうなってしまうのか。

「ふざけないでください! あんたはここにいちゃいけない!」

 気がつけば、僕の怒りは喉から叫びとなって溢れ出た。今にも窒息しそうな想いが湧き上がってとまらない。これじゃあ海の中にいるのと同じだ。それでも僕は叫ぶのをやめられなかった。

「あんたがここにいたら兄は今一人じゃないか! あんたは兄だけを見ていたらいいんだ! 一緒に死んだくせに、なに言ってるんだよ!?」

 僕を見る優斗さんの穏やかな目が嫌だった。兄のことだけ見ていたらいいのに、この人は周りの人にも優しくしてしまう。最初に会ったときもそうだ。僕はそんな優斗さんが嫌いだった。

 叫んだら息切れがとまらなかった。感情の昂ぶりが急激に冷えていく。

 僕、なにやってるんだろう。もう成人なのに、こんなに荒げて。僕は、ただ、兄がひとりぼっちなのが嫌で――。


「あなた、未練があるのでしょう?」

 僕と優斗さんの間に入ったのは、花の少女だった。

「未練があるからこの子に憑いてまわっていた。そうではなくて?」

「……ああ、そうだ」

 ビアンカの指摘に、優斗さんは迷わず首肯した。そして、彼はまっすぐに僕を射抜いた。

「セツの小説をお前に渡したい」

「……小説?」

 兄の小説。そう言われてもピンとこなかった。兄の小説とは、一体なんのことだろう。

 疑う僕に、優斗さんは教えてくれた。

「セツは小説を書いていたんだ。誰にも内緒でな」

 それは僕の知らない兄の姿だった。僕は兄が文章をしたためているのを見たことがないし、話に聞いたこともない。目から鱗もいいところだ。

 兄に一番近かった優斗さんだからこそ、知っているのだ。

 それが悔しくて、悲しかった。そして安心した。兄はやはりこの人に愛されていたのだと、安心できた。

「今じゃなくてもいい。落ち着いたときに、セツの小説を、お前に渡したい」

 この人の慈愛の心はあまりにも残酷だ。

 彼にとっても、最愛は兄なのだろう。兄の生きていた証を、ぼくに渡すつもりなのだ、この人は。

 結局、僕は透けている彼の手をとるしかなかった。

 兄が愛したこの人の手を、とらずにはいられなかった。

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