今日も僕は僕でありまして

 年は既に明けてしまったので、それについてはもう何も言わないでおく。


 前々から、少しずつ蓄えている物語が一つある。それを僕の連続性として保っているので、完成させる事がその連続性を途切れさせる事に繋がってしまうのではないかと、そう思い込んでいる。だからまだ見せられないが、しかしいつか必ずや、脚光を浴びせてやりたいと、そう思っている。


 そこには、観客も誰もいないかもしれない。ただその物語だけが壇上に気配を残して去っていくのかもしれない。それでも、きっと壇上に立たせてやろうと、壇上で輝かしい活躍をさせてやろうと、そう思っている。思わなければやっていられない。ただ終わる為に始まる物語というのは、死ぬ為に生まれる生命のようだ。人だって、死ぬ為に生まれてきた訳ではない。僕はどうだろうか。いや、それはどうでもいいことだ。


 いつか必ず、いつか訪れるという期待を現実のものとしてやりたいのだ。だから、いつかという状態が保たれては駄目だ。それはやがて絶えなければならない状態なのだ。だからいずれ僕の連続性は途切れるのだ。燃え尽き症候群のようなものだ。たったそれだけの事に、僕は耐えきれないかもしれない。そう思っているからこそ、こうして長々と不安を連ねている訳なのだ。不安など感じないと、そういう人間であったなら、一人で生き、一人で死んでいけばいい訳だ。何にも関わりを持とうとせず、取り残されるように生きていけばいい訳だ。無線を起動して、「応答せよ」などと叫ばずに、自ら社会を飛び出していって、誰も訪れない場所で一人座り込んでいればいい訳だ。僕にはそれができそうにもないから、こうして人に見つけてもらおうとしているのだ。僕は臆病だ。恐怖を抱える自分の弱さがおそろしいのだ。


 そうやって生きている訳です。そうやって年を越した訳です。今日もまた目覚めがありました。まるで当然の様に過ぎていく時間がありました。今年はもう363日を残すばかりです。僕は、ただ時間を過ごす事に耐えられなかっただけなのです。そうやって連ねてきたのです。明日もまた、そんな風に思っているだろうと思います。そんな風に、去年も言っていた様な気がします。

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