少女貴族と僕2
この碧ばら荘は二階建てだ。一階がバスルームやキッチンなどの生活空間、二階が個室になっている。碧ばら荘の定員は五人なのだが、今の居住者は僕と十文字くんの二人しかいない。これで経営が成り立っているのか心配になる。
階段をあがると三つの扉が右に、二つの扉が左に見える。十文字くんの部屋は左側の奥だ。十文字くんの部屋のドアをノックすれば、しばらくして彼が出てきた。
「……はい」
彼はいつも髪をくしゃくしゃにしていて、眠そうに遠くを見つめている。身だしなみは一応気をつけているらしいのだが、ごく稀によれている服を着ているときがある。今日はいつもどおりのスウェットを着込んでいてほっとした。
十文字蒼夜という青年は、聞くところによると去年高校を卒業したばかりで一人暮らししているのだという。若いのに頑張り屋だなあと感心するのだが、僕も今年で二十歳になる。あまり人のことを言える身分ではない。
彼はあまりプライベートを見せない。十文字くんの背後には部屋の中が見えないように暖簾がかかっている。頼んだことはテキパキとやってくれる子ではあるのだが、ミステリアスな部分があるのもまた事実だった。年齢にしては常人とは違う雰囲気がある。実に不思議で興味深かった。
「これからティータイムなんだけど、十文字くんも良かったらどうかな?」
「行きます。ちょうど糖分欲しかったとこなんで」
「糖分……? なにか勉強でもしてたのかい?」
「まあ、そんなとこっす」
やはり彼は多くを語ってはくれない。いつも眠たそうにしている目も若干泳いでいる。
それでも、眼鏡越しに見る彼の目は、いつも不思議な光彩を帯びている。
目の色の透明度が高いと言ったらいいのだろうか。彼の目は日本人らしく暗い色だったが、真冬の夜空のように透き通っていた。今にも星が流れてきそうな色をしているのだ。
彼の目は見ていて飽きないなあ、といつも思う。
「部屋の掃除してから行くんで、下で待っててください」
「掃除かあ、手伝おうか?」
「大丈夫っス……。二分くらいで終わるんで」
そう言って十文字くんは扉を閉めた。相変わらず気難しい青年だ。
それでも僕やハツエさんのティータイムに付き合ってくれるのだから、多少は心を許してくれているのだろう。
リビングに戻ると、紅茶の馨しい香りに満たされていた。テーブルの真ん中にはティーセットとアップルパイが置かれ、僕らに食されるのを今か今かと待ち望んでいた。十文字くんが後から来るのを伝えれば、ハツエさんは「じゃあ待っていましょうかね」と朗らかに笑うのであった。
ハツエさんから包丁を借りてアップルパイを六等分に切る。断面からはパイ生地の層が見えていて、まるで地層のようだ。瑞々しいリンゴとカスタードクリームの色合いに、やはりこのパイを食さないのはもったいないと思う。まだ冷め切っていないアップルパイはさぞかしおいしいだろう。
準備をすませると、ちょうどよく十文字くんが二階から降りてくる。三人でテーブルを囲い、午後のティータイムにした。
アップルパイを更にフォークで細かく割いて、口に入れる。途端、さっぱりとしたシナモンの香りが口いっぱいに広がった。なめらかなカスタードクリームとリンゴの酸味をパイ生地が見事に包んでいて、甘すぎない快楽をもたらしてくれる。十文字くんも気に入ったのか、うんと頷いた。
「さすがっスね。これは蓮ヶ原さんが?」
「ううん。僕はハツエさんを手伝っただけ」
紅茶で濃厚なクリームを喉に流しこみ答えると、ハツエさんはにこにこしていた。
「美星さんの手際がよくて助かるわ。ご飯支度も手伝ってくれているし」
「いえいえ! 普段からお世話になってますし! これくらいは当然です!」
普段は鈍臭い僕だが、実は料理はそれなりに得意なのだ。寧ろ唯一の特技と言ってもいい。幼い頃から使用人に叩き込まれているせいか、家事だけはなんとかこなせている。それでもノロマなのはどうしても改善できなかったのだが。
パイを口に放りこんだ十文字くんは、甘さを堪能しているのか目元が和らいでいた。
「そうだ、十文字くん聞いてよ! さっき隣の人に挨拶しに行ったんだけどね、ひどかったんだよ!」
そうして十文字くんに先ほどのことを一通り話した。彼は嫌がるそぶりを一つも見せずに、淡々と聞いてくれた。これではどちらが年上なのか分からないが、僕の突拍子もないお喋りは今がはじめてではないから彼も慣れたものだろう。話を聞き終わった十文字くんは、ティーカップに口をつけてまた一つ頷いた。
「まあ、そういう人には関わらないほうが吉じゃないスかね」
「そうかなあ」
「多分、蓮ヶ原さんと根本的に合わないんじゃないスか、その人。だから初対面でもそういうふうに突っぱねられるんだろ」
「ええ……でも、第一印象でそこまで嫌われることってあるのかなあ……」
「俺も見た目がパリピのやつとはあんまり関わりたくないし。それに、合わないやつとは地獄の果てまで行っても合いませんよ」
「結構ドライだよなあ十文字くんって。本当に僕より年下?」
頬杖をついて十文字くんを下から見上げれば、彼はほんの少し気まずそうに視線をそらした。十文字くんは視線を合わせるのが得意ではないのか、目を見れば必ずそらされる。そんな彼に苦笑して、まだ温かい紅茶の入ったティーカップを煽った。
「でもそうだなあ……。そうかもしれないね」
そう言って、リビングから見える庭を見やった。庭の端にはまだ溶けきらない雪の滓が残っている。薔薇が咲くのは、まだ当分先のようだ。
そうして僕は、父と仲違いしたときのことを思い出していたのだった。
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