間違いながら、間違っている
七転び八起きなんて言葉もあるが、基本的に僕は間違いながら生きている人間だ。正しい事を一つしたとしても、それを押し潰すように間違いを重ねて生きてきた。法を犯すとか、積極的に他者を傷つけようとかいう話ではないが、だがそうではない、とも言えない程度の不安はある。僕は、例えば、「やったんだろう!?」と言われたら、やったと答えてしまう人なのだ。
吸ってもない煙草のポイ捨てで怒られているような気分と、行おうともしていない不正をしたような後ろめたさを抱えている。ここにいる事がどうにも責められるべき事のように思えてならない時がある。書いていて、どこまでが冗談なのか、自分でも分からなくなってくるくらいには、本当の事なのだ。誇張は混じっているだろう。それも結局は、真実の混入を隠すには至らない。僕は怯えながら生きている。サバンナで孤立した草食動物のように。
という認識そのものが、そもそも間違っているのかもしれない。後ろめたさも何もかも、全ては幻に過ぎないのではないか。その認識さえも誤っているかもしれないというのに、一体なにを正しいと思うつもりなのだろうか。段々と腹が立ってきた。それもこれも全て自分の中途半端な考えのせいだ。偏見を持てばこんな取り越し苦労などせずとも済むのだ。どうしてそうではなく、ただ怯える方を選んだのか! そこに人間性を見たからかもしれない。何も言えない。
間違っているなら、そうと言ってほしいのだ。正しいなら、そうと言ってほしくはないかもしれない。ただ放っておいてほしいと思うかもしれない。いつもそうしているように、その時もそうしてほしいと望むかもしれない。始めから全て間違っていれば、そう思い詰める必要など微塵も存在しないのだ。その発想もまた、間違っているのかもしれない。
正しいと思える道は歩んできた。しかし正しい道を、僕は歩いていないだろう。僕はどこかで、やはり誤解しているのだ。正しさとは何か、間違いとは何か、そんな事を考えるよりも自分の為に、あるいは世の中の為になるようなものがあって、僕はそれを見失い続けているだけなのだ。見えた間違いを避けて、見えない間違いにぶつかろうとしているだけなのだ。し続けるだけなのだ。だから僕は、間違いながら、間違っているだけだ。一つの問題を避けて、複数の問題を生じさせているだけなのだ。そしてそれもまた間違いであって、つまりは誤解であって、僕はただ何でもない事に人一倍悩んでいるだけなんだろう……。
それが、一番救いのない結末だ。ただ自分が弱いだけで、それだけで……そんなのは、どうしようもないことじゃないか。幾らどう考えても、変化しても、どこかに弱さは残っていくじゃないか。弱さを乗り越えようとするから、弱さを昇華させようとするから、そうやって僕は弱さを取り入れて生きていく訳じゃないか。どうか僕のやっている事は間違っていてくれ。こんな事が正しいなら、人は自分を傷つける方法によって強くなる事を奨励されているという事だ。そんなのは駄目だ。絶対に駄目だ。傷つき、倒れていく者を救ってくれるような人に期待しているから、裏切られた気分にさせられる。そういう誤解をする。実際のところ、ただ一人傷ついているだけなのに、いつの間にか誰かに傷つけられたような気さえしてくる。そんなのを正しいと言わなければならないなら、自分一人が倒錯していると思われた方がマシだ。
どうにも、そうはならないのだ。世の中というものは、だから苦手だ。だから僕はそうやって、サバンナで孤立した草食動物のままだ。もしも、僕が間違っているとしたら。
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