書くことばかりが人生じゃなくて

 言い訳無用とでも言って、去っていく者もあるだろうが、そんな事はどうでもいい事だ。誰もがそうであるが、こうやって文章を連ねる事ばかりが人生ではないのだ。そうでないところでも人は生きているし、むしろ人はそうでないところに――つまり文章とは無縁の環境において――生きているのである。そして本来、それこそが人生の大半であって、執筆する者の方が、社会からすれば逸脱いつだつしている存在なのである。


 そうではあるまいか。他者と向き合い、世間の狭間で自分の仕事を全うしている者からすれば、自分の思っている事とやらを世間に開陳かいちんし、それで世間を変えた気になっている方がおかしいだろう。そうでなくとも趣味なのだ。趣味の方に時間を費やせる程に、暇はないはずだ。もし用意できたとしても大した量ではないだろう。人は人生を過ごすのに忙しい。それがどんな環境であろうとも、文章一つに気を回せる程の余裕はないのだ。本来はそうだ。


 文章を連ねるというのは、異常な事だ。目的もなく、ただ自分の欲望をそこに乗せて、それで何か伝えた気になっているだけの事だ。実際のところ、何も変えられていないのだから。そんな様を見て、どうして尋常じんじょうだと思えるのか? それとも、異常なのはここにいる僕個人だけだとでも? だとしたら、可能性というものは随分ずいぶんしぼんでしまったらしい。だが、そんな人ばかりになっているのはどうにも気に障る。どうしてそんなに他の事を放っておけるのか? 自分の人生はどこに消えたのだ? それとも、それこそが自分の人生なのだろうか。


 だとすれば、何も言うまい。続けるしかないのだろう。続けていくのだろう。僕もそうだ。あなたもそうなのだろうか。どうであれ、そこには一人、何者かがいるのだろう。僕ではなく、同じ風景を違うように眺め、僕の事など知らずに平和に過ごしていくのだ。穏やかな日々の中なのだ。そうであってほしいものだ。そうでなければ、こんな文章を読んでいる暇など当然ないし、世間に傷つけられているばかりなのかもしれないのだから。だからそうではなくて、ただ穏やかな日々を過ごしていてほしいものだ。そして、こんな奴の文章を読む暇を、自分の為に費やす事だ。そうしているべきだし、そうなるべきだ。誰も、こんな文章など読んでいやしないから、それは叶えられていると言えるかもしれない。


 それなら、それで良かった。後は自分の人生だけだ。その寂しさだけだ。その苦しさだけだ。その憎たらしさだけだ。それだけで、僕は生きながらえてはいられないのだから、こうして書き連ねている訳だろう。僕の文章の大半は弱さでできているのだ。弱さを克服し、強者になれば、ここには誰もいなくなる。僕は、僕のしたい事の為に、脆弱ぜいじゃくな存在でなければならない。おかしいかもしれないが、そうやってどこかに欠点を抱えなければ、昇華されるものもないのだから、成長もない訳だろう。しかし、弱さがなければその方がいいはずだ。こんな要らぬ苦しみを保持する必要などない。朗らかに生きていけるのなら、その方がいいに決まっているだろう。みんな、心からそう思っているだろう。どうして弱さなんてものを必要としてしまうのか? そんなのは僕だけでいいと、始めからそう言っているのに。

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