生きてりゃなんかあるわけよ
それは執着心の結実であって、決して自分の行いに対する誠実なお返しではないのかもしれない。だからどうやっても汚らしいものであるかもしれないけれど、そういうものを大事に抱えて、生きていくしかないのです。人の弱さとは、そういうものです。
僕はそういうものばかり抱えてきたような気がしています。そうじゃないものばかり落としてきてしまったような気がしています。初めから何も掴んではいなかったような気もしています。そもそも、ここには誰もいないのかもしれません。いたとしても、これは全く夢であるのかもしれません。それが、生きていたら起きる事の真実なのだとしたら、僕はその真実とは向き合えないのだろうと思います。その事に気づく事がない故に……。
まあ、生きてりゃなんかあるわけよ。でもそれは、僕の為にあったわけじゃないのよ。それもこれも自分の行動なら、自分の為にそれはあったのよ。なのに他者に依存したりするから、人というのは不思議なのです。自立した心情のようで、いつまでも依存しているようで、しかし一部分は確かに自立して、何からも解き放たれているようなのです。そうやって、解き放たれている事に依存しているようなのです。そうやって哲学はいつも困難を押し付けるばかりで、問題を何一つ解決する事はないので嫌いです。僕よりは好きです。だから僕の事は哲学よりも嫌いです。僕は、哲学と違って問題解決が可能であるのに、それをしないでいるのです。
そうやって、弱いままでも、生きてりゃなんかあるわけよ。強くなれば余計にあるわけよ。だったら、弱くも強くもなかったら、そこには何があってくれるのでしょうか。そこには何も生じないのでしょうか。そこに消えずに、残ろうともせずに、漂っているのでもなく、静止しているのでもなく、そうやってただ曖昧であるのでしょうか。誰も答えないのなら、誰も知らないのだろうと思います。だから僕も知らずに生きていくのだろうと思います。そうやって、僕はいつも曖昧でいます。それでも、生きてりゃなんかあるわけなのでしょうか。あるんでしょう。あってくれなければ、そうやってまた一人うそつきだったのです。
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